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第43話 陰で咲く

 ゴールデンウィークが終わり、人々は今日から奴隷や家畜の類となる。戻ってきた日常という名の地獄に、平穏という蓋をかけて当たり前のように社会に身を捧げる。そんな哀れな生き物たちがそろそろ目を覚まして現実と向き合う頃だ。


 俺もその一員であるはずなのだが、どうも布団から出る気になれない。


「はぁ」


 ゴールデンウィークなんて、終わってみればあっという間だった。


 俺はあれから紫苑と色々なところへ行った。


 水族館や映画館。図書館に博物館。とりあえず「館」と付いた施設に行っておけば間違いはないという俺の愚策に紫苑は喜んで付き合ってくれた。


 結局いまだに紫苑の家へは行けていないが、それでもとても充実した時間だった。


 だからこそ、俺は布団から出たくはなかったのだ。


 だって、この体は、心は。幸せに慣れてしまった。これから学校に行って、なんの役にも立たない授業を聞いて、無意味に時間を消費して帰宅。そうして夕飯と風呂を済ませたら寝てまた明日の繰り返し。それがこれから始まるというのだから、こんな俺を誰が責められようか。


 五月病というのは、新しい環境下でのストレスが起因となるとよく言われるが。実のところ普段自分たちが居た醜悪な世界を、連休という正常な世界から見てしまった故に起こるものなのではないのだろうか。


 まぁ、そんなことを考えたところで仕方がない。


 布団から出るか、それともこの際学校をサボってしまうか、それとも全てを諦めて舌でも噛み切ってしまおうか。そんなことを冗談混じりに考えていた時だった。


 プルルル。


「ん?」


 鳴ったのは電子音。出所はスマホだ。


「誰だ?」


 こんな朝から着信なんて、まさか校長先生まで五月病になって学校閉鎖にでもなったか? 


 そうして枕元にあったスマホを手に取ると、その画面には『色識 紫苑』と表示されていた。


 俺は急いで応答のボタンをタッチする。


「もしもし」

『あ、もしもし。天くん?』


 寝起きだろうか。いつもよりやや掠れた声が聞こえてくる。


『えっと、ごめんなさい突然こんな朝早くに』

「いや、もう起きてたし大丈夫だ。それで、どうしたんだ?」


 電話越しに聞こえてくる小さな吐息が妙に艶めかしく感じた。


『夢を見て』

「夢?」

『天くんとお出かけする、夢を見たんです。でも、目を覚ましたらどこにも天くんがいなくって。私、不安になって・・・・・・つい電話してしまいました』


 そんなことを、電話越しに言われてしまう。


『もしかしたら、今までのも全部夢だったんじゃないかって、そう思ったら。私・・・・・・』


 それっきり、電話の向こうから声は聞こえなくなった。


「いるよ」


 そんな紫苑の健気さが愛おしくて、俺は安心させるように落ち着いた口調で言い聞かせた。


「俺はいるよ。今も布団の中で学校サボろうか迷ってたところだ」

『天くん・・・・・・』


 ぼそりと呟くように、


『好きって、言って貰ってもいいですか?』

「あぁ」


 突然のそんなお願いだったが、俺は無下にすることなんてできず、乾いた唇を舌で舐めた後。


「・・・・・・好き、だ」


 若干声が上ずったが、その言葉は嘘偽りなくしっかりと伝えることができた。


 俺はいつも、恥ずかしくてこういうことを言ってこなかったから、もしかするとそういうことが紫苑を不安にさせてしまったのかもしれない。


『私も、大好きですっ』


 そしてあちらも、上ずった声。


 たった数秒のやり取りだったが、寝起きで冷たい体を温めるのには充分すぎた。


『あっ、お母さんが・・・・・・ごめんなさい。そろそろ切りますね』

「ああ、分かった」


 電話の向こうで、紫苑の母親らしき声が聞こえてくる。


『あ、それと。学校、サボっちゃダメですよ? 私、また天くんと一緒に下校したいです』

「・・・・・・分かったよ。それじゃ」

『はいっ。また、学校で』


 そこで通話が切れる。


「はぁ」


 通話時間2:07と表示された画面をじっと見つめる。そしてスマホを布団に投げた。


「学校に行く理由。できてしまった」


 ベッドを揺らし、寝間着を脱いでシャツを着る。


 まさか、早く学校に行きたいなんて日が来るなんて思いもしなかった。


 連休が終わっても、憂鬱な気分にならないのはこれが初めてで、それはきっと彼女のおかげだ。会いたい人、好きな人がいるだけでこんなにも変わるなんて、俺はフライパンの上で卵を転がしながらそんなことを考えていた。



