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第35話 崩壊

 日曜日と言えば、何もしたくない日の筆頭で、外から聞こえてくる子供達の声をイヤホンで遮断しながら俺は朝起きたままの恰好でアニメを見ていた。


 魔法少女ふりふりピュアラ。今回の話も相変わらずのダークな雰囲気。どこかでタガが外れてしまったのか話が進むたびに残酷な描写が増えてきて、今回に限っては魔法少女など一度も出てこず、生身の人間がそりゃもうバッタバッタと殺されていった。


 そんな中主人公はというと、絶命して動かなくなった肉塊を見て、泣いていたのだ。


 今まで不気味と言えるほどの無機物じみた感情の無さを見せていた主人公がどうしてここにきて突然そういった人間臭い表情を見せたのか。それは下手をすればキャラの崩壊。キャラの破綻。そう言われても仕方のないものだ。


 だが、俺はと言えばそんな主人公の心情を、生意気にも少し分かってしまっていた。


「変わったんだなぁ」


 主人公はすでに宇宙人に殺されていて、そいつが主人公の姿形をして地球を内から侵略しようとしている。というのが今最も信ぴょう性の高い仮説だ。


 しかしその宇宙人も、長い期間地球で生活し、色々な人と関わってきたことできっと感情が揺れ動いてしまって、元々あった自分の人格が少しずつ変わってきてしまっているのだ。


 だから今まで無感情で眺めていられた惨状にも目を瞑り、残酷な身内の結末を目の当たりにして、泣いていたのだ。


「ふぅ」


 友人の亡骸を前に主人公が涙を流す。そんなシーンで第十話が終了した。


 濃密な三十分を終え一息つく。


 そういえば、楠木は今頃漫画を見ているのだろうか。


 昨日楠木が、魔法少女ふりふりピュアラの漫画を勢いのまま全巻買っていたことを思い出す。 


 まさかこの深い話を、アニメ慣れしていない楠木が理解できているとは思えない。


 魔法少女かわいいーとか言いながら見てるのかもしれないし、残酷な描写に目を瞑ってしまいまともに読めていないかもしれない。


 そんな様子を想像をしていると部屋の扉が乱雑に四回ほど叩かれた。


「はいはい」


 宅急便は頼んでいないし、休日に家へ来るような友達はいない。そしてこの特徴的なノックの仕方から察するに扉の向こうにいるのはおそらく、母親だ。


 俺がカギを開けるとドアノブが回った。


「ひさしぶり」


 荷物を抱え、前に見た時よりも少しだけ痩せた母親の姿がそこにあった。


「あぁ」


 俺は目は合わせず、意図的に不機嫌であるような素振りを見せた。


 俺と母親は昔からこうだ。まともに目を見て話したこともないし二人の間で笑いが発生したことなど一度もない。


「最近どう?」


 母親が玄関の外に立ったままそんなことを聞いてる。


 俺はこれも意図的に、声のボリュームを落としながらやや掠れた声で返事をする。


「まぁ」

「学校はちゃんと行ってる?」

「ああ」

「ご飯はなに食べてるの?」

「まぁ」

「コンビニ弁当?」

「うん」

「たまには野菜食べないと太るよ?」

「そう」


 すると母親は両脇に置いた紙袋の中から新聞紙でくるまれたキャベツを渡してきた。それを受け取ると次はきゅうり。次にネギで今度はタッパーに入れられた煮物と焼き魚。最後に俺の好きな「だいかい」という地元の郷土料理をそのまま冷蔵庫に突っ込む。


「煮物ちょっとしょっぱいかも」

「そう」

「魚は昨日作ったのだから早やめに食べなさいね」

「あぁ」


 仕舞い終えた俺は再び玄関の前へ、相変わらず母親は部屋には入ってこない。

 これも、以前からだ。


 昔から俺は母親と仲がそこまでよくなく、部屋を勝手に掃除された日には逆ギレなんてしてひどい言葉を浴びせた記憶もある。多分、その名残で母親は俺のテリトリーには入らないようにしているのかもしれない。


 お互い無言の時間が続き、俺は気まずく視線を下に向けると、母親のサンダル越しに見える素足は赤くなっていた。


 今も外に佇む母親。部屋に入れば? と言ってあげればそれまで。


 しかし、自分から母親に話しかけたことなどもうしばらくの間無かったのでどう声をかけていいかが分からない。そもそも、俺は母親のことをなんて呼んでいたのかも忘れてしまっていた。


