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第53話 きっと仲直りできるよね



「アンカーは柚子でいいんじゃない?」


 体育祭委員を決めたあと、リレーの出走順を決める話をしている時にそんな声がひとつ上がった。


「確かに、柚子って足速かったもんね~。わたしら運動音痴ばっかりだしそれがいいかも」


 一人がそう言えば、後に続くように、便乗するように、責任から逃れるように。同じような意見を言う人たちが現れた。


 別にあたしはそこまで足が速いわけではない。贔屓目に見ても並み程度の実力だと思う。


 アンカーなんて大仕事をこなせるほどの器でもないし、なにより。


「多分、柚子なら断れないし。あいつに任せておけばいいんよ」

「だね、アンカーなんて誰もやりたくないっての」


 そんなひそひそ声があたしの耳に届いている以上、選ばれた理由が実力ではないことは明らかだった。


 でも。


『もう、俺に関わらないでくれ』


 底なしの拒絶を露わにしたその言葉。


 あたしを拒んで、不必要だと、目障りだと睨みつける彼の形相が濁って生腐った記憶に思い浮かぶ。


 あたしは、誰にも必要とされていない。誰からも嫌われて、かと言えば好かれてもいない。頭数合わせのようにいつも端っこにいる霊みたいな存在。


「はやく頷けよ。いつもみたいに『はいはい』言ってりゃいいんだよ」  


 陰でそんな言葉が聞こえる。どうせならもう少し小さい声で言ってよ。聞こえてるって。


「柚子、やってくれる?」


 あたしの目の前に立つ、比較的仲のいい友達が申し訳なさそうに頼み込んでくる。


 その隣にいる仲のいい子も、同じくバツの悪そうな顔。「嫌ならいいんだよ?」と言ってくれる彼女の後ろには、あたしを睨みつける話したことのない子。


 四方八方から、色々な感情が流れ込んでくる。でもあたしは、この心が壊れてしまいそうになる負の奔流に対抗する手段を知っていた。


 人それぞれだから。


 世界は広くてたくさんの人が存在しているから、当然あたしとは価値観の合わない人だっているはずだし、あたしを嫌う人だっている。


 でもそれにいちいち突っかかってたらキリがない。馬の合わない人っていうのは必然的にいるものなのだから、「なんであの子はああいうことをするんだろう」って眉間にしわを寄せて悩むよりも「まぁそういう人もいるよね」ってある種の達観した意見で流すのが最も効率的で波風の立たない生き方なんだ。


 だからあたしは今回もその手法を適応して、端っこであたしを睨む彼女らは無視して、目の前の友達に笑顔で答えた。


 ――うん、いいよ。

 

 運動靴を買って家に帰り、部屋に荷物を置くとあたしは家から飛び出した。


「あら柚子。どうしたの? そんなに張り切って」


 今度の体育祭、アンカーに選ばれたからちょっと練習しようかなって、そう説明した。


 花をキーパーに片づけている最中のお母さんは、あたしの顔と、新調した靴を交互に見比べて、


「短期間練習しただけじゃそこまで変わらないと思うけどね」


 そんな意地悪なことを言った。でも、お母さんの表情はとても柔らかくて、一層やる気を出したあたしは靴紐を強く締めて元気よく駆けだした。


 逸る鼓動と等間隔の吐息が心地よくて、景色が変わっていく度に充実感に溢れた。


 額を垂れる汗は努力の証で、誰かのために事を成し遂げるのは素晴らしいことなんだって自己満足にも浸れる。


 でも、自己満足とはいってもみんなのために頑張りたい。アンカーを任された以上責任は果たしたいし期待にも応えたいというのは確かな本音で、そんな正義感があたしの中に眠っていたことにホッとする。


 走りながら空を見上げると、その大きな青い空と同じ名前の男子を思い出す。


 多分あたしは。ううん、きっとあたしは、佐保山に嫌われている。


 一緒に走れたらきっと楽しいんだろうけど、今はそんな誘いをできるほどの状態じゃない。


 どうしてこうなっちゃったんだろう。なんて愚問はあたしの脳内で泡となって消えた。


 佐保山があんなに怒っていたのは、あたしが佐保山に何も言わなかったからだ。


 小学校の時、あたしが佐保山をフッて以来まともに喋ってもなかったくせに。再会した途端いけしゃあしゃあと馴れ馴れしく絡んできて、それでいてあたしの素性なんて一言も話さないで隠していたから、それに対して佐保山は怒っているんだ。


