雪幻談ーー絵ろうそく
雪幻談—絵ろうそく
勝手口のドアがあいたのだろうか、誰かが部屋をはしっていった風の動きがあって、さっきから気になる。このごろとみに幻聴や幻覚がひどく身のうちにすくっているよからぬものがなぶりにきたのだと、苦い唾をのみこみ、気配のきえるまでじっと炬燵でおとなしくしている。病の巣のようなからだだからあっちこっち得体のしれないもののけがはびこったとしても不思議はなく、どうにかこうにか七七歳までいきた、七七歳は母の享年だ。七七歳のからだにはあれやこれやひとさまにはつげられぬ悪い憶いが根をはっていてしつようにくるしめる。屈辱の記憶や罪深い秘密がまといついていて、おもいおこせば嘆きと後悔と、一歩気弱に身をひけばひとでなくなる重大事ばかりで、われながら異常な精神状態においつめられ痴呆となってあおざめる場がかさなった。今夜のように音が意味をせまる静かな夜は怖ろしい。盆地にひそむ隠里めいた古い土地にすんでおればこその苦しみなのだと言訳をして目をあけたまま夜をこす。家の周辺では空家が毒茸がはんしょくする勢いで次々とふえ次々とくち、顔見しりがへったのも侘しさをつよめた。空家とはいえ形があればこそまだ記憶に懐かしさをさがしてなぐさめられもするが、いたずらにこわされて破屋のままさらされた姿はおんぼろに身をつつんだその昔は大店の主人をほうふつさせて胸がしめつけられ息のできないほど苦痛になる。更地になっても枝振りの良さからでしょう、なぜかのこされた庭木を目にすれば親のなくなったこともしらずに育ちの良さを誇らかにして家族をまつ少年のようで不憫でならない、ましてその庭木が今夜のように木枯らしの強い晩などは風が梢をきる音が恨みがましくなく声とおぼえもしていてもたってもいられなくなる。かよいなれた小径にぽつりぽつりとのこった空家も木枯らしに吹きさらされて隠していた未練や恨みつらみをさらけだす。古い町から時間の吹き溜りのたえる日はこない。
でも、勝手場の音はかいだしにでかけたお手伝いの紗弥香がかえってきたからでは、とそうおもいなおすと少しは気力がかいふくした。「紗弥香」とよんだが返事はなく、不審におもって勝手場にいった。勝手口は小球の灯りだけで心もとない。隙間風がふきこんでくるので膝が寒気でしびれる、痛いほど。紗弥香の姿はなく、案の定ふくらんだレジ袋がおいてあった——雨がふってきましたのでこのまま急いでかえらせていただきます、とメモもあった。声のひとつでもかけてかえればと気のきかない紗弥香をなじった。メモをのこすより口のが早いのに、わたしが邪魔になったか。雨が勝手場の窓をうった瞬間すぎさり、またいきなりもどって激しくうつ。寒気をこらえて聞き耳をたて外の景色をおもいうかべる。時雨の竹やぶをうつ音が渚の波のよう。笹のよせる波音がわたしをいざなう。
——しぐるるやしぐれの夜に帯解けば乙女の心君へかけゆく
と昔の歌が口にもれた。
時雨の夜、あのひとと、雨がよわまればはしり雨がつよまればだきあい、終電までの道をなんどもかよった。なんどもかよいながらあのひとの命をかけての頼みにはとうとうはっきりした答えをださなかった。頼みをきけばとっくにこの世とわかれていたはずだもの、とおもいだすたびにいいわけした自分が若き日々の自分ではなくなって、あのひととしんでしまってもよかったのではなかったか、とおもいなおしたりする。ふん、命がけの頼みが一緒にしのうなんて、はじめは気取り屋のうそにきまっていると本気になれなかった。女が「死のう」といったときは本気だから死の淵までは必ずつきつめるけど、男はナルシズムにめいていしてうわごとをくちばしっているだけだからいざ舞台の幕がひらくと、その場で腰をぬかしてたちおうじょうする。不倫がお互いをくるしめるのは当たり前だし、わたしは夫にしられることのないよう全霊全身で身の回りの世話に手をぬかなかった。生活に変調がなければ男はいらぬ疑惑をもたぬ、とふんだからできたの。女は覚悟をきめたら苦労という文字をなくしてしまう器用な力がめばえてくる生き物だから。あのひととの恋愛を、あのひとそのものより恋愛の心そのものをこそまもったから罪意識はそれほどではなかった。そつのない従順さをたもってすればほころびもなく夫は最後までとうとう気がつきやしなかった。みぬかれるようなおろかな振る舞いはなにひとつみせなかった。もしわたしにドジがあって不倫がばれたなら、夫は頭がおかしくなって酒にくるい乱暴をはたらいたでしょう、しかしころしやしないでしょう、夫のプライドはわたしの情欲ほど傲慢ではなかったから。男の見栄はそんなものでしかないのだから。それはあのひとの根底にすんでいた魔物でも大同小異でかわらない、だからわたしはふたりに心をあかさなかった。ところがあのひとは……あのひとはもともとしにたくてうまれてきたとしかおもえない。ぼくの願望は情死なんだ、戦争でなくなった兄の嫁にしつれんしたのがぼくの挫折のはじまりだったんだ、と。とろんとしてかたるのは素敵な翳りをまとっていてうっとりさせられたけれど、その願望のツケをはたす連れがわたしだとかってにきめつけられて素直にうなずけるはずがない、だって女ですよ、女は恋敵の代役なんてできないんです。しっていました、あなたがついでくださったブランデーに薬がはいっていたのをね。わたしはなにもいえませんでした。だってあなたが戦争の後でもずっと恋をしていた女の代わりをわたしの命でだいようするなんて……だから死ぬ約束をしてだましたんです。
わたしはあなたの骸を膝枕でみまもりながらつぶやくしかありませんでした。
——手鏡の涙に濡るる顔の下夜叉となりゐる素顔なりしか
もうゆるしてくださいな、わたしおばあさんになってしまいましたの。風がドアをけった、それで現実感がもどった。冷蔵庫が薄ぼんやりと闇にうかんでものといたげだった。食事をとる気がおきない。冷蔵庫にひやしておいた酒瓶をさげ、紗弥香がおいていったレジ袋をあさってお造りを手に炬燵までもどった。暗い勝手場でぼんやり気のぬけた時間をすごしたためか、居間の蛍光灯の明かりが目に痛い。床間にならべおいてるろうそくを炬燵にうつし使い捨てのライターで火をつけた。そして電灯をけす。絵ろうそくは太い炎を闇に散らして老婆の目にはやさしい。ろうそくは炎のなかに過去をやどしているから目の奥に形をなさずにうつろう生のまぼろしととけあうのでしょう。そのまぼろしはわたしの影を鬼のすがたにうつしだしている。