 お母さん? 母ちゃん? お袋? 小さい頃はママと呼んでいたことだけは覚えている。


「じゃあ帰るけど、他にいるものない?」

「別に」

「そう」


 働く身でありながら少ない時間を使って俺のもとを訪ねてくれた母親は、ものの数分だけ顔を合わせてそれで用済み。


「そうだ。たまにはおばあちゃんち行きなさいね。せっかく近くに引っ越したんだから。寂しがってたわよ」

「あぁ」

「まぁ、元気そうでよかった」

「そうか」

「勉強、頑張りなさいね」

「あぁ」


 それだけ言って母親は扉を閉める。


「あぁ、そうそう忘れてた」


 と思うと再び扉が開く。


「これ、あんた引っ越すとき家に忘れてったでしょ」

「あぁ」


 母親が大きな紙袋をよいしょと持ち上げ俺の足元に置く。


「じゃあ」

「ん」


 そうして今度こそ扉は閉じられ、しばらくして車のエンジンがかかる音が聞こえて、それが遠ざかっている。


 その一連の音はとても懐かしく、犬や猫のように母親の車のエンジンの音を覚え、去っていったのを確認してから家のお菓子を漁ったりしていた小さい頃を思い出す。


 緊張のようなものがほぐれ、ようやく新鮮な息を吸えるようになる。


 昔から母親は嫌いだ。


 一緒にいると気分は悪くなるしストレスで胃も痛くなる。


 死んでしまえばいいなどと思ってしまったことも、言ってしまったこともある。そんな中途半端な反抗期を迎えたまま家を出たものだから今でも母親に対しての嫌悪感は残ったままだ。


