第16わん 子猫の秘密
もう一度、プーちゃんに声を掛けてみる。わんわんわんと。
ただし今度は呼び掛るだけでなく、はっきりと話しかけてみた。
『プーちゃん、俺の言ってること、分かる?』
俺の声に反応し、ピンと立つ彼女のネコ耳。鳴き声の意味が分かることが、ようやく気のせいでも何でもないことに気が付いたのか、
「にゃ? にゃあ? にゃああ?」
と、あからさまに混乱した声を上げながら、こちらに目を向けてくる。その鳴き声が俺の耳を伝って脳に到達すると、『え? ええ? やっぱり、ヌーちゃんの言葉が分かるにゃあ??』という具合に変換された。
続けてプーちゃんは、瞳に困惑の色を浮かべながら確かめるように、おずおずと言葉を発する。
『もしかして……ヌーちゃんも、あたしの言葉、分かるにゃあ?』
「わん」
肯定の意を込めて鳴きながら、首を縦に振る。彼女の碧眼が一層大きく開かれた。
『え? うそ? にゃんで? さっきまでこんなこと、にゃかったのに!』
確かに、急に犬語を理解でき、俺と会話ができるようになるなんて意味が分からないだろう。まずは彼女の混乱を抑えるために、その理由を説明することにした。
『たぶん、プーちゃんはオオカミの肉を食べたからイヌ語が分かるようになったんだ。俺はライオンの肉を――』
じっと見つめてくる視線が照れ臭く、目線を落として淡々と説明する。その最中、突然プーちゃんの足元に、ポトンと大粒の雫が零れ落ちるのが見えた。
なんだろう、と思って説明を中断し、彼女の足元から視線を上げる。そこには、瞳いっぱいに涙を溜めた子猫の顔が。直後、彼女の空色の瞳から、雨が降るようにポロポロと涙が零れ落ち始めた。
『ふ、ふぇ、ふぇぇぇえん』
ええ!? 泣き出した!? なんで!? 俺何かしたか!?
混乱していると、プーちゃんは嗚咽混じりに言葉を紡ぐ。
『こ、言葉が、言葉が通じたにゃあ、ふぇぇん、よかったにゃああ』
ああ、なるほど。言葉が通じない世界で、初めて会話できる相手ができて、嬉しさと安堵で涙が出てきたのだろう。俺と同じだ。……となると、やはり彼女は、いよいよ俺と同じ立場である可能性が高くなってくる。
今すぐにでも詳しく聞きたかったのだが、
「にゃあ、にゃぁぁぁん、うにゃぁぁぁぁん」
……とりあえず、泣き止むのを待つか。泣いてる姿も可愛いにゃ。
◇◇◇
一旦泣き出すと、ダムが決壊したように涙が溢れ続け、泣き止む頃には日が傾き始めていた。
ようやく落ち着いたプーちゃんは、真っ赤になった目を擦りながら、まだ少し潤んだ目で俺を窺う。
『ひっぐ……ごめんにゃさい……急に泣き出して』
『だ、大丈夫だよ』
ウルウルの瞳で見つめられ、どきりと思わず胸が高鳴った。先ほどの続きを求めるように、俺のケモノが目を醒ましそうになる。
いかんいかん。落ち着けポチ。お座り。今はそういう場合じゃない。
心頭滅却していると、プーちゃんがボソっと呟く声が聞こえる。
『この世界に来て、初めて誰かと会話することができたから、嬉しくて……』
……やはりそうだ。今の言葉で確信した。
彼女も、俺と同じ転生者なのだ。
『プーちゃん、もしかして、転生してこの世界に来た?』
核心を突く質問に、ぴくりと彼女の体が反応する。
『にゃっ!? 「も」ってことは……』
『うん。実は俺も。転生してこの世界に来たんだ。前世は人間だった』
その言葉に、ジワリ、とまたもやプーちゃんの瞳に涙が浮かんできた。安心感と嬉しさから、センチになっているようだ。
話が進まないので、なんとか宥めて落ち着かせ、彼女の回答を促す。
『ぐすん、ごめんね。あたしも、元は人間だったにゃ』
『なんでこの世界に?』
『そ、それは……』
躊躇うように一拍おいた後、信じられないと思うけど、と前置きし、彼女は淡々と語り始めた。
『学校に行こうとしてたらね、子猫がトラックに轢かれそうににゃってたにゃ。その子を助けようとしたら、あたしだけがトラックに……』
おぉぅ、俺と同じパターンだな……。子犬と子猫で若干違うけど。
てか、プーちゃんは元の世界では学生だったようだ。そんな若さで亡くなってしまうとは可哀想に……。だけど、我が身を捨ててまで小さな命を助けるとは、勇敢で優しい子だなぁ。あ、別に自分のことを褒めてるわけじゃないよ?
