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5話

 学校で授業を受けた後、待ち合わせの場所へ向かう。やって来た虎ちゃんは季節外れのカーディガンを着ていて、ちょっとうんざりした。

「なんでカーディガン? 忙しいのはわかるけど、季節考えて服を選んでよ」

「久しぶりに会って服の話?」

 照れたように笑って前の椅子に座る。相変わらず人の良さそうな顔で、店員にお勧めのランチメニューを聞いている。

「雪路はちょっと痩せた?」

「変わってないよ」

「そうかな。綺麗になったよ」

 まっすぐに目を見て、昨日は連絡しなくて本当にごめんねと謝った。この人のこういう丁寧さが、昔からとても愛おしかった。

「緊急オペっていうのは本当だったけど、正直雪路に会うのが怖くてさ。男なのに未練がましくて、雪路も呆れてるんだろうなとか、これ以上嫌われたら嫌だなって考えてたら何も出来なくなってた」

「確かに呆れてる」

 私も本音を言う事にした。

「失望したし、困惑したよ。でも嫌いにはならない。虎ちゃんの事はずっと好きで、多分長い間引きずると思う。でももう、元に戻るつもりはないの」

「……うん。わかってる」

 ランチプレートが運ばれてきて、彼は静かに食べ始めた。育ちの良さが窺える、綺麗なお箸の持ち方だ。虎ちゃんは総合的に見ても、だんな様としては最高の人だと改めて思う。

 パパになってもきっと、上手に子育てするんだろうな。

「実は母が、もう見合いを勧めてきて」

 食べ終わってコーヒーを飲んでる時に、彼はようやく口を開いた。

「俺も三十五になるし、本気で跡取りを望んでるらしいんだ。だからそろそろ雪路の事、踏ん切りつけなきゃって思うんだけど、どうしても諦めきれなくて」

「お見合い……」

 さすが虎ちゃんママだ。仕事が早い。

「アニキがうちの病院継いでくれたらなって、最近はそればっかり考えてるよ。そしたら俺、違う病院の医者になって、雪路とまた暮らせるかなって……」

 虎ちゃんはロマンチストだ。そんな未来はやって来ないと知ってても、都合の良い想像を膨らませる。そして自分からは何も動かない。

「私が望んでるのは、早めに離婚届を出してもらう事だけだよ」

 冷たい対応だと我ながら思う。こっちだって辛い。だからこそ、早く終わらせたい。

 虎ちゃんと別れてからも妙にモヤモヤしてしまい、思い切って近くの銭湯へ行ってみた。前から目を付けていた、昔ながらのお風呂屋さん。壁に描かれた富士山を見ながらタイル張りの湯船につかり、ふうと大きく息を吐く。

 カイくんはここに来たことあるのかな。作家なんてしてるぐらいだから、ロケハン的にたくさんの場所をリサーチしてる気がする。彼の家に居候してそろそろ三か月。タイムリミットまで、同じく三か月。