 と言っても、その裏を返せばその会いたい人と会えない時間というものは必ず存在し、その時間帯はまごうことなき地獄である。


 校門をくぐって玄関へ行くと、俺と同じように死んだ魚のような目をしたものが何人もいた。


 どうも不幸というものは、自分だけではなく誰かも味わっているということを再確認するだけで多少は和らぐ節がある。


 ここで誰もが活気に満ち溢れた顔をしていたものなら、俺はその理不尽さに呆れ果てていただろう。


「よっ! サボテン!」


 俺が上履きに履き替えたころ、背中を無遠慮に力強く叩かれる。


 顔を上げるとそこには活気に満ち溢れた蓮埼健人はすざき けんとの顔があって俺は予想通り、見事に呆れ果ててしまった。


「なんでそんな元気なんだよ」

「おいおい! 第一声がそれかよ! 今日からまた学校が始まるんだからもっとバシっといこうぜバシっと!」

「だからって人の背中を叩くな」

「あ、悪い。なんかサボテンの背中ってすげえ叩きやすいんだよな。いい音なるし」


 そんなことをあっけからんと言う健人に俺はため息をつく。


「なぁなぁ、サボテン、ゴールデンウィークはなにしてた? どっか出かけた?」

「別に、普通だよ。普通」

「普通ってどういうことだよ!」


 いちいちツッコミの声がデカイ。


「特に変わったことはしてないってこと」


 こいつにわざわざ紫苑とデートしてたことなんていう義理はないので、この際適当にはぐらかすことにする。


「そっかあ。じゃああの、駅でサボテンが色識さんと仲良さそうに歩いてたのは見間違いかー」

「げほっげほっ!」


 今にも飲み込もうとしていた唾が気管に入ってしまった。


 こいつ、なんでそのことを・・・・・・!?


「そうだよなーあれは普通じゃないよなー。うん普通じゃない。って、サボテンどうした?」

「いや、別に」


 そんな俺をニヤニヤと気味悪い笑顔で見てくる健人。


「それに水族館にもいたなぁ。あと映画館でも。あれは見間違いだったかぁ~」

「ストーカーかよ」


 まさか健人は俺達の後をつけていたんじゃないだろうな


「おっと言質いただき。ってことは事実を認めるんだな?」


 そうして思わず墓穴を掘ってしまった俺。


 健人はしてやったりという顔をして俺の脇腹を肘で突いた。


 なんということだ。紫苑と俺が付き合いはじめたなんて知られたら健人に何を言われるか分かったものではないし、これ以上に面倒くさい絡みをされるのは確定している。だからなんとかその事実だけは隠さなければならない。


「別に、確かに紫苑と出かけたことは認めるが、別にそういうんじゃない」


 外履きを下駄箱に押し込みながらそう言うと、


「へぇ、紫苑ねぇ」


 腕を組んで、俺の前に仁王立ち。


 あぁ、もう。すでに面倒くさい。人をそんなニヤついた顔で見るな。


 潰れた踵を直して、さっさと教室に行こうとその場を去ろうとする俺を健人は「待てよー」と何も考えていないようなアホ丸出しの声を出して追いかけてくる。


「そうかぁ。そうかそうかぁ~! ほほ~! これはまいったな!」

「いちいち触るな」


 肩を撫でるように障る健人の腕を払いのける。


「あぁっ! すまん! こんなにボディタッチしたら色識さんに嫉妬されちゃうもんな!」

「健人、お前連休を経て一層ウザさが増したな。おめでとう。じゃ」

「ちょっ! ウソウソ! そんな怖い顔すんなって茶化したのは謝るからさ!」


 歩くスピードを早めるも、健人は涼しい顔で付いてくる。


「まぁ、でもそうだよな。サボテンは誰かと付き合い始めたとしても祝われたりしたくないような人種だもんな」

「理解が早くて助かる。ありがとう。じゃ」

「待ってってのに! 別にからかうために声かけたんじゃねぇんだって!」

「じゃあなんの用だ?」

「体育祭のことだよ」


 後ろから聞こえたその単語に俺は足を止め、階段の手すりに手を当てて振り返る。


「今、なんて言った?」

「だから、体育祭だよ。毎年ゴールデンウィーク明けはその時期だろ」


 俺は、


「はぁぁぁぁ・・・・・・」


 項垂れて、深い深い溜め息。


「そうだったな。そうか・・・・・・体育祭か・・・・・・」


 頭の中で浮かび上がるのは、苦い苦い記憶。


 次々と自分の前を誰がか颯爽と駆け抜けていく嫌な思い出。


「最悪だ」


 最も悪。体育祭というイベントほどその言葉が似合うものもない。

 別に今まで率先して鍛えてきたわけでもない運動能力を、群衆の前で披露して、優れた者はもてはやされ、劣ったものは嗤い飛ばされる。


 個々で能力が違い、それを承知の上で試行錯誤し自分に合った生き方を模索していく、それが人間というものであるはずなのに。それはあまりにも酷い話だ。


 それでいて誰かと争うということが前提条件なのが一層たちが悪い。


 一体学校の行事を取り締まる連盟の方々は何を考えてこんなイベントを考えついたのだろうか。


 どうせ身体能力の低い弱者のことなど一つも考慮しておらず、運動という分野において優れたものが自分にとって有利な土俵で当たり前のように弱者を蹂躙してそれを輝かしい思い出と謳って語るのを良しとしているのだ。