 なにもそこまで怒らなくてもいいじゃんと言ってしまえば簡単な話だけど、それも例のあの理屈。人それぞれだから、それで解決してしまう。


 佐保山にとっては逆鱗に触れるような出来事だったのだから、あたしに正当性なんてなくて。あそこで謝ることができなかったのは確かにこちらの失態だ。


 走る速度を、また速くする。


 でも、きっと頑張れば。必死に努力する姿を見せれば、佐保山もあたしを見る目を変えてくれるはずだから。


 もう、昔みたいに自分本位な人間じゃなくて。誰かのために汗を流せるような人間なんだよって。


 自分の行動原理にため息が出つつも、あたしは走る速度を緩めることはしなかった。


 だって、人それぞれなんだから。



 そんな歪な思想を持って走ったものだから、神様からバチが当たったのかもしれない。


 本当に正義感のある人間は、意地汚い見返りなんて求めたりしないって。


 何度も何度も練習して汚れだらけになったあの靴が、ゴール寸前にあたしを裏切った。紐が解けて、足に絡まる。突然のことに受け身も取ることのできなかったあたしは無様に地面に転げ込む。


 なんとか立ち上がってバトンを拾い、痛む足に顔を歪めながらゴールするも時すでに遅し。あたし以外のアンカーは全員ゴールしており、あたしの組は最下位。あたしのせいで、最下位となった。


 盛り上がる歓声の中に混じる呆れたため息。


 あたしの顔がどんどん真っ青になっていくのが分かった。


 どうしよう。やってしまった。せっかくみんながあたしに任せてくれたのに、最悪な結末を招いてしまった。


 耳鳴りと眩暈がひどくって、意識が朦朧とする。


 そんなあたしの視線に、影が映る。


「楠木」


 その声は、その言葉は、いつぶりだろうか。とても久しぶりで、だけど身近で何度も聞いた親しみのある愛おしいものであった。


 顔をあげると、佐保山が嫌そうな表情を浮かべながら立っていた。


「保健室に連れていくから、立てるか」


 なんの感情も篭っていないセリフ。それでも、佐保山がどう思っていようとも。彼があたしの前に現れてくれただけで薄らいでいた意識が鮮明になっていく。


 あぁ、あたしって単純。佐保山にこうして話しかけて貰えるだけでこんなにも浮かれちゃって。転んだことも、今だけはちょっとラッキーかもと思ってしまった。


 その後も佐保山は付かず離れずの距離を保ちつつあたしを保健室に連れていってくれた。


 佐保山の歩く速度は速く、怪我人を連れたものでは決してなかったけど、あたしは一生懸命佐保山に付いて行った。


 本当はさっさと帰りたかったであろう佐保山は、先生の一言であたしの手当をしてくれることになった。


 佐保山のその不器用な優しさは相変わらずで、思わず顔が綻んでしまう。


 幾ばくかの時間が流れて互いに無言の空間が続く中、あたしは佐保山にあることを聞いてしまった。


 紫苑ちゃんとはうまくやってる? 


 そんなこと、今聞くようなことじゃないのに。この前はごめんねって謝ればいいのに。


 でも、何回か佐保山が紫苑ちゃんと仲良さそうに帰っているのをみかけたから、気になってしまっていたのだ。


 もしかして、付き合ってるのかな。そう思うと、胸の奥がギュッと掴まれたような感覚がした。


 佐保山はその問いに答えてはくれなくて、あたしは失敗したとすぐに話題を切り替えた。


 すると佐保山は、仕方がないと、いつものように息を吐いたあとあたしの額にガーゼを当ててくれた。少し染みるような感じ。どうやら擦りむいてたみたい。


 ガーゼ越しに伝わる佐保山の体温が愛おしくて、あたしは自然に「ありがとう」とそう言っていた。


 ごめんは言えないのに、どうしてこんなにもありがとうは簡単に言えるんだろう。


 佐保山はバツの悪そうにあたしから目を逸らした。そのぶっきらぼうな態度もとっても懐かしくて、あたしは久しぶりに幸せな時間を味わった。


 佐保山が保健室を出て行ったあと、先生が声をかけてきた。


「よかったわね」


 先生は何かを察したみたいに笑って、あたしの足を再度見てくれた。


 あたしも「はい、よかったです」と笑顔を隠すことなく先生に返して、窓の外を眺めた。


 やっと佐保山と話せた。一時はどうなることかと思ったけど、このままちょっとずつ仲直りできたらいいな。


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