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第34話 また明日

「は~! 楽しかった!」


 両手に紙袋を持てる限りに持ち尽くした楠木はちっとも疲れた様子もなく満面の笑みでそう言った。


「やっぱり持とうか?」

「ううん、いいの。別に荷物持ち要因で佐保山のこと誘ったわけじゃないし」


 じゃあ、なに要因だったんだ? と聞くのは何故か恥ずかしく、真相を聞く気にはなれなかったので口にはしなかった。


「それにしても随分と買ったな」


 俺達はアニメイキングとかばのあな、オタクショップをある程度回ったあと、 楠木がデパート行きたいと言ったので足を運んだ。


 服やカバンを買う楠木をぼーっと眺めていたり、無理やり試着室に押し込まれたり、試食コーナーのデザートをつまんだりと特に俺にとってメリットとなるようなことはしていないのだが、そこまで退屈ではなかった。


「まぁね~今月店番たくさんしたから、お小遣いいつもよりたくさん貰っちゃって奮発しちゃった」

「あーなるほど。バイト代みたいなのが出るのか」

「そうそう! まぁ今日でほとんど消えちゃったけど」


 ほんの少し後ろめたさがあるような表情を見せた楠木だったがすぐに笑顔になる。


「佐保山はバイトとかしないの?」

「俺はいいかな。仕送りだけでもなんとかなってるし、それに」

「それに?」


 バイトなんてしたくない。それが本音だ、


「いや、とにかく今はまだいい。なんか欲しい物でもできたらその時また考えるさ」

「そっかぁ、あ! だったらウチにおいでよ! お母さん人手が欲しいって言ってたし、佐保山なら多分お母さんもいいって言うと思う!」

「楠木の店で? あーそうだな」 


 バイトがしたくない理由。それは自分の時間が少なくなるということもあるが、一番の理由は知らない人間と関わらなければならないことだった。それはとてつもなくカロリーを使う行為だし、なによりも面倒臭い。


 だが、もし楠木の店で働けるのであれば、その知らない人間というのに該当するのが客だけになり実質負荷が半分となる。


「お給料はそんなに多くないかもだけど」

「そうだな。悪くないかもしれない。その時はお願いするかもしれないが、いいか?」

「もちろんっ! お母さんにもあたしから言っておくね!」


 それはもうニコニコと、俺がバイトをするというだけなのに楠木は何故か嬉しそうに鼻歌まで歌い出してしまった。


 俺は最近、笑うようになった。それが自分の最も変わった部分だと思うし大きな進歩だ。


 だが、笑顔初心者にはまだ分からないことがたくさんありすぎる。


 面白いことがあれば笑うし楽しい雰囲気になった時は相手に同調するかのように笑う。そんな誰でもできる、しかし今まで俺ができなかった超基本的なテクニックは扱えるようになった。


 それでも今、楠木がしているこの表情。


 一見俺がよく使う楽しい時に使う笑顔にも見えるが、よく見るとどこか、優しい印象、柔らかい印象? もしかすると、温かい印象かもしれない。言葉にはうまくできないが、少なくとも特殊な笑顔であることは間違いなかった。


「どうしたの?」

「いや、なんでも」


 楠木の顔をジロジロと見ていたら目が合ってしまった。気恥ずかしさから俺はすぐに目を逸らす。


「そういえば」


 俺は話題を変えることにした。


「どうしてエロゲをあんなにやりたがってたんだ?」


 それは蒸し返すほどのことでもない話題だったかもしれない。しかし、どうにも俺は楠木のあの意固地な様子が気になったのだ。


 案の定、楠木は顔を再び赤くしていた。それはきっと、夕日のせいではないだろう。


「あっ、あれは別に・・・・・・やりたいとかそういうんじゃなくて」

「でも、半ばソフトを抱きしめてたよな。あのお嬢様学園触手となんたらってヤツ」

「そ、それやめてっ! 目を瞑って適当に取ったらアレだっただけなんだから、それに触手ってなに!? オークってなに!?」


 触手というのは魔法少女モノや戦隊モノに出てきてオークというのはファンタジー作品に多く出てくるどちらも卑猥な種族のことでそういうシーンでは大活躍する、とはさすがに言えなかった。