『で。気が付いたら、変にゃ白い空間に居たのにゃ』
……ん?
あれ? まさかそこって。いやいや。よくあるパターンだ。まだ俺と同じとは限らない。
『そ、そこに誰かいた?』
『うん。……神様が居たのにゃ。嘘じゃにゃいよ?』
俺の脳内に、とあるケモミミ少女の姿が思い浮かぶ。
いやいや、神様って言ってもいろんな神がいるだろう。アイツなわけがない。
『……その神様って、どんな見た目?』
『うーんと、中学生くらいの女の子で、お目目がクリッとしてて可愛らしかったにゃ』
耳の奥で、のじゃーのじゃー!というキンキン甲高い少女の声が想起される。
あれ、もしかして……。
『……服装は?』
『着物だったかにゃ』
『……ケモミミとか生えてた?』
『うん。生えてたにゃ。尻尾も』
はい確定。もうアイツですね。
俺のことを犬に転生させた張本人、犬神さんだ。
あいつ、一度勘違いで俺を犬に転生させておきながら、まさかプーちゃんまでも転生させていたとは……しかも猫に! なんてやつだ! 次会ったら噛み付いてやろう!
『でもよく知ってるね。もしかしてヌーちゃんも会ったことあるにゃ? 猫神さまに?』
『実は俺も――って猫神!?』
ね、猫!? 猫神さまだと!? 犬神じゃないのか!?
……まぁ、よく考えればプーちゃんは猫だし、犬神が転生させるのはおかしいか。疑ってごめん犬神!
それにしても、まさか猫の神様もいるとはな……。でも聞いた限りだと犬神と外見がそっくりなのだが、キャラ被ってないか? 大丈夫?
『うん。猫神さま。その白い空間に、猫神さまが居たにゃ。それで、あたしが子猫を助けたお礼に、転生させてくれることになったのにゃ』
う、うん。これもよくあるパターンだよねきっと。
『それで、猫神さまが言ったにゃ。「命を捨ててでも子猫を助けるとは。お主、相当な猫好きじゃにゃ!?」って』
じゃにゃ、って! 語尾も犬神そっくりだな! 完全にキャラ被ってんじゃねーか! ちょっと猫っぽさ入ってるけど! 神様はみんな同じような見た目と喋り方なのか!? って、そんなことはどうでもいい!
『そ、それに、なんて答えたの?』
問題はそこだ。
ここまでの経緯は、どっかの誰かさんと全く一緒だ。まさかその後の展開も一緒、なんてことはないよな……。
俺の問いに、プーちゃんは気まずそうに言葉を詰まらせながら答える。
『ええーっと。実はあたし、どっちかっていうと犬派にゃんだけど、ホラ、相手は猫の神だにゃ? その人に、自分は犬派です、にゃんて言えないにゃあ?』
『それで、猫派を偽ったと……』
『……にゃ』
どっかの誰かさんと全く同じパターンじゃねーか! 同じ過ちを犯した人がいたとは!
親近感を超えて気味の悪さを感じる……。
『で、でも! もし犬派って言っていたら、犬の毛に住むダニに転生させるつもりだったらしいにゃ!』
そこまで一緒!? やっぱそいつ犬神じゃねーの!?
『それでね。そこまでは別に問題にゃかったにゃ』
『その後に何かあったの?』
『猫神さまね……、あたしが嘘ついて猫好きアピールすると、凄い喜ぶんだにゃ』
ギク。
『凄い喜んで、あたしに勇者並みのステータスとか、特別にゃスキルをくれたのにゃ』
ギクギクリ。
『だからあたし、調子に乗って猫好きアピールたくさんしたのにゃ。「猫ちゃん大好きー! 猫ラブ! にゃんにゃんにゃん!」とか言っちゃったにゃ!』
ギクギクギクリ。
『そしたら猫神さまが、にゃにを勘違いしたのか、あたしを猫に転生させちゃったのにゃ!!』
あ、あれ〜? どっかで聞いたことがある話だな〜? まぁ、よくある話だよね?