「まだ終わりじゃないぞ」


 健人は続けざまに悪い情報を口にする。


「今回の体育祭委員決め。なんでもくじ引きで決めるって噂だぜ」

「嘘だろ」

「マジだって。立候補者がいればいいけど、どうせうちのクラスの男子でそんな奴いないだろうし。いなかった場合は、あとは運任せだ」

「体育祭委員なんて絶対嫌だぞ。あんな面倒なものこの世でみたことはない」

「はは。いや、あながち大袈裟でもないかもな。俺だってあれはやりたくねぇ」


 体育祭委員になってしまうと放課後は全て企画や飾り付け、当日のリハーサルや町内に張る広告作りなどありとあらゆる仕事を放課後にやらなければならないのだ。


 そのうえ定期的に開かれる昼休みの会議には必ず出席しなければいけないし、ある時には朝早く学校に着て校舎の草むしりまでしなければならない。


「健人、立候補してくれ」

「ぜってえ嫌だ!」

「頼む。お前一人の犠牲でみんなが救われるんだ」

「じゃあサボテンがしろよ!」

「俺は持病の体育祭委員アレルギーがあってな、ドクターストップもかかってるから無理だ」

「じゃあ俺も無理! 放課後は家に帰ってまだ幼い妹たちの世話しなければならないからな!」

「健人に妹なんていたのか?」

「いや、今からそういう設定にする。他のみんなにも説明しなきゃいけないからサボテンも協力してくれ」


 そんな阿呆な会話を続けていると我が四組の教室が見えてくる。


「だからサボテンがさ・・・・・・って、どうした? 入らないのか?」


 扉の前で立ち止まる俺を、健人は怪訝な目で見てくる。


「いや、別に」

「そうか? でさ」


 俺は扉に手をかけ、それをゆっくり、なるべく音を立てないように開ける。


 入ってすぐのところに、元ニワトリ族。あれがウルフカットというものだと知ってからはオオカミ族と改名されたそんなヤツらがたむろしていた。


 そこを抜けると、もう電源の入らなくなったストーブの前に集まるカラフルな魑魅魍魎。


 霊長目ヒト科ギャル属がそこにいた。


 その二つの勢力が教室の大半を占め、そのどちらにも所属していない者たちは教室の奥の方で談笑などをしていた。


「だからさ、ここはひとつ、幸せ真っ盛りなサボテンからその運気を分けて貰おうと思ったわけよ」

「なんだよそれ」


 俺はなるべく息を殺して、存在を周りに認知されないよう健人に言葉を返す。


「なんかよくあるだろ? 頭を撫でたら運気があがるみたいな地蔵」

「なるほど。それで今日はやたらボディタッチが多いわけか」

「そういうことだ! だからよお地蔵様。最後に頭撫でさせてくれ。それできっと今日のくじ引きは大丈夫なはずだ」


 健人が頭に手を伸ばしてくる。


 俺はその手を引っぱたいて自分の席につく。


「ケチ!」

「意味不明なことを言ってる暇があったら願掛けでもしてこい。そっちのほうがよっぽど効果があるぞ」

「はー。やっぱ彼女持ちは言うこと違うわー。心に余裕ありますわー」

「別に」


 俺はそっぽを向いて、なるべくその話題はあげるなとそれとなく伝える。 


 だが、そんな意思がアホな健人に通じたかどうかは分からない。


「でもまぁ、ちょっと意外だったな」

「何がだよ」

「いや、てっきりサボテンは・・・・・・」


 そこで、ホームルームの始まりを告げるチャイムが鳴る。


 席から離れていた生徒達もそれを聞いて談笑を中断して自分の席に帰っていく。


 健人は時計の方を見て、そのあとストーブの方へと視線をやる。そうしてまた俺に視線を戻して、


「やっぱなんでもねぇや」

「なんだそれ」


 健人は「はは」と何の意味があるのか分からない謎の笑いをしたあと、のらりくらりと自分の席に戻っていった。


 俺はまだ冷たい机に顔を伏せる。


 何人か、俺の横を通り過ぎていく気配を感じる。


 そしてその気配が消えた後、また顔を上げる。


 教室にいる奴らは全て自分の席についていて、担任の到着を待っていた。


 ああ、なんともお行儀の良いことで。俺はそのことに感謝して、前を向いたままホームルームが始まるのを待つことにした。  


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