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3話

 面接を終えて会社を出た。強い日差しに見舞われたので足早に移動する。さっきの質疑応答を反芻して、今回も無理だろうなと反省した。専業主婦をしてる間に、何でもいいから資格を取っておけば良かった。不採用続きの就職活動の前に、まずはバイトでもしようか。その間にパソコンスクールへ通おうなどと考えていて、地下鉄へ下りる階段を通り過ぎた。慌てて方向転換をしたせいで、後ろから来た人とぶつかってしまう。派手に怒られて頭を下げ、階段を慎重に降りる。何やってんだろ。上手くいかない時は、何をやってもダメなのかな。憂鬱な気分で駅を降りて、スーパーで買い物をしてからアパートに戻る。

 冷蔵庫に食材を入れてたらカイくんがやって来て、おかえりと声を掛けられた。

「ああ、違うの。一旦帰っただけだから。今から図書館でネットしてくる」

 手を洗ってスーツを脱ぎ、クローゼットに置いた箱からシャツを取り出す。汗まみれだけど、外に出たらまたこの状態になるだろう。そう思ってシャツを着ていたら、

「雪ちゃんってスタイルいいよね」と声がした。あれ、まだいたのか。

 振り返るとカイくんは椅子に座り、こっちを見てにやにや笑っていた。

「スケベ」

「ちょっとだけキスして」

 可愛い顔で手招きするので、仕方なく彼の膝に乗る。わざと舌を入れてやると、すぐに口を離した。

「そこまでは望んでない」

「面倒くさい人」

 ここで暮らし始めて一ヶ月が経ち、少しずつカイくんの処し方がわかってきた。口が悪く、気分が猫の目ように変わりやすいけど、基本的には素直で優しい人だ。さっさと離れて半パンを履いていたら、玄関からノックの音がした。

「平助いる?」

 ドアを開けると、焼肉屋の店長の島津さんが段ボール箱を持っていて、

「隣のばあちゃんが荷物預かってるって、何故か通りかかった俺に渡してきたんだよ」と部屋に入ってきた。

「どうせおまえ、また居留守使ったんだろ。面倒なら夜間配達にしてもらえって」

「すみません。お世話掛けて」

 私が謝ると、雪ちゃんは悪くねえよと笑顔を向けた。

「じゃあな。ばあちゃんにも礼を言っておけよ」

 島津さんが去って、追いかけるつもりはないけど私も部屋を出た。振り返った彼は真顔で、

「あいつ、大変だろ」と私をねぎらった。

「前はもう少し人当たりも良くて、友達とよく遊んでるようだったけど。最近は家に籠りがちで、たまにしか外に出なくなっちまった」

「何かあったんですか?」

 私が尋ねても、ううんと唸って、

「いや、俺が口出しする話じゃねえな。いずれ平助が話すと思うから、それまでもう少し待ってやって」

 苦笑いして手を振り、店の方向へ歩き出した。どちらにしても、プライバシーには口を出さない約束だし、私からは何も尋ねるつもりはない。

 図書館にあるパソコンでバイトやスクールを探し、少し気分を上げて部屋に帰る。晩ごはんの用意をしていたらカイくんもやって来て、手伝うよと横に立った。

「ビール飲みたいな」

「そんなの買ってないよ」

「じゃあコンビニ行ってくる」

 ふうんと流してキュウリの酢の物を作っていたけど、熱い視線を感じたので顔を上げる。案の定、カイくんはこっちを見ていて、

「そこはほら、付いて行くよとか。アイスが欲しいから、一緒に行こうかなとか」

「別にアイスもビールも欲しくないです」

 わざと冷たくして作業を続けてると、つまんねえと言って玄関に向かった。ホント、面倒くさいったら。

「酎ハイなら飲みたいかも」

 そう言って腕を組むと、照れたように頭を掻いた。面白くてつい笑ってしまう。

 最近彼のバイトが休みの日は、こうやって二人で飲むのが習慣になっていた。普段はただの同居人として過ごし、休みの日だけ恋人みたいにじゃれ合っている。よく知らないけど彼は何かに傷ついてて、私も未だに癒えない深手を負っている。その傷を互いに舐め合うように、立ち止まったままリハビリしているのだ。そしてそれは、半年という期限付き。

 コンビニで飲み物を選びながら思う。半年経ったらきっと、私たちはもう二度と会わない。それならいっそ、今しか出来ない事を楽しめばいい。

 晩ごはんを食べた後でシャワーを浴びて、カイくんとセックスする。彼の状態は相変わらずだけど、たまに挿入可能な状態になる時もあって、少しは改善しているのかなと思う。今日は短い時間だけど繋がる事が出来て、久しぶりにとても満たされた。

「雪ちゃん、満足した?」

「うん。すごく良かった」

 終わった後でカイくんを抱きしめてあげる。私の胸を触って、それならいいけどと呟く。

「ホントに気持ちいいよ。カイくん上手いし。前の旦那は力が強くて、痛い時もあったんだけど、そういうのも全然ないし」

 あ。人と比べるのはマナー違反だった。

「ごめんなさい。今の忘れて」

「気分害した」

 ぷいっと背中を向けたので、後ろからぎゅっと抱きつく。

「褒めたつもりだったのに、酷い事しちゃったね。本当にごめんなさい」

「俺の元カノはさ。出来た子だったんだよ。俺の事、すごく大事にしてくれて。言いたい事も我慢して」

「だから、ごめんて」

 ゆっくり体ごと振り返って、カイくんは笑った。その優しい笑顔に、少しやられてしまう。

「あいつは……。優しすぎたんだろうな。それで俺は調子に乗り過ぎた。妊娠した時も自分で抱えて、何も相談せずに処置してきた。そして事実を知った俺にも、ただ謝り続けた。一度も言わなかったんだ。俺の今の状態で結婚や、ましてや子供なんて育てられないよって」

 思わず顔が引き締まる。カイくんの心の傷は、きっとこの過去によって作られたのだ。

「作家になって、本を出版してもさ。それだけで食っていける人間なんて一握りなんだよ。俺みたいにバイトしたり、ちゃんとした仕事を別に持ってたり。生活の為に体を酷使して、寝る間を惜しんでも書き続ける。業だよな。モチベーションは人それぞれだけど、いつか作家活動だけで暮らしたいって夢を諦めきれない」

「間違ってたらごめんなさい」

 前置きをしてから、口を開く。

「カイくんの状態が元カノさんの妊娠によるものだとしたら、私なら大丈夫なんだよ。検査したんだけど、妊娠しにくい体なんだって。前に子供を授かったのも、不妊治療を続けてようやくって感じで。自然に授かる確率は、かなり低いみたいで……」

「ああ、ごめん」

 急に線を引いたように、カイくんは真顔になった。

「これは俺の問題だから。こっちこそ、つまんない話して悪かったよ」

 もう寝ようと言って、彼は私に腕枕をした。セフレのような間柄で、つい出過ぎた真似をしてしまった。カイくんの問題に私が介入しても仕方ないのに。


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