 アパートに帰ってもモヤモヤは収まらず、メグミを誘って先にカイくんのお店へ行った。今度は真顔で舌打ちされたけど、気にせずお酒を飲んでたらとても眠くなってしまった。

「やだ。雪路寝ちゃってる」

 ようやくメグミがやって来たけど面倒くさくなって、カウンターにつっぷしたまま寝たフリをする。

「邪魔だから早く連れて帰って」

 この言葉はカイくん。全く、優しさのかけらも感じられない。

「その言い方ひどいよ。カイくんは知らないと思うけどさ。この子まだ、ダンナさんの事が好きなんだよ」

 メグミは私の背中に手を置く。

「何やかんや言ってるけど、結局ダンナさんや向こうの家の為に別れるんだから、相当辛い筈なの。雪路の為にも、早く離婚届を出してケリ付けてほしいのに」

 人が寝てるのをいいことに、好き勝手に話さないでよね。

「雪ちゃんのダンナって、どんな人?」

「なんか大きい病院の跡取りで、内科医だったかな? 優しくて品のいい人だよ。全然怒らないって、前に雪路が言ってたっけ」

「……ふうん。まるで俺と正反対だね」

 ライターの音がして、すぐに煙が流れてきた。煙くて顔を上げたら、カイくんと目が合った。

「雪ちゃん、明日デートしよっか」

 そう言って煙草を吸い、照れたように目を逸らす。急に何だろと首を捻ってたら、

「やっと原稿が上がったんだよ。泊まりで温泉にでも行こ」と笑った。彼なりに慰めてくれてるんだろうか。私が頷くと、それじゃあ今から帰れと冷たく言い放った。何、この寒暖差。


 そして次の日の夜、私たちは海の見える温泉宿で海鮮焼きを食べていた。美味しい日本酒も頼んで、ゆっくり寛ぐ。

「なんか落ち着くね。カイくん、連れて来てくれてありがとう」

 私がお礼を言うと、うんと言って笑った。今まで見た中で、一番可愛い笑顔だと思う。

「浴衣っていいよなあ」

「いいよね、浴衣」

 最近の浴衣って色や柄がおしゃれだ。袖を伸ばして見ていたら、雪ちゃんとカイくんが手招きした。私は首を横に振って海を見る。そばに行くと絶対に手を出してくる。そう察知して、わざとゆっくりお酒を飲む。

「ダンナさんがお医者さんなら、旅行とか難しかったんじゃないの?」

「そうだね。まとまった休み以外は、あんまり出掛けてないかな。行くとしても海外が多くて、国内はほとんど行けなかったよ」

「セレブ自慢かよ」

 楽しそうに笑って、また手招きする。無視してお酒を飲んで、

「カイくんは旅行好き?」

「好きだよ。でも全くの遊びで行く事はほとんどないけどね。今回のも取材を兼ねてるから、明日は歩き回るつもり」

 なんだ。私を慰めてくれた訳じゃないのか。どこに行くのか聞いた後で、ボストンバッグに入れてきたカイくんの小説を取り出す。それを見た途端、

「おまえ、本読まないって言ってたじゃん」と苦い顔をした。

「読み出したら結構面白くて」

 布団の枕元に置いて、カイくんの隣に座る。待ってましたとばかりに肩を引き寄せ、

「その小説、冒頭から犯人と主人公がセックスするだろ」と囁いた。

「うん。エロ過ぎて引き込まれた」

「どの部分がエロかった?」

 私の胸元に手を差し込んで、軽くわしづかみにして遊んでいる。

「んーどこだろ。目隠しされてるところ?」

「うわ。スケベだな」

 仲居さんに廊下から声を掛けられて、私はまた自分の座布団に座る。日本酒の追加を頼んで、食器を片づけてもらってる間にまた本を開いた。

 この小説、ジャンルでいえばミステリーで、女子大生の素人探偵がボーイフレンドの新米刑事と共に事件を解決していく。いわゆる倒叙物というカテゴリらしく、犯人は最初から読者に提示されていて、主人公に追いつめられる過程が面白く、ハラハラしてページをめくる手が止まらなくなるのだ。

