第32話 ギャルとオタク
「うわっ、中すっご~」
アニメイキングに入るなり中を見渡して声を上げるのは、このようなオタクの場所にはあまりにも似つかわしくない恰好のギャル。それはもう浮きに浮きまくっているし当然他の客も楠木のことをジロジロと見ている。
「あれ? この臭いなに?」
「そういうもんなんだよ」
「よくわかんないけど、まぁいいや」
風呂に入っていないのか、それともポマードでもつけているのか、時々通り過ぎるテカテカの髪をした男に鼻をスンスン鳴らしながら楠木は意気揚々と一番近くのラノベコーナーに向かっていった。
「全然見たことない本ばっかり。これとか漫画? それとも小説? なんか大きさ微妙じゃない? なにこれ」
「それは大判のライトノベルだな」
「へー」
「・・・・・・って友達から聞いた」
「佐保山友達いないじゃん」
「・・・・・・」
横目でジトりとこちらを見て、楠木は「うそうそ」とからかうように笑った。
「でもそっかぁ、あたし漫画は読むけど字は読めないんだよね~」
「あれだろ。かぎかっこのとこしか読まないとかそういうんだろ」
「おっ! 当たり~! よくわかったね!」
「実は俺もなんだ。だから漫画派」
そう言うと楠木は「仲間だね」と俺に肩を寄せてきた。
いきなりそんなことをされれば驚きもするし、周りの客もなんだこいつらみたいな顔で見ていた。
そりゃそうだ。ここは男と女がイチャオチャするような場所ではない。ここは男と女がイチャイチャしているアニメの本やグッズを買いに来るところなのだ。あぁ、自分で言って虚しくなる。
「じゃあさ、なんかオススメの漫画ある?」
「そうだな。これとかどうだ?」
俺が楠木に渡したのは週刊マンデーで連載中の野球漫画。実際まぁまぁ好きだし、ここで可愛い女の子の表紙の漫画を勧めたら絶対何か言われるので万人受けしそうなものを渡してみた。
「佐保山さ」
「なんだ?」
そんな楠木は俺がせっかく渡した漫画には視線を落とさずに俺のことをじぃ~っと見つめていた。
「隠さなくてもよくない?」
「なっ、なにが」
平静を繕うのに見事失敗した俺に楠木は、
「佐保山、オタクでしょ?」
ガツンと、頭を何かが打った気がした。
オタクだとバレ、それに対する一般人の反応はこうだ。
キモ。
それは何度も俺が耳にした言葉。無感情で人を人だと思っていない。オタクなど人外であり情けをかけてやるに値しない無価値な存在だと。
そんな言葉と視線、そして扱いを俺は何度も受けてきた。
そして一般人代表。オタクと対を成す存在とも言えるギャルがなんと思うか。そんなもの考えなくても分かる。
「キモ」
そう、これだ。
「って言うとでも思ってたの?」
「え?」
無駄に近い楠木の顔を見ると、その表情は蔑みのものではなく、どちらかというと呆れたようなものだった。
「あのさ。言っとくけどあたし、そういう人の趣味にケチつけたりただの偏見で差別したりしないから。むしろそういうの嫌い」
「楠木?」
「だからそんな顔しない! はい、シャンと胸を張って!」
背中を叩かれ、俺はつい楠木の言う通りに胸を張ってしまう。
「いいじゃんアニメ。可愛い女の子でもなんでもさ、佐保山はそれが好きなんでしょ? 自分が好きなものには自信持たなきゃ。あたしだってこれで花とか好きだからさ、友達に最初はめちゃくちゃイジられたんだよ?」
「そうなのか・・・・・・?」
「うんっ! でも今じゃそれがキャラみたいになっちゃって、一応お店にも来てくれる子もいて集客にも一役買ったんだから」
