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歴史とDNA

山東省のコーカソイド続

作者: とびうお君

 正直言うと書きたくない。でも見てしまった以上書いてしまう。面倒なのでつい翻訳使って英文読んでしまった。さすが学者が使う英語綺麗に翻訳された意味が分かった。ああいった文章の場合日本語になってもわけわからんのが辛い。基礎的な知識があったので辛うじて分かった。山東省のコーカソイドハプロについて、間違ってるわけじゃないが、疑わしいって論文が出された。


 これにはハプロの知識が必要になる。あくまで疑わしいであって完全に否定するような内容じゃない。もっと言えば、古代人のハプロってやべーなって思った。ある程度の数の研究との関連性を見たほうが良い。一箇所から見つかった情報なので中国文明=コーカソイドなんて全く思ってない。だが一部集団が居たはまだ考えを変えてない。それは現代のY染色体からの連想なので問題が無い。


 それに金属加工について明らかに西方集団による伝播だと思われるため、支配者じゃなくて、技術集団として中枢に入り込んだ可能性がある。昆吾氏はどうかな?と見てる。これ夏王朝の親戚らしくて、何者か分からないから白人はあまりに酷い。この夏王朝の親族ってのがどうなのか?と思ったのでスルーしてたけど、古代中国は大体王家の兄弟が地方を治めるってのが多い。太公望がこれとは違うケースで、韓信などは血族じゃなくて粛清された典型例だと思う。


 劉邦は誰でも彼でも粛清はしてない。ただ手柄としてもらった領地を難癖つけて奪われるのじゃそりゃ反抗的な姿勢にもなる。それを受け入れろと言うしょうかがちと出来すぎと言うか。理不尽なのは間違いない。それでも劉邦は試してるのは確か。だから何人かはちゃんと生き残ってる。


 周の場合は根本的に違うかもしれない。夏からおそらく他民族の合議制って感じの王朝なので、その延長の部分がある。実際太公望は部下と言うよりは家康信長の関係に近いし。そんでも親族を有力者として広げていくってのは当たり前なので、疑う部分があまり無い。後付で、あれもこれも親戚ってのが古事記を見るととても疑わしいので疑ってしまった。


 昆吾氏は無いかな…。良くあるケースが、昆吾氏の下に外国人技術集団が居たならありうる。南方で金属加工が発達したと言うのがどうにも不可解で、そういった技術集団を移住させたのを昆吾氏の末裔だと楚は騙ったのではないか?と見てる。昆吾氏が支配した地域がちょうどRが高い場所なのでついそうじゃないか?と考えてしまう。青銅器も鉄も中国は突然高度な技術が生まれている。


 これは外から持ってこられたと見て間違いないし、詳細なルートとそれを担った民族は不明だが、状況証拠は揃っている。技術移転のようなものじゃないのは、高度な技術が初期からあるというのは情報じゃなくて技術=職人が移動したと見て良いから。日本の鉄砲の独自生産はそれだけすごいと思うし、あの場合きちんとモデルになる鉄砲の由来が謎なんて一切無くて分かり易い。


 コーカソイド集団の流入は山東省の1つのハプロデータから決定したわけじゃない。ただかなり大きな軸を締めていたのは確か。それでも私は中国文明=コーカソイド文明と言う浅はかな考え方は嫌いなのでこれは良いとも言える部分がある。一部の集団が入ってきた=支配者とかの発想は単純すぎる。


 それに関しては日本に騎馬民族集団がおそらく入ってきただろうが、それを天皇とイコールにするのは間違っている。トルコの話ばかりしていたので、ついトルコ語の話を軽く読んだけど、トルコ語と日本語が似てるって話しをしてるトルコの人はちょくちょくいる。印欧語と中国語が似てると言うのはあまり正確じゃない。


 印欧語は緻密な言語比較論があってこれをモデルにアジアで適用しようとしたらどうもしっくり来ないってなってるのが今になる。アジアの言語学の常識はあまり信用できないが、印欧語の言語学の常識は信用できる。私は中国と英語が似てると言うのは一部はあって当然だと思ってる。それ以外の部分でSVOは、公用語的人工言語というのが私も納得する部分。古い印欧語はSOVであるとの話があるため。