「でも俺がやめとけって言ったのに離さなかったよな」


 問いただす度に赤くなっていく楠木が面白くてついからかうような口調になってしまう。


「今日の佐保山、なんか意地悪」


 拗ねたように言うその姿に、俺は不覚にも可愛いという感情を抱いてしまった。


「あーもう」


 そうして楠木は吹っ切れたように息を吐いて言った。


「別に、ああいうゲームに興味があったわけじゃないよ」

「そうなのか?」

「うん。あたしは」


 夕日に照らされた黄色の髪がふわりと揺れ、柑橘系の爽やかな香りが俺の鼻を掠めて言った後、頬を上気させた楠木の顔が現れる。


 その一連の動作にドキっとしてしまい、


「佐保山の、興味のあるものに・・・・・・興味があったの」


 その後に出てきた言葉にもドキっとしてしまう。


「俺の・・・・・・?」

「うん」


 楠木は恥ずかしそうに頷き、そのまま俯いてしまう。


 その言葉の意味を理解するのに、さほど時間はかからなかった。


 よくよく考えてみれば、楠木がエロゲーを買うだのと言い始めたのは俺がエロゲーをプレイしたことがあるとカミングアウトした後だ。


 つまり。


「佐保山の好きなゲーム、やってみたくて・・・・・・」

「なるほどな。ちなみに俺、触手は好きじゃないぞ」

「? よくわかんないけど。そうなんだ」


 一応弁解はしておこう。オークは・・・・・・ノーコメントで。


「もしかして、なにか漫画が読みたいって言ったのも?」

「うん、佐保山の好きな漫画、読んでみたかった」

「そ、そうか」


 そんな楠木の寄り添い方に。不器用だけど優しい、健気な行動に俺は自分の顔が熱くなっていくのを感じた。


 俺の興味のあるもの。俺の好きなもの。それらを共有したいと、そう言われて悪い気分になどなるはずもなく、むしろ心底嬉しかった。


 人はいつだって自分に否定的な存在よりも肯定的な存在を好む傾向にある。そんな人間の心理もあるだろうが、俺は照れるように視線を逸らす楠木がとても・・・・・・これはなんというのだろうか。きっと魅力的。そう言うものなのかもしれない。


「あたしさ、思ったんだよね。佐保山のことあんまり知らないなーって」

「そうか? 結構知っている方だと思うが」


 俺が一人暮らしであること、そして俺がオタクであるということ。その他細かいことも含めて知っているのは多分楠木と色識さん、あと・・・・・・健人くらいか。


「ううん、もっと、もっとさ。奥の方」

「奥?」

「そう、奥。佐保山の現状とかじゃなくてさ、思ってることとか、好きなものとか、そういうこと知りたくて。だからさ、一番手っ取り早いのは趣味を共有をするってことかなって思ったの」

「なるほど」


 その理論は、今の俺になら理解できる。


 俺だって楠木のことは最初は得体の知れないお節介なギャルだと思っていたが、実はこいつは花が好きなんだということを知ってから印象は変わった。


 あぁ、こいつはこういうのが好きなんだなというのが理解できた瞬間、楠木柚子という人物像が正しい形に直されていった。それに一生懸命店の手伝いをしているというしっかりしたところもあるということも知り、ギャルという第一印象は薄れていき、今はなんというか、ただの良い奴。そんな印象になっていた。


 まぁ外見は相変わらずギャルだが。


「なーんてね! だからってエ、エ、んんっ・・・・・・ゲーはやりすぎたかもしれないから忘れてっ!」

「そうだな。あれはやりすぎだな」


 顔を赤くし、目をぐるぐる巻きにして完全にパニックになりながらエロゲーを抱きかかえる楠木を思い出して俺はつい笑ってしまう。


「まぁでも、そうか」


 エセ商店街が見えてくる。楠木との別れを惜しむ自分に驚きつつも、


「今度俺の好きなゲームとか、漫画も貸すよ」

「ホント!?」

「ああ、それにアニメとかも、まぁ。なんだ。最近誰かと見るのもいいものなのかもしれないと思っててさ。だから今度一緒に、み、見るか・・・・・・?」


 アニメを一緒に見る。それはゲームや漫画を貸すという行為より確実に難易度の高いものだ。だから飛躍しすぎたかもしれない。最初は簡単なことからと相場は決まっているのに焦ってしまった。そう、思ったのだが。


「うんっ、いいよ!」


 何を考える素振りも見せず、何を疑う余地もなく、楠木は笑った。


「そ、そうか。じゃあその時はまた」


 やがて見えてきた青い外装の店。


「あーあ、着いちゃった」

「そうだな」


 帰りたくない。その気持ちが伝わってきたというのは俺の勘違いだろうか。


「でも、いいや」

「いいや、というと?」

「だって。これから一緒に話す機会なんてたくさんある。そうでしょ?」


 それは先週、俺が言った台詞だ。


 人の口から聞いて初めて気づいた、なんということを言っていたんだと。俺はなんて恰好付けた臭い台詞を言ってのけたのだと、今になって恥ずかしくなってきた。


「だからバイバイ、今日は楽しかった! また月曜日、学校でねっ!」

「ああ」


 愛想のない返事だっただろうか。もう少し声を張ればよかっただろうか。


 だが、楠木ならこんな俺の不愛想でも受け入れてくれる。彼女の不純物の一切ない完璧な笑顔を見てそんなことを思ってしまった。


「今日はありがとうっ! じゃっ!」


 そう言って店の中に入っていく楠木に、


「ああ・・・・・・またな!」


 最後のほうだけ、いつもより大きな声を出してみた。


 すでに店の中にいる楠木には聞こえなかったかもしれないが、自分的には大きな前進。


 俺はふぅ、と一つ息を吐いて帰路に着いた。


 ああ、今日は楽しかった。


 それは紛れもない事実だ。


 人と関わることから逃げていた俺じゃ絶対に味わえなかった感覚。人の善意、そして温もりに触れて、何かを共有して互いに笑顔になる。


 それは俺の恐れていた、嫌悪していた。あまりにも簡単で初歩的な人として生まれてきた者の営み。そんな当たり前にしなくちゃいけないことを俺は今日して、当たり前の心地よさを感じていた。


 やはり足取りは軽く、近々ジョギングでも始めてみようかと思ってしまうほどだった。


「そうだな、こんな日々がずっと続くのなら。人生っていうのは楽しいものなのかもしれないな」


 そう呟いた頃にはすでにアパートの前へと来ていた。


 今日は、料理にでも挑戦してみるかと、俺はそのままアパートを通り過ぎスーパーへと向かう。


 変わる景色と変わる自分。ものごとというものは常に変化し続ける。


 もし、なにか変わらず、この世に停滞し続けるものがあるのだとしたらそれは。 

 

 悪意だけなのかもしれない。

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