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第13わん 子猫の戦い


「ハッハッハッハッ」


 走り出してどれくらい経っただろうか。

 呼吸が苦しい。脚も棒のようだ。

 だけど俺は休むことなく、この小さな四肢を忙しなく動かし続けた。


「にゃあ……」


 プーちゃんの心配そうな声が耳元で聞こえる。

 現在彼女は、俺の背に張り付くようにしがみ付いていた。口に咥えると呼吸が苦しいので移動してもらったのだ。その小さな手で俺の首輪にしがみつく様は、さぞかしキュートなことだろう。


「わん!」


 彼女の声に、大丈夫だよ、という意味を込めて力強く声を返した。

 背中に感じる僅かな重みと耳にかかる吐息、そして時折聞こえる労いの声が、俺に活力を与えてくれる。長時間走り続けたことによって自身の体温と鼓動が大きくなってしまい、プーちゃんのものを感じられなくなってしまったのは残念であるが。


「ガゥルルル」


 そんな俺らの会話の間に、厳つい猛獣の声が割って入る。先ほどより近くなったその声にウンザリしながら、ちらりと振り返ってその姿を確認した。

 三匹の巨大なライオン。

 それが、現在の追っ手だ。


「ガゥガゥ! ガゥア!」


 何を言っているのか分からないが、すごい怒声を浴びせられているのは分かる。

 これでも追っ手の数は大分マシになった方だ。

 逃げ出した当初は普通のイヌやネコに加え、ライオン、チーター、ヒョウ、オオカミという、『ワンちゃん部隊・ネコちゃん部隊』と総称するには無理のある面々に追われていた。その部隊名から、てっきり可愛らしいワンコとニャンコだけの軍勢を想像していただけに、振り返って姿を確認した時は心臓が止まりそうになったなぁ……。


 しかしネコ科の多くは短距離型の選手だったようで、数百メートル走ったあたりから徐々に脱落していき、体感1キロを超えた頃にはほぼ全滅した。

 一方オオカミは、障害物が多く必然的に長期戦になる森林での狩りに特化しているためか、その分スタミナがあってなかなか振り払えなかった。埒が明かなかったので火を吹いて威嚇し、ようやく追っ払うことができたのだ。……火を吹いた際、プーちゃんにめっちゃビビられて軽くヘコんだのはヒミツだ。

 ちなみに、穴倉に隠れてプーちゃんと『休憩』する作戦は、オオカミ達の敏感な嗅覚によって(ことごと)く打ち破られた。同じイヌ科として憎たらしい限りである。


 そのような経緯を経て残った追っ手が、この三匹のライオン達だ。

 彼らはネコ科が苦手なハズの長距離走を難なくこなし、本能的に恐れる炎を見ても物ともしなかった。体格も他のライオンと比べて異常に大きかったし、明らかに通常のライオンではない。

 プーちゃんを守らないといけないこともあり、戦闘は避けていたのだが、


「ガァァァ!」


 ついに、奴らの射程圏内まで迫られてしまったようで、一匹のライオンが飛びかかってきた。

 プーちゃんがビクっと震えるのを感じる。かわいい。おっといけない。集中しなければ。

 俺は背中で獅子の動きを感じ取り、横っ飛びでその攻撃を回避する。


「わんっ!」


 俺の体力もそろそろ限界だし、これ以上走って逃げるのは不可能だな。戦うしかないか。

 脚を止め、背後に向き直り、三匹のライオンと対峙。すると奴らも俺の少し手前で停止した。そこから間合いを図るように、ジリジリと距離を詰めてくる。


「グルルルっ……」


 近くでまじまじと見ると、そのデカさを改めて実感させられる。四肢を地に付けた状態でも、軽く2メートルは超えるのではないだろうか。間近で見ると、見上げる状態になってしまう。

 胴を包むように生え揃った猛々しい(たてがみ)、そして(エモノ)を見下す獰猛な切れ目が特徴的だ。その勇ましい外見は、前世の世界において最大のネコ科動物であったバーバリーライオンに似ていた。

