第16話 ファンタジー
俺の人生は幕を閉じた。
――という事はなく、偶然今は近くに誰もいなかった様で、直ぐに古沢に事情を説明してわかって貰えた事で、何とか事なきを得た。
だが、悲鳴を上げるのを止めさせるのは直ぐに出来たが、納得してもらうのに30分ほど費やしたのでかなり疲れてしまった。
「……まぁ、掃除なら仕方がありません。それにしても使用人にですか……そんなに恩を感じて頂かなくてもいいんですよ? あれは私の為でもありますので」
古沢のため? どういう事なのかは全く分からないが、どうやら恩を売るつもりはなかったから使用人にならなくても良かったと言う事らしい。だが、俺にはそんな考え方は全く出来ない。恩はきっちりと返さないと気が済まない質なのだ。例えそれがどんな物であろうともだ。どんな借りであろうとも必ず返す。それが俺、風魔春人なのだ。
「でも、正直いって風魔君も男なんだから、そういう気持ちもあったんじゃないの?」
「違うって……さっきも説明したじゃないか。あれは掃除の一環で、下心なんてこれっぽっちもないって!」
「え〜じゃあ、私が今ここでパンツを見せてあげるって言ったらどうする?」
その台詞に俺は固まってしまった。
古沢は俺に小悪魔的笑みを向けてきている。しかし、そんな事を言われたら俺も男なのでドキドキしてしまう。
不覚にもこの笑みが可愛いと思ってしまった。自分をからかって来ている小生意気なこの笑みがだ。
「どうしたの? 下心が無いんでしょ?」
「……それとこれとは別の話だ。大体、嘘でもそんな風に男をからかう物でもないぞ。もう少し考えてから行動しろ」
「……考えてなんだけどな」
「何か言ったか?」
「何も言っていない!」
なんで怒ってるんだ? 女心は全く分からない……。
しかし、古沢はお嬢様育ちのせいかガードが甘すぎる。このままじゃいずれ悪い男に引っかかってしまうかもしれない。
確か俺は古沢の専属執事だって言っていたな。ならその辺の事を教えていくとするか。
「あのなぁ、お嬢様。誰彼構わずからかっていたらいつか痛い目を見るぞ。もしかしたら悪い男に襲われてしまうかもしれない。だから、そういうからかいは控えてくれ」
「誰彼構わずじゃないのに……」
「何か言ったか?」
「だから何も言ってない!」
絶対に何か言っていたような気がするんだけど、古沢がそう言うならそうなのだろう。
これでどうにか一件落着となった。少しガードが甘いところは俺と一緒に居ることによって直ってくれることを信じよう。
そんなこんなで最初の仕事は無事終了だ。
「そう言えば風魔君の執事服は?」
あぁ、それの事が。
「俺はまだ執事(仮)だから執事服はないんだ。試験監督は執事長が務めてくれたんだけど、自分には本決定権は無いからという事で仮という形になった」
でもそれは仕方がないだろう。古沢が気に入らない人を勝手に使用人にする訳にもいかないのだろう。だからこの屋敷の主である古沢の意見が必要となってくる。
「……風魔君なら本決定してくれてもいいんだけどね。焦燥は律儀だなぁ」
その瞬間、俺はなんで古沢はこんなにも使用人たちに愛されているのかが理解出来たような気がした。
それは焦燥さんの名前を口にした時の古沢の表情にあった。
――それは慈しみの表情だった。その表情だけでこの屋敷の使用人たちがどれだけ古沢――お嬢様に大事にされているかが一目瞭然だった。
なるほどな。このお嬢様の慈しみの心があるからこそ、使用人たちはお嬢様に忠誠を誓って互いに大事に思いあっているって事か。
そりゃ佐藤さんもお嬢様の事を好きになるものだ。
「お嬢様。他に何かございましたらなんなりとお申し付けください」
「……風魔君」
「はい、なんで御座いましょう」
「どうしたんですか急に。その口調は似合いませんよ? というか鳥肌が立ちます」
「お嬢様……お殴りしても宜しいでしょうか?」
どうやら俺にはこの口調は似合わないらしい。まぁ、自分でもわかっていたことだが、普段通りにしていた方が俺たちにあっているようだ。
なので口調は前までと同じ口調で行くことにする。
「そういえば、帰ってくるの早かったな」
「何言っているんですか、もう五時ですよ?」
「え、五時?」
驚いて弾かれるように時計の方を見てみると確かに時計の短針は五時を指していた。どうやら掃除に夢中になりすぎていて時間の感覚が麻痺してしまっていたようだ。
確かにこの時間ならば古沢が帰ってきていても何らおかしいことはない。
「しかし、風魔君が学校に来ないのは納得がいきません! 私、風魔君の事を調べてみたんですよ」
何勝手に調べてんだよ。プライバシーはどうしたんだよ……。
「それで、面白いものは見つかったのか?」
「風魔君は少し前まで学業優秀、スポーツ万能で学校全体で期待を持たれていたとか」
「あぁ、そんな事があったな。家の事情で優秀な成績を取らないといけなかったんだ。別に優秀な成績が欲しかったとか、そんな立派なものじゃない」
「はい、それは何となく察していました。何せ成績優秀だったら目立つ選手権トップ10に入るような存在。それなのに風魔君は全く目立ってはいませんでした。成績優秀者は表彰されるような学校です。目立たないなんて有り得ません」
「まぁ、確かにそうだな」
素直に全部吐くつもりは無いが、とりあえずここまでは誰もが認める事実なので素直に肯定しておく。
俺らの通っている桟敷学院は成績がいいと、それだけで目立つような設計となっている。例えば成績優秀者の発表などだ。
成績優秀者は定期テスト毎に作文の発表がある。それによって目立たないことは不可能。そして俺も成績優秀者として発表されていた。それは家の都合によって成績上位にいないとダメだったからだ。
しかし、毎回発表されているというのにみんなの俺を見る目は「あんなやつ、この学校に居たか?」だ。
そりゃ不思議がられても仕方がない。
「摩訶不思議です。これを見た瞬間、自分がファンタジーの世界に紛れ込んでしまったという位の衝撃を受けました」
「そうか、俺の認知度はファンタジーって事か。古沢、お前は面白い例えをするな」
「矛盾です。どうして目立っていないのか……それが全く分かりませんでした」
だろうな。
普通はありえないほどの大きな矛盾。この矛盾が実在しているのだから、普通の考え方では思いつきもしないだろう。
どうやって俺は毎回、みんなの認識外に出ているのかを。
「どうやったんですか」
「……もう調べるんじゃねぇ。これから先を調べるんだったら全力で阻止する」
「……分かりました。もう追及するのは辞めます」
あれ、意外と素直だ。もう少ししつこく聞いてくると思っていたからどうやって誤魔化そうかと悩んでいたところだ。
だが、助かった。あの事は知られたくないからな。風魔春人なんて人物は存在していないことは。
そこで扉がノックされた。
「お嬢様。お食事の準備が整いました」
「分かったわ。風魔君も居るから一緒にすぐに向かいます」
どうやら夕食の準備が整ったという報告らしい。メイドさんの声の様だが、初めてメイドさんに救われたような気がする。




