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第52話 また雨は降る

 五月も終わりが近づき、そろそろ梅雨の時季だ。


 外はなんとなくじめじめしていて触り心地の悪い風が頬をねっとりと撫でていく。空は黒く、朝だというのにまるで夜のようだった。


「今日は午後から雨みたいです」

「そうなのか」


 隣で歩く紫苑がそんなことを言う。


 最近は帰りだけでなく行きもこうして紫苑と一緒に行動している。


 いつもわざわざ紫苑が一つ先の駅で降りて俺の家まで迎えに来てくれるのだ。


 別にそこまでしなくてもいいとは言ってはみたものの、紫苑の返答といえば「天くんと一緒にいられる時間が増えるなら安いものです」だ。


 まぁ俺だってこうして紫苑と登校できるのは嬉しいし、本人がそう言うのなら俺から口出しすることはない。


「秋萩の 花をば雨にぬらせども 君をばまして惜しとこそ思へ」

「なんだそれ?」


 突然紫苑が聞きなれない言葉を連発するものだから思わずつっけんどんな聞き方をしてしまった。


「昨日の国語の授業が短歌だったんです。素敵な歌だなぁって思って、覚えてしまってました」

「短歌? そんなん授業で習ったか?」

「はい。天くん、もしかして寝ちゃって聞いてなかったとか」

「かもしれない」

「もう」


 そんな俺に紫苑は笑う。


「その歌はどういう意味なんだ?」

「萩の花を雨に濡らしてしまうのも惜しいけど、あなたにお別れを告げるのはもっと惜しい。という意味だそうです」

「へぇ」

「すごく、作者さんの気持ちが分かるんです。私も天くんとお別れするときはすごく寂しいので、他人事とは思えなくて」


 そんなことを言われると、俺としては非常に嬉しい気持ちもある反面申し訳なくもあった。


 寂しい思いはなるべくさせたくはない。


 そんな話をしている間に、そのお別れの時間がやってきた。


 校門から少し離れたところ。元々桜が咲いていた、今は枯れ木の墓場となったそこで俺と紫苑は別れる。


 一緒に校舎に入ったら、付き合っているだのなんだのと噂をされたりする可能性がある。俺はそれが嫌だから校舎に入る前に別行動をとることにしているのだ。


 ただ別に、紫苑と付き合っていること自体を周知されるのが嫌という訳ではない。


 俺と紫苑の関係は、今がとても心地いいから、これ以上他の誰かに干渉されてそれを壊されてしまうのが嫌なのだ。


「じゃあ、天くん」

「ああ」


 そう言って、いつものように紫苑が先に校舎に入っていく。


 萩の花を雨に濡らしてしまうのも惜しいけど、あなたにおいとまを告げるのはもっと惜しい。それは俺にも分かる気がした。


「秋萩の花をば雨に濡れせば・・・・・・なんだったか」


 短歌自体はすでに忘れていた。


 俺は少し間を開けて、校門をくぐる。


 体育祭が終わって一週間。終わった後は数日の間も生徒達は浮ついていて余韻が抜けていないようだったがここ最近ではもうすっかりいつもの様子に戻っていた。


 俺は自分の教室の前に来て、扉を開ける。


 まだ生徒の数はまばらで、俺は真っすぐ自分の席につくと顔を伏せてホームルームが始まるのを待った。


 十分程経つと、教室も段々と人が増えて騒がしくなってくる。


 そんな雑音の中に混じる一つの声を俺の鼓膜は意地悪く拾った。


「おはよー!」


 その声は、あぁ、声だけで人間を判別できてしまう自分が憎らしい。


 そいつは楠木柚子。黄色い髪のギャルであり、俺の――。


 いや、やめよう。朝から気分を害したくない。


 顔を上げると、弾けた果実のような明るい笑顔を振りまく楠木がいつものグループに混じりに行く。


 そうだ。一つ訂正をさせてもらう。


 生徒達はすっかりいつもの様子に戻ったと言ったが、あれは嘘だ。