 ま、いくら強そうな外見をしていても、チート犬の俺に敵うハズなんてないけどね。三匹程度なら、プーちゃんを守りながら戦えるだろう。


「キャンキャン!」


 俺は、『オウオウ、やんのかコラァ?』みたいな感じで、精一杯怖い顔をして威嚇の声を出してみた。例のごとく非常にキュートな感じになってしまったが。

 そんな俺の可愛い威嚇に対し、


「ガォォォォン! ガァアァァァァ!」


 大気を震わせるほどの声量、そして胃に重くのし掛かるような重音で威嚇し返される。


「く、くぅ〜ん」


 こ、こわい……。あまりの迫力に、反射的に情けない声を上げてしまった。いくらチート級の力があるとはいえ、本能的な恐怖には勝てないようだ。


「にゃ、にゃ……」


 ……おおっといけない! プーちゃんがいるんだった! 彼女に情けない姿は見せられないぞ!

 泣き出しそうなプーちゃんの前に躍り出て、ライオンとの壁になる。

 メンチの切り合いでは負けてしまったが、戦闘となれば俺が圧勝できるだろう。そうだ。たかがライオン三匹。ドラゴンと比べればどうってことない。

 いざ尋常に。といっても、ムツ子に命令されただけのコイツらを殺すのは可哀想だ。とりあえず、中央のライオンに頭突きして気絶させて--


「ガゥア!」


 作戦を立てている中、額にバシン!という強烈な衝撃が走った。

 一瞬の出来事で何が起こったか分からなかったが、前脚を突き出している獅子の姿を見て、猫パンチを食らったのだと理解する。

 こ、このやろう……不意打ちとはやってくれるじゃねーか。あーもう怒ったぞ。手加減なし。こいつは今晩のエサに決定だ。

 俺は後ろ脚に力を込め、殴った奴の首元に噛みつこうと準備する。しかし、


「……わん?」


 突然、片目に何かが入ってきたため攻撃を中断した。

 なんだこれ? なんかドロっとした液体が……。

 手で拭って確認すると、そこには粘り気のある真っ赤な液体が付着している。

 え? あれ? 血? うそ? ドラゴンとの戦闘でも傷一つ負わなかった俺が、たかがライオンの猫パンチで出血しただと?

 殴られた際に爪が当たったのだろうか。結構傷が深かったようで、止めどなく血が流れてくる。

 あれ、しかもなんかフラフラしてきた……。軽い脳震盪を起こしてしまったのだろうか。


「ギャウァ!」


 混乱する俺に、更なる追い討ちが。中央のライオンが巨大な口を開け、飛びかかってきたのだ。その大きさたるや、俺の小さな体など噛まずに丸呑みできそうな程だった。


「きゃぅん!」


 霞む視界の中、俺はバックステップで後退。ついでにお尻でプーちゃんを突き飛ばす。

 しかし避け切ったつもりだったが、僅かに遅かったようだ。バクン!とライオンが口を閉じた際、その牙が前脚に掠ってしまった。


「きゃん……!?」


 直後、そこに焼けるような痛みが走る。続けて吹き出す鮮血。

 関節の近くをザックリと切られたようで、血が滝のように溢れ出てきた。力が入らなくなり、立つことさえままならない。脳震盪を起こしていたことも合わさり、俺はフラフラと地面に突っ伏してしまった。

