4話
それから数日後、私は格安のパソコンスクールに通いだした。思ってたよりも楽しくて、少し欲が出てしまった。帰りにメグミと落ち合い、お気に入りだったイタリアンの店へ行く。
「あんなに楽しいなら、もっと早く教われば良かった」
笑顔の私に、慣れたら何とも思わないんだけどね、と彼女は言って、
「それで? 事務系のソフトはもう始めたの?」
「始めたよ。文章を打つのが難しくて時間かかるけど、すっごく楽しい。それでね、絵を描くソフトも習おうかなと思って、今悩んでるの」
「でもそれって、お高いんでしょう?」
ショッピング番組のような口調で、メグミが質問する。
「それが今なら定価の半額なんです。しかもソフトが二つも付いて、超お得」
二つもいらねーと言って、メグミが笑う。
「やりたい気持ちはわかるけど。今は必要な物だけ習いなよ。まずは働いてからだと思うし」
「だよね」
確かに現実は厳しくて、お絵描きソフトは夢のまた夢だ。
「こういう話、カイくんともするの?」
メグミが意味深な笑顔で私を見る。彼女にはざっくりと、彼との進展を話していた。
「しないよ。別に彼氏でもないし」
「ふうん。まだそんな感じなんだ。ねえ、今から彼の店に行こうよ」
私は首を横に振る。一緒に住みだしてすぐ、店には来るなと釘を刺されているのだ。
「ねえ、奢るから行こうよ。二人の雰囲気も見てみたいしさ」
「怒られるから行かないって」
しつこく食い下がるメグミを振り切って、私は店を出た。最寄駅まで着いた時に電話が鳴り、ディスプレイを見ると母からの着信だった。
「もしもし、母さん。区役所行ってくれた?」
『今日行ったんだけどね。あんたまだ、名字が変わってなかったよ』
「え?」
予想外の言葉に足が止まる。
『虎次さんがまだ、離婚届を出してないんじゃないの? 連絡取って、もう一度確認してきなさいよ』
ショックが大き過ぎて、それから母とどんな会話をしたか覚えていない。最後に虎ちゃんと話した時、離婚届を出したよって言ったのは嘘だったのか。
メグミと再度落ち合い、二人でカイくんの店へ向かう。とりあえず話を聞いてもらって、この動揺を収めたかった。
店に入ると、カウンターの中にいたカイくんが片眉を上げた。無視してカウンターに座り、口を開いた途端また電話が鳴った。慌てて店から出て通話ボタンを押す。
『雪路?』
久しぶりに聞く虎ちゃんの声。悔しいけど泣きそうになる。
「どうして離婚届を出してくれないの?」
言葉にすると怒りが増してしまい、
「信じてたのに。なんでいつも最後に裏切るのよ。もうこれ以上失望させないでよ」
かなりキツイ言い方をしてしまった。その事が余計悔しくて、涙がこぼれた。
明日会う約束をして電話を切り、また店に戻る。心配した顔のメグミに、
「虎ちゃん、まだ離婚届を出してなかった。今回こそはって信じてたのに」
「……雪路と別れる事、まだ納得してないのね」
ため息をついて顔を上げると、カイくんが営業スマイルで私を見つめていた。
「ここに来んなって言ったろ」
そう言いながらも、私の好きなお酒を出してくれる。
「今日は見逃して。緊急事態なの」
彼が向こうに行ったので話を続けようとしたら、
「今の何?」とメグミは目を丸くする。
「素のカイくんだよ」
「ああ、やっぱ王子様キャラはフェイクかあ」
「そんな事より、虎ちゃんどうしよう。早く話をつけないと、向こうの親が出て来たらまたややこしくなるのよ」
いい案ないかなって頭を抱えていたら、
「もう次の男が出来たって言えばいいじゃん」
メグミが指を差した先はもちろん、離れた席のお客さんと仲良く話しているカイくんだった。いや、それは余計に拗れる気がするけど。
次の日の夜、一生懸命カイくんを舐めていたら、今日はもういいよと私の頭を軽く押した。
