#82
翌日――。
少女は本日をもって「木野 友梨奈」及び「野澤 結衣」としての生涯を終えようとしている――。
「結衣ちゃん、朝ご飯ができたから早く下りてきなさい!」
「今いきますわ!」
結衣は制服姿で友梨香と友梨奈が写っている写真立てを眺めていた時に彼女らの母親に呼ばれた。
彼女は「行ってきますわね」と言いながらそれを元の位置に戻し、リビングに向かう。
「いただきます」
「どうぞ召し上がれ」
結衣は友梨奈の母親が作ってくれた最期の朝ご飯をゆっくり味わって食した。
「――ごちそうさまでした」
彼女は椅子から立ち上がり、食器を片付け、洗面所で身支度を整える。
「忘れ物はない?」
「ええ、ありませんわ」
「……結衣ちゃん……」
「なんでしょう?」
何気ない親子の会話をしている二人。
その時、友梨奈の父親が少し戸惑ったような口調で呼ばれたため、結衣は呼びかけに応じた。
「友梨奈の楽器を使ってくれてありがとう」
「お、おじさま?」
「これからも頑張ってほしい。友梨香と友梨奈がどこかで喜んでくれていると思うからな」
「ありがとうございます。わたくしもそう思いますわ」
彼が嬉しそうな口調でこう話す。
今は結衣の身体である友梨奈はそのような話を耳にして嬉しかった。
彼女の父親が彼女が吹いていた楽器を遺品として残しておいてくれていたおかげで今の自分が吹いているため、彼には心の底から感謝しているから――。
「これから朝練なんだろう?」
「ええ」
「気をつけて行ってこいよ!」
「はい。行って参ります!」
「「行ってらっしゃい!」」
結衣は両親に見送られ、学校に向かって歩み始めた。
彼らは彼女が本日でその存在がなくなってしまうことを知らずに――。
*
今まで歩いてきた通学路。
コンクールや定期演奏会の前によく自主練習として使ってきた公園。
通学路にあるパン屋のバタースコッチとメロンパンが美味しかったので、最期に一度だけ食しておきたかった……。
結衣は歩きながらいろいろと思い出しただけで胸を締めつけられるつつ、学校に到着してしまった。
彼女は速やかに楽器倉庫でクラリネットを組み立て、音楽室に向かう。
「おはようございます」
「「おはようございます!」」
「「おはよう!」」
そこで目にしたのは朝練が始まるまでの時間は挨拶を交わしたり、談笑をしている部員達。
「授業開始十分前まで、各自で自主練習をお願いします!」
「「はい!」」
先ほどまでの和やかな雰囲気と一変し、楽器を構えると一斉に自主練習を始めた。
結衣はまだまだ不完全ではあるが、ある程度のかたちになるよう、少しずつ練習していく――。
練習に集中していると時が経つのは早いものであっという間に朝練の時間が終わってしまい、楽器を片付け、各々の教室へ散っていった。
彼女の命の砂時計は少しずつ零れ落ちていく――。
*
授業は順調に進み、本日の三限目からは「人権作文発表会」となっている。
本来は午後の授業にあたる五限目以降にとなる予定だったが、二時間で三十五名全員の作文を発表することができないのではと山野井が判断したため、今の時間からとなったそうだ。
「昨日の宿題だった人権作文は忘れていないよな?」
「忘れてないでーす!」
「きちんと持ってきています!」
山野井がそのように言うと、生徒達は原稿用紙を頭の上に上げ、忘れていないことをアピールしている。
「お前らが忘れていなくて安心した。この時間からその作文の発表をしていく。出席番号順で行くからなー」
周囲から「いつも、一番からじゃないですかー?」「最後からはどうですか?」声があがる。
「野澤からだと可哀想だろ。彼女は転校生なんだから。一番から出席番号順で!」
「「はーい」」
その時、結衣は出席番号順ということは一番最後ということになる。
彼女は始業式からの出席番号だと二十番台くらいにはなるが、今は転校生なので、一番最後となってしまうのだ。
「じゃあ、青木から。教壇の前で発表をお願いする」
「はい――――」
