第4わん 龍(ドラゴン) vs 犬(ドッグ)
頭上から迫り来る大穴。
穴の入り口にはギザギザとした牙が生えていて、穴の奥は暗闇が続いている。
――ドラゴンの口だ。
「ギャゥアアアアア!!!」
ドラゴンの怒号が響く。
うわあああ! マジでドラゴン出て来たあああ! 食われるううう!!
頭上にはドラゴンの口。
目前に迫ったそれを見て、恐怖による硬直が溶けた。
「わうん!」
俺は咄嗟に横に飛んだ。別に意識的に避けようと思ったのではない。本能的な行動だった。
故に、本当に避けれるとは思っていなかった。
「……?」
バクン! と口を閉じたドラゴン。しかし口内に何もないことに気がついて、その長い首を傾げた。
それもそのはず。俺は一瞬にして、ドラゴンから十数メートルほど距離を取っていたのだから。元居た場所から、一瞬にして移動してしまっていた。
これは……? 俺が自分で移動したのだろうか? 何も考えず、本能的に行動したので良く覚えていない。
「グゥルゥゥゥウ」
しかし俺の考えがまとまらないうちに、すぐにドラゴンが俺のことを視認した。
うわぁ……怒ってるよ……。どうしよう……。
そのブルーの目は、怒りに満ちている。エサが突然瞬間移動して逃げたのだ。当然だろう。
「わんわんわん!」
俺は『落ち着け! 仲良くしょう!』的な言葉を発してみたが、当然可愛い犬の鳴き声しか出ない。もしかしたら同じ動物だし、ドラゴンに通じるのでは? と少し期待したが、そんな甘くはなかった。
「ギャウウウウウ!!!」
ドラゴンは怒りに満ちた怒号を響かる。あれ、ますます怒ってるような……。どうやら、俺が威嚇のために吠えたように思ったようだ。
「グゥゥゥ……」
低く唸りながら、ドラゴンは大きく息を吸い込む。
最初はその意味が分からなかったが、ゲームとかファンタジーとかが大好きな俺は、すぐに察した。
この動作は……。まさか……。
ある程度肺に酸素を溜めると、ドラゴンは吸い込んだ息を思い切り吐き出す。
紅の炎と共に。
「ギャゥアアアアア!!!」
「きゃうん!?」
ぎゃああ! 火! 火吹いてきたよこのドラゴン! 俺のもふもふの毛が燃えちゃう!
眼前から迫りくる炎は、津波のように辺り一帯を覆い尽くす。視界が一気に紅に染まった。
これじゃ、さっきみたいに横っ飛びで逃げても炎から逃れることは出来ない! ってかアッチィ!
どんどん迫りくる灼熱の炎。まだ距離は数メートルは離れているのに、その圧倒的な熱量がジリジリと伝わってきた。
横がダメなら……試してみるしかない! 俺は気合いを入れ、足に力を入れる。
「ワン!」
そして可愛いらしい鳴き声と共に、上に向かって全力でジャンプした。
そう。横がダメなら、上に逃げるのだ。
「ワゥン!?」
次の瞬間、俺は驚愕のあまり間抜けな鳴き声を漏らしてしまった。
眼下に広がる荒野。
本来上空に見えるはずの雲が、今は真横に見える。
真下には、豆粒のように小さい、赤い生物が見えた。先ほどのドラゴンだ。
ええええ!?!?
と、と、飛んでるううう!?!?
俺、犬なのに飛んでるよ!?
……いや、飛んでるんじゃない。ジャンプしたんだ。今も、地面に向かって落下している。ジャンプで雲の高さまで飛べるとは。俺の可愛い足の脚力、めちゃくちゃスゲェ……。
「グゥウウ……?」
俺の下で、首を傾げるドラゴン。忽然と姿を消した俺を不思議に思っているようだ。燃えカスすら残っていないし、まして俺の姿は犬。普通に考えて飛べる生物ではない。消えたと思うのは当然の反応だ。
ってか高けえええ!! 落ちる! このまま落ちたら死んじゃう!
そうだ! ドラゴンの背中に着地しよう! それでもかなり痛そうだが、地面に落下するよりはマシな気がする!