 中には体育祭以降、変わってしまった者もいる。


「って、あ、あれ?」


 楠木が手を振りながら輪の中に入っていくも、他の奴らは楠木を無視して談笑を続けた。


 楠木は居心地悪そうに右往左往している。


 そればかりか、そのグループは楠木を置いて去るように教室を出て行ってしまった。


「ねえ、あれ」 


 教室の後ろの方から、ヒソヒソと小さな声が聞こえる。


「最近楠木さん、あれだよね。イジメられてない?」

「あーなんかね、体育祭以来様子が変だよね」

「先生に言った方がいいのかな。ほら最近イジメで自殺とかしょっちゅうあるしそういうのうるさいじゃん」


 そんな会話が耳に入ってきた。


「えー? でもあれはイジメってほどじゃなくない? ただハブられてるだけでしょ」

「うーん、そうなのかな?」

「そうでしょ。だってイジメってみんなで悪口言ったり暴力振るったりすることじゃん。ハブられることくらい誰でもあるって」

「確かに。じゃあいっか」


 そうして楠木についての話題は終わり、そいつらはぺちゃくちゃと昨日のドラマの話を始めていた。


 イジメじゃ、ない。


 そうだ。他人から見たらあんなのイジメでもなんでもない、ただのグループ内でのいざこざ。口を挟む程の案件ではない。


 事実、あのグループの奴らだって別にイジメているなんてつもりはないだろう。ただちょっと意地悪をしているだけという認識。


 だが、俺には分かる。


 あれは、イジメだ。


 きっかけなんて些細な事だ。本当にくだらないことが起因となって徐々にエスカレートしていくのがお決まりの順序。


 被害者だけが認知できるイジメという存在は形のない不透明なもので、だからこそ当人も事を大きくすることもできない。


 故に他人からしたらあんなのはなんてことのない仲違いにしかすぎないのだ。


 楠木は教室を出て行くそのグループを哀愁漂う表情で見つめた後、自分の席について虚ろ気な視線を何もない空間へ向けていた。


 ――人に関わったって、ロクなことがない


 俺は教室を後にした。


 廊下を歩き、突き当りにあるトイレ付近で、先程のグループがたむろしているのが見えた。


「あーマジさっきの顔最高だったわ」

「わっかる。なにが『おはよー!』だよ。てかアタシ前からアイツの笑った顔嫌いだったんだよね、ニッコニコ子供みたいにさ。マジキモすぎ」


 そんな奴らを後目に、俺は男子トイレの個室に籠った。


 もうこれ以上人に関わるな。


 無駄な接触をするな。


 どうせロクなことにならないんだから

 俺は被害者だぞ? 完膚なきまでに人生を破壊された弱者であるはずなのに、どうして俺を貶めた加害者に手を差し伸べてやらなければならないのだ。


『ありがとね』


 ああ、俺もあの笑顔は嫌いだ同意する。


 あれは人の胸を抉る。どうしようもなく不快。なんの資格があってお前は笑って見せるのだと、地獄の底で嘆く亡者を嗤い飛ばすのはそんなにも楽しいかと問いただしてやりたい程の代物だ。


 それなのに。そうであるはずなのに。


 その果実は明るい彩色を決して失わずに熟れることもせずに、まるで人の幸せを願うように輝きを振りまく。


 あれだけ言ったのに、あれだけ突き放したのに、何が、ありがとうだ。


 クソ。


 本当に、イライラする。


 この苛立ちはなんだ。


 胸の中に渦巻く憎悪はなんだ。


 俺は楠木に憎悪なんてもう抱かないはずだ。あいつに抱くのは拒絶の心のみ。それは無であり関り自体の否定。


 なら、これはなんだ?


 いったい何に対して、誰に対して俺の腹はこんなにも煮えくり返っているのだ。


 俺は――。 



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