まっすぐにのびた炎、ふとゆらめく。隙間風に気持ちをみすかされたように頼りなげにゆらゆらゆれた。主人の遺品をせいりして偶然みつけた絵ろうそく。書架の裏に包み紙にまかれてかくされてあった絵ろうそく。未使用の状態で伏見のお店の美しい箱にいれてあった、全部で十二本も。美術の高校教師をおもしろくもおかしくもなくつとめあげて甘えん坊のまんまそそっかしくあっちへいっちゃったひと。それがこんなろうそくをわたしの目をぬすんでつくっていたなんてはじめはおどろいたけど、後になってなんだかおかしいやら悲しいやら、いじらしさになみだぐんでしまった。二十匁の蠟に赤や緑などで春画が描かれてあった。細くくびれるろうそくにはギリシャの女が男神におかされ苦しげな表情のなかに愉悦をひそめている場面がえがかれている、そのどれもがどこかわたしのアクメのときのよう……でもでもね、実は女の苦痛の貌はからだの底でとぐろをまいていた欲情のふんしゅつではなく、あんたのえがく男神の懊悩の憤怒でせめられているからのようにしかみえない、でも、どれもわたしなんですよね。どこであんたは垣間みたのだろう、今もって不明なままだ……不能者が窃視癖をもっていて不思議はないけど。火をつければ蠟涙がわたしを醜くこがす構図となっている、気がついたのはもう何本かつかいきった後だった。
江戸切子のぐい呑にのこった酒をぐいと喉にながしとくとくとくと瓶からつぎたす、ひとり酒にはなれた。こうしてあんたがかくしていた春画を火にやきながらのみ、あんたがわたしにのこしたのはなんだったのかかんがえながらのんでる。酒がはかどるのよ、あんたにも一心不乱のいっときがあってよかった、と。ろうそくに火をともせばあの世からあんたの怒りがよみがえる仕掛けなんでしょうねえ、ろうそくはあとなんぼんのこっているのでしょう、つきるまであんたの怒りをあびなければならない。悔い改めよ、とでもせっきょうしているつもり。今更あんたにいっても仕方がありませんが、鏡をのぞくのが恐しいとおもう齢になってしまいました。あんたがスケッチにいくとでかけた漁港でなくなってから二十四年もたったのよ、七七歳の老婆です。視力がよわりました、極端に。医者は神経性としかいえない、というんですが。なみだかなとおもいティシュでぬぐうと、うすい血のように紅くにじむのです。がいしゅつするときはサングラスがてばなせません。このごろでは外光の刺激はどれもこれもつよすぎるので昼の外出はできるだけさけるようになりました。
鯛が箸をすべっておちた。紗弥香が買物にいった店は駅通りにある。わたしが家にいるときは刺身を晩酌の肴にするから紗弥香はいわれなくても自転車をこいでかならずお造りをかってくる。鮮魚店は『有政』といって小ぶりだが戦前からつづいている店で、解凍物はださないということになっている。わたしはこういうことにうるさい人物とおもわれているらしいけれど本人はほとんど気にしていない。歌人で夫が高校の美術の教師であれば、店の主人もいつの間にか教え子へと代替わりしていたりするので、商店街のひとたちがわたしたちを一風変わったひと言多い人種とおもいこむのも無理がなかった。世間にある「気難し屋さん」という先入観がこの町でも通念化しているからで、ちょっとばかり町のひとのそういうおもいこみをりようした。こちらがたのまなくっても店の方で気をつかって良質なものをよういしてくれるのだから誤解をとく必要はまったくなかった、ただ……わたしはその気配りの網が噂の監視力としてどれほどの威力をもちうるか十分にこころえていますから注意をおこたらなかった。わたしの歌の作り方がひとの心へしのぶことが多いので自然と世間の気の流れをよめたから苦労ではなかったのでしょう。膝におちた切身を皿にもどした。大根のツマと同じように綺麗な身で、箸でつつき箸でなぞれば、ろうそくの炎のゆらめきにわが身をだきわが身をすすっていった男たちの面影がうかんでくる。あなたのなくなってからなんにんかの男とまじわりましたわ。最後の男はわたしをだくとよくなく男でした。あなたをだいていると、深く広く暖かで柔らかい底なしの坑道をおちていく感覚にとらわれるんです、そしてわけもなく幼い気持ちがあふれてきて、母にだかれている強い感覚がおしよせる、そうするともう訳がわからなくなっているんです、なくしかないのです。後にも先にもこういう心地よくまひする気持ちになったのはあなただけでした。そんな男がもう十数年前になくなったんですが、通知がとどいたものですから、会葬にいってみましたの。いってみれば銀行の支店長になったばかりで見せかけの賑々しさに出席者の数はかぞえきれなかったけど、霊屋にかざられた写真はわたしとまじわった後でめそめそないた魂もどこにわすれたか、といった面構えでちんざしていたものですからついほくそえんでしまいましたよ。
このごろひとがこの世からおちていく音がきこえることがある。孤独なひとがしんでいくときには欅の落葉とおなじ音がする。家族に愛されたひとがしんでいくときには銀杏の落葉とおなじ音がする。嫌われ者がしんでいくときには樫の落葉とおなじ音がする。それでおもうのよ、わたしがしんだときにはどんな音がする、と。さいごの空気をささやかにかすって古い町のしがらみをはなれるとき、命は花がまうようにまっているのに誰もよろこばずひとの目には枯葉がいつの間にかきえるようにきえていく。ひとが死をおそれるのはあたりまえだけど、わが身にまいにち死の衣ずれをきくようになってしまってからはそのあたりまえがにくたらしい。酒は富山の大吟醸がわたしにあっているから酒の香りでたまりつつある死の臭いをけしているのに、死のやつはあざけるように腐臭をあちこちにべたべたとこすりつけていく。まだよまだよといつまでなぶるつもりか。清冽にかおる大吟醸の酔いにゆれつつあの日この日をたどるのが怖い夢からのがれる手立てとなってしまった。わたしは落葉となる日までもういく日もないのだとおもっている。
おぼえてる……そんなはずはないわよね。あなたがなくなった月の歌会で——棚にある壺は焼かれて生れしが焼かれて絶ゆるは君のことのは——とよみました。評判は良かった。その夜のことです、特にこうちょうしてぜっさんしていた三田の学生が会場からおしゃべりやまずにノコノコと捨犬みたいに家までついてきて、酒をふるまえば終電の時刻をまちがえたとか、いきなり酔っ払いの記憶喪失にかかって、紗弥香は薄ら笑いでかえっていったけど、そのままだきついてきましたの、あなたの遺影の前で。その学生には多少好感をもってはいたのですが、無性に腹だたしくなり、明け方までからだをはなしてやりませんでした。おかえりはどろんとしたまなこで、おばさんは蛇のように美しい、とかどうにかふんばっていましたよ。今では結構名がうれて『短歌界』などにのってますね。歌集をいただきました、こんなのがまだ頭にのこってます——東雲の女のひろげし蛇の野を美しく烈しく野火の舌巻く——です。これでもまだいいのよ、「多面描写」というのだそうよ。やける、やけるわけがありませんよね。きこえますわ、あなたの笑い声が。死人はかたらずとも憶いに火をともすものですから。