「え? でもいつもより元気……」
そういうデリケートな言葉は良くないかと思い、慌てて口を閉じる。
「体はそうかもだけど、気分的には萎えてるから」
「そうなんだ」
私も服を着て、じゃあ寝ましょうとベッドに横になる。ごめんねと言って、カイくんは頭を撫でてくれた。
雪ちゃん。
名前を呼ばれて、閉じていた目を開ける。思いの外に近い距離で、カイくんは私を見つめていた。それから優しくキスして、撫でるように胸を触る。
「カイくんって、胸触るの好きだよね」
「胸っていうか……」
雪ちゃんの体、触り心地がいいんだと耳元で囁いた。珍しく甘えてるみたいで、ちょっと可愛い。
「そういえば最近、隣の部屋が静かだよね」
「ああ、引越したらしい。こないだ運送屋が荷物を運んでたよ」
そうなのかと思いつつされるがままにしてたら、カイくんはシャツの中に手を入れて割と念入りに胸を揉みだした。変なの。今日はしないって言った癖に。
しばらくして、カイくんは自分を握らせた。さっきの倍ぐらい硬くなってて、つい笑いそうになる。
「だけど気分は萎えてるんだよね」
「さすがにそれはもう……」
焦り気味に私の下着を脱がせて、カイくんは上に乗ってきた。それから数分後、何とか無事に彼は射精した。ホッとしたのかすぐに寝てしまい、私は私で気を遣い過ぎて、変な疲労感だけが残った。
時計を見ると日付が変わっていた。結局虎ちゃんからは何の連絡もなく、またこちらからアクションを起こさないとずるずる放置されそうだ。とりあえずメールだけして、カイくんの隣に潜りこむ。毛の薄い彼の、少しだけ生えてる胸毛に顔を寄せて目を閉じる。そのまま眠って朝、ごそごそと動き回る気配で目が覚めた。
「何してんの?」
カイくんが裸のままでうろついてて、まるで変質者のようだ。
「別に」
澄ました顔でまた布団に入り、私の胸におでこをくっつけた。いつも変な人だけど、昨日から輪をかけて変になってる。放っていたら赤ちゃんのように乳首を吸うので、もう朝だよと言って止めさせた。
「何それ。朝だからするんじゃん」
楽しそうに笑って、彼は私の敏感な部分を擦りだした。昨夜の事で、どうやら調子に乗ったらしい。こういう時はやっぱり、拒否しちゃいけないんだろうか。仕方ないので、またされるがままにしてたら、どんどん激しくなってまるで違う人としてるみたい。
「おまえ、悲鳴上げすぎだろ」
体を離してすぐ、ドヤ顔で脚を組んで煙草を吸いだした。ホント誰だよ、あんた。
「あーなんか、今なら空も飛べそう。今日はもう、とことん仕事しようっと」
悔しいけど体がだるくてすぐには動けない。ゆっくり起き上がった私を見下ろして、
「早くバスルームに行きなよ。和室との戸は、ちゃんと閉めてね」
そう言ってキッチンへ歩いていく。こいつ、性格悪すぎる。
しぶしぶ起き上がって言う通りにシャワーを浴び、二人で朝ごはんを食べる。片づけを終えてそのままダイニングで着替えていたら、和室からカイくんがやって来て、
「あれ。今日は学校行かないの?」と聞いてきた。
「行くよ。その後で夫と会ってくる」
さっきメールの返信が来て、お昼ごはんを一緒に食べようと誘われたのだ。いつもは付けないネックレスに苦戦してたら、後ろを向いてとカイくんが手を貸してくれた。
「雪ちゃんってうなじが綺麗だよね」
私の髪を上げて、んーっと言いながら首筋に噛みつく。
「痛いなあ。何の嫌がらせ?」
「もしダンナさんがしつこいようなら、これを見せるといいよ」
そう言って鼻歌を唄いながら冷蔵庫を開ける。ハッとして洗面所に行き、鏡で首元を確かめた。髪を上げないとわからない場所に、ばっちりキスマークが付いていた。親切なのかイタズラなのか、カイくんはやっぱりよくわからない。