もちろん、着地に失敗したら足折れそう、とか考えないわけではないが、この状況でそんなことに気を使う余裕はない。どうせ失敗したら食われるのだ。一か八か、試してみるしかない。
そうこうしているうちに、ついにドラゴンのもとまで落下してきた。
どんどん近づくドラゴンの背中。俺はその首の付け根に狙いを定め、着地を試みる。
衝突に備え、着地の瞬間、俺は咄嗟に目を閉じてしまった。
足にドラゴンに皮膚が触れる感触が伝わる。
「ギャゥッ……」
一瞬、ドラゴンの悲鳴が聞こえたが、それはすぐに掻き消された。
なぜ悲鳴が途絶えたのか疑問に思ったが、落下の衝撃に備えているのでそれどころじゃない。
「わん!」
だん! と四本足が固いものに触れ、落下が終わる。
おお、骨折することもなく、無事に着地できたようだ。よ、よかった。高いところ、怖かったよぅ……。
「わん?」
閉じていた目をゆっくり開けると、ドラゴンの背中ではなく、地面に着地していることに気がついた。
あれ? 狙いが逸れて地面に落ちちゃったか? まぁいい。結果オーライ。無事に着地出来たんだ。
そうとなれば、早くドラゴンから逃げなければ――
「わふぅ!?」
その直後、背後で何かが崩れ落ちる大きな音が響き、後ろから強烈な風圧が襲いかかる。
なんだ!? ドラゴンの攻撃か!?
風圧に吹き飛ばされそうなのを耐え、振り返ると、驚愕の光景が視界に入った。
――ドラゴンの死体だった。
え? し、死んでる……?
首と胴が見事に切り離されている。何も気がつかぬまま一瞬で絶命したようで、その表情は間抜けに驚いているように見えた。
……これ、俺がやったの?
可愛い前足を見ると、そこには赤い液体がべっとりと付いていた。血だ。
確かにドラゴンの首の付け根に着地しようとしたけど……勢い余って、切断してしまったのか!? 鉄をも切り裂く可愛いツメだったが、まさかドラゴンの首も落とせるとは……。マジかよ、スゲェな俺の身体。
ドラゴンを殺したことへの罪悪感などは一切なかった。これが自然の摂理。弱肉強食。この子犬の身体のDNAに刻み込まれているのか、そんな言葉が脳裏に浮かんだ。
ぐぅ〜
それと同時に、押し寄せる空腹感。腹が大きな音を立てる。
ジェイミーから貰ったパン一つでは、一日分の空腹は到底満たせるものではない。
目の前に横たわる新鮮な生肉を見て、猛烈な空腹感が押し寄せてきたのだ。
「くぅう……」
しかし生肉、しかもドラゴンの肉を食すのには、かなり抵抗があった。だけど、そんなこと、この空腹感の前では霞んでしまう。
俺はよちよちと可愛らしく、ドラゴンの死体に近づく。そして鱗に覆われた背中ではなく、柔らかそうな腹の肉を咥え、噛みちぎる。
くちゃくちゃ……
口に広がるドラゴンの肉の味。不味い……。血が生臭いし、筋っぽくて食えたもんじゃない。
だけど、胃の中に広がる幸福感。それは俺のエネルギーになり、さらに食欲を掻き立てた。
「ばぅ! ばぅ!」
気がつくと、貪るようにしてドラゴンの肉を食っていた。ドラゴンを食う可愛い子犬……。端から見るととんでもない光景だろう。
しかし、止まらない。夢中で肉に食らいつく。
ドラゴンの血肉を胃に収める度に湧き起こるパワー。それは全身を包み、身体の芯から力を沸き起こす。
……あれ? 俺の身体。なんか変だぞ?
初めは、単にメシを食って元気が湧いてきたのかとも思ったのだが、どうやらそうじゃない。
なんていうか、新しい力がどんどん満ちてくるようだ。食う度に、自分が強くなっていくような気がする。
もしかして、これは……。
心当たりのあった俺は、頭の中に言葉を思い浮かべる。『ステータス』と。
すると、頭に中にイメージが沸き起こってきた。
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名前:ポチ
性別:オス
犬種;PM・ラニアン
年齢:生後3日
血統書:あり
レベル:11
HP:598/600
MP:600/600
ATK:600
DEF :600
INT:600
AGL:600
スキル:言語理解、芸達者、ドラゴン・ブレス
=================
やっぱり。
レベルとステータスが上がっている。しかも、レベルは一気に10も上がってる。俺の元居た世界のゲームを基準に考えると、通常、自分よりも格上の敵を倒すほど、経験値が多く貰える。まぁ常識的に考えて、犬とドラゴンではドラゴンのほうが圧倒的に格上だろう。だからレベルが一気に10も上がったのだろうか。
って、あれ? スキルが一個増えてるぞ? 『ドラゴン・ブレス』?