 掠っただけでこの威力とは……。もしまともに牙が当たっていたら、この可愛いお手てはスパッと持っていかれていただろう。


「にゃーにゃ!?」


 プーちゃんが駆け寄ってきて、心配そうに顔を覗き込んでくる。

 ああ、ダメだよプーちゃん。逃げて……。

 彼女の悲痛な表情を見て、ようやく俺達が果てしないピンチに陥ってしまったことに気がついて、焦りが生まれてきた。

 なんなんだこのライオン達。強い……。このチート犬の俺がボコボコにやられるなんて。俺よりチート級の力を持つ生物が存在するなんて。

 ……いや、侮っていただけだ。これは俺の油断と慢心が招いた結果だ。ドラゴンを倒したことによって、ライオンなんかに負けるはずないと自惚れていたのだ。


「ガゥ、ガァウァ」


 ライオン達はボロ雑巾のようになった俺を見下し、勝ち誇ったような薄ら笑いを浮かべながら、ジリジリとにじり寄ってきた。

 まずい……プーちゃん、君だけでも逃げてくれ……。


「にゃにゃー!」


 しかし俺の願いとは裏腹に、小さな子猫は俺を守るように前へと進み出た。

 ダメだ! 殺されてしまう! 必死に止めようとするが、体が思うように動かない。その小さな背中に呼びかけようとするものの、掠れた声しか出なかった。


「シャーッ! シャーッ!」


 なんかプーちゃん、すごい怒ってるぞ……。

 何を言っているかわからないが、毛を逆立て、自分の何十倍も大きな相手にシャーシャーと捲し立てていた。先ほどまでプルプル震えていたその背中は、今や一切の恐怖を感じさせず、むしろ怒りに満ちているようだ。


「にゃぁあああ!」


 その怒りが抑えきれないとばかりに、地面をちょこんと蹴り飛ばし、無謀にもライオンに飛びかかる。

 余裕の表情を浮かべる猛獣は、小さな生物の勇姿を鼻で笑うだけで、避けようとも防ごうともしない。

 そして、プーちゃんの小さな猫パンチが、巨大なライオンの頬にポコッと軽く当たり--


「ギャウゥゥゥゥ!?」


 ライオンの体が、新幹線にでも跳ね飛ばされたかのように吹き飛んだ。

 ……え? ええ? えええええええええええ!?

 なに今の!? プーちゃんがやったの!? あの巨大なライオンを、プーちゃんが殴り飛ばした!?

 吹き飛ばされたライオンは遥か彼方まで飛ばされており、ぐったりと地面に横たわっている。その体はピクリとも動かない。ご臨終してしまったのだろうか。

 視線をプーちゃんに戻すと、彼女は驚いたように自身の前脚を見つめ、呆然としていた。自分自身でも予想外の展開だったようだ。


「ガ……? ガァァ!!」


 残った二匹のライオンも俺と同様に驚愕していたようだが、すぐに仲間がやられたことを理解し、怒りを顕にして反撃に出る。

 大きな前脚を振りかざし、掬い上げるようにしてプーちゃんに殴りかかってきた。対する子猫は鮮やかな身のこなしでそれをくぐり抜け、ライオンの顎の下へ潜り込む。そのまま華奢な膝を折り曲げ、後脚に力を込めた。


「にゃっ!」


 そして一気に上空へと蹴り上がり、アッパーパンチの要領でライオンの首元へ小さな拳をぶつける。


「ギッ……」


 ライオンの悲鳴は途中で掻き消された。なぜなら、首が削げ落ちたからだ。

 ボトン、と重量感のある音を立てて落下する猛獣の生首。エグい光景だが、あまりにも見事な切れ味のためか、嫌悪を感じるよりもむしろ驚嘆していた。

 おそらく偶然プーちゃんの爪が首に当たり、そのまま切り裂いたのだろう。彼女の小さな爪は、それほどの切れ味を秘めていたらしい。信じられない光景だが、不思議と理解ができた。俺自身同じ経験をしていたからだ。


「にゃああああ!?」


 一方で、これまた予想外の出来事だったのか、落下してきた生首を見て絶叫するプーちゃん。右手をブンブン振り回し、ベットリと付着する血糊を振り飛ばす。

 さっきまでの勇姿は見る影もなく、自身に秘められた謎の力に初めて気がつき、ただただ驚いているようだ。


 似ている……と思った。

 小さな体。そこに秘められた強大な力。それに加えて、ジェイミー達人間の言葉を理解しているかのような振る舞い。

 種族こそ違えど、俺に凄く似ている。まさか……。

 俺の頭の中に一つの仮説が生まれたとき、


「ゴ、ゴロニャ〜〜ン……」


 体躯に似合わないか弱い声を発しながら、残り一匹のライオンがドカドカと走り去って行った。どうやらプーちゃんの圧倒的な力に恐れなして逃げ帰ったようだ。ってかライオンもあんな声出すんだな。ゴロニャ〜〜ンってお前。