酒びんが手につめたい。さっきからどうしたのか、わたしの影が天井をぐるぐるまわりだした。トン。グラスをろうそくにむけた、いやちがう、ろうそくの方がグラスにくちづけした。二十匁のろうそくの炎は強く太い。炎にみとれてしまう。炎がゆらぐ。わたしはどこかから隙間風がよせたからと、そうおもったけど、じっとほろ酔いの目でいぶかしくながめていると、炎がゆれたのは隙間風なんかではなかった。ろうそくが首に蠟涙をつけたままあるいたからだった。とうとう魑魅魍魎がしのびこんだ。おそいくらいだったかもしれない、わたしの暮らしぶりからして。ろうそくは素足で床の間へひきこもろうとしている。残業代もはらわぬ客にこれ以上のサービスはごめんといってるかのようでどこか挑発的だ。馬鹿で生意気なろうそく、酒をひとくちふくんだ。口には冷でも喉元をすぎれば涙のように熱くおちていく。子があればこんなだらしのない孤独におちこまないですんだかもしれないと、愚痴のひとつでももれそうになった。その機会は、あんたには気の毒でしたが、あった。トントン。あれ、誰かが勝手口のドアをたたいた。気にはなったがこんな嵐の夜だから、とかまわずにつまの大根を醤油につけた。大根はしゃりっと冬の歯ごたえ。
あなた、わたしは青年がその歌集で立派な賞をうけた祝賀会にしょうたいされたものですから、冷かしにしゅっせきしてみましたよ。ええ少しは皮肉をおくってあげなければ先輩として期待はずれでしょうから。にこにこと満福の笑みでちかづいた彼にこういう歌をささげました——うたびとの穢れを呑みしわが腹は割けばおどろの水子地蔵よ——と、いう歌ね。彼氏の耳に口をちかづけて艶かしくよんであげた、その方がふたりの秘密をおもいおこさせるに効果的でしたから。最初はまさかご自身のアレを暴露された歌とはおもいつきませんから、いつものように頭の良さをひろうして感想をくちばしったの、ところが途中で自分の過去と気がついた、わたしを見つめる顔色が、それはそれは面白いようにへんかしましてねそれこそ蒼白の美男歌人となってもっていたグラスをおとしてしまった。もっともね、わたしのお腹に種をおとしていった郭公鳥は彼ではなくてもっと年寄りの老いぼれでしたけど、ちょっとは飾らないと面白くないから。それでどうなったとおもいます、それがたぶん想像もつきませんでしょうね、おしっこをもらしてしまったのでした。おしっこをもらしながらよれよれと貧血をおこしたんでしょう、絨毯にくずおれてしまった。会場は大騒ぎ。前代未聞の大騒ぎとなりましたが、ふたりだけが原因をしるのみで会場は誰もなにがなんだかわからずじまいのままお終いになって……当時の光景をおもいだしたばかりに片頬がゆるんでなかなか笑いがおさまらない。ついじょうきした頬をグラスにあててひやす。ろうそくの炎もわらっているようでゆらぐゆらぐ。あら、あんたもおわらいなのね、とくちばしると水盤にいけた椿がぽとりとおちた。妊娠は、嘘でもなんでもない本当のことだった、まさかの妊娠だった。閉経したとばかりおもいこんでいた時期だったから、あらあなた最近お太りになられたわね、などとからかわれていたまでは良かったものの、胸やけつわりとようやく兆候に気がついた。ふだん蓮っ葉な女をえんじてきたけれど、さすがにわたしはなやみました、もちろん不義密通の理由でなやみやしません。そうではなく、そんなものでなやむくらいならとっくの昔に積極的に情死でもなんでもしてますよ、だからそんなものではなく、このぼてっとたれたお腹にどんな生き物がねたふりしてわたしをしゃぶっているのかしりたくてみたくてたまらなかった。おろしてしまう前に胎児はどんな風に子宮にしがみついているのかしりたくて、でもそのすべがなくて頭をいためました。同人でお医者はたくさんいますけど、こういうことはどうしても顔見知りの手をかりたいものではないんです。いっそ包丁をあてて腹をさいてみようかとしたけれど、どこまできっていいものかわからなくなってやめました。いちばんはじめは包丁の刃がお腹にプチッとささっただけで真っ青になってすくんでしまいましたが、だんだんなれて、侍の切腹みたいになってしまって。薄暗い台所で応急処置をしておりますと、わたしの影がなにやら鬼がわたしの腑分けをしているように荒々しくうごいて、安達ヶ原のババアもきっとこんなだったろうとそうぞうさせて、きっとババアの血をひいたのかもしれないと眉間をひそめた自分に気がつきまして、ついバカ笑いしてしまいましたが、そんなバカをやったのはあんたの書棚のヴァイロスの画集をたまたまのぞいてしまったからかもしれない。ヴァイロスには恐しい誘惑がありますもの。腹の傷がどうにかなるまで外出禁止にしておとなしくしてましたけど、こういう危ない話を完全にしょちできるところといったらやはり大都会にかぎるんで、結局は東京にでておろしました。医者にその子をくれ、と頼みましたら、ほかの女のものも一緒くたにすてているのでどれがどうだかわからん、といばりくさってことわられてしまった、あれが残念でクソ忌々しいことでしたよ。あれが残念でしてね、もらえていたら貴重な記念物となって今でも毎日かんさつしてたのしめたはずなんです。ですがね、あんたにはわからないだろうなぁ、こんなことを平然とのたまう女の鬼心といわずぬきいてくださいな、堕胎の後の時間は腹のなかがいつまでもふさがれているようで、おろした子がすみついているようで、ときにはあばれくるっているように子宮がさだまらないのです。当時の状況がいっせいにめざめてこうふんしたから、酒を瓶からくちのみした。トントントン、ああやはり誰かがたずねてきてるらしいと遺影のかかる鴨居をみあげた。まだ八時前。このごろ老人が強盗にころされるので不安がないでもないけれど、なにかやくそくしていたかもしれないし、届け物をたのんでいたかもしれない。わすれてしまったものはおもいだすはずがないから面倒でも仕方がない。刺身にもちょうどあきたしふだんなら紗弥香がなにかをよういしてくれているはずなんだけど、今夜はみそっかすにされちゃいました。
外はあいかわらず風が強くふいてるよう、こんな夜に誰でしょう、ご苦労なことです。炬燵に手をつき、よっこらしょ、と口癖の掛声でたちかければ、ろうそくが一本足でピョンピョンはねながら元の位置にもどってきた。燭火が部屋の家具や柱の影を大きくゆらすたびに侘しさも一緒にゆらいで深夜の静寂にしずんでいく。電灯の紐をひくと部屋の隅まで明るくなり、さすがの二十匁のろうそくとはいえ火勢がかすんでしまった。独り言の芝居があっけなくすんでしまってかたすかしをくったような気分がのこった。
