2話
それから数日後、親友のメグミの家に行った。置きっぱなしの荷物を取りに行くという名目のお泊りで、久しぶりに二人でお酒を飲んだ。
「それで、カイくんとの生活はどうなのよ」
飢えたハイエナのような顔つきだけど、お望みの答えは聞かせてあげられない。
「別に何もないよ。生活のリズムが違うから、あんまり会わないし話もしてないの」
「へえ、まだ寝てないんだ」
がっかりした顔で彼女は離れた。
「夜は獣になりそうって顔してんのに、意外と淡泊なんだね。そういえば前に、しばらく彼女は作らないとか言ってたしな」
「ゲイなんじゃないの?」
私の問いに首を横に振って、ないないと強く否定した。
「あの子が勤めだした三年前から知ってるけど、当時からモテモテでさ。お持ち帰りには困らないって大口叩いてたもん。前の彼女も常連さんだったし、方向転換してたら別だけど過去に関してはノーマルだよ」
そうなのか。てっきりそっちの人かと思い込んでた。
「雪路と一緒に住むって聞いた時に、ああ、そうだよなって納得したんだけどな」
メグミは笑って、
「カイくんの好みに、雪路がドンピシャだったからね。色が白くて可憐な雰囲気で、前の彼女に似てるんだよ」
「ふうん。でも今のところ、甘い雰囲気は皆無だよ。私もそれどころじゃないし」
恋愛も結婚も、今は何の興味もない。とりあえず生きていく為に、基本的な生活を作る事が先決だ。
「私は雪路とルームシェアしても良かったんだけどね」
メグミは申し訳なさそうに眉を下げた。
「いいって。彼氏が週二で来る家に、長々と居候は出来ないじゃん」
いくら仲が良くても、共同生活を続ける事は難しい。離婚した私が言うんだから、これは間違ってない筈だ。
「そういえば最近、虎次さんから連絡があったよ」
うう。胸がズキンと痛む。その名前はまだ禁句なのに。
「まだ着信拒否してるの? 今どこにいるかって、すごく心配してたけど」
「いい。その話はもう聞きたくない。それより面接で着る服、また貸してくれる? リクルートスーツって、夏場は二着ぐらい必要だよね」
話題を変えて、メグミのグラスに氷を入れる。何の資格も取り柄もない私は、なかなか就職先が決まらないのだ。その愚痴を散々こぼして、夜中まで飲んだ。
次の日の朝、アパートに帰ったら珍しくカイくんが起きていた。
「ただいま。パンを買って来たけど、カイくんも食べる?」
「いいの?」
不思議そうな顔でこっちを見るので、いいよと笑った。
「フレンチトーストを作ろうと思って一斤買ったの。ついでだから作ってあげる」
「じゃあ代わりに、インスタントのスープをあげるよ」
「律儀ね」
真面目な人柄に微笑んで、私はキッチンに立つ。こうして作業していると、主婦に戻った気分になる。テキパキ動いていたらカイくんが寄って来て、
「雪ちゃんって手際がいいね。俺こういうの見るの、好きなんだ」と嬉しそうに笑った。
「もしかしてマザコンですか?」
「うわ。鋭いね」
朝なのに機嫌がいいなと思いつつ、二人分の食事を作る。そして一緒に朝ごはんを食べた。うまいを連発する彼を見て、少し切ない気分になった。虎ちゃんも昔、こんな風に笑って朝ごはんを食べてくれたっけ。私が流産するまではきっと、毎日のように見てた風景。もう遠い昔みたいだけど、たった半年前の事だ。
「このままだと、一生パパになれないよ」
ふいに口からこぼれた。トラウマになった虎ちゃんの一言。
不思議そうな顔で私を見たカイくんに、急にごめんねと謝った。
「別れた夫に言われたの。結婚して六年目で、ようやく授かった赤ちゃんを流産して。ものすごく落ち込んでる私に、彼がそう言ったんだよね。ああ、この人とはもう無理だ。後でどんなに謝られても、この言葉だけは上書き出来ない。そう思った。言葉って凶器になるんだよね。この言葉が刺さったまま、夫と暮らすのが辛くなった。耐えられなくて結局、離婚届を置いて家を出たの。それが一ヶ前」
「キツイね」
そう言った後、カイくんは慌てて立ち上がり、ボイスレコーダーを持ってきた。
「本来なら慰めるところだと思う。でも良かったら取材させて。雪ちゃんの声、拾っておきたいんだ。必ず何かの形として生かすから」
「無料ですか?」
