雪のふる夜
その夜、池袋は雪が降っていた。
東京らしく、さらさらと降る雪だ。きっと明日の朝には消えてしまうだろう。
夜でも、ネオンの光と賑やかな音がおさまることはないこの街で
一人の男がファーストフード店の前に立っていた。
家路にいそぐ人々、歓楽街にいく人々が激しく動くこの場所で
ひとり立ちすくんでいるその男のまわりは時間が止まっているようだ。
なにか一人でブツブツとつぶやいていたが、しばらくして男は諦めたように下をむいた。
涙がながれていたが、不思議と顔は微笑んでいるようにみえる。
やがて男はゆっくりと歩き出し人ごみに消えていった。
「なにかあの場所にあるのかな」
そのファーストフード店のそばにある交番の警察官がふとつぶやいた。
「どうしたんだ?伊藤」
「いや、たまになんだが最近あの店の前で泣いてる男をよく見るんだ」
「は?なんか店に思い出でもあるやつなんじゃないか?」
「いや。。。それが一人じゃないんだ。今週だけでも3人は見てる」
交番勤務の伊藤は、夜になると池袋駅前の交番の前に常に立って行き交う人をみている。
ずっと見ていると他とは違う動きをする人を、職業柄どうしても見てしまうが
特に怪しくもない普通のサラリーマンの男たちが店を眺め、泣き、去っていく様は
犯罪の匂いはしないが異常にみえた。
「今度、声をかけてみようかな。。」
伊藤は、天から降り注ぐ雪を見上げながらふと呟いた。
その伊藤が、ファーストフード店から目を離したとき
また一人の男がその店の前で立ち止まった。
30代だろうか。スーツではなく黒のジャケットとズボンで
どちらかというと、ラフな格好の男だった。
どこにでもいそうな普通の顔立ちだが、どこか悲しげな表情をしている。
「ここで。。。いいか。。。」
大きなため息をつきながら、男はファーストフード店に入っていった。
男は、真田信介という。歳は38だが童顔のため多少若く見えた。
真田がどこか寂しげでため息をつくには理由があった。
今から1時間ほど前、打ち合わせで喫茶店に入ったとき
偶然2年前に別れた彼女を見かけていた。
黒い長い髪が印象的な美しい女性だった。
大恋愛だったので、なかなか真田の頭から離れずにいたが
仕事に没頭しているうちに記憶は薄れていっていた。
だが、自分の空間のなかに。。すぐそばにいる彼女を見かけたとき
忘れかけていた膨大な量の記憶と圧倒的な悲しみが
一気に頭に入ってきた。
息苦しくなり、頭が痛くなり、戻しそうな気持ち悪さに襲われた。
真田は打ち合わせを早々に切り上げ、逃げるように店を出た。
とても、久しぶりだねと話しかけることもできなかったのだ。
「学生かよ。。」
自笑しながら呟く。もう2年たっている。当然彼氏か、もしかしたら結婚しているかもしれない。
完全に諦めていたはずなのに、見かけただけで胸が大きく痛んだ。
今までに付き合った彼女は何人もいたが、こんな気持ちは初めてだった。
忘れられない恋人というのは、こういうことをいうのか。。。
打ち合わせ場所から飛び出して、自分の心の弱さに嫌気がさしながら、
あてもなく歩いた。途中で雪が降ってきた。
とてもとても綺麗だった。。。
そんな時に、どこにでもあるファーストフード店に足が止まったのだ。
「うん、ここにしょう。。」
真田はただただ心を落ち着かせたかった。
入り口すぐのレジでホットコーヒーを注文し、二階へとあがった。
時間は20時を過ぎたあたりで、若者で店は混雑している。
カウンター席の隅に一席だけが空いていたので
その席に座った。
「しかし、まさか会うなんて。。。」
コーヒーをすすりながら、真田は我ながら奇跡としか思えない
ありがたくない現実を恨んだ。思わずあたりを見渡したが
もちろん元カノの姿はなかった。ただ、若者のカップルが
多くて、多少恨めしい気持ちになったのだが。
みんな楽しそうだった。二十歳前後で、先がみえなくてもなんとかなる
年相応の明るさなのか、現実から逃げている無理した明るさなのか
わからなかったが、みな一応にやかましかった。
情けなくなってしまうが、都会の若い綺麗な女性には見とれてしまっていた。
「あんな彼女ができれば、忘れられるのかな。。」
と、なんとなく眺めているうちに視線が相そうになったので真田は目をすっとそらした。
気持ち悪さもあってか、思わず肘をつき机にうずくまった。
「俺はなにをやっているんだろう。。。」
40を前にした年で、ただただ会社と家を往復する毎日。。。
家族がいたら違うのかな。。。
過去の妄想を膨らましながら目を閉じると、どっと気持ちがおちていつの間にか
真田は眠りについていた。