トントントントン、訪問者がせかすようにドアをたたく。どなた、とようじんしながらかすれた声でたずねたが、ドアのむこうはきこえなかったらしくうごく気配がないので恐るおそる把手をまわすとあきかけた刹那、寒風の鋭さにみぶるいしてしまった。勝手場の明かりでてらしだされたのは全身黒づくめのでっかい鴉。頭や肩に雪がのっていた。雪まじりの雨にぬれた鴉は明かりをはんしゃして全身すべるようにひかっていた。気がどうてんしてでかけた言葉をのみこんでしまったから鋸のギザギザが石をひっかいたような奇怪な悲鳴がとびだした。漫画絵によくある眼がとびでたのかとおもったくらいおどろいた、いやこの感じは事実でしたでしょう、目玉は一瞬大鴉にきょうがくしてとびでました。目玉がわたしのからだにもどらないうちに、とがったくちばしが、パク、とわれ、紗弥香さんのご注文でお弁当をお届けにあがりましたどうぞ。と包みをさしだしたではないか。鴉風情がひとの言葉をはなすなんて。目玉がようやくからだにもどっておさまるところにおさまったけど、今度は手足がからだにくっついてしまってうごかなくなっていた。鴉が黒羽の下から包みをおしつけるようにおしだした。金田屋のお小僧さんが弁当をとどけにきたのだった。出前の小僧はみぞれにぬれているのが嫌でさっさとかえりたくて黒合羽をバッサバッサとはばたかせてわたしをあおる。小僧はわたしがどうしたのかなかなか体調が元にもどらずに硬くなったままなので、うけとりたくないのだろうと勝手にかいしゃくしたのか包みをもってかえりかけた。そのとき、呪文がとけたようにいきなりからだがはずんで包みをかっさらった。その勢いのまま把手を力まかせにひっぱった。ドアがしめった悲鳴をあげながらとじた。このつめーてーのに、なんだって、ひでーばばあ、挨拶もねーじゃんかこのウンコばばあ。とあなどる捨て台詞もきこえたようなきこえなかったようなとにかく幸いにも嵐にかきけされてしまった。クソ坊主とはそっちのことだ、こんな夜更けにやってきて酔いがさめちまったじゃないのこのバカ坊主、とやはり口にしたようなしなかったようなまま弁当を手にすると、途端に空腹感でいてもたってもいられなくなったから、いそいで炬燵にもどった。
みぞれにぬれて冷たい弁当の包みを炬燵におき、強い明かりで目が痛いからすぐにしょうとうしてしまうと、ろうそくが闇をすって太くかがやきだした。金田屋の小僧におどろかされて陶然としかけた酔いがさめてしまった。一度酔いがさめてしまうとわたしは一升二升の酒ではすまなくなるのがわかっているから台所に酒がのこっていればいいけど、となんとなくいごごちが悪い。まあ小僧さんはうちがちゅうもんしたのだからひなんされるところではなくこんな天気の悪い夜中にはいたつさせてむしろ反省しているんで、紗弥香があんなに早くかえりたがらなければこんなことにはならなかったから、紗弥香は配慮がなさすぎだよ、わたしにもっと忠誠心をはっきしなければいけない。紗弥香、あんたが悪いのよ。手暗がりに弁当の包みをとこうとした。固くむすんであってそれに指先がつるつるすべって、歳とともに指先の脂がうすれるからどうしてもつかみにくくなって、なかなかほどけない。炬燵の左上におくペン皿の小ばさみをとり結びをちょんぎった。このはさみは元々わたしのじゃなく、あんたの形見だったわね、さすがによくきれます。重宝してますよ。美術の先生は手先が器用で雨樋の修理から床間の壁のぬりかえまでなんでも器用にこなしてくれたから大変重宝でした。でもあんた専用にデザインまで特注していた代物ですから、すぐにそれとつかえる道具ではなくあつかいにくい面があって、なれるまではあんたにさげすまされている思いがついてまわってしゃくな時間もあったことはありましたけど。このはさみは共同生活をはじめたころにあんたが自慢げに、このはさみは日本刀と同じ材質で同じ刀工の手でさくせいされた特注品だから、何百年でもつかえる。とじまんしたから、あら子孫もないのに何百年の価値がひつようなのかしら、とついチクリとやってしまったけど、あんたはあのとき本気でわたしをころそうとおもっていたんでしょうね。なかなかの、みぶるいするような美しい殺気がみなぎってましたもの。家庭の包丁でも日本刀でも刃物が美しいのは皆殺気をひめているからですわ、ひとも同様ですわね。
あんたにはかくしてましたけど、子孫をのこす機会はありましたのよ、でもそれはあんたのではありませんけども。わたしという女は世のなかの女たちとくらべればそりゃあ確かに変り者ですけど、子供にいだく愛情のために生涯を育児についやすなんて考えはもてませんよ。女の本能が子供のためにあるなんて嘘っぱちです。自分が子供のころをおもいかえせばどんなに貪欲で欲張りで強情であるか、ひとの貴重な時間を惜しみなくくいつぶしてふんぞりかえってる存在にすぎません。あんたがしんでからのことだから隠し事でもなんでもないんだけど、母がいつまでもいきつづけてるんで、そろそろいいかげんにしんでもらって遺産をわたしのものにしたかったから検査入院とだまして病院おくりさ。九十歳にもなってもまだまだいきつづけようという根性がゆるせなくイライラさせるんでね、この強欲ばばあと唾をかけたら、だまされて病院にいれられたのがわかっちまってさ、家にかえせもどせと大あばれ。医者がこうそくしていいかといってきたから、まってました、とすぐにきょかしたら読みどおり、興奮のあまり自分で死のスイッチをいれてしまった。医者がそういってましたからほんとうですよ。先生は心不全とあたりさわりのない診断書をかいてすませてくれた。老人は世間がせまくなって自分にしかしがみつくところがなくなるものだから、母も家でしにたいとしゅうちゃくしてたんでね、その執着心を逆手にして不安感をぞうだいしていけば、本人自らしんでいくものですよ、小心者や弱者のセオリーよね。ですから母は気がよわってもうしぬのかとはやっとちりしたまでですから、わたしの犯罪ではありません。病院でおこった出来事ですから犯罪にはなりませんけどわたしの思いどおりの結末にはなりました。あとは葬儀をさも健気にやりとげれば世間の覚えもめでたいもの。世間なんて見た目だけですからね。たとえわたしがはかったことだとボロがほころんでも、資産家になったとしるやいい加減にしとけないものよ。わざわざ真実をあげつらって波風たてるひとなんかいやしません。遺産相続はもちろん妹もいますからね。妹のことはそりゃ一番苦労しました。ああいう世間知らずの甘ちゃんなんかごまかすのは簡単ですよ。わたしは母がしぬ前の数年間は妹をうまくとおざけてそのあいだに銀行や郵便局のお金は少しずつわたしの方へうつしてしまいました。遺言書も正式につくりましてよ。妹には遺産の四分の一相続させましたからそれで十分。司法書士や弁護士なんて金をはらう側のいいなりが仕事ですからね。あのひとたちだって商売ですから、依頼者に有利となればどんな細工でも良心がいたむことなんかこれっぽちもない。