半笑いで聞いてみたら、もちろん費用はお支払いしますと真面目な顔をした。やっぱり変な人と思いつつ、私は虎ちゃんとの思い出を語り始めた。
夕方になっても出かけず、ずっと和室に籠っていたカイくんが襖を開けて、晩ごはんを食べに行こうと誘ってきた。
「今日はバーテンの仕事もないし。辛い話をさせたお詫びに、何か奢らせて」
「でも、取材費用はもう貰ったよ」
「それとは別で。朝ごはんのお礼もしたいしね」
私の手を取って、カイくんは部屋を出た。そのまま手を引いて、近くの焼肉屋さんに連れて行ってくれる。
テーブル席に座り、鉄板を囲んだ。店は狭いけど、たくさんの人で賑わっている。
「値段はリーズナブルなのに、すごく美味しいんだ」
生ビールで乾杯して、色んな話をしながらお肉を食べた。彼の言う通り、何を食べてもとても美味しくて、つい食べ過ぎそうになった。
「そろそろクッパ頼むけど、雪ちゃんは?」
「このへんでストップする。また今度ね」
「お嬢さん。ここに来て、クッパ食べないなんて、もったいないよ」
店長らしき親父さんが、私達のテーブルに笑顔で近づいた。
「肉も自慢だけどね、うちはカルビクッパが有名なんだよ。平助の彼女ならご馳走するから、ぜひ食べてって」
「マジっすか。店長、ゴチになります」
「おい、平助。言っとくけど奢るのはクッパだけだぞ」
笑い合ってた二人が私を見るので、じゃあいただきますと答える。そうでなくちゃと店長が急いでカウンターに戻った。
「平助ってカイくんの事?」と尋ねる。
「うん。甲斐平助。ペンネームも同じだよ」
「そうなんだ。ごめんね、本を読まないから知らなくて」
申し訳なくて頭を下げると、それは俺のせいだよと彼は笑った。
「売れてないからね。本も二冊しか出てないし、全然有名じゃなくてさ」
言葉に詰まってると、でもこう見えて野心はあるからと彼は笑った。
「いつかはさ。本を読まない雪ちゃんでも、名前ぐらいは聞いたことあるってぐらいの作家になるよ」
「うん。頑張ってね」
「クッパお待ち」
店長が料理を運んできて、そのまま私の顔をじっと見つめた。
「それにしても平助ってブレないよなあ。好みのタイプが全然変わんない」
「そういうの止めてくれる?」
カイくんは真顔で追い払うように手を振った。すいませんねえと笑って、店長は違うテーブルへ。メグミから聞いた元カノの話をしようか迷って、結局先にクッパを食べる。
「美味しい」
思わずそう言うと、カイくんは嬉しそうに笑った。
部屋に戻ってシャワーを浴び、椅子に座って水を飲む。テーブルに置いたスマホが振動したので手に取ると、虎ちゃんという表示があった。すぐに拒否ボタンを押して鞄の中に押し込む。今更、何の用があるんだろう。こっちにはもう用なんてないし、出来れば放っといてほしいのに。
しばらくぼうっとしてたら、濡れた髪のカイくんが歩いてきた。
「今夜も始まったみたい」
何の話かと思ったら、隣の部屋を指さしていた。ああ、やっぱり知ってるんだね。
「俺たちも始めようか」
驚いて顔を上げた私に軽くキスして、クールな顔で和室へと誘った。請われるままカイくんの膝に乗り、何度も唇を重ねる。そのままシャツを脱がされて胸を吸われ、下着越しに弄られた。
「ダメ……。声が出る」
「今ならどっちの声か、わからないよ」
ゆっくりと指が入って来て、思わず声を漏らす。キスしながら突かれてるうちに夢中になって、いっちゃうと叫んですぐ大きな快感に体を震わせた。
荒くなった息を整えていると、カイくんが自分の体に私の手を導いた。少しだけ硬くなった彼を触って、どうしてほしいか尋ねる。
「いや、何もしなくていいよ」
あきらかに傷ついた目で、カイくんは私を見た。
「雪ちゃんならって思ったんだけど、やっぱり無理っぽい。最近ずっとこんな感じで、挿入出来る状態まで至らないんだ」
ごめんねと謝って、彼は下着を元に戻した。私もシャツを着て、気まずくならないよう大丈夫だよと笑う。
「全然足りないんじゃない? もう少し、してあげようか」
「ううん。気持ち良かったよ」
頬にキスをしてから、頭を抱えるように抱きしめた。虎ちゃんに一度、聞いた事がある。勃起不全は心理的なものが原因で起こりやすいって事を。