 メソポタミアと言う商業的な異文化と早くから触れていた印欧語の人たちは言語と変えた可能性がある。中国語の成立もこれに似てるのでは?と言うのが、方言の似てもにつかない滅茶苦茶さになる。特に音の滅茶苦茶さは確かに全然別物だと思う。そういった言語の公用語はSVOになりやすいのではないか?との学説を見てなるほどと思って私もそうじゃないか?と同意してる。


 言い訳はこれぐらいにして、あくまで疑惑だけど、決定的問題がどこにあるか?でハプロ自体にあるわけじゃない。古代人のハプロにある。古代人のDNAは多くの場合断片的に壊れている。おいおいそんなもの意味が無いじゃないか?んまーここから、大量のコンタミ(主に細菌のDNA)を排除して並べなおすパズルらしい…。


 前からこれは知ってた。上手くやってくれたとして処理していた。おそらくその部分の雑さがあったのでは?って指摘が中国人研究者によってなされて、それに対して中国人研究者が自分の正しいと思う方法で並べなおしたら、なるほどと思うmtDNAハプロになった。詳しい部分は正直分からない。だが、重要な部分の変異が抜け落ちてるとの指摘だった。


 ジクソーパズルのようなものじゃない。もっとややこしいパズル。ただ再構成するわけじゃない。断片化されたものを使えるようにするのだが、その時この研究者によって重要な部分が抜けているとの指摘だった。それが何故きちんとまたDNAとして使えるようになったのか?がかなり難しい。


 すべてを使うわけじゃなくて、ある部位の変異を見る。これはDNAの基本とも関係する。所謂ジャンクDNAの変異を見てるんだと思う。ただし有用な変異が無いわけじゃない。例えばFが有名だがアスリートと関係した運動得意DNAだと言われる。ただジャンクほど変異しやすいので、大体変異領域として使う部分は決まってくる。


 その1つを無視しただけでそんなに変わるのか?が突っ込めない。だがそこが違うらしい。結論早くと言いたいが遅らさせてるのは、この反論も不十分だという点が重要って点。真実はまた別にあるのかもしれない。


 ただ結果が中々面白い。よりによってBとFだらけの集団になった。ちょうど私が以前扱ったものになる。BとFはR系統でどちからと言えばコーカソイドに多いハプロ。白人の祖先って意味で、インド起源と言うのがある。Y染色体で言うと、中東北欧のIやJの分岐は早いのだが、Rはインドから東南アジアにいたる途中で分岐したことになる。


 なら、アジア人じゃないのか?となる。これが中々ね。この時持っていったHVってハプロが問題なのかなと。元々青い目はI系からもたらされたもので、金髪はバルト3国でRとIが混血した後で生み出されたものになる。Iが由来ではない。北欧に多いのは、この集団が後から移動したためと言われている。バルト3国が中心点だと分かるし、そこからじわっと北欧に広がってるのが分かる。


 アジアに居た頃のY染色体RとmtDNA、HVと言う集団はコーカソイドだったのか?ならモンゴロイドではないが、コーカソイドとはっきり分かるような集団じゃなく、かつ多分あの緯度なら色も白くなかった。色の白さは1000年もあれば変わるのであまり大事じゃない。ただ緯度がある程度高くないと別に白くならない東南アジア人を見れば分かる。


 インデアンがなんとなく白人に近いのは当然で、原型は多分あるが、それでも私達が知る白人は正確にはクルガン仮説の時代までまたないと誕生しない。つねに西方からの影響と書いてるのはそれがある。古すぎる時代にコーカソイドは居ない。コーカソイドの1要素になった集団なら区別できるけどって話。


 BとかFは欧州集団におそらく近い。多分これが失敗した原因かな?と見てる。ただFでも下位グループが特異らしくて、それをヨーロッパ集団と言えなくも無いというようなアジアから外れる話としては書いてる。


 ただ何故後世変わってしまったのか?でこれについては、歴史的に斉という国の成り立ちから移住が事実で回りと違うから周りの集団に近くなってしまっただけらしい。これによって斉の太公望がチベットビルマ系民族だったというのが大体分かる。多分アジアから外れるというのは、インドよりの東南アジア系。