妹はテレビの弁護士が弁護士だとおもってるくらいうきよばなれした世間知らずですから、簡単ですよごまかすのはとにかく公正証書になってれば文句のいいようはないんですから。あの子はいつまでたっても外野席の解説者タイプですからね、遺産相続でもなんの努力もしないでころがりこんでくるものとおもいこんでかんがえもしない幼稚さだからやりやすいのよ。当時の遺産の二分の一を生前に名義をへんこうして残りを遺産のようにみせかけた。姉妹が半分ずつに等分よ、とつたえたらそのまましんじてました。今ごろなにもしらずに母の菩提をまもっていることでしょうね、たったの四分の一なのに。あの子はほしいものがあってもようきゅうするのはハシタナイ、という考えですからどりょくしないで他人まかせ。わたしはこういう欲望をかきたてる対象にはゆだんしませんから積極的です、ごぞんじでしょう。わたしはほしいの、ほしいものはようしゃしませんの、わたしの性格わたしの気構えよこれが。今ごろになって妹が真実をしってでしゃばってくるかもしれないとおもうとうんざりしてくる。あの子は真実をしるとおとなしい性格ががらっとかわって口達者となりその上筋論でからんでくるから始末が悪いの。妹のうざったさが悩ましくなってきて愚痴が口をついてでたり、ごもごも口のなかでこんがらかったりしてきた。酒のピッチがどんどんあがる。挙句に、はさみを空にしゃりしゃりおもちゃにして妹の面影をきりさいた。動揺がなかなかおさまらない。はさみをこうしてもてあそぶのは金属のすれあう音が好きなせいもある。このはさみでろうそくの芯をきることもある。
唐突に太ももをふみつけられ、ぎょっと腰をうかしかけた。デブ猫だった。わたしとにて喰いじのはった老猫が弁当の匂いをかぎつけて炬燵にとびのろうとしていた。デブの跳躍力はすでにおとろえていてもたもたと片手を炬燵の縁にかけるまでが精一杯だ、それでも猫の意地か本能なのか弁当にとびつこうと跳躍の格好をするけれど腹が重くてあがらない。近所の猫より顔がでかく路地裏のボスといった風情がキワモノ好きのわたしにはすてがたい話相手であり、むこうでもそのようにみとめているらしく対等の態度でなんでもようきゅうする。思案げにというよりわたしに助力をうながす意味でみあげている。はさみでデブ猫の髭をきるまねだけどさわると首をふっていやがった。いいから悪ふざけはいいから、とないた。ほら、やるよ。と海老の天麩羅をできるだけ遠くへほうった。あんたはよく物をひろってきたけど、なかでもこいつは一番のめっけ物、傑作でしたよ、こんな怪猫は二匹とはいないね。十年もいきれば長生きというのに、かれこれ二十年をこしたのよ。あんたは子供の代わりにひろってきたんでしょう、察しはつきましたがね、もしわたしとあんたとのあいだに子供ができたらこんな風なできの良すぎる怪物がうまれてたでしょうね。頭が牛で下半身が馬の逸物をもった化物がね、そうおもいませんか。
本当のことをいいますね、実はあんたは種なしなんかではなかったのよ。わたしがいやだったから避妊をこころがけていただけのこと。十月十日もお腹にあんなものをかこっておられますか。あんたを種なしとおもいこませるのに随分知恵をしぼったわ。ひとは、自尊心の高いしかもそれだけしかよりどころのないひとほどコンプレックスをうえてしまえば、自己嫌悪の敗北感に足をとられてズブズブと底なしにはまっていくものなのよ、身に覚えがあるでしょう。あんたも才能がみとめられていたらあっちこっちの女に手をだしてはらませていたことでしょう、そうなればとっくにわたしをポイしてうぬぼれの強い芸術家の気ままな暮しにうつつをぬかしていたでしょう。幸い、わたしにとって幸いにもあんたは運よくひょうかされなかったからわたしの思惑のなかで自由にすごしているかのようにだまされつづけていたのよ。
デブ猫がまだ食いたりぬとふてぶてしく舌なめずりをしながら重ったるい動きでそばによってきた。鯛のひと切れをさっきとおなじあたりにほうった。デブはデブらしくろうそくの炎がうすれた暗がりにおちた切り身をねらって小走りになったけど、すぐに息切れがしてのったりといつもの調子であるきはじめた。デブのあとに歯槽膿漏の異臭がねっとりと糸をひいた。動物病院につれていくのが面倒で代わりに紗弥香になんどもいいつけたけど、あの子もいやがってなんだかんだ理由をこじつけデブをほうちしていた。金田屋にたのむ弁当は幕内ときめていて、時季におうじて詰物がかわる。そのなかで鮒のすずめ焼きは必ずつけてもらっていた。わたしが好きということもあるがデブはもっと好物にしていた。今度はわたしのお腹に両足立ちとなってその鮒をひっかいた。ひっかいたまでは猫らしかったけど、鮒がどこにとんでいったか本人もみうしなって恐慌状態となりかけたから、わたしは一匹だけデブの口にもっていってやった。そして冷酒をぐいとのむ。大吟醸の香りがきらびやかな花びらとなって喉をおちていく。そのあとで猫の膿の異臭が鼻先をおそう。
デブが食いおわって鼻をなめながらものいいたそうにふりかえった。わたしの目をよんでいる。わたしの目にひそむ憎悪の埋火をさぐっている。このくらいであんたをころしゃしないよ、ころしゃしないけどね、死ぬときは猫らしくだまってどこかへいっておくれよ。へ、わたしは見苦しくこの座敷でしんでるよ。そうつぶやいたとき、いきなり弁当をひっくりかえされた。ひさびさに歌にしゅうちゅうしていたからデブが弁当をねらっていたのをすっかりわすれていた。デブはみっともない肥満体がものがたるようにえげつないほど喰いじのはった猫で、その欲望がおさまりきれなくなっていたから肥満体の限界をちょうえつしてとうとう炬燵にとびのりガツガツくいだしたのだ。猫というよりひまんしたダックスフントが猫のお面をかぶって馳走に夢中となっているようにおもえたりするから、つい本気でいかりながらもたもたした猫らしからぬ鈍さにわらわせられて肩の力がぬけてしまう。性欲より食欲がまさるところは実にわたしとにている。そのせいかときには近親憎悪をおさえきれなくなる。箸をもった手でおいはらおうとすると威嚇にうなって牙をみせる。この図々しさがゆるせなかった。弁当はわたしが金田にちゅうもんして金をはらったもの、デブのものではない。弁当をひったくろうと手をのばしたその瞬間、デブは素晴らしい敏捷さで弁当の縁を手でおさえ角にくらいつき唸り声をたかめて箱ごとりゃくだつしようとした。わたしは我慢も限界となって腰をのばしてしっぱたいた。けれどデブはわたしが力をかげんすることまでしっていてうなりながらまだ食いついていた。畜生めと、たたくのも面倒なのでだいて畳になげすてた。デブ猫はほんとうに重かった。重すぎたくらいだったからボーリングの球を両手でもってなげるようにデブの臀を両の手ではさむようにしてもちそのままなげた。わたしの力では精一杯の腕力のこうしだった。デブは尻餅をついてそのまま畳の上をすべっていき襖にあたってとまると、なにもなかったように後足で左頬をかいた。
