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第61話 惨めに、弱く

「は? なんで俺が」

「だって、私じゃ既読すらつかないし、そもそも連絡もとれない。何度も伺うのも親御さんに迷惑かもしれない。でも、佐保山先輩。アナタならなんとかできるんじゃないですか」

「俺ならって、そんなことできるわけないだろ」

「柚子先輩、たぶん誰のメッセージも読みたくない状況なんです。いろんな人から電話とかメッセージが飛んできて、すごく辛くて。けど、佐保山先輩のメッセージだけは見た。佐保山先輩の言葉だけは、どうしても見ておきたかったんです」


 楠木が俺にそこまでの信頼をおいているなんて考えられない。


「けど・・・・・・」


 そんなこと、分かっている。


 このトークにつけられた既読の文字がどういう意味を持つのか。


 俺が送った文章はこうだ。


『担任が楠木のこと心配してたぞ』


 もっと気の利いたことを言えたらよかったのだが、そもそも楠木にメッセージを送ったのは 担任の教師に楠木と連絡をとってみてくれと頼まれたからだ。


 楠木がこの文を見てどう思うかなど俺には到底分からない。喜ぶんだのか、それとも、悲しんだのか。


「助けるって、なにすりゃいいんだよ」

「これから柚子先輩の家に行きます。佐保山先輩、柚子先輩と話てきてください」

「話してって、なんなんだよその大雑把なお願いは」

「一度でいいんです。柚子先輩と話してみて、それでもダメなら、諦めます。辛い人を説得するのが正解だとは私も思いませんし」

「他を当たってくれ。何で俺がそんなこと」


 俺は鬼灯を振り払い、足早に家に帰ろうとした。


「納得できないからに決まってるでしょ!」


 しかし、あまりの怒号に俺は足を止めた。ビリビリと伝わる張り詰めた空気の振動が、俺の背中を痛いほど叩いてくる。


「柚子先輩はなによりも他人を大事にしてきた。たまには自分のことを気にかけてくださいって注意したこともあった。そんな優しい人の結末がこれって、そんなの・・・・・・納得できるわけないでしょ・・・・・・!」


 後悔という念が染み込んだ声色が、足元を這っていく。どれだけ拳を握りしめて過去を恨んでも、その声はもう空を目指すことはないのだ。


 もう、どうしようもない場所まで来ている。そんな人間の脆弱な叫びが、秋風と共に枯葉を連れていく。


「私、アナタが嫌いです」

「だろうな」

「世界で一番嫌いです。なんでこんな奴なんだって思った。なんでこいつが私の年上なんだ。なんで私が敬語なんて使わなきゃいけないんだってムカついた。本当は喋りたくもない」


 ひどい言われようだったが、これまでの言動から、鬼灯が俺のことを心底嫌っていることくらいは分かっていた。


 鬼灯は純子にしたような乱暴な手つきで俺の胸倉を掴んだ。


 殴られる。そう思ったが、鬼灯は肩を揮わせたまま俺を睨みつけた。


「それでも、頼んでるんです」

「お前・・・・・・」

「お願いします、佐保山先輩。柚子先輩を・・・・・・助けてください」

「・・・・・・・・・・・・」


 力が強くても、心が強くても、どうしようもないことはある。


 なら強さなんてものは最初からいらないのかもしれない。


「お願い、します・・・・・・」


 頭を下げて懇願する、惨めさがあれば、それで。


「分かったよ」


 強い人間の高圧的な命令や指示を振り払うのは簡単だ。しかし、こんなふうに自分の弱い部分まで曝け出して乞うように頭を下げられたら、断るのは難しい。


 俺にはこんな覚悟などない。


 だから、首を横に振る資格なんてものもありはしないのだ。


「本当に助けられるかどうかなんて、分からないぞ」


 そもそも助けるとはなんだ。


 先ほど鬼灯が言ったように、学校に来るよう楠木を説得するだけが正解ではないだろう。それは俺たちの思い上がりであり、ただのエゴだ。


 俺にできることは、ただあいつと軽いおしゃべりをすることくらいだ。それがあいつにどれだけの影響を与えるかなんて分からない。海に一滴落とすような、途方もなく無意味な時間を過ごすかもしれない。いや、そっちのほうが可能性は高い。


 それでも鬼灯は。


「ありがとうございます・・・・・・佐保山先輩・・・・・・」


 ホッとしたような、嬉しそうな、そんな柔らかい表情で、笑って見せた。



 楠木の家の前まで来ると、いつぞやのことを思い出す。


 確かあのときもこうして店の中を覗き込んだんだったか。


 スマホを見ると、鬼灯からメッセージが届いていた。


『無理強いはしなくていいです。ただ話すだけでいいですから』


 どうせなら鬼灯も同伴すればいいと誘ってみたのだが、何度も伺うのは今の状態の楠木に対してよくないだろうと言って鬼灯は帰ってしまった。


 たしかに、クラスメイトから連絡がいき、毎日のように誰かが尋ねてきたら大きなプレッシャーのようなものを感じてしまうだろう。学校に行きたくないと思っているのだとしたら尚更だ。


「あら?」


 どうしたものかと悩んでいると、店先にいた楠木の母親と目が合った。


「久しぶりね」

「どうも」


 会うのはこれで二回目か。


 楠木の母親は相変わらずの愛想で手招いた。俺も軽く会釈をしてから店に入る。


「柚子?」

「はい」

「そう」


 短いやり取りだった。その笑顔の裏に、消沈としたものが見え隠れする。


「まあ、あの子、昔から周りに合わせてばっかりだったから」

「はあ」

「嫌でしょ? そういう子」

「そんなことは、ないですけど」

「同年代の女の子は、違うのかもねぇ」


 楠木の母親は階段の向こうを眺めながら肩を落とした。


 学校での件は、すべて教師から聞いたのだろう。カウンター前に貼られた「営業時間変更のお知らせ」という紙が、それによる周りへの影響を物語っていた。


「柚子に用事? プリントかなにかかしら」

「いえ、少し、話をしようかと」


 視線を床に落としたまま言う。花びらひとつ落ちていない、キレイな床だった。


 楠木の母親は、少し間を置いてから頷いてくれた。


 階段を登り案内される。とはいえここへ来るのは二度目なので楠木の部屋の場所は分かっていた。


 『柚子の部屋☆』と書かれたプレート。


 華やかなそれは、今日はやや滲んでいるように見えた。楠木の母親が扉をノックする。


 返事はない。


 楠木の母親が扉を開けて中を覗いた。


「いるから、入って」


 そう言うと階段を降りていき、俺一人だけが残る形となる。


 俺はそれから何度か深呼吸をして、気持ちを整えた。


「入るぞ」


 おそるおそる少し開いた扉の隙間から体を忍ばせた。


 カラフルな色彩の部屋壁。緑色のカーテンに、ピンクの本棚と丸机。茶色いカーペットの上には黄色のクッションが並べられている。


 シトラスの芳香剤だろうか。爽やかな香りが鼻を通る。いつかと変わらない景色だった。


 ただ一つ、あの時と違うのは、この部屋の住人だろう。


 部屋の端に置かれたベッドの上で、楠木はこちらに背中を向けて横になっていた。


 俺が部屋に入っても気付いていないようで、身動き一つ取らない。


「楠木」


 声をかけてみるが、やはり反応はない。


 抜け殻のようだった。


「俺だ、佐保山だ」


 名前を出すと、その抜け殻がビク、と震えた。

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