プーちゃんは語りを終えた後、少し不安げに俺の顔を見上げてくる。
『ばかみたいにゃ話だけど、信じてくれる?』
『え、あ、うん。信じるよ』
信じるもなにも、どっかで聞いたことある話だし……。
俺の返答に、彼女は嬉しそうに『よかったにゃ〜』と胸を撫で下ろしていた。
『でも、なんで猫に転生させられちゃったんだろう……』
『ね、猫になりたいほどの猫好きだと思われちゃったんじゃないかな?』
『やっぱりそうにゃのかにゃ〜。ちょっとその思考回路が理解できにゃいけど、嘘をついたあたしが悪いにゃ……』
うぐ、あっさり過ちを認めるとは……なんて良い子なんだ……。
心から反省しているように、ガックリと肩を落とすプーちゃん。犬神を恨みまくったどっかの誰かさんとは大違いだ。
そんなどっかの誰かさんが居た堪れなさすぎて、反省する彼女になんと声を掛けていいか分からず、思わず口を衝いて出たのが、
『う、嘘はダメだよね〜』
という言葉だった。
完全に棚上げだ。棚にアゲアゲだ。棚上げDG・アゲ犬郎と呼んでくれて構わない。
『う〜……わかってるにゃあ。反省してるにゃあ……』
ますますしょぼくれるプーちゃん。心の奥がズキズキと痛む。
『ところで、ヌーちゃんはどうして犬に転生したのにゃ?』
ギクギク。
『いや、俺は、あの、犬を助けようとしてさ。俺もトラックに』
『あたしと似てるにゃ! そのあとは?』
『あー、え、えっと。似たような白い空間で、俺も神様に会ったんだよね。犬神ってやつに』
『えー! ほんとー!? あたしとそっくりだにゃー! もしかして、ヌーちゃんも嘘ついて犬好きアピールしたにゃ?』
思わぬ同士の発見に、無邪気に瞳をキラキラ輝かせるプーちゃん。しかし先ほどの発言の手前、今さら本当のことを打ち明けることができなかった。
『い、いや〜。違うよ。俺はさ、ほら、犬めっちゃ好きだからさ。じ、自分から犬にしてもらったんだ』
『そーにゃんだ! そんにゃに犬好きにゃんだね!』
『ま、まぁね……』
あぁ……こころが、こころが痛い……。
今からでも遅くない。本当のことを……と思ったが、『それに比べてあたしは……』と、更に深く反省するプーちゃんを見て、ますます本当のことを切り出せなくなる。
あぁ神様、こんな俺を許しておくれ……。……いかん、神様と考えると犬神のことを連想してしまう。もうこの際犬神でもいい。犬神様、お許しを〜!
『ヌーちゃんも、犬神さまからスキルとか貰ったのにゃ?』
いろいろと耐え切れなっていたところ、プーちゃんが別の質問を投げかけてくれて救われた。その問に《芸達者》のことを答えると、『すごいスキルだにゃ〜』と感心しているようだった。
『プーちゃんもスキル貰ったって言ってたね。あの治癒能力のこと?』
『そうみたいだにゃ。ステータス欄には《猫舌》って書いてあるにゃ。だから傷をペロペロするまで、何のことかよく分からにゃかったけど』
猫舌って……。確かにそれだけの情報だと、単に熱いのが苦手な舌っぽいな。
だが実際は、傷を治すことのできる奇跡の舌だったわけだ。
『今さらだけど、ペロペロしてくれたお陰で助かったよ。ありがとう』
『ど、どういたしましてにゃ……』
先ほどの行為を思い出したのか、少しプーちゃんは赤らんで、気まずそうに視線を逸らした。そして無理やり話を変えるように、あっ!と少々大きめな声で言葉を続ける。
『あ、あと、《窮鼠猫噛み》っていうスキルと、《猫ババ》っていうスキルもあるにゃ。これにゃんだろう?』
えぇ……スキル多くない? この子どんだけ猫好きアピールしたんだろう……。
『うーん。名前からすると、《窮鼠猫噛み》は火事場の馬鹿力的な能力かな? ピンチになるとパワーアップ的な?』
『にゃるほど〜。このスキルのおかげでライオンを倒せたのかにゃ……』
自分の前脚を見つめながら、虐殺の光景を思い浮かべたのか、ブルっと身震いするプーちゃん。
『じゃあ、《猫ババ》はにゃんだと思う?』
名前だけ聞くとあんまり良い印象は受けないな……。だが心当たりはある。