こうして、人権作文発表会が始まった。
*
休憩や昼休みを挟みながら、一人ずつ教壇に立ち、自分で書いた作文を読みあげていく――。
「――――じゃあ、最後に野澤だな。お願いします」
「はい」
結衣は教壇に向かい、一度深呼吸をし、原稿用紙を開いた。
「『 私には大切な従姉妹がいます。
彼女はクラス全員からのいじめによる自殺によって亡くなりました。
はじめは同じクラスの男子生徒から消しゴムをちぎられたものを毎日のように彼女に向かって投げつけられたところから始まったみたいです。
そこから、彼女の机の中にゴミを入れられ、「死ね」や「学校にくるな!」と書かれた机。
あなたはどう感じますか?』」
彼女は作文の冒頭部を読み上げる。
「それって……俺のこと?」
「僕のことじゃん」
「……野澤さん……」
クラスメイトが驚きつつ、真剣に結衣の作文の発表に耳を傾けていた。
「『 その時、彼女は辛かったと思います。なぜならば、彼女は誰かに相談したくても、いじめはどんどんエスカレートしてくると思ったからだと私は考えています。
相談したら、さらにいじめられる。大切な友達がそれによって奪われてしまう。
彼女は先生や家族の前ではいつも通り、ニコニコするようになり、辛い日々を送ってきました…………。』」
彼女は作文を読み上げながら、違和感を感じている。
それは結衣の瞳には涙で潤んでおり、そろそろ零れそうになっていた。
「『 そして、いろいろと考えているうちに、彼女の存在価値はないのだろうか?
自分は生きていても意味がないのだろうか?
私達、人間には限界があります。
私はもちろんのこと、みなさんも限界を感じることがあります。
そして、彼女は五月の月末にわずか十四歳という若さで「死」を選びました。』」
「野澤さん、友梨奈ちゃんはそう思ったのかな?」
彼女が作文を発表している間、女子生徒が問いかけてくる。
結衣は友梨奈の両親から聞いた話だと答えたが、彼女はそれだけで納得してくれた。
しかし、この作文は彼女の両親から聞いた話ではなく、「木野 友梨奈」の実話で進められている。
「野澤、目が赤いぞ? 無理なら読むことを止めてもいい。あとは先生の心の中で留めておく」
「先生……最後まで……読みたかった……ですが……もう……」
「まとめに入りなさい」
「……はい……」
結衣の瞳から涙がぽろぽろと頬を伝いながら原稿用紙の最後のページを捲った。
『 いじめられた人は心に大きな傷を負います。
いじめた人もなぜ、そのようなことをしたんだろうと後悔するする時がいずれくると思います。
ヒトは一人では生きていけません。誰かの支えがあるからこそ、生きていけるのではないか。
また、みなさんで声をかけ合うことだけでも、支えになる人がきっといるはずです。
私がこのように声をあげでも、いじめはなくならないと思います。
みなさんで支えあって生きていきましょう。』」
彼女がこの作文で伝えたいことはある程度、発表することができたと思われる。
結衣の涙腺は限界に達し、泣きながら原稿用紙を投げ捨て、教壇付近の席にいる柚葉がそれを拾った。
本来ならば、彼女はクラスメイトに自分が感じたことをすべて伝えるべく、始めから最後まで発表したかった。
次の瞬間、教室から拍手が沸き起こる。
「結衣、頑張ったね」
「野澤さん、木野さんの気持ちが伝わってきたよ」
「木野は辛かったんだな……俺も昨日の篠田みたいに土下座したいよ。野澤さん、木野、ごめんなさい!」
彼らの声が結衣の耳に届く。
それは彼女の心にも届いていた。
自分の思いがクラス全員に伝わっていたため、「木野 友梨奈」としても「野澤 結衣」としても安心して逝ける。
残りは部活の演奏だけ――。
彼女の命の砂時計はあと少ししか残っていないが、部員達とともに楽しく演奏し、生涯の幕を下ろそうと決意した。
「【原作版】」の「#49」をベースに改稿。
2018/11/30 本投稿
※ Next 2018/11/30 19時頃更新予定。