第49話 悪くない
健人の言う通り、俺はパン食い競争で取ったパンは一齧り程度に留めておいた。
ちなみに順位は二位だった。俺意外にもやる気のない奴がまだまだいるらしい。この学校の生徒もまだまだ捨てたものではないのかもしれない。
午前最後の競技である騎馬戦を遠巻きに眺めていると、昼休憩を知らせるチャイムが鳴る。
友達同士で弁当を食う者や、家族と食う者、そして木陰で一人でパンを貪る者があちらこちらに見受けられたが、俺はそれらには該当しない。
赤組の自陣。その反対側にある青組の陣地に俺は足を運ぶ。
もうほとんどが飯を食べにどこかへ行ったらしく無人の椅子が立ち並んでいた。
故に見つけるのは容易であり、
「紫苑」
おそらくこれから移動を開始しようとしていたであろう所に声をかける。
「あ、天くん」
「お疲れ。ようやく昼だな」
「はいっ。ようやく、ですね」
その会話で、互いにこの時間を楽しみにしていたことが分かり嬉しくなる。
「あの、お弁当。教室にあるので」
「あぁ、行こう」
俺たちは一度教室に戻ることにした。
「天くん、パン食い競争二位、おめでとうございます」
「げ、見られてたのか」
「ばっちり見ちゃいました」
あんな滑稽で情けない競技を見られていたと思うと恥ずかしくなってくる。
「一生懸命パンを食べようとする天くん、なんだか可愛かったです」
「嬉しくないな、それは・・・・・・」
可愛いではなくカッコいいと言って貰いたいのが男の常だが、パン食い競争にカッコいい要素など皆無なので紫苑に非は全くない。
教室に着くと、中は誰もいなくがらんとしていた。
紫苑は自分のロッカーを開け、中から二つの包みを取り出した。
「実は今日、お弁当作ってきたんです」
「それは、俺の分か?」
「はい。迷惑じゃなければ、その・・・・・・食べてみてください」
「勿論だ」
どうやらパンを食わなかったのは正解だったようだ。
「えっと、どこで食べましょうか」
「そうだな」
教室は今は誰もいないが、後から人が来るかもしれない。
別に後ろめたいことがあるわけでもないが、紫苑と昼食を共にするのであればできれば二人きっりがいいというのが本音だ。
そこで俺は、
「いい場所がある」
そう言って、少し自慢げに紫苑を案内した。
騒がしい廊下を抜けて、特別棟の階段を降りて誰も使っていない非常口を通って外に出る。
すると校舎の裏に出て、その奥に手入れのされていない茂みが見えてくる。
「わぁ」
そうして生い茂った草をかき分けていくと大きく座るには手ごろな石段。
「こんな場所があったんですね」
「あぁ。俺の自慢の場所だ」
「なんだか秘密基地みたいですね」
そう言って、紫苑は辺りを興味深そうに見渡した。
「ちなみに今の正規ルートを通らないで近道しようとするとそこの茂みの中から体中に葉っぱをつけて出てくることになるから気をつけたほうがいい」
「そうなんですね。天くんもそういう経験が?」
「・・・・・・まぁ、そうだな」
そうして俺が石段に座ると、続いて紫苑も俺の隣に腰かけた。
「ひんやりしてますね」
「夏だとこれが気持ちいんだ」
ズボンについた草を掃い、紫苑に貰った包みを開ける。
すると出てきたのはクマのキャラクターが書いてある弁当箱。
「なぁ紫苑。もしかして、クマ好きか?」
「あ、はい。好きですけど・・・・・・なんで分かったんですか?」
「だってこの弁当もクマだし、よくLIMEでもクマのスタンプ送ってくるだろ? だからもしかしたらと思って」
「あっ、そういえばそうですね・・・・・・なんか、恥ずかしいですね」
「いや、可愛いと思うぞ」
「えっ?」
と、話の流れでつい思ったことをそのまま口に出してしまった。
でも、仕方がないだろう。紫苑みたいに大人しい奴がクマが好きだなんて子供っぽい一面を持っていたら。
例の如く、紫苑は顔を真っ赤にして俯き、俺はというと自分の言ったことが今更恥ずかしくなり目を逸らしているのであった。
こういう言葉にはどこかで慣れないと会話がまるで進まないのだが、いっそこのままでも悪くはないのかもしれない。
「べ、弁当いただくな」
「は、はいっ。ど、そうぞっ」
気まずくもあり心地いい空気を俺は脱却すべくそのクマの蓋を開けた。
中にはブロッコリーとか卵焼きとか、緑と黄色の野菜がいっぱいに敷き詰められていて、なんとも女の子らしい弁当だった。
俺は一番最初に目をつけたブロッコリーに箸を伸ばした。
「ん、んまい」
焼き跡のついたマヨネーズがいい具合にブロッコリーのヘルシーさにマッチしており、文句なしに美味かった。
「ほんとですか? よかったです」