俺と同じように、他の種の死肉を食べてその言語を習得した事から推測するに、俺の《芸達者》と同じようなスキルなのかもしれない。
そのことを説明すると、『ヌーちゃんとお揃いだにゃ〜』と彼女は喜んでいた。かわいい。
もしかすると、ドラゴンの肉を食べると、彼女もドラゴン・ブレスを習得できたりして。
……あれ、待てよ。俺と同じ境遇。同じスキル。それに加え、他にも凄いスキル持ち。……それって、俺の完全上位互換じゃないか……? え、俺のこの世界でのチート的なアイデンティティーが失われてない? なんだか居た堪れない気持ちになるので、考えるのはやめておこう……。
しょんぼりする俺の一方で、誰かと会話できることが嬉しくて仕方ないのか、テンションが徐々に上がっていくプーちゃん。ウキウキと楽しそうに次々と質問を投げかけてくる。
『ヌーちゃんは、この世界に来てどれくらい経つのにゃ?』
『一ヶ月くらいかな。プーちゃんは?』
彼女は自分の力のこともよく知らなかったようだし、こっちに来てまだ日が浅いと予測する。
『まだ二、三日だにゃ。気が付いたらこの荒野にいて、彷徨ってたらあの「デスワおばさん」に捕まったのにゃ……すぐに隙を見て川に逃げ込んだけど……』
その後みんなに助けられたのにゃ、と締め括り、彼女は改めてお礼を述べた。つかデスワおばさんってひでーアダ名。ちゃんとムツ子って呼んであげなよ……。あ、ムツ子もアダ名か。
それにしても、予想以上に彼女は生まれたてホヤホヤなようだ。生まれ落ちてすぐ大変な目に遭ったことといい、俺と境遇が本当によく似ている……。とはいえ、生後すぐマトモな女の子に拾ってもらった俺は、デスワおばさんに拾われたプーちゃんに比べればまだ幸運だったのかもしれない。
『あ、でもでも。体は赤ちゃんだけど、心は15歳だにゃ!』
15歳ってことは高校生くらいか。人間基準で考えれば、大人の俺が幼い彼女とペロペロし合うのはマズイ光景だろう。しかし、今の俺達の年齢は生後数週間の差しかない。まして犬と猫。うむ。何も問題ないな。
『ヌーちゃんは? 実は何歳だにゃ?』
『……に、25』
『オトナだにゃ!』
オッサンとか言われるかな、と身構えたが、予想に反して羨望や尊敬が入り混じったような、キラキラした視線を向けられてきた。
嬉しさ反面、こっぱずかしさが込み上げてきたので、
『はは。まぁプーちゃんからしたら、俺はオッサンだよ』
と軽く自虐してみる。
しかしそこで、彼女の表情が一変。先ほどまで笑顔満点の輝かしい顔をしていたのに、陰りが生じた。困惑や不安、そういった感情が芽生えているのが目に見えてわかる。
『……オッサン? それを言うならオバサンじゃにゃくて?』
ん? 何を言っているんだこの子は?
意味が分からず首を傾げると、一層顔を曇らせた彼女は、
『……一応聞くけど、ヌーちゃん、おんにゃの子だよね?』
不安げに、声のトーンを落としてそんな頓珍漢な質問をしてくる。
……もしかしてこの子、俺のこと女だと思ってたの?
『え、なに言ってんの。俺は男だよ』
『にゃにゃ!? うそにゃ! そんな可愛い見た目と可愛い声して男なワケにゃいにゃ!』
確かに俺は可愛いけどさ……。それは子犬だから仕方ない気が……。
『つか一人称「オレ」じゃん』
『そういう女の人もいるにゃ……。え? ええ? ホント? ホントのホントに男にゃの?』
顔を青ざめ、ワナワナと震えているプーちゃん。
どうやら俺が男だと信じられないらしい。仕方ない。男だと証明するために、アレをやるか……。
『じゃあ、これでどう?』
『にゃ……?』
俺は前脚で地面を蹴り上げ、後ろ脚のみで直立。そのままバランスをとり、下半身を前に突き出すような体勢へ。
そう。俺の最も得意な技。TINTINだ!
「にゃ……にゃ……にゃ……」
見開かれた彼女の可愛いらしい碧眼に、これまた可愛らしいポチが写る。
一瞬混乱したように口をパクパクさせていたプーちゃんだったが、次第に状況を理解し始めたのか、徐々に顔を真っ赤に染めていく。
そして、
「にゃあああああああああああああああああああ!!!!」
俺のポチに、強烈な猫パンチが叩き込まれた。