 しかしそれと同時に母親への感謝の気持ちはしっかりとあるし、素直に言葉にできないもどかしさと罪悪感だって同じくらいある。


 まぁそれが、だからどうしたというもので。


 俺は結局、今回も何一つまともな日本語を母親の前で話すことができなかった。


 変わるというのは難しい。それ相応の覚悟と気持ちがある程度じゃ実行するのはとてもじゃないが不可能で、なんらかのきっかけでもない限り俺のような人間は中々動けない。


 それに母親というのはどうにも面と向かって感謝をいうには気恥ずかしすぎる存在で、楠木には言えた別れの挨拶すらも言うことはできなかった。


「で、なんだよこの袋は」


 母親が最後に置いていった大きな紙袋。


 中を見てみると懐かしいおもちゃやゲームが出てきた。


「これ、忘れたんじゃなくて要らないから置いていっただけなんだがな」


 埃臭い中身を全部布団の上にぶちまけて、整理を始める。


 昔よく買ってもらった怪獣のおもちゃがやたら大量にでてきてそれは全部ビニール袋に入れてタンスに押し込んだ。


 動くかどうかも分からない携帯ゲーム機は一応充電器もあったのでとっておくことにした。


「ったく、邪魔になるだけだってのに」


 わざわざ持ってきてくれた母親の善意を蔑ろにしたその発言に自分でも嫌気がさしてしまった。


 せめてメールでありがとうでも言っておこうかとも一瞬思ったが、面倒臭いからやめた。


「ん?」


 全て整理し終えたと思ったら、紙袋の底になにか棒状の物が残っていた。


 なんだろうと思い手に取ってみると、それは見覚えのある黒い筒。


「こんなもんまで持ってきたのか」


 それは小学校の頃の卒業アルバムだった。


「捨てるか」


 そんなもの見たくもないし興味もない。まったく必要性のないそれを無造作にゴミ箱に投げようとする。


 が、これは人間の心理なのかもしれない。


 掃除している時に懐かしいものが出てきたらついそれを見てしまう。だからこれは俺の意志ではないと言い訳をしつつ、俺はその卒業アルバムを開いてしまっていた。


 開くとすぐに出てくる、学校のグラウンドで撮った集合写真。


 ページを捲ると先生の写真やクラブ、委員会の写真が出てきた。


 自分の姿を探すも中々見当たらない。


 運動会とか合宿とか色々なシーンが写真に収められているが、それを見ているとなんとなく、それに映り込む生徒の比率が分かってきた。


 いかにも元気そうな生徒は何枚も映っているし、逆に内向的な生徒は一枚も映っていない。俺も後者の仲間だったようで、探しても結局一枚も俺が移っている写真などなかった。


 もうそこで、閉じようと思った。だって見たって仕方がない。見てどうなるのだろうか。


 それでもページを捲る手を止められず、気づけばクラスごとの生徒の顔写真が貼ってあるところまで来てしまっていた。


 自分が何組だったかなど覚えていないので、一人一人確認していく。あぁ、そういえばこんな奴いたな、と。記憶を辿りながら自分の姿を探す。


 そして二組のページ。以外にも目的のものはあっさりと見つかった。


 不愛想で仏頂面。まだ幼いのに、何故にもそんな憎悪に満ちた顔をしているのか。もう眉間にできたシワが痕になってしまっているその生徒は紛れもない、一目見ただけで分かった。佐保山天。俺だ。


「なんだよこの顔」


 他の生徒がみな笑っているのに、一人だけなにをこんなにもつまらなそうにムスっとしているのだろうかと。


 きっと他の生徒も後になってこのアルバムを見返したら、俺のこの写真を見て弄り倒していることだろう。


 だが、こんな顔をしてしまうのも仕方のない事だと、俺だけは知っている。


 何故なら俺はこの小学校という夢と希望が詰まっているはずの施設で、今後の人生に関わるほどの強いトラウマを植え付けられたのだから。


 沸々と湧いてくる嫌な記憶。息が浅くなり、体と心が拒絶反応を起こしているのが分かる。


 もういいだろう、だからそれ以上見るなと。


 分かっている。分かっているのに、それでも止められなかった。


 段々と鮮明になっていく映像。忘れたわけじゃない。思い出したくないから強引に脳から追い出した、長い年月を経て熟成された苦い記憶が俺の隙をついて次々と侵入してくる。


 こいつは俺に雑巾を投げてくる奴。


 こいつはトイレに籠っていると上から水をかけてくる奴。


 こいつは靴を隠す奴。


 こいつはすれ違うたびに殴ってくる奴。


 こいつは机にわざと牛乳を溢してくる奴。


 吐き気がする。怖気が走る。どう生きればこんな仕打ちに合うのか。何もしてないのに、何も悪いことなどしていないのに、何故にこんな目に合わなければならないのか。


 俺は半ば抗議のようなものを心の中で叫び続けた。


 何もしていない。何もしていないのに。


 いや、違う。


 俺はした。


 それは決して悪行ではない。


 だが、純粋な悪意の対象になるには充分すぎる行為で、虐めに発展するに値する非常に面白可笑しい行為であることは明らかだった。


 そうして俺の眼球は動き回る。充血し、滲む視界の中、一心不乱に探し回る。


 どこだ、どこだと。


 全ての元凶。俺の人生、人格を破壊した主犯格。


 あり得るはずだった全ての日常をぐちゃぐちゃにかき回して、それを見て嘲笑い己はのうのうと生きていた許せるはずのない人物。


 俺の顔写真から少し上。「さ」行の上にある「か」行のところに。


 それはもう、弾けた果実のような笑顔を浮かべて、人生を心から楽しんでいる身勝手な幸福を掲げて、そいつはいた。


「・・・・・・ッ!」


 気付くと俺はページをぐしゃぐしゃに握りつぶしてしまっていた。 


 どうして、何故。と。


 過去、そしてつい最近も向けられた全く同じ笑顔を思い出す。


 嗤っていたのだ。


 蔑んでいたのだ。


 この世に裏のない善意などない。


 無から生まれる善意などない。


 それは俺自身が自分の経験をもとに導き出した結論のはずで、都合の良い綺麗ごとやその場限りの感動的なセリフによって忘却してしまっていた。


「あぁ、そうか」


 やはり俺は、母親に感謝のメールを送ることにした。


 何故なら俺はこの卒業アルバムを見なければ多分これからも、姿形を奇妙に変えて善意を偽り創り出す悪意の人形に一生騙され続けるところだったからだ。


 俺はページを破り捨て、ゴミ箱に投げ入れる。


 ひらりと切れ端が舞う。


 床に落ちて、俺はそれを踏みつける。


 全身鏡に映り込んだ自分の姿はとても安心するものでいつもと変わらずにこの世界に嫌気のさした良い顔をしていた。


 俺は足をどけて。


 その「楠木柚子」と書かれた切れ端をゴミ箱に押し込んだ。


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