デブと食料の争奪戦をくりひろげたせいか、頭のなかがなん週間かぶりですっきりとととのった感じがした、運動不足でよどんだ体調がストレッチ体操でいっそうされた爽快さがのこるように。久しぶりになん首か歌がよめそうな気する。この閉塞感とか膠着感がかいしょうされる感覚は今にはじまったものではないが、いつもアドレナリンによってもたらされてきた。リアリズムの毒気をのぞき創作欲をこうようさせるにはエストロゲンよりもアドレナリンが必要とおもっている。そう常におもいそのために孤立するならば是非におよばずとやってきた、悔いはないいつだって。デブをてばなせない理由もここにある。わたしをおそれない生き物はデブしかもう周辺にはいないから。人間は言葉をあやつってなにひとつインパクトをのこさないが、デブは生存の本能をむきだしにするからわたしだって真剣になる。この真剣になる機会が今のわたしの周辺には皆無だ。おそらくわたしの衰退はこうした環境状況と密接な因果がからまっているのだろうとおもっている。歌人の衰退は批評家次第で、歌人をころそうとする批評家がたえて久しい、歌壇のみならず教養人ばかりがふえる。デブがのそのそと勝手場の方へきえるのをみおくりながらなにかが喉でうごめいていて、さてはいよいよ今夜はできそうとペン皿をひきよせた。ここで無為無我となって一気呵成にとびこめば一首となるはず、サインペンをとったそのとき、また駄目かと不安がまじって、今夜もまたか、と弱気になる。
——蓮にある穴ここのつを数ふれば葉月に招く魂の手毬唄
サインペンがえがいた水茎は昔の作品。
もう悔し涙をながす怒気さえ影をひそめた。天才少女ともてはやされた当時、今とちがってひとがこわかった。あんたはよかったわね、早くから才能に見切りをつけられたんだもの。なまじうぬぼれて道をまちがえるとそこは地獄道、無間地獄。確かよ、毎日毎晩阿鼻叫喚でなにもかもがくるったように渦をまいている。わかるかしらこの胸がさける苦痛苦しさが。ええくそ悔しい、整然ともえるろうそくが悔しい、ワァーと大声でさけんだ。こうするっきゃないんだから、そうするだけ。二十匁の炎が一瞬だけゆらぎ、すぐまた立姿をととのえた。芯が黒ずんでいるのをみつけた。あたかもわたしの妬ましい心があばかれて醜い事実が鼻につきつけられたかのよう。わたしははさみを炎にさしいれ黒ずんだ燃えかすをきった。炭となった芯をきると、絵ろうそくは耿然と輝きをましそれまで炎の影にぼんやりとしていたものの輪郭がはっきりとした。炎のむこう側にいつもどったのかデブの大きな顔があった。弁当がほしけりゃどうぞ、わたしは酒がいい。ついつっかかった物言いが口からとぶ。
叫び声はホトトギスの断末魔の鳴き声のように古い家をふるわせたけれど、一瞬のことで、瞬く間に身のこおる霙の闇にのみこまれてしまった。デブが東照宮の眠猫のように目をほそめて暖をとっていた。そろえた前足の毛をつくろっている。もうあらそったことなどすっかりわすれた風情。わたしの酒好きは父親譲り、母も妹ものまないもの。あんたも父の酒乱ぶりにはあきれてましたけど、母をなぐるけるはあたり前で、妹はあの子らしく子供ながら理路整然と父にこうぎして母をまもってましたが、わたしは狂気のなすがままにあばれくるう父も暴力になすすべなく無抵抗の母もただながめておりました。情けないとおもったのは父のほうではなく弱い母のほうだった。父が暴力をふるえばふるうほど不可思議な快感がわたしのからだいっぱいにぼうちょうしてしっしんしそうになったことが幾度もあった。
あんたにはじめてヴァイロスをみせられたときは、えがかれた絵とまるでおなじ光景をみていた記憶が古いお召しの感触で昔の一情景をおもいおこすように匂いと熱と一緒によみがって、少女の日の恥じらいに赤面するほどショックをうけた。なかなかどこであったかおもいだせませんでしたがね。それから数年後でしたよ、歌会の最中のことでした。突然その光景が閃光となって忘却の過去からよみがえった。父が母をかかえている姿だった。父はぐったりした母の白い腰を両腕でかかえ母の脚のあいだに黒々とたっていた。四、五歳のころの記憶よ。翌年にうまれたのが妹。わたしは色黒だけど、妹は憎たらしいほど美しい肌でうまれた。妹の美しさにおどろいたショックがそのまま直感的にわたしの深いところでやきついてしまった、妹が白蛇ならわたしは蝦蟇だ、っていう。邪魔臭い存在よ妹は。でもにくんだことはない、あの子の天衣無縫にどこかあこがれてさえいる自分がいる……なにかできそう。またサインペンを手にとった、少しふるえてる……デブがそろえた前足に顔をふせた、ねるんだ。わたしはメモ用紙を手元に……歌になるときは一気呵成にほんりゅうする、はず……ああ、うすれる、力がうすれていく、ほうき星が夜空にきえるよう。自己疑惑がおそう、自信喪失の高波がげきはつして内面では大恐慌、混乱をコントロールできない。でもわたしにはみえている、わたしは背をまるめて炬燵にしがみついた状態で冷静にタイミングをはかっている、身うごきすれば世界がほうかいするかのように緊張して、まるで鳥影におびえてこうちょくしたフンコロガシ。悪寒であぶら汗をかきながらしゅうちゅうする、足の幅もない尾根をふみはずすまいと。ふと、頭上が真っ青な空とあけた、奥深い樹林にわきでた池が底なしの高みをうつして、あああの高みにとびこめば……いろいろ様々なイメージがおしよせる、わたしの場合は豊満な女ややさ男や日本にすむ生物が歌の周りにあらわれ草木花の周りをとびかうようになるとその歌境でかんせいすることが多かった。ほぼその境地にちかづいて一呼吸つこうとしたそのほんのわずかな瞬間、突然強く圧力のある重い音がしてつきあげられた。なにがおこったのかなにがなんだかわからない、そこまでつづいていたはずの時間がたちきられ異様な状況になげだされた。一瞬、前後不覚におちいっていた。激しい横揺れがおそった。家屋がひきさかれたかとおもう凄まじい軋みがぶりかえして居間自体が粉々になったかと心拍があがった。デブはつきあげる鈍い音がしたときには驚異的な敏捷さをはっきして炬燵からとびおりていた。横揺れには畳に爪をたててこらえた様子。めったにない大きな地震だった。地震はわたしたちをおどろかせはしたけどそれ以上の悪影響はのこさなかった。むしろ地震におどろいたことで覚醒すると、かえって歌境へたんさくする意識がこうようして周辺のことには無頓着になった。余震が間歇的におっそったけど、わたしやデブもそしてろうそくまでもがそれほどあわてふためくことなく、それがごくあたり前の環境であるかのようなふだんの感情にもどっていた。