第41話 恋人
翌日の朝。色識さんからLIMEがとんできていた。
『今日、泣き虫噴水の前で待ち合わせしませんか?』
寝起きの瞼を擦りながら返信する。
『わかった。何時に待ち合わせするんだ?』
『私はいつでも大丈夫ですので、佐保山くんに任せます』
『俺も別に、いつでも大丈夫だが』
すると、少し間を開けて返信がきた。
『じゃあ、今すぐがいいです』
送られてきたメッセージに、眠気が吹き飛んでしまった。
あの色識さんが、こんな我侭みたいなことを言うなんて、俺はそれがとても、愛おしかった。
『わかった。すぐ行く』
俺はそのメッセージを送ってすぐに顔を洗う。
そしてパジャマを脱ぎ捨て服に着替える。
「・・・・・・これでいいか」
俺はハンガーに掛かっていた黒のパーカーを羽織り、急いで家を出た。
駅のホームを出て階段を下ると、ちょろちょろと水を垂らした噴水の前に白のワンピースが揺れているのが見えた。
「色識さん」
俺がそう言って近づくと、長く綺麗な髪が靡いた。
「あ、佐保山くんっ!」
「驚いたな、家は俺の方が近いはずなんだが」
「えっと、えへへ。あのメールを送った後、走ってきちゃいました」
色識さんの首元に、うっすら汗が見えた。
「でも、佐保山くんも早かったですね。あれからまだ三十分しか経ってませんよ?」
「あぁ、俺も走ったからな」
「そうなんですか」
俺の言葉に、一瞬驚いたような顔を見せた後、
「ありがとうございます」
何故か礼を言われてしまい、俺は無言で頬をかくしかなかった。
「そうだ、私今日行きたい場所があるんです。お付き合いしてもらっても大丈夫ですか?」
「ああ。どこに行くんだ?」
「それはですね・・・・・・」
けたたましく鳴り渡る電子音。少し煙たい店内で俺と色識さんは両替機の前で札を崩していた。
「あれなんですけど」
色識さんが指を差した方向。そこにあったのはプリクラと呼ばれるもので。ゲーセンによく来る俺でさえも、全く理解の及ばないものであった。
俺は少々ビビリながらも頷き、プリクラの前までやってくる。
「こ、これ。入っていいのか?」
なんかカーテンに遮られてるし、入るのが躊躇われる。
「ふふっ、大丈夫だと思います」
「そういうもんなのか」
「はい」
俺はおっかなびっくり中に入る。
『いらっしゃ~~~~い☆』
「うわぁっ!?」
瞬間。耳障りな程に甲高い音声が密室内でキンキンと響いた。
「さ、佐保山くん」
驚いて声を上げてしまった俺を、色識さんがなんとも言えない表情で見上げてくる。
「大丈夫ですか?」
「いや、ただ単にびっくりしただけだ。で、どうすればいいんだ?」
「はい、とりあえずお金を入れましょう」
そう言って色識さんは百円玉を四枚、機械の中へ投入していった。
って、四百円!?
「色識さん、俺も出すよ」
プリクラってこんな高いのかよ。これを全額払うのはさすがに気が引けて色識さんに申し出るが、
「大丈夫です。私が誘ったんですから、私に出させてください」
「しかし・・・・・・」
それでも納得のいかない俺をよそに、機械はパネルに撮影方法が書かれた画面を表示していた。
「じゃあ後で俺にも何か奢らせてくれ」
「そんな、私は全然構いませんので・・・・・・」
色識さんはそこまで言って、
「いえ、それじゃあ。その時はお願いしちゃいますね」
「ああ」
そんなことを言っていると。
カシャッ!
「うわっ」
「きゃっ」
空気もクソも読めたものでもないポンコツな機械は勝手に撮影を始めていた。
なんか盗撮されたみたいだ・・・・・・。
「さ、佐保山くんっ。もう始まっちゃってるみたいですっ!」
「わ、分かってる! えっと、こういう時ってポーズとか取るんだよな?」
「ポーズ。そうですねっ、ど、どうしましょう。ピースでもしますか?」
「ああ、そうしよう!」
次の撮影が始まる前に、俺と色識さんは横に並んでカメラに向かってピースをした。
「なんか、これじゃ旅行写真みたいだ」
「そ、そうですね」
その間にも撮影は続けられていく。せっかく色識さんがお金を払ってくれたんだ。一枚くらいは満足のいく写真を撮りたい。
『次で最後だよ~。一番素敵なポーズを決めてね☆』
なっ、次で最後だと!?
