第60話 空っぽの席
先日の件は純子と楠木の対立。それから多方面からの一方的なイジメが認められた。後日、純子を含めた関係者が生徒指導室に呼ばれ、教室は普段よりも静かになった。
最初はイジメの有無で揉めていたようだが呼び出された女子のうちの一人が自白したことでそれは確かな証拠となり、無事彼女らの処置が決められる方針となった。
とはいっても仲間外れにすること自体は、そこら中で行われていることだし、精神的に追いつめたとはいえ身体に傷などを負わせていない以上、厳重注意までが学校側のできることだった。
なら精神的なダメージはいくらでも負わせていいのかといわれたらそうではないだろうが、あくまで判断材料として扱ったのだろう。それに楠木と事前に話をしていることもあって、本人の意思を尊重したのかもしれない。
楠木があいつが悪い、こういうことをされた、許せない。そんな風に牙を剥ける奴だとは思えなかった。
どうせ、自分にも非はあったとか、そんなようなことを言ったのだろう。
そのことに対して憤りを感じるのは、おそらく俺が楠木の肩を持っているからなのと、それから、楠木に対して一種の贔屓のようなものがあるからなのだと思う。
その日のホームルームはいつもよりも長かった。
クラスの輪はクラス全員で守る。もしイジメがあったら、見て見ぬフリはしない。もし直接言うのが怖かったら先生、または友達に相談すること。
今回はこれで済んだが、もしかしたら楠木も、もっと辛い目にあっていたかもしれない。
そして先生は、自分もイジメの実体に気が付けなかったことにひどく悔いているようだった。
その間純子や、その取り巻きはバツの悪そうに下を向いている。
恵だけは、顔を上げ、担任の話を真剣に聞いていた。
自白したのはもしかしたら恵なんじゃないか。俺はそんなことを思っていた。
教師は再び、今回はこれで済んだがと口にした。
おそらく、最悪の事態にはならずに、本人もホッとしている部分なのだろう。
だが俺は、机の下に置いた手の力がだんだんと強くなっていることに気付く。
この程度、ね。
斜め後ろの席を見る。
あいつは席に着くとき必ず俺の前を通り小さく手を振る。俺が前にあまり学校で話しかけないで欲しいという類のことを言って・・・・・・いない気がする。そう、楠木が勝手にそう推測して気を利かせたのだ。間違いではないのだが。
そうやってくすぐったい朝を送り、授業を受ける。横に消しゴムが転がってきて、それが楠木のものだと気付くと、気が向いたときだけは拾って渡してやってた。オレンジ色の、無駄に目立つ消しゴム。先が丸っこく、しっかりと使用感が残っているものだ。
筆箱も小学生が使うような花の柄のもので、楠木は身の回りのものを果物や花で固めていた。本人のこだわりなのか、それとも風水とか、そんなような何か特別な意味があってそうしているのか。
俺は何もわからない。
何故ならそれからすぐに口を効かなくなったからだ。
いや、聞く機会は何度もあった。
俺はあれだけ一緒にいながら楠木のことをほどんと何も知らないのだ。
だからこうして、楠木が学校に来ていない理由も、俺には分からずにいる。
ホームルームが終わると重苦しい顔ではあるがそれぞれが教室を出て行き、静寂と喧噪が教室と廊下の境を行き来する。
張り詰めた空気から解放されれば再びいつもの日常が返ってくる。過去を振り返り、未来に想像を馳せなければ人はまた前を向ける。
もう終わったというのに、俺はいまだ後ろの席から目を離せないで教室に残っていた。
それから一週間が経っても楠木は学校に現れなかった。
体調不良ということにはなってはいたが、クラス全員、楠木が欠席している本当の理由はわかっていた。
俺も一度だけ教師に言われ楠木に連絡をとってはみたが、既読だけ付いて返信は来ない状態だった。
最初はクラスの人間も楠木の精神状態を心配して家にお見舞いしにいこうという話をしていたようだが、実際に面会はかなわなかったらしく、それっきり楠木のことはそっとしておこうという話になった。
「あ」
放課後、校門の前を通ると小さな影がいつかのように俺を睨んでいた。
「ちす」
「なんですかその挨拶、バカにしてるんですか?」
鬼灯は腕を汲みながら俺を睨んだ。
俺がそのまま鬼灯の横を通り過ぎようとすると、腕を掴まれて引き寄せられる。そのままフォークダンスでもはじめるような勢いだったが、あいにく俺はそのまま校門に叩きつけられた。
「どこからそんな力湧いてくるんだ?」
「知らないんですか? 人の感情で最も強いのは憎しみですよ」
「俺そんな憎まれるようなことしたか」
「・・・・・・・・・・・・」
無言で背中を叩かれた。
俺が歩き出すと、鬼灯もついてくる。どうやら俺に用事があるようだった。
「柚子先輩から連絡とか着てないですか」
やはり、と俺は思った。
「着てない。既読だけついてそれっきりだ」
「ムカつく」
鬼灯の目つきが一段と鋭くなる。
「そうやって私とはちがうアピールしてなにが楽しいんですか? 性格終わってますね。マジでこの世の終わりって感じです」
「なんの話だよ。俺と同じがいいのか?」
「それも嫌です最悪です」
「どっちなんだよ」
「先輩が揚げ足とるからでしょう。・・・・・・もういいです」
鬼灯は舌打ちをして俺を追い越した。
「・・・・・・柚子先輩から、返信がこないんです」
「それは俺もだって。さっき言っただろ」
「違うんです。私の場合は既読すらつかない。きっとメッセージも読んでくれてすらいないんです」
泣きそうな声がコンクリートに跳ね返る。俺の前を行く鬼灯の表情は見ることはできないが、その背中は年相応の女子のか細さを持っていた。
「柚子先輩の家にも行きました。お母さんが出てきて、柚子は大丈夫だから心配しないでって言われて、結局、私・・・・・・まだ柚子先輩と一度もお話できていないんです。絶対柚子先輩、大丈夫なんかじゃないのに」
「・・・・・・鬼灯は、あの一件についてどう思ってるんだ?」
「最悪だって思ってます。そもそも、おかしいと思ったんですよ。柚子先輩、ここのところよく休日に私を買い物に誘ってくれたんです。クラスの子と約束してたんだけど寸前でキャンセルになっちゃったからって。今までそんなこと一度もなかったのに」
「なるほど。それであのときすぐに駆けつけてくれたのか」
「なんですかそのおかげで助かった、みたいな言い方。佐保山先輩は柚子先輩を助けてほしかったんですか?」
「あ、いや・・・・・・」
俺は別にそういうんじゃない。助けたいとか、そんな悍ましい気持ちで楠木の前に立ったんじゃない。
自分の中で答えはたしかにあるはずなのに、どうもそれに違和感を持ってしまう。
「佐保山先輩」
鬼灯が振り返る。
「柚子先輩を助けられるのは私じゃなくて、アナタなんじゃないですか」