ろうそくは炎がゆれただけでたっていた。地震の規模のわりに平静でいたのは、というか鈍感によそ事とおもってさえいたのは、ろうそくが身辺だけをてらして家屋の惨状が具体的に視野にはいっていなかったところも大きな原因だった。さらにつけくわえれば、一首がじょうじゅするかどうかの瀬戸際でわたしの存在をけいせいしほうようしていた現実的なるもののすべてがこの世界からだつらくしていたからでもあった。家をとりまく環境や身辺の事物に対しての感覚がはくりして現実感がなくなっていた。これはわたしには珍しい生理現象ではなかった。町の本屋でたちよみしていると、急行電車が轟音をたててすぐ脇をつうかしただけのシュールな感覚にすぎないのとるいじする感覚で、こうした異常とされる状況はわたしにはかえって創作欲をたきつける景色で、わたしの感覚はたとえそのままひきころされてもまだいきているとおもって歌をよもうとするはず。それは死期を体内にかいつづけているデブもおなじらしく、最初の揺れを経験した後では悪しき予感を平然と巨体にとりこんでふだんのふてぶてしさがもどっていた。その上もうわたしが手出しをしないとよみぬき弁当によりつくと、わたしの食べかけだった穴子を畳にひきずりおろそうと夢中になっている。猫のダックスフントはみていてじれったいほど不器用だった。
地震の揺れにもたおれなかったろうそくが大きくぼうちょうしていた、炎だけではなく丈も太さも。巨大化したのは居間もおなじで、諸々の影があぶりだされた空間は石器時代の洞窟のように炎の色に謎めいた。炎は炎にすぎないけどこの絵ろうそくはあんたが呪いをえがいた入魂の代物だけに、ふつー、ではなかった。わたしの心の綾によりそうところがあって優しくみまもる明るさにてらされればほんのり気分もやわらぎ、ふと目頭がゆるむ。でもそれはわたしの勝手な解釈で、この絵ろうそくの綺麗な白い肌にタトゥー代わりにかきこまれた危絵はわたしをなぐさめるためにのこされたはずじゃない、と百も承知さ。もう集中力がなくなっている、だって、こういう愚痴がでてサインペンをにぎった手が無意識にいたずらがきをしているのだから。今夜もつくれないのか、と疑心暗鬼になった瞬間ペンがとんだ。数年前の夏あたりからこうなった。自分には無関係とおもっていたというか念頭にありえなかったスランプ。わたしの場合は敷居につまずいておこった。あのときはほぼ下句までととのってあとはかくだけで常とかわらない状態だった。けど、つい手洗い所にいきたくなったからその歌をかきとどめずに、油断といえば油断だったかもしれないけど、そのまま席をたって、そうどうしたわけか夕飯のことをかんがえていたりして気がちっていたのか、敷居につまづいてしまって、痛い、コンチクショウなどと悪態をつきながらそのままご不浄にいきもどってさぁかこうとみがまえたら、でてこないのよなーんにも。あるのよ、感触はね、こんな歌だったという感触があるんだけども水茎がでてこなかった。それが一日中どころかなん日も……しぶとくおもいだそうとしたけど甲斐のない結果となった。当初は軽い気持ちでいたものの、半月すぎたあたりからこれは一大事だと異常事態に青ざめた。こんわくなんてレベルではなくあせって周囲がまったくみえなくなっていた。月例会は昔は反故にしていたものをノートからひろいあつめ、パッチワークしてしのいでいた。よばれた歌会への出席や雑誌社からの依頼は徐々にへり、竹林の落葉にうもれてわすれられてしまうでしょうと、その冗談ともやっかみともとれる軽口が笑いぐさでおさまらず、とうとう事実となりはじめて、浅茅が宿をたずねてくる関係者はいなくなった。年賀状だけは意地でけいぞくしているものの年賀につける歌は遠い大昔のものでごまかしている有様さ。きぞうされる歌集の返礼もだんだん面倒となり今では一切なし、それでもおくってくる歌人はわたしをぐろうしおとしめるのが快楽となったクソ歌人だけだとだんていしている。忘却の闇にしずんでいった先人の境遇がしのばれる。創作力がなくなったとしられれば誹謗中傷が濃厚な色彩をほどこされてまことしやかにとびかうのがあたりまえの世界。一時は華やぎの光にかがやいた実力者が鬱症にくるしんだ挙句とうとう歌壇の名簿からもきえていった、今度はわれかとおびえる。なんとかとりつくろってきたもののこれはスランプなんてものじゃないと深刻になった。かれたのであるつきたのであるそうじかくせざるをえない現実が今という時間でありわたしなのだ……神仏をしんじちゃいないけど、もし万が一ふっきできるなら、と歌の神様天神様となにかと人目をしのんでさんぱいした日々もあった……
おしっこ、と誰につたえるのではなく口癖でつぶやきながらたちかけてふらついた。居間や客間用の六畳にはもともと家具調度類をおかなかったから勝手場にいくまで地震の惨状が目にはいらず、地震のことはもう頭の片隅にさえのこってはいない状態だったけど、勝手場にきたら調度品や食器タンスなどが今は紗弥香の物置となったテーブルにたおれていて、もともとテーブルにあったものはふっとばされ、茶碗や皿の破片がちらかって足の踏み場もない有様だった。なんだいこれは、と溜息がもれた。以前テレビでみたことがある北極の氷原の氷みたいにとんがった氷の角がかさなったようなガラスや障害物をまたぎながらなんとか便所の前にたどりついた。むかいの洗面台から歯磨用品やコップや毛染め用の洗面器など用品がさんらんしていたけど、ドアの前はふさがれてなく、よっぱらってはいたけれどこういうことは脳みそのどこかがちゃんとしてドアの把手をにぎらせてくれた。でも、ひいてもひらかない。それでけっとばした、だいたいけっとばすと不利な状態からぬけだせたのでわたしはこの手をしょっちゅうつかってほとんどせいこうしていたけど、鴨居がゆがんだのかびくともしなかった。それで、面倒なので風呂場で用をたしゃいいとアイディアがひらめいたから風呂場をあけようとしたらここもあかない。と、また強い横揺れがおきた。仕方がなくていっそこのままここでやっちゃおうとおもった。明日になれば紗弥香があとしまつするから。洗面器におしっこをしながら、冷蔵庫もあかなかったらどうしよう、とあんじていた。冷蔵庫にはまだ一升瓶があるはずだしくいはぐった弁当の代わりに腹の足しになりそうなつまみものこっているはず。