「いつまで読んでるんだよ」

 仲居さんが出たのを確かめて、カイくんは私を布団の上に押し倒した。

「ちょうどここに、一本のタオルがあります」

 そう言って私の頭に回して、軽く目隠しした。そして浴衣をはだけて、胸にキスをする。

「あはは。くすぐったいって」

「この眺め、案外エロいな」

 楽しそうに唇を移動して、下半身を中心に舐めだした。思ってたより感じてしまったようで、カイくんはスムーズに私の中に入ってきた。

「正直に答えて」

 耳元で彼は囁く。

「もし俺じゃなくて、例えば島津さんの部屋に居候してたら。雪ちゃんは今頃彼とこんな風にセックスしてたのかな」

 島津さんの笑顔がぼんやり浮かんできて、つい可笑しくなる。

「そういうの止めてよ。趣味が悪いって」

「真面目に答えて」

 タオルを取られると、真剣な顔つきのカイくんが近くにいた。

「……多分、してたと思う」

 カイくんの部屋に居候するって決めた時、もし誘われても拒めないと覚悟した。それぐらいあの時は、独り立ちする為に必死だった。

「そうだよな」

 何故かにっこり笑って、カイくんは腰を振り出した。そしてまたタオルで目を隠される。

 カイくんと私の生活は、虎ちゃんとのそれとさほど変わらない。だけど両者には決定的な違いがある。

「……やだ。もう、いっちゃいそう」

 体は素直なので、虎ちゃんとでなくても快感を得られる。そんな事を思ってたら、名前を呼んでと乞われた。

「平助」

「雪路」

 お互いの名前を呼び合ってるうちに、同時に果てたようだった。結果的に目隠しは、思ってた以上に楽しかった。


 次の日は観光地を回って、名物と呼ばれる物をたくさん食べた。初めての場所で、カイくんと手を繋いで歩くのは新鮮だった。

「雪路、この角度からも撮って」

 カメラを渡されて、境内を何枚か撮影する。カイくんも違う場所をスマホで撮影してて、なかなか絵になっている。ついでに彼の姿も何枚か撮ってからカメラを返す。すぐにチェックして、俺のはいらねとか言うから削除禁止だよと注意する。

「せっかくだから、一緒に撮ろう」

 自撮りを何枚か撮影してたら、撮りましょうかとお婆さんに声を掛けられた。お願いしてお寺を背景に撮ってもらった。

 次の目的地に向かってる途中で、カイくんの電話が鳴った。慌てて私の手を離し、距離をとって電話に出る。

「悪い。明日帰る事にした。修正入って、ちょっと練り直したいんだ」

 戻ってきたカイくんは、悩ましげに眉を寄せて唇を舐めた。彼の小説を読んだせいか、色っぽい顔だなとか思ってしまった。

 巻いていこうと言われ足早に目的地へ向かい、指示された場所を撮影する。疲れたので宿に帰ってすぐ温泉に入り、晩ごはんを食べ終わると急激な眠気に襲われた。

 数時間眠ってふと目を覚ますと、暗い部屋の中で座卓に向かうカイくんがいた。仕事を持つってやっぱり大変だと思う反面、そこまで没頭出来る事が羨ましかった。未来のことなど予想できない私にも、いずれ何かが見つかるのだろうか。出来ればカイくんや虎ちゃんのように、誰かの為になる仕事をしてみたい。

「起こしてごめん」

 私に気づき、カイくんが振り返った。全然いいよと笑ってお手洗いに行く。鏡に映った顔が、おたふくのように腫れぼったい。飲み過ぎたかもと思いつつ布団に戻ると、俺も寝るわと隣にやって来た。そして毎度のお約束のように、体を触りだす。

「カイくんの調子、戻ったみたいね」

 キスの後で触ってあげると、どうかなあと苦笑いを浮かべる。

「雪路としか、まだしてないからね。他の人とも実験してみないと」

「そういうものなの?」

「おそらくは。家族が医者だと、そんな話したりする?」

 ん? 勃起不全の事だろうか。

「実はね、だんなも何回かあったのよ。病院を継ぐって話になった時、プレッシャーが原因で。その時は薬を飲んだせいか、すぐに治ったの」

「ふうん」

 興味の無さそうな顔で、カイくんは体を起こす。上に乗ってと命令するので、素直に従う。もし島津さんの部屋で居候していたら、今頃はもうアパートぐらい借りているかもしれないと、ふと思った。

「平ちゃん」

「その呼び方やめろ」

 前より距離が近くなった気がするのは、旅行という楽しいイベントのせい?

「平ちゃんと旅行に来て良かった」

 そう言ってすぐ、ものすごい快感がやって来た。思わず叫んで彼にしがみつく。

 カイくんは後ろ向きにした私の腰をつかんで、雪路と何度も名前を呼んだ。その声がとても切なくて、いつまでも心に残った。


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