一話 画面の向こう
記憶の混濁とは、つまり今の私が置かれている状況を指すのだろうか?
杜若あずき28歳。
目の前に広がる風景は、確かに私のよく知るものだった。
広大な草原に、塀に囲まれた街。
ふと自らの装いに意識をやれば、革の胸当てが付いている。
なお、全然苦しさを感じないもよう……
「ペタン……はぁ……」
それは今まで現実ではないと認識していたゲームの世界。
リアルなゲームほど現実のようだと錯覚はすれど、間違えるなんてことはありえなかった。
2021年、未だにフルダイブ型のゲーム機など開発はされていない。
そんな機械があればゲーム好きの私が知らないはずがない。
そう、子供の頃は実家に並んでいる和菓子よりもケーキが好きだった女の子。
今は時々甘い誘惑に負けてしまう事務で働く一般社員……だと私は思っていた。
それがどうだ? ログアウトなど存在しない、まるで現実かのような没入感。
いや、これを没入感と言って良いものかは定かではないとしても、今の私には少し前まで感じていた現実に戻る術はない。
「ステータス……とアイテムボックスは使用可能なのね。
でも選択ジョブが『魔物使い』って……」
少しだけ嫌な予感がした。
なんらかの原因でゲーム世界に入ったのだとしよう。
となると、この私ではない私は誰のキャラクターなのか?
メインアカウントは『狩人☆5』を選択していたし、ミリタリーグリーンの装備を纏っていたはずだ。
しかし、身長もそこそこで初期装備となると……
「もしかして、昨日作ったばかりのサブアカウント⁈」
容姿に関しては、まぁ置いておくとしよう。
キャラメイクでは、ちょっとメルヘンチックな少女に仕上げたと思うのだけど……
それよりも職業及びサブクラスの問題である。
サブアカの目的が完全なる趣味……
職業と共に選べるサブクラス『パティシエ』のためだけに作られたアカウント。
100歩……いや1000歩譲ってここが現実世界だとしよう。
私はこの、街から一歩でも外に出れば魔物だらけという世界で生きていかなくちゃいけないわけ?
……ありえない。
それ以上に何がありえないって!
キャラメイクを終えたばかりでチュートリアルもプレイしていないキャラクターは、無一文なんだよ!
アイテムボックスの中身は当然空っぽ。
もうさっさと街に入らなくちゃ、魔物に襲われたら大変だ……
「……はぁっはぁっ。
一角ウサギ……はぁっ、脚が早いんだもん……はぁー……」
息切れと動機がやばいくらいに激しい。
これほど本気で走ったのは中学以来だと思う。
もはや中学時代のそれが現実だったのかどうかもわからないのだけど、とにかく門の前まで来ることはできたのだ。
さすがにここまでは追って来なかったみたいだから、あとは門をくぐるだけ……なんだけど。
「待て、入門証の無い者を黙って通すわけにはいかん」
どうして災難というものは続くのだろうか?
いやしかし、疑問は一つ解消されたと言っても良い。
門番をしている兵もまたゲームの中で見た姿。
マジマジと見たことなど無かったが、首から下を西洋甲冑で包み、髭を蓄えたおじさんが私を睨んでいる。
きっと私はこの世界に、たった今舞い降りた。
それが私の中で出た結論。
夢かとも思ったが、走って息切れのする辛さはとてもそうだとは思えない。
私には門番のことなどほとんど記憶も無ければ、こんな会話イベント聞いたこともない。
そして私のことも全く知らないような対応を見せる門番。
もしも記憶を失っていただけなら、門番が私のことを知っている可能性が高いと思ったのだ。
それはそうと……入門証?
「え? いや、ゲームでもそんなもの見せたことないですよね……?」
「何を言っておる。
その格好、お前も立派な冒険者なのだろう?
いや、そうでなくとも街の外を出歩くには許可が必要なはずだが」
魔物に攻撃されて頭でも打ったのか?
無いのなら入門税銀貨一枚だと。
いやいや、そう言われても支払えるはずもない。
私は着ているものの中身を#検__あらた__#める。
私の知る運転免許証のようなものだと言われるが、ポケットなどそう多くはない。
デニムスカートのような厚手の生地に2ヶ所、インナーの腕の部分に1ヶ所。
そのどこにもカードなど入ってはいない。
「そんなところを探したって出てこんだろう。
お前も、ここに入れてるんじゃないのか?」
トントン、と自らの胸を親指で差している門番。
その箇所はちょうど心臓のある胸のやや左寄り。
私は胸当てを左の手でぐいと引いてみる。
その内側を見やれば、確かに胸当ての内側にカードの入れる隙間が開いている。
スッと一枚のカードを取り出すと、そこにはカタカナで『ミルフィーユ』の文字が。
サブアカには確かに洋菓子の名前を入れたけれど、これを名乗っていくことになるわけか……
「へぇ……こんなところに入門証を入れてるんだ……」
それにしても変わった場所にしまってあるものだ。
「そういや、なんでなんだろうなぁ?
最後には守ってくれるのは自分自身だという想いでもあるんじゃねーか?
誰だってココをやられりゃ滅多に助かるもんじゃねぇ」
う、うーん……胸に入れていたコインのおかげで、とかいう話?
あまり考えたくはない。
ともかく、これで街に入る許可は得られたようだ。
いく宛が他にない私は、すぐさまギルドを目指して歩いたのだった……