ボツ未来体験
スッキリとした目覚めの良い朝が訪れた。どうも今住んでいるマンションの薄汚れた灰色のそれではなく、見慣れぬ白くて綺麗な天井を眺めているらしいということに気がついた。頭を持ち上げて周囲を見渡すと、そこは大きな病院の一室で、透けるような白いカーテンの隙間から清々しいそよ風と共に朝の光が差していた。
「お早う御座います。気分は如何ですか?」
経験豊富そうにみえる看護婦は私が起きたことに気付き、すかさず話しかけた。
「気分は良いのですが、えっと……ここは病院ですか? 私は何があって入院してるのか分からないのですが……教えてもらっても?」
私の声がひどく掠れていたことに驚いたが、自分の現状が把握しきれていないことの方が何よりも重要であった。
「あらあら。はい、簡単に言いますとね、貴方は通勤中に突然川に落ちたらしいのですよ。でも大丈夫です。貴方はちゃんと起きましたからね。詳しい話はあとで分かるでしょうから、まずは食事よ。貴方、食べられそうですか?」
てきぱきと明るい口調で看護婦が言うので、私はあまり深く考えずに、
「ええ、まあ」
とだけ応じた。空腹を感じているわけではないが、何か出てくれば食べられそうな気分ではある。それを聞くと、看護婦は「先生にも伝えなきゃ」と呟きながら部屋を後にした。
一人で考える時間を与えられた私だったが、さっき看護婦に聞いた川に落ちたと言う話に覚えがないとこ以外何も分からない。通勤中に川のそばを通らないという点で奇妙であったし、どこかの骨が折れている訳でもなさそうだった。私が最後に記憶しているのは、明日からまた仕事に行かなければならないのがたまらなく憂鬱だと思いながら、日付が変わる少し前に床に就いたということだけだ。
いや、それから寒かった。そんな記憶が朧げながらある。でもそれは現実での記憶というよりは、眠りの浅い瞬間の、曖昧で脈絡のない夢のようだった。川に落ちた経験そのものというより、それを病室のベッドの上で一瞬だけ夢に見たという方が正しいだろう。
ふと、いつ退院できるだろうか? そんな当たり前のことを考えた。
いつ、退院できるんだろうか? 明日だろうか? 明後日、一週間? 一ヶ月?――すると突然、その場で金縛りにかかったような不思議な感覚に囚われた。世界が止まったように感じた。そして、止まった世界が映像を早回しにするようにどたばたと動き出した。
7分後、別の若い看護婦が持ってきた食事を食べた。その日のうちに医者から説明を受けた。10日後に退院した。次の月曜日から再び会社に復帰したが、体を壊すことが増えて2年もしないうちに辞めた。1年半後に同業のベンチャー企業に就職した。それから5年経った頃に付き合っていた彼女と結婚した。4年後に音信不通だった父親が病気で死んだという知らせを受けた。その年の10月に男の子が生まれた。14年後のひどい災害と世界的な不況が原因で、勤めていたベンチャー企業が倒産した。1年勤め先を探している間に、妻が息子を連れて家を出た。離婚まですぐだった。3年後の冬の朝、店員として働いているコンビニに向かう途中に気を失った。すぐにあの大きな病院に搬送された。白いカーテンで締め切ったあの病室の一角に入れられた。体が動かないので、わざとらしいほど白いあの天井を睨んでいるうちに眠ったら、そのまま起きなかった。
金縛りのような感覚が消え、世界が元どおりに回り始めたかのように感じた。私はその不可解さに混乱して、身体から冷や汗がジワジワと流れ出した。混乱こそしていたが、その経験が現実のものでないのが分かっていたので直ぐに落ち着き、汗も引いた。未だ私は20代の若者のままで、朝起きたら入院していて、看護婦の持ってくる食事を待っている患者のうちの一人に違いなかった。しかし、私は今から死ぬまでの一生を、不可思議な”未来体験”を、一瞬のうちに経験した。
未来予知なんてレベルの話ではないし、夢のように曖昧で脈絡のないものでもない。私は確かにこれからの一生を完全に経験し、今に戻ってきた。どうしてそんなことが起こったのか分からなかった。今までこんな経験などしたこともなかったから、こういう超常現象の類は一切信じていなかった。それなのに、証拠の一つもないこの体験を未来体験であると信じずにはいられなかった。体験したという記憶こそが証拠だと信じ切って疑わなかった。
「誰かに話すべきか」
興奮して声に出ていることにも気が付いていなかった。
「誰かに話そうものなら、変な奴としか思われないだろう」
独り言にしてはやけに大きい声だったが、隣の患者のテレビの音でかき消された。
結局どうしようか考えあぐねているうちに、若い看護婦が朝食を持って病室に入ってきたところでその興奮は収まった。その顔は先ほどの未来体験で見たものと全く同じであるはずだが、私にしてみればおよそ30年も前のことのようだったので、そうであるという確証が得られなかった。(断っておくと、記憶の上では30年の時間を体験しているが、今までの現実の記憶については昨日のように覚えている。)