まだ一つもまともな写真を撮れていない。だからといって、素敵なポーズなど俺は知らない。
色識さんはというと、なにかそわそわして俺のことを何度もチラ見していた。
『じゃあ行くよー? さん、にぃ、いちっ』
無情にも進められていくカウントダウンに俺はせめて変な顔をしないようにとまるで証明写真を撮るときのような面持ちでカメラを見た。
次の瞬間。
「えいっ」
俺の体に体重と、温かい温もりと、やわらかいなにかが押し付けられた。
『おつかれさま~☆ 最後に撮った写真に色んなデコレーションができるよ!』
最初は耳障りに聞こえたその声も、今はまったく頭に入ってこなかった。
すん、と甘い香りが鼻をくすぐる。サラサラの髪が俺の首を撫でていき、細い腕が遠慮がちに俺の腰に回されていた。
「あっ、ご、ごめんなさいっ」
「いや・・・・・・」
俺は突然の出来事に頭の整理が追いつかずに半分放心状態となっていた。
抱き着かれた、色識さんに。以前も似たようなことはされたことはあるが。それとはまったく状況も違う。それに、あの時よりもずっとやわらかくて、温かかった。
自分の体と脳裏に焼き付いた先程の感触を何度も思い出す。
「佐保山くん、あの。ごめんなさい。突然こんなことをして」
「いや、でも。そうだな、驚いた」
色識さんが、まさかこんなことをしてくるだなんて思ってもいなかった。
どうして突然、抱き着いてなんて来たのだろう。
そう思っていると、撮影した写真のプレビューが画面に表示された。
その中に、色識さんが顔を赤くしながら俺に抱き着いて、俺はといえばなんとも間抜けな表情をしている。そんな写真があった。
「恋人同士みたいな写真が、欲しくて・・・・・・」
そんなことを隣で呟く色識さんに、俺の意識は天国へと飛んでいってしまいそうだった。
写真を現像し終えて、俺と色識さんで半分ずつに分ける。
あのあとデコレーションで色々文字だのスタンプだのつけようとしたが、互いにそういったセンスがまるでなく。俺に色識さんが抱き着いた瞬間を収めた暫定ベストショットの写真には何故か温泉マークと肉球がデコレーションされていた。
だが、それも俺達らしくていいと思った。
ぎこちないけど、まだまだ分からないことだらけだけど、それでも不器用に前に進んでいく。そんな俺達にはぴったりだ。
それに、色識さんが言ったさっきの言葉。
『恋人同士みたいな』
その言葉に、俺の胸は大きなつっかかりを覚えた。
以前にも、俺が『過ち』と称したあの時にも。俺と色識さんは付き合っていた。
だが、それは決して男女の関係とは言えたものではなかった。
恋人らしいことを、何一つしなかったのだ。
そのまま俺達の関係は終わり、それを俺は『過ち』として自分の中で扱ってきた。
でも、今は違う。俺はこの、色識さんとの幸せな時間を『過ち』だなんて言い方をしたくはない。
それはきっと色識さんもそうで、だからこそ、先程はあんなにも大胆な行動に出た。
いや、大胆もへったくりもない。あれが、あれこそが、恋人同士というものなのだ。
だから。今度は俺の番だ。
俺が、一歩を踏み出さなければいけない。
「あのさ」
「はい、なんでしょうか」
写真を大事そうに財布にしまう色識さんに声をかける。
「思ったんだが、そろそろ。お互いの呼び方変えないか?」
「呼び方、ですか?」
「ああ。俺は色識さんのこと苗字でさん付けだし、色識さんは俺のこと苗字でくん付けだろ? でも、それってなんか違うっていうか」
色識さんは、俺の話を黙って聞いてくれている。
「恋人同士っぽい、呼び方したいんだよな」
俺は、それ以上色識さんの顔を見ることができず、目を逸らしてしまった。
一体、色識さんはどんな顔をしているんだろう。
俺が言うにはあまりにも似つかわしくない台詞。
もしかして、困っているだろうか。それともドン引きしているのだろうか。
いや、色識さんは。きっと、
「いいですね、それ」
笑っているはずだ。
「いいですねっ! それっ!」
この笑顔が大好きで、俺はこの笑顔が見たくて。もっともっと、色識さんのために何かをしてあげたい。
「じゃあえぇっと、私が佐保山くんのことを、その・・・・・・」
色識さんは頬を上気させ、それは反則だろうと抗議したくなるような上目遣いで、ぎこちなく、その言葉を紡いだ。
「そ、ら・・・・・・」
そしてその後、
「くん」
と、小さく呟いた。
「天、くん」
「ああ」
「えへへ、天くん」
「ああ」
何度も、俺の名前を、確認するように。
「呼び捨ては・・・・・・まだできそうにないです」
「いいさ、別に無理しなくても。ちょっとずつ、ちょっとずつでいいからさ。焦らずに進んでいこう。紫苑」
その三文字が口から出た途端、自分の体が熱くなっていくのを感じた。
「紫苑」
「はい」
彼女の名前を呼ぶたびに、愛おしさが増していくようで、
「紫苑」
「はい」
俺は。
「さん」
恥ずかしさに耐え切れなくなり、さん付けに逃げてしまった。
「ふふっ」
紫苑が笑う。
「いや、今のは。はぁ、ダメだな、俺」
「いいんです。ちょっとずつ、いきましょう」
「でも、男の俺が、彼女をさん付けって・・・・・・」
それはどうにも恰好が付かない気がした。
「紫苑」
練習がてらにその名前を呼ぶ。
「紫苑、紫苑」
「あの、何度も呼ばれると、その・・・・・・恥ずかしいです」
「あぁ、すまん」
「呼ぶ方だけじゃなく、呼ばれる方も練習しなきゃですね」
「だな」
そんな幸せなやり取りを何度も紫苑と続けた。
ただ、これは冷静に考えると、ゲーセンの中でするような会話ではないような気がして。どうにも俺はこういうところがまだ甘い。
だが、その不器用さが、きっと俺達なのだ。
さっきも言ったように、少しずつ変わっていけばいい。
「とりあえずゲーセン出るか、紫苑」
「あ、はいっ。そうですね。天」
そう、少しずつ。
「くん」
時間はこれから、たくさんあるのだから。
「えへへっ」
だから俺は、彼女。俺の、大切な人を。絶対に離さないと心に決めたのである。