 斉の移住の歴史が事実だと遺伝的に確認された調査に変わってしまった。


 ただこの事によって、何故BやFが北方に広がったのか?でかなり有益な情報を得たかもしれない。コーカソイド集団じゃなくて、インド起源の何か?によってインド北西部から雲南四川を通って北方に向かった集団がある可能性について。初期は非アジア集団だったかもしれないが、東南アジア集団との接触によって母系が変わってしまった可能性がある。


 南方から北方へと言う逆転の歴史になる。新石器時代に急にBとFがバイカル湖から出始める。南方起源集団が北方集団と混血して農耕を始めて拡散したとしたら?この担い手はNであるが、mtDNAが何か?は私は知らない。関わってであろうDは発見されないが、Oは発見されている。


 インドで居た集団がDだったのか?は謎だ。これはコーカソイド集団より面白いかもしれない。アワキビインド南方ルート起源説を支える元になる。西方に偏ってBとFがあったとなるとそういう答えに成る。元々今でも東南アジアに多い系統なので今でも普通に見つかる。


 キビやアワを欧州に運んだのはH=ドラヴィダ人じゃないか?と言う話がある。それと言うのも謎のHの集団が欧州の島に残っている。アジアでは東南アジアを通ることでY染色体Hが消えてしまったのかもしれないが、欧州では残ったと言う事じゃないかと。アナトリアのGも島に多くて、HとGは違う農作物を扱った集団なのじゃないか?とか考えてみる。その後インドで中国に遅れる形で発達しなかった理由は分からない。


 Bは見当たらないが、Fならインド全体では微々たる物だが、ヒマラヤルートに当たる部分に確かに居る。東南アジアから進出したのか?または東南アジアのものがこっちが起源か?分からない。チベット人が確かインド側に進出していて国境沿いになると聞いてて、カシミール問題の時に民族の話しで見た。


 ただチベットはFは高くない。逆に何かと混ざったような感じがある。チベットはD1A以外は大半O2系で、O1系は皆無。元から持っていたのか謎。ギリギリアワキビの期限となるステップ地方と重なるけど、うーんチベットからなのか?あまりに唐突にFが出る。確かに大半のものはインドで生まれたところがある。Y染色体もmtDNAも。


 だがなら何故中国との国境付近だけに集中するのか?って疑問がある。チベットから進出したFの気がしてならない。民族ごとのハプロが調べられれば良いのだが難しい。要するに後からになる。基本的にはMなのでアジアに来た時は別に目立つ系統じゃない。ただ徐々にM系統が増えていくだけで、初期R系党だったためミスしたのかもしれないとの反論が為されている。


 まあこの研究者はミスだと言い切ってるが東大からの反論は無い。グーグルの翻訳に任せてしまったので私もちょっと自信が無い。ただ同じR系統で間違えたのなら分かるから。どこかでBFの集団は父系をDやO1からO2やNの北方系に変えてしまったんじゃないか?と見てる。


 アジア北方に新石器時代からBFの北上があり結構不自然。だが父系で南方系はせいぜいO1B2ぐらい。C2、O2、Nへの父系の交換がされたとしか思えない。以前私がアジアは中国集団と東南アジア集団に古く分かれたと書いた。それはシベリア集団じゃないと。BFはおそらく東南アジア集団。新石器時代に唐突にこの南のハプロが出始める。


 通常言われるのは北方民族の南下、氷河期前にはC2集団の北上でBは北に向かっている。だがFはアメリカ大陸に無かったはず。元々アメリカ先住民の研究から出てきたのがmtDNAはプログループになる。だからアメリカ先住民はABCDが基本になってる。Xは一部の民族だけに含まれるため後から加わったと見てる。Fは無い。


 Fは結構早い時期に北上している。しかもかなりの量になる。小さな集団の人骨でこうも綺麗に出るというのは、多分Fの氷河期後の北上がある。しかもスキタイにもこの遺伝子が残っていると言うのは、たまたまってデータとして出たと言うわけじゃない。


