7話
「雪ちゃん、最近はまた一段と綺麗になったね」
焼き肉屋に入ってすぐ、島津さんは笑顔でテーブルに近づいた。この前カイくんに、島津さんとの居候話を想像させられてから、何となく後ろめたい気持ちになったけど、この人懐っこい笑顔を見てるとまあいいかと思ってしまう。
「それにこちらの美人も。二人で歩いてたらナンパとかされそうだよね」
「口が上手いなあ」
私が生ビールと盛り合わせを頼み、小鳩さんにおしぼりを渡す。彼女とはこのところよく晩ごはんを食べたり、仲良くさせてもらっていた。カイくんにも会わせたいけど、バーテンの方の仕事で毎日忙しそうで、ゆっくり話す時間が取れないままだ。
肉を焼きながら、ここはクッパが有名らしいですと話してたら、
「雪ちゃんって謎だよね。最初に会った時は清楚で品のいい女性って感じだったのに、こういうお店を知ってたり。話すと意外に率直で、思ってる事はまっすぐ言うし」
「自分の雰囲気とかはよくわかりませんが、元々庶民なんですよ。父が早くに亡くなって、母と二人で団地に住んでました。お風呂も毎日入れなくて、服も同じのを上手く着まわしたり。今もあんまり物は持ってません。貴金属とかも興味ないし、節約するのが身についてるっていうか」
「節約もだし、行儀作法もね。お母様の育て方が素晴らしかったんだと思うわ。お箸の持ち方もすごく綺麗で、一緒にごはんを食べるたびに感心してるの」
「今は感謝してますけど、小さい頃から厳しくて辛い思いもしましたよ」
テーブルに置いていた電話が振動し、ディスプレイを見ると和泉さんからの着信だった。小鳩さんに了解を得て電話に出る。来週の金曜日の夜、空けといてと言われて承知しましたと答える。その後、少し話をしてから電話を切った。
「社長からでした。来週二人で会おうと仰られて、その日程の確認でした」
正直に小鳩さんに話す。
「へえ、デートするんだ」
興味を表すように目がキラッと光った。嫉妬されるかなと思ってたら、
「くれぐれも用心してね。まあ社長はあんな風でも慎重な方だから、マスコミ対策はきちんとされてるだろうけど」
「わかりました。気をつけます」
クッパお待ちと言って、島津さんがやって来た。
「店長、クッパは頼んでないけど?」
「これは俺の奢り。美人にはサービスしないとね」
いつもよりミニサイズのクッパを渡され、有難くいただく。
「美味しい」
小鳩さんが嬉しそうに笑った。
「いいよね、あの店長。ちょっとタイプかも」
「そうなんだ。意外でした。私はてっきり社長みたいなスマートな方かと」
「あれは目の保養でしょ。個人的にはファンだけど、ずっと一緒にいたら疲れそう。でも店長さんみたいな明るい人って、そばにいるだけで楽しくなれる感じ」
本当に意外だ。私はそういう人こそ、恋愛対象にはならない。
アパートに帰ると何故かカイくんがいた。ベッドに横になってたので、どうしたのと尋ねる。
「早退した。ちょっと熱があって」
そう言われておでこを触ると確かに熱い。すぐに水枕を作り、脇の下にもミニサイズの氷のうをあてがう。それから水分補給もして、おでこに冷感シップをぺたんと貼ってあげた。
「看護かよ」
可笑しいと笑って、私の手を取る。
「そんなに高くないから、大袈裟にしないでよ」
「おかゆを作るから食べて、すぐに薬を飲むんだよ」
バタバタとキッチンに立ち、お米をとぐ。虎ちゃんもたまに熱を出した時、こんな風に看病したっけ。懐かしく思い出し、虎ちゃんの事が前よりも遠く感じて切なくなった。
おかゆを持っていくと、お腹すいてないとわがままを言う。無理やり食べさせて薬を飲ませ、お風呂に入って戻ってくるとカイくんは眠っていた。
ピンと閃いて、こないだ社販で安く買った羽毛布団を押入れから出した。まだそんなに寒くないけど仕方ない。ベッドの隣に布団を敷き、やれやれと横になる。
こうして寝てると、ここに来た最初の日を思い出す。あの時はカイくんが私をベッドに運んでくれたんだっけ。私たちの関係もかなり曖昧になってしまって、セフレなのか恋人なのか、自分でもよくわからない。別れが辛くなるから、これ以上の気持ちは持ちたくなかった。タイムリミットまで、もうすぐ一ヶ月。
庭のあるお店に来るのは、とても久しぶりだった。個室から眺める和風の庭は、粋なレイアウトで見飽きない。前に座る和泉さんは時間の話を延々としていて、その解釈がとても興味深かった。
「時間は有限だ。だからこそ充実した時間を過ごしたいと思う。でも人によってその充実は、テレビをじっくり見る事だったりするよね。公園で日向ぼっこを兼ねて、見知らぬ子供を眺めたり、図書館で一日中本を読んだりする事は、周りから暇つぶしに見えるかもしれない。でも本人が、それこそが充実だと思っていたら、その時間は逆に贅沢で貴重な時間なんだ」
「要は気持ちの持ちよう、という事ですね」
「そう。そして人の気持ちは、周りからは図れないって事」
ふぐの唐揚げをつまみに日本酒を飲んで、
「雪ちゃんは平助の事をどう思ってるの?」と急に話を変えた。
「……答えなきゃだめですか?」
「じゃあ、質問を変えよう。平助の家を出て、どこに住むの?」
「今インターネットで探しています。家賃が安くて会社から近い場所で検索すると、なかなかいい物件がなくて」
「もし期限までに見つからなければ、俺の家に来ればいいよ」
は?
驚き過ぎて、開いた口が塞がらない。
「それとも、見つからないを言い訳にして約束を反故にする? 平助はそれを望んでそうだけど」
ようやく口を閉じる。そんな事、絶対にしたくない。
「俺もそろそろ、身の回りを固めたくてさ。候補はたくさんいるけど、雪ちゃんなら色々と、ちょうどいいんだ。よく人から女性を紹介されるんだけど、そういう相手はほとんどがお嬢様でね。世間知らずで従順だから楽だけど、話しててつまんない。仕事で会う人は、仕事以外何も出来ないって人ばかり。家事も当たり前に出来て、ある程度世間も知ってて、話しても楽しい人って案外少ないんだよね」
「和泉さんは私の事、まだ何もご存知ないですよね。慎重な方だと伺ってますが、私の何を見て信用してくださるんでしょう?」
「平助が俺に紹介したから」
どういう意味か聞こうとしたら、これって俺にはとても大事なんだよと笑顔を見せた。
「前の彼女は嫌だと言って、絶対に会わせてくれなかった。あいつは意味のない事はしないんだ」
余計に訳がわからない。
「とりあえず、一旦はうちにおいでよ。何なら知り合いの不動産会社に聞いてあげるし」
「もし仮に、一時期お世話になったとしても、和泉さんと今の関係を崩すつもりはありませんが」
わかってる、と彼は朗らかに笑った。
「雪ちゃんが俺を好きになるまで、絶対に手は出さないから。ただのルームメイト且つ、雇用主ってのはどう? 新鮮でしょ?」
何なんだろう、この人。カイくんといい、和泉さんもとても変わり者だ