次に卵焼き。これも美味い。肉じゃがも口に運ぶ。とてもさっぱりしていて、暑い日に食うには丁度良い喉越しである。
「あ、あの」
俺が箸を進めていると、紫苑が口を開く。俺は咀嚼中だったので無言で紫苑の方へ視線をやった。
「もし、要望があったら言ってください。私、これからも天くんに弁当を作ってあげたいですし、天くんの好みも知っておきたいんです」
眉を逆八の字しにして気合い充分という様子の紫苑。
別に、そこまでしてもらうのはなんだか悪い気はするし、そもそもこの弁当だって本当に美味しい。
ただ、ここで当たり障りのない曖昧な返事をするのは少し違う気がして。俺も紫苑に、自分を知ってもらいたいと思い、口にした。
「そうだな。野菜もいいけど、もっと肉類が欲しいかもな。肉じゃがもちょっとだけ味付けを濃くしてもいいかもしれない。俺的には甘めが好きだな。あと、肉を入れるならトマトも入れてみてくれ、何故だか知らないが肉と一緒に入ってるトマトは美味いんだ」
「な、なるほど」
「・・・・・・あぁ」
「わかりましたっ、次回の参考にしますね。きっと美味しいと言って貰えるようなお弁当にしてみせますから」
「・・・・・・」
「天くん?」
「あ、あぁ。すまん。そうだな」
喉を逆流しようとする胃液を何とか飲み込む。
頭を振って、勝手にフラッシュバックしようとする記憶を退ける。
それでも、口の中に残る香りや味をどうしても過去のものと比べてしまう。
程よく甘い肉じゃがや、別に好きでも嫌いでもないトマトを初めて美味いと思えたあの日。舌をなぞった今でも謎のざらざらした感触。
その横で、笑う顔。
いや、違う。嗤う顔だ。
何をふざけたことを。俺は一度目を瞑って、脳内を回る悪物質を排除した。
「いやでも、俺の好みってだけで。本当に紫苑の作った弁当は美味い」
「そう言って貰えると、嬉しいです」
そうして紫苑は照れたように笑った。
俺はそのなんの不純物もない真っ直ぐな笑顔を見て、心が安らぐのがわかった。
「なぁ紫苑」
「なんでしょう」
そこで俺は、茶を濁そうとしたわけではないが一つ聞いてみることにした。
「紫苑の好きなものも聞きたい」
「私の、ですか?」
「あぁ、クマ以外に」
そう言うと紫苑は恥ずかしかったらしく顔を赤くして拗ねたように俺を上目遣いで睨んできた。
クマはやはり、思うところがあるらしい。
「そうですね・・・・・・」
紫苑は考えるように顎に手を当てて「うーん」と可愛らしく唸った。
「髪」
「え?」
「髪、です」
紫苑の口から出てきたのはあまりにもざっくりとしたもので、俺はいまいちピンと来ていなかった。
「髪フェチってことか?」
「あ、えっと。そうではなくて、天くんの、髪です」
「どういうことだ?」
俺の質問責めにますます顔を赤くしてしまう紫苑。だが、分からないのだから聞くしかない。
「ですから、あの。私の好きなもの、です」
それはつまり、俺の髪が好きと? いや確かに言葉のまま汲み取ればそうなのかもしれないが。
「天くんが歩く時とか立ち上がる時に、ふわっと靡く前髪とか」
なんてことを言われ、俺はなんと反応をしていいのか分からない。
「ああ、そういえば最近前髪伸びてきたな」
そしてようやくでてきたのが意味不明な受け答えである。紫苑が言いたいのはそういうことではないだろうに。
「そ、そうですねっ。前に天くんと会った時は今より短かったですよね」
「あぁ、あの時は美容院なんて慣れないところに行ってな、バッサリ切られた」
「あの髪型も、サッパリしていてとても似合っていましたよ?」
そんなフォローのようなことを言われてしまう。
あれから一カ月弱経っただろうか。俺の髪はといえばあれから床屋も美容院も言っていないので完全に伸びきってしまいいつもの髪型に戻ってしまっていた。
「でも、私は。今の髪型のほうが好きです。こう、前髪が目にかかる仕草とか、クールで、カッコよくて・・・・・・」
「お、おう」
「って、私。なんか変なこと言ってますね。すみませんっ、忘れてください」
そう言って紫苑は下を向いて動かなくなってしまった。
俺はと言えば、柄にもなく照れてしまっていた。
曖昧にカッコいいとか、好きとか言われるのではなく。俺の、どういう時の、ここが好きと、カッコいいと具体的に指摘されるのはおそろしい破壊力を持つのだと思い知った。
俺と紫苑は結局そのあと、まともに会話を続けられず無言で弁当を食べ続けた。
時折隣を見ると、紫苑も俺のことを見ていて、慌てて目を逸らすなんてことが何回か続いた。
冷たいはずの石段も、何故か熱を帯びていて、そんな昼の時間がとても充実していて幸せだった。
あぁ、体育祭。悪くないかもしれない。
・・・・・・体育祭は関係ないか。