その若い看護婦は私の机の上に朝食を置くと、軽い説明をした上で病室を後にした。あまりおいしくはないありきたりな病院食を平らげた後、昼過ぎまで医者は来ないということなので、記憶と同じように病院内を散策した。細かいことまで覚えているわけではなかったが、病院の間取りはなんとなく把握できていたし、ありとあらゆることに既視感があった。ふと、あの記憶と違うことをしてみようかという気にもなったが、起きたばかりで本調子ではなかった(丸一週間も眠っていたらしい!)ので大人しく病室に戻った。
病室に戻った後、医者からいくつか説明を受けた。一週間前の月曜日朝8時頃、私が川の端で倒れているのを登校中の小学生が発見したこと。その小学生が大人に知らせて救急車を呼んだので、この病院まで搬送されたこと。検査しても体そのものには異常がなかったこと。私の親族に連絡が取れなかったのでちょうど携帯に連絡を入れてきたという会社の仲の良い同僚に世話になったということ。今日無事に覚醒したが、検査したいとのことなので暫く様子をみたいということ。一通りの説明をされたが、あの奇妙な体験については何か言うべきか迷ったが、結局話すことはなかった。
私は医者からの説明が終わるまではあの未来体験を必死に考えまいとしていたが、ついに耐えられなくなった。
太陽が朝に東から昇ったら夕方には西に沈むように抗いようもなく、ダム穴のあの深淵を覗いた時のように恐ろしい、最後のあの眠りに落ちる瞬間を、何度も何度も何度も、その未来を体験した。
ひどく寒い。あの昏睡時の寒い夢と同じ気がした。
未来を想像する度に、あの金縛りのようで世界の止まったような感覚を繰り返し感じていた。私が未来を想像しようとすると、その未来が終わるその最期までを全て体験するということに気がついた。時計の長針は90度も回っていないのに、何度もそれ以上の時間を過ごしていた。そしてそのそれぞれの人生がどれも全然違うことに気がついたし、それに気がついた時にもまた新しい未来体験をしていた。
1回目の体験とは違い、2回目は今の会社を辞めない上、事故で死んでしまった。3回目は今の会社を辞めた後、死ぬまで働かなかった。4回目も5回目も、1回目とほとんど変わらない人生を送ろうとしたが、4回目は同じ女性と結婚できず、80歳まで生きて、5回目は30歳になる前に病気で死んだ。どの時も何故か、死ぬときはこの病院の、この病室の、この天井を眺めていた。
こうやって未来の体験を数えることは不毛なことであった。なぜなら未来を体験している中でも未来を何度も体験しているからであった(その未来の中でも未来体験を、そしてその未来でも……)。この数回の体験で既に、無限に等しい未来とその死を体験していた。頭がおかしくなっていそうではあるが、自分の現実は途切れることがないためかうまく受け入れられていた。だが、何度体験しても死ぬことが怖いということに代わりなかったし、未来を体験と言っても、「その時の私なら」という条件付きで、同じ行動を起こそうとしても、未来を体験したという記憶によってズレが生じていった。
私は10日後に退院した。その間にも何度も未来を体験していたが、結局誰にも何も言わなかった。最初と違って何度も経験しているので、次に何が起こるのか、誰が何を言うのか、どう返事すればどう答えるのか大体分かるようになっているのがひどく面白かった。退院した次の日に会社に辞表届を出した。この未来体験さえあれば何でもできるのだから会社に勤める意味がないという結論に至った。宝くじのようなものは当てにくいので、競馬で資金を稼ぎ、投資を中心に金を増やした。ちょっとした行動の変化で世界の流れが少し変わることもあったが、直近の未来ならば思いのままになった。世界でただ一人だけ、この世界の管理者権限を付与されたんだというような優越感に浸った。
大富豪とまでは言わないが、一生暮らすのに困らないほどの金があっという間に手に入ったが、ある程度の資産ができてからは金を増やすのをやめた。周囲からの注目されることが苦手だったので、あまり目立つような行動がしたくなかったからだ。
未来体験の中では何度も結婚していたが、現実では結婚はしなかった。特に理由はなかったが、親しい人が死ぬ瞬間は、現実と未来体験の中では全然違うものである気がした。
未来での自分の死は大きく3パターンであった。老衰死と、病死と、事故死だ。自殺は一度もしなかった。誰よりも死ぬことの恐怖を知っていたからだ。あの暗さと寒さを自ら進んで味わうのは御免だった。
やがて現実でも十分な人生を過ごした。70歳の小太りで白髪の多い爺さんになった。孤独かもしれないが、私は誰よりも幸せな奴だった。
最後はあの病院の、あの病室の、あの白い天井だった。窓辺からの景色はもう何遍も見ているが、それでも美しいなと思った。そして冬の暮れに人知れず、老人の人生は終焉を迎えた。寒いのも一度くらいなら悪くないかと思った。
そして再び目が覚めた。あの白い天井が見えたが、季節は寒い冬ではなかった。まぎれもなく、春のそよ風とともに朝の光が差していた。何が起きているのか暫く理解できなかった。あれはまぎれもない現実だったはずだ。だが今の私にとって、あれは未来の体験のうちの一つであった。そして、いまはこれが現実なのだと気がつくと、死ぬよりも恐ろしいその事実が頭をよぎった。そして既視感のあるあの明るい調子の声が聞こえた。
「お早う御座います。気分は如何ですか?」