暗闇のアリス
「ねえ、どこか違う世界へ行きたくない?
私が連れて行ってあげるわ。さあ、私の手を握ってちょうだい。」
アリスは私の影から突然現れた。
「私はアリス。さあ、みんながあなたを待っている。」
白い肌を隠す高そうな漆黒のエプロンワンピース、エナメルの黒い靴には真っ赤なビロードのリボン。
可愛らしい少女は甘い微笑みで私の右手に手を伸ばし掴もうとした。
だけど私は怖くなってしまって思わずパシッとその小さな手をはじいてしまった。
だって急に自分の影から少女が現れて自分をどこかへ連れ去ろうとしているなんて不気味でしょう?
「あなたは望んでいるはずよ。だから私は、今ここにいるんですもの。」
ニタリと笑うアリスにどこか既見感を覚えた。
どこで、いつ。
「大丈夫、怖くないわ。そこよりも楽しくて安心できるわよ。」
アリスが私を指さしケタケタと笑いだす。
何かそんなにおかしいのかと自分の足元を見てみると崩れかけているアスファルト。
思わず右足をあげるとそこからポロポロと道が崩れ落ちた。
ノイズがはしる子供達の叫ぶ声。
ざわめく埃とゴミの疾風。
えっ、と空を見上げると泥色に淀んだ世界の終わり。
「なに、何が、いったい、どうして。」
普通に歩いていたいつもの帰り道が無い。
日常がどこか遠くへ。
地獄だろうか、どうして、急に。
アリス?アリスが何かした?
それとも私がおかしい?
ぐるぐる混乱する頭では何一つ解決策が考えらえない。
「私は何もしていない。ただ、現実へ連れ戻してあげただけ。
だってこのままじゃあなた、壊れちゃう。」
不憫そうに私へ語りかえるアリス。
「可哀相、現実から逃げなくちゃ生きることができないのね。
だけどそれは一時的な解決にしか過ぎないのよ。
残念だけどあなたは私の手を取らなけえば手遅れになってしまう。
さあ、一緒に行きましょう。
あなたを愛してくれる皆が待っている世界へ。」
そうだったけ。
私がいるこの世界は私が作り出した空想なんだっけ。
いつから、何のために。
そして私はどうしてここにいるんだっけ。
「理由なんて思い出してどうするの?
現実が辛いから作り出した世界に閉じこもっていたのでしょう。
そんなもの捨ててしまいなさいよ。
これから新たな思い出をたくさん作りましょう?
さあ、早く。」
それもそうだ、今更思い出して何になるというのだろうか。
アリスの手を取ろうとした瞬間、パシッと誰かが私の腕を掴んだ。
「おい、お前、こいつをどうする気だ。
どこへ連れていこうとした。」
「なあんだ、もう少しだったのに。
ざあんねーん。つまんないの。」
「悪魔め、消え失せろ。」
「はいはい、悪魔祓いの見習いさん。
またねん!黒鴉によろしくって伝えてね。」
ちぇっと舌打ちをしてアリスは私の影へスルリと戻って行った。
「え、ええと」
「お前は馬鹿か。あれに連れ去られたら自分がどうなってしまうか分かっているのか?
悪魔たちの餌食にされ最後には廃人だぞ。
何か愛だ、笑わせる。あんなのただの快楽麻薬だ。」
悪魔祓い見習いだという少年の名は三日月だと言う。
三日月は私に説明してくれた。
先程のアリスは悪魔の一種で、ああやって人間を誘い込み悪魔たちの元へ送り込むらしい。
そこにいる悪魔たちの生きる術は人間の体液らしい。
ただ血だと怖がる者が多くその場限りで終わってしまい持続性がない。
では体を繋げてはどうだろう。
好きだの愛してるだのといって甘やかし抱き潰す。
そうすれば血を得るよりも持続性が高く快楽も得られると一石二鳥。
「あっちへ行った瞬間、行った人間のデータは消えてしまう。
だから誰も探さないし疑問にも思わない。
お前はそれの一歩手前だったんだ、この馬鹿が。
たまたまお前を見かけ追いかけて良かった。」
「どうしてわかったの?」
「アリスが出る間際、影が薄っすら鈍い色をするんだ。
普通の人間には見えないからお前に感知は出来ないよ。」
「そうですか・・・。」
「しかし、初のエリアでさっそく担当が見つかるとは思わなかった。」
「え?」
「黒鴉から見習いテストとしてエリア担当を受け持つことになってな。
それがお前だ、この愚図、それくらい察しろ。」
「いやいや、私、大丈夫ですよ。」
口の悪い三日月さんは私の頭をぐわっと掴み、出来の悪い私にコンコンとゆっくり言った。
「きっとアリスはまたお前を誘い込みにくるだろう。
お前からは悪魔どもが好きそうな香りがぷんぷんしやがる。
この引っかき傷は誰に付けられた?ああ?」
「っ、あ、これ」
そうだ、アリスの手をはじいた時だ。
「あれの爪先にも血が付いてしまったはずだ。
ちょっとの体液でも感じるはずだ、お前のコレを。」
私の傷を鼻を摘まみながら心底嫌そうに見る三日月さん。
「え、じゃあ、もしかして」
「ああ。暫くは俺といてもらう。
とりあえず自分の身を守れるくらいになるように躾してやるよ。
覚悟しろ、一か月で仕上げるぞ。」
鞭と刀を背から取り出す三日月さんに涙目の私。
アリスと三日月さん、どっちへ行っても平穏はないのね。