 ひょうたんから駒と言うわけじゃないが、以前気になっていたFの北上にもしかしたら意味があるのかもしれない。過去に南方のハプロが出る可能性はある。C1Aの移動になる。過去にちらほらシベリアや欧州でも見つかっている。その相方はさすがに欧州までいくとUだろうが、アジアならまだ日本で相方じゃないか?と思われてる沖縄に多いM系かもしれない。この集団はFじゃない。


 何故後世変化したのか?で、それが山東省には偏ってBやFが多いわけじゃないからになる。Hが消えたと思い込んでるけど、実はFやBの割合が下がってしまったが、私の推測になるが、この反論を書いた研究者の論文から分かる。それは昔から山東省はFやBが少なかったことを意味する。


 そして太公望のいたきょう族の集団に多かった可能性を示唆している。そしてその集団はチベット起源で回りに多いが、雲南四川にも多い。そこは東南アジアに近いため、Fの割合が高かった可能性が高い。Fが目立って高かったのと、インドよりのFの系統が見つかったため、今よりもっと純粋にって意味も入る。山東省から当時の四川雲南辺りの情報がなんとなく把握で切る事になる。尤も太公望がいたキョウ族の集団はもっと中原より西方の集団だと思われるけど、キョウ族のルーツ的な意味になる。チベット族にはそれほどは高くない。


 チベットから出てきた中国集団としてのキョウ族は四川雲南あたりで、F集団と交わった可能性がある。D自体はMになる。アマンダン諸島の集団が純粋なMの集団で縄文人南方はM系が一応多いので。C1AとDはMだと思うが、サブグループは多分違う。それはちと分からない。


 キョウ族はたまたまFをもらっただけで、Fを持って北上した別の父系ハプロがいると見ている。元々O2が持っていたものかもしれないが分からない。O2からNが貰ってバイカル湖に北上したと考えられる。


 インドの集団は?については、これは残ってないかもしれない。元々インドと東南アジアで交流があった可能性もある。


 後の東南アジアアフリカ起源焼畑グループじゃないのか?なら。その可能性も否定しきれない。ただバイカル湖の集団はもっと早い気がしている。東南アジア焼畑農業ってかなり後になる。それゆえに稲の栽培化で長江がまっさきに上げられる。順序が逆だから。所謂照葉樹林雑穀農業の流れになる。これに最後に稲が加わる形になる。これの北上版がO1B2じゃないのか?って私が見てるのだけど。


 インディカの起源(そこまで古い話じゃない)とは関係が無い、なんでもインディカ米は後から陸稲畑作の場合インディカ米の方が収穫が多いので変えてしまったらしい。これは歴史時代で把握できている変化。


 最後に中国文明初期にコーカソイド集団が居たって説がこれで弱くなった。でも私は良いとおもってる。過去に隋唐の時代より前にも遊牧民から中国人として組み入れられた民族が多数居るから。そこで加わってる可能性はある。まだ確定的じゃないが、より正確に把握するって意味で山東省の集団は無視した方が良いと思う。実は現代にR系があまりに山東省少なくて、河南省の回りはそこそこ高いのに過去mtDNAが存在した場所にしては不思議だと思っていた。


 あれが偽者だったとするなら、なるほど山東省は特に高くないはずだ。安徽省とこうそ省にはRは少ないがQがやたらと多い。殷と末裔と言われる宋が安徽省に当たる。ただ、周もそうだったと思うのでこの2つだけ妙に高いのが気になるのと、後はこうそ省は宋とずれてる。越になる。越人はもうO1Aと分かっていて、O1AどころかO1B1もほとんど出ない日本人が越人の子孫と言うのは妙な話しだと思ってる。


 O1B2は山東省に北上した集団だと思うが、問題はいつまで居たのか?になる。んまーこれは山東省って事での話しになるkと。孔子について、孔子の先祖は宋の出身らしいので、山東省のハプロとはあんまり関係が無い。信憑性があるのは殷をしこたま貶してた孔子が実は宋の貴族の出だとかなり後で打ち明けたとあるので、本当かも知れないなと。これで


 山東省はO1B2が居たかもしれない?以外は特に面白いハプロが無いな…。


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