今度は楠木が胸を張る。その豊満な胸に一瞬目が奪われるが、それよりも楠木の自信に満ち溢れた表情に俺は言葉を失ってしまった。
「と、まぁ。こんなところで長々と言い聞かせるつもりはないし、そこは佐保山のやりたいようにすればいいと思うけどね」
言うだけ言って、楠木は再び「なんかいいのないかなぁ」と漫画を探し始めた。
俺はというと突然のことに頭の整理が追いつかないでいた。
まさか楠木にこんなこと言われるだなんて思ってなかったから。
でもこれはもしかすると、俺が今目指している、新しい世界への扉を開けるチャンスなのかもしれない。
だから俺はきっとこれは俺に返ってきた善意なんだと信じ、それと楠木のさっきの言葉を信じた。
鍵を開けて。僅かな光が射しこんだ重い重い扉。俺はその扉に手をかける。
「魔法少女ふりふりピュアラ」
「え?」
「俺のオススメだよ。アニメも放送中で追うなら今だ」
俺は慣れた手つきでピックアップのポップが付けられた棚から一冊の漫画を引っこ抜いて楠木に手渡した。
「主人公の振山アリアが地球に舞い降りた魔法生物と戦う物語だ」
「へぇ、魔法少女かぁ。絵、可愛いかも。小さい頃こんなの見てたなぁ」
「と、思うだろ?」
「へ?」
楠木の呆けた顔。それが今の俺にはたまらなく面白かった。
「これな、可愛い絵柄とは裏腹にものすごいエグい描写やシーンがあるんだよ。それに魔法の名前一つ一つにも伏線が張り巡らされていて、実はOPの歌詞にも意味があってとても考察のしがいがあるんだ。あぁちなみにそれ、主要人物何人か死ぬぞ」
「えっ、そうなの!? こんなに可愛いのに!?」
「ああ。しかも死に方がエグいことエグいこと。例えばプレス機に挟まれて圧死だろ? それから落ちてきた無数の鉄パイプに貫かれたりギロチンで真っ二つ。一番最近だと燃え盛る密室の中、出られないまま焼死したりな。焼け跡からその子の変わり果てた死体が出てくる描写は惨かったなぁ」
ごくり、と唾を飲む音が聞こえる。
「もうさ、ここまでただただ酷い目に合うだけで、物語になんの救いもないんだよ。それに主人公の行動原理や正体も未だ謎だし。だから俺は来週やる十話で何か起きるんじゃないかと思う、物語の核心を突く何かが」
饒舌に語る自分の舌はまるで自我を持ったように動き回った。これ、オタクの悪い癖だ。でも俺は、それがとてつもなく楽しかった。
ひとしきり俺が話し終えると楠木は若干複雑な表情だが、次の一声。
「あ、あたしこれ買うっ!」
どうやら気にいってくれたらしい。いや、どちらかというと怖い物見たさと言ったほうがいいのかもしれない。
「まあ最初は三巻あたりまで買って、気に入ったら残りの巻を買うでも・・・・・・っておい!」
あろうことか楠木は、現在発売されている七巻までを全てむんずと掴み取り、颯爽とレジに向かっていったのである。
「なんなんだ」
今日の楠木は、どうにも読めない。
まぁいいか。と俺は楠木がオタクたちの列の中、そわそわと緊張した面持ちで並んでいるのを見て笑ってしまってた。
「き、緊張したぁ~」
頬を上気させた楠木は手で顔を扇ぎながら青い袋を持ってこちらに戻ってくる。
「よかったのか?」
「なにが?」
「そんな一気に買って。合わなかったらどうするんだよ」
人気作だから全巻買って、いざ読んでみたら自分には合わなくて本棚の奥に封印されたという経験は俺にもある。
「うーん、でも大丈夫でしょ」
「なんだそれ」
なんの根拠もない「大丈夫」という言葉に首を傾げる俺。そんな俺を楠木はじっと見つめ、そして一瞬だけ笑ったような気がした。