酒によってはいたけどこの地震は尋常ではなく、大惨事のこんらんした光景が呆けた意識をふきとばした。こんな夜は千載一遇の好機でもあるけど、なーんにも、それらしい気配の胎動さえなかった。——振袖の袖の錨を巻き上げて恋しき人の閨へ奔らむ。これは江戸文化記念会館開設記念短歌大会の「震災」が歌題となったときににゅうしょうした過去の歌。ほとんどの応募作品はリアリズムですから災害をびょうしゃしたりして美しさのひとかけらもないものでしたよ。昔の歌は全部きおくしている。ぷくぅ、と奇妙な音がしてけったいな感触が足裏からながれでた。デブをふみつけていた。デブは一枚の皮敷きをのこし記憶の果てまで旅にでたようだ。ふらふらする、どうも頭がぼううっとして変に重ったるい、足腰のバランスがくずれてる。憎たらしいやつだったのか可愛いやつだったのか、あっちへころべば王子様、こっちへころべば大魔王。ガツ、と炬燵板に膝をぶつけた。ちくしょー、お前は魔王だ、人間じゃない、この畜生め。さすがあんたがのこしていった見張り番だ。悪意だけでいきていたんだからね、まあ、そういう根性がわたしはすきだがね、けっしてきらいじゃない。地震をナイと昔のひとはよんだ。では、わたしは踊りましょう、ナイナイ音頭。ハァナイナイ、ハァナイナイ。酒の酔い熱か憤怒の火熱か絶望の劫火なのか。ぐび、と一升瓶からくちのみすると大吟醸の香りが舌にひえびえとたつ。酒は冷でも想いは烈火、そんな時代がありました、悲しい時代に雪がふりました。乾いた涙がおちそう、それで顔をしごいた。ああ、またやった、この癖は父とそっくり。どんどん父の酒癖にちかくなってる。サカズキニウツルチチミシ、ああ、「映る」ではなく「浮かぶ」ね。盃に浮かぶ父見しこ……??? なに、これ。わたしなにやってるの。あわててペンをとり用紙をさがす。用紙は酒瓶の下敷きとなっていた、いつこんなところにおいたか記憶にあろう筈がない。運の悪いことに、ろうそくが瓶の周りをあたためて紙が結露でびしょびしょ。あせってつい力まかせに紙をひっぱった。紙がやぶけた。それでも紙の隅に余白があり、息つぐのもおしんでペンをよせたそのとき、ぽたぽた、と紙の上に血が。鼻血、ぬれた紙に血の牡丹がにじんだ。ああ、なにやってる、大声でさけんだ。さっきの大地震が無意識を刺激してとうとうまちのぞんでいた歌をあぶくのような熱風と一緒にふんしゅつしかかったのだ、五臓六腑の長い沈黙が激しくゆさぶられ、歌が形となって言葉の世界にあらわれる寸前だった、いな、もうちゃんとわたしの舌の上で歌とよまれていたではないか、しかも添削までほどこして。ところが間の悪いことに普段の不摂生がここにきてたたりやがった、血圧が鼻の毛細管から破裂しやがったのだ、かきとどめることも記憶することもできずに歌は……どうにもならない……鼻血は、ぽた、ぽた、ぽた、と京紫の襦袢にもしたたった。目にみえる恐ろしさなど心のやんだ無明にくらべればなにほどのこともない、といいますね、本当に怖いのは記憶にもないあの日が現実であった、という事実。その日のすべてが今のすべてをないほうしていたっていうことを今しるしかないということです。意識のない現実がある。水でもなく気体でもなくでも嵩をもつものがひとつの流れ、運動としてわきおこっている状況にもかかわらずわたしは自覚のないままそこにいた、という時間こそが恐ろしいのです。その現実こそ瞬時にして全過去であるからです。全過去であるということはわたしの存在のすべてであり、そしてわたしはそこにいる意識をもたない者なのです、たとえその日、寂しい林道で幼女がおかされていたとしても。
わたしはあさましくいきている。老醜の糞まみれとなった生活のなかでつぎつぎとそだててきた化物がからだにすんでいる。わたしのからだは化物たちの棲家だ。もうたどりつくことのない遠い記憶の最果てにかろうじて風にちぎれかかった記憶がある。おろした児はきっと天神様のように牛の頭をした怪物だったでしょう、天神様の児でしたから当然ですが。医者がみせたくなかったのも人情からでしたでしょう、もしかしたら本人もさっさとしょぶんしてしまいたかったのかもしれない、あの医者のはらわただったかもしれないのだから。馬鹿で凡庸な医者でしたから、それがわたしにとってどんなに喜びであったものかもりかいしようとはせずにすててしまったのです。おれのところへくる女は犬畜生以下だ、とたぶんさげすんで。わたしは世間をあざむくためにうわべを世間とおなじようにつくろってくらせる女じゃない。不毛の里で黄金の花をさかせる毒婦なんだから。家庭の妻たちが日々是好日の仮面にひめてきた毒の花を絢爛豪華にさかせてしまう女歌人。わたしがね、この道にはいったきっかけは高校二年生のときに教師に手篭めにされたからです。クラブ活動で——シーソーの空の高みに妹を捨て置き去れば悲鳴聞こえる、とよんだ歌をはっぴょうしたことから顧問の教師の特別指導がはじまった。下心があったのでしょう、家にこないかってさそわれたまことしやかな教師の面で。奥さんが妊娠してるときで実家にかえっていたときだった。紅茶とケーキをすすめられた。教師とはいえ大人の男の家で年頃の性がうずいていたかもしれなかった、もやもやとした緊張のなかでわたしはその毒入り紅茶に手をだしてしまった。気がついたらやられていたってわけさ。こういうものはやみつくもので、それからは奥さんの留守をりようしてなんども寝た、指導と交換に。いろいろと歌の作り方をおしえてくれたんだけどわたしのほうがセックスにのぼせてしまったんでしょう、よく若い子にありがちな性の目覚めでね。それから短歌と男あさりがくっついてしまった。まだ十六の少女時代だったんだ、初恋の前に男をしってしまったわけさ。その教師はこういったな、おまえのからだは白痴のような無限の優しさだ、とか。
悲しくなって顔をゴシゴシしごいた。老化すればからだの水分がすくなくなるという、涙をながしてるのに涙がながれない、目のふちがかわいて掌でこすれば塩気でヒリヒリする。まぶたが赤むくれになってしみるからだ。鼻血がとまらない。さっき情けなくなってごうをにやしてなげたサインペンをさがした。そのあいだ鼻血を手の甲でふいたから顔を血でぬりたくった格好となった。四つん這いでさがしていると、ろうそくの灯がぼーっと太くかがやいた。炎がはためく。炎の芯が黒くなっていた。芯をぬけだした影がハイハイしてるわたしの目の前の黄ばんだ畳にうごめく。影は巨大な頭をしていた。ろうそくにとじこめられていた天神がとうとうこの世に本性をあらわしたのだろう、やはり牛頭であり巨大な馬の下半身をぼっきさせかちほこってたちあがった、わたしをかしずかせようとするかのように。
寒い、それも当然だった、ガラス戸がはずれて雪のつもった庭にたおれていた。ぽつりぽつりとある帚木や柘植にも雪がこんもりとつもっていた。天神はわたしとにらみあっていたけど、わたしの強情がこのごにおよんでもくずれないとみはなしたか、悠然とした動きでむきをかえ白雪の薄明かりへふみでた。ろうそくが一本足でピョンピョンとはずみながら天神の後をおって庭へでていった。わたしは庭におり雪をすくって顔を雪であらった。そしてよごれた雪のまじった雪玉をつくり雪の庭からきえかける天神になげつけた。