43 岩屋
阿武隈川沿いに走っている街道を北上する。
景観が変わり始め、街道の両側には、枯れ始めた芒が一面に敷き詰められた見事な野原が広がっていた。
「綺麗な景色ね」
「ああ。街道から眺める分にはいいな」
午前中の明るい日差しを浴びて、開いた芒の穂が白く光っている。もしこの芒の中をかき分けて進まなければならなかったとしたら、かなり大変だったな。
「あれって何かの目印?」
まるで画面が切り替わるかのように、俺たちの前方に見えてきたのは、道を隔てて生い茂る二本の松の大木だ。
「『二本松』か。リアルなら道標なんでしょうけど、これはいかにもゲーム的なランドマークといった感じね」
「近くに例の岩屋があるかもしれな……どうやら探さなくてもよさそうだ」
二本松の向こう側に少し開けた場所があり、ゴツゴツとした巨石が積まれて小山と化したものが見えている。
「岩屋っていうから、てっきり洞窟か何かだと思ってたのに」
「あれじゃあ、岩そのものだな」
「そうね。とっても怪しい感じ」
「なあ、なんか寒くない?」
二本松と巨石の山を視認してから間もなく、北から凍えるような強い風が吹き始めた。さては前兆か? と身構えたが、気温が下がるだけで魔物の姿は見当たらない。
「何も出てこないか」
岩屋と思われる巨石に接近してもそれは変わらなかった。
「この辺りを調べてみる?」
「そうしよう」
しかし、巨石の周囲には、岩に囲まれた小さな池があるだけで、他にはこれといったものは見当たらず、そして誰もいなかった。
「なんか肩透かしだね。ここ飛ばしちゃう?」
飛ばせるものならその方がいいと、先のMAPに行けるかどうか試してみたが。
「ダメか。進んでないなこれは」
「堂々巡り。延々と同じ場所にいる感じね」
北へ向かう街道を北上しても、一向に周りの景色が変わらない。MAPを確認すると現在地が全く移動していなかった。
「イベントを起こすには、キーアイテムがいるのか?」
フラグは回収してきたつもりだが、見落としがあったとか?
「えー。なんだろう? そんな情報あったっけ?」
「あの、間違ってたら申し訳ないんだけど、もしかしたら、時刻が関係しているんじゃないかしら? 夕暮れにならないと出てこないとか」
香里奈がふいにそんなことを言い出した。夕暮れ?
「なぜそう思う?」
「一面の芒でしょ。それに岩屋と人食い鬼。これで思い出したことがあって。ちょっと自信はないんだけど」
「なになに? 教えて」
「以前、歌舞伎を観に行った際に、これとよく似た設定の演目があったの」
「どんな話?」
「演目名は『黒塚』っていったかしら。旅の僧侶が日が暮れて岩屋に宿を求めると、そこは鬼婆の棲家で……っていう話。どこかの土地の鬼女伝説を元に作られていて、その舞台の背景一面に芒が飾られていたのよ」
「その鬼婆も人食いなの?」
「そう。『決して見るな』と言われていた部屋を覗くと、そこには白骨死体の山があって、それから鬼婆を調伏するのよね」
「似てるな。元が土地伝説なら、ゲームの元ネタになっている可能性はあるかもしれない」
「じゃあ、ここで日が暮れるのを待ってみる?」
「やってみよう」
そうして、岩屋が視界に入る場所で俺たちは一旦キャンプを張り、日が暮れるのを待った。
*
夕陽に、辺り一帯が金色に染め上がる頃、再び岩屋を見に行った。
「見て。池のところ」
先ほど見つけた池の端に人影がある。何かを洗っているようだ。
「行こう」
警戒しながら近づくと、それは小柄な老婆だと分かった。
「おや。旅のお方ですか?」
老婆が振り返って話しかけてくる。
「はい。日が暮れてしまって立ち往生しています。この辺りに、一夜の宿をお借りできるような家はありませんか?」
「それはそれはお困りでしょう。私の家でよければお泊り下さい」
「それは助かります。家はお近くなんですか?」
「ええ。すぐそこですよ。ついてきて下され」
老婆はそう言って、洗っていたものを拾い上げ、ひょいと立ち上がって案内を始めた。手に持っているのは、どうやら出刃庖丁のようだ。いかにもだな。
老婆は巨石の山に近づいて行く。
「ここです。あばら屋ですがお入り下さい」
先ほど調べた時は岩だったはずの場所にぽっかりと穴があき、そこに押し込められるように簡素な小屋が建っていた。老婆に促されて小屋に入ると、そこは土間で、奥に板の間と板戸で仕切られた部屋があるようだった。
「今夜は寒い夜になりそうです。私は炉にくべる薪を集めて参ります」
そう言って、出かけようとした老婆が戸口で一旦立ち止まり、くるりと振り返る。
「そうそう。私の留守中に、決して奥の部屋は覗かないで下さい。この婆の寝所になっていますので」
「分かりました」
「約束ですよ」