なんだろう、これ。ドラゴンとか書いてあるけど……。それに『ブレス』……吐息……だよな。息に関する新たなスキルが身に付いたのだろうか。
俺は試しに、ふぅ、と可愛らしく息を吐いてみた。すると、
ゴオオオオオオォォォォ
俺の可愛らしいお口から、灼熱の炎が吹き出してきた。
ええええ!?!?
俺、犬なのに火ぃ吹いちゃった!?
火炎放射のように勢い良く吹き出る紅蓮の炎。眼前に広がる紅の海。それはドラゴンに着火し、ジュウジュウと肉の焦げる良い匂いが漂った。
これが、『ドラゴン・ブレス』? レベルが上がったから習得できたのだろうか? いや、『ドラゴン』って付いてるし、違うだろう。それにこの技、さっきドラゴンが使っていたものだ。
だとしたら、考えられる可能性は。――ドラゴンを食って、そのスキルを吸収した?
『芸達者』
もしかして原因はコレか?
ええええ……。『芸』って『お手』とか『お座り』とかじゃねぇの? まさか、食った相手の『芸』を奪うスキルとは……。達者すぎるだろオイ。とんでもないスキルを授かってしまったのかもしれない……。
ってああああ! ドラゴンの肉焦げちゃった! せっかくのメシが!
しかし、そんなことを嘆いている場合ではなかった。
「ギャウウウウウ!!!」
「グォオオオオオ!!!」
「グゥウウウウウ!!!」
頭上に響く怒号。
見上げると、ドラゴンが何匹も飛んでいた。2、3、……5はくだらない。どうやら、ドラゴンの焼ける匂いに引きつけられてきたようだ。仲間を殺されて、明らかに怒っている。
……ちょうどいい。もっと肉が食いたかったところだ。
まだまだ空腹感の残る俺は、ドラゴンに対する恐怖など、もはや微塵もなかった。
あるのは、食欲のみ。
「わぉーん!」
焼き肉の味を想像し、口から涎が垂れた。
◇◇◇◇◇
「ばう! ばう!」
んまんま。
ドラゴンの肉、焼くと普通に旨い。
結局、ドラゴンがどんどん集まってきて、十匹くらい殺してしまった。
最初は『ドラゴン・ブレス』の加減が分からず、肉を焦がしてダメにしてしまっていたが、五匹目くらいでコツを掴んだ。お陰でジューシーな焼き肉を味わえている。
ん〜旨い。まだまだ食える。既に三匹くらい食っているのだが、まだ腹八分目ってところだ。このドデカイ身体のドラゴンの肉が、俺の小さくて可愛い身体のどこに入っているのだろう。まぁ細かいことはいいや。今は久々の食事を楽しもう。
「ばふぅ……」
ふぅ。このドラゴンの柔らかそうな肉は、一通り食べ尽くしてしまったな。別のドラゴンを食べようっと。
俺は横に転がっているドラゴンの死体へ移動する。
うわっ、このドラゴンひときわ大きいなー。他の倍――二十メートルくらいの大きさがあるぞ。群れのボス的な存在なのだろうか。まあ俺の敵ではなかったが。
「わん?」
大きなドラゴンを食うために火を吹こうとしたそのとき、俺の鼻に甘いローズのような香りが届いた。
辺りにはドラゴンの死体しかないのに、なんだろうこの甘い匂いは? この巨大ドラゴンの口から香ってくるぞ? それにこの匂い、嗅いだ事がある。
だらしなく開いている口を覗いてみるが、その中には何も無い。匂いは口の奥、つまりドラゴンの体内に続いているようだった。何かを飲み込んだのだろうか。なんだっけ、この甘い香り。どこかで嗅いだぞ……。
気になった俺は、ドラゴンを解剖して正体を探ることにした。何かを飲み込んだのなら、それは今胃の中にあるはずだ。腹肉を切り裂き、筋肉を切り、胃袋を破く。少々気持ち悪かったが、どんどん匂いが強くなってくるのが分かる。
そして、切り裂いた胃袋から出て来たものを見て、驚愕した。
「わわん!?」
人間。
人だった。
「う……うん……?」
人間は唸る。どうやら、息はあるようだ。
俺は、この子を知っている。
黄金に輝く髪。雪のように白い肌。十六、七くらいの少女。
俺に、パンを恵んでくれた優しい少女。
――ジェイミーだ。