「にゃう〜」


 走り去る猛獣を見て、音色のような声を奏でながらホッと息を吐くプーちゃん。同じような鳴き声でもこうも違うとは。ああ、癒される。

 ともあれこれで追っ手は撃退し、脅威は去った。残る問題は--


「くぅ〜ん……」


 情けない声を漏らしながら、俺はグッタリと頭を垂れる。敵が去って安堵したことにより、気が抜けてしまったようだ。同時に全身から力も抜けていく。

 血が止まらない。額と前脚から止め処なく血液が流れ出し、乾いた地面に染み込んでいく。

 寒い。でも傷は焼けるように熱く、痛い。意識が遠ざかる。


「にゃあ……」


 そんな俺の様子を心配して、プーちゃんが駆け寄ってきてくれた。

 あぁ、プーちゃんが無事で本当によかった。

 不安気に俺の顔を覗き込む小さな天使。ぼんやりと彼女の顔を見ていると、比喩ではない意味で天国に昇ってしまいそうだった。


「にゃ……」


 プーちゃんは俺の傷を気の毒そうに眺めると、おもむろに前脚の負傷部に向けて顔を埋める。

 何をしているのか分からなかったが、どうやら傷口をペロペロと舐めてくれているらしい。痛みが勝っているためその感触を味わえないのが残念だが、彼女の優しさが心に沁みた。

 ペロペロ、ペロペロと。ゆっくり丁寧に舌を這わせる。

 しばらくそうしてもらっている内に、不思議と気分が落ち着いてきた。痛みが遠退いていくような錯覚さえ覚える。


 ……いや。違う。

 錯覚ではない。勘違いではなく、確実に痛みが消えている。

 麻痺して痛みを感じなくなったのではない。その証拠に、ペロペロとこそばゆい舌の感触を徐々に感じ取れるようになってきていた。皮膚を血糊が伝う不快感もなくなっていることから、出血も止まっているみたいだ。

 脚に何かが起きているのは間違いないのだが、プーちゃんは舐めるのに夢中で、何も気がついていない。


「わん……」


 不思議に思い、腕を動かしてみる。思い通りに動くうえに、やはり痛みもない。

 急に腕を動かしたことを不思議に思ったのか、プーちゃんはペロペロを止め、頭を上げた。それによって自身の前脚の様子がよく見えようになる。


 --傷が、消えていた。


 関節付近をよく観察する。僅かに血液が付着し、毛が一部分だけ無くなっていることから、先ほどまでは確実にそこに傷があった。

 しかし、今や綺麗さっぱり傷は消えていて、初めから怪我など存在しなかったように思える。


「にゃぁ?」


 プーちゃんと目が合い、お互いに目をパチクリさせた。

 俺は自己再生のスキルなど持ち合わせていない。となると、怪我が消えた原因など一つしか考えられなかった。

 プーちゃんも同様の結論に達したようで、それを確かめるように俺の額に口元を近づける。すると、すぐにジンジンと疼いていた痛みがすぅっと消えていき、代わりにペロペロと優しく触れてくる柔らかい感触が芽生えてきた。痛みが完全に消えたことから、次第に気持ち良ささえ感じ始める。

 ……あれ? ちょっと待って。よく考えたらこれって物凄い状態じゃない? 俺のおでこをプーちゃんがペロペロしてくれているなんて……! なにこの幸せなプレイ!

 幸福で胸が一杯になり始めたのも束の間、今回はすぐにプーちゃんの舌が離れた。あ、ちくしょう。もっとペロペロして欲しかったのに……。


「にゃあ! にゃーにゃ!」


 俺には見えないが、プーちゃんの驚きぶりから、額の傷にも脚と同じ現象が起きたようだ。

 確信した。

 プーちゃんの舌は、傷を癒せる。

 奇跡のような力だ。舌自体にその力があるのか、唾液にあるのか分からないが、とにかくプーちゃんがペロペロすると傷が治る。

 これはスキルだろうか。先ほどの共通点に加え、特別なスキルホルダー。やはり俺と似ている。

 となると、俺の仮説はいよいよ真実味を帯び始めてきた。


 --しかし、今の俺にとって、そんなことはどうでもよかった。

 大事なのは、『プーちゃんにペロペロされると、傷が治る』という事実のみ。それすなわち『傷を治すためには、プーちゃんにペロペロしてもらう必要がある』ということだ。

 そう頭に思い描いた瞬間。体が素早く動いた。


 俺は口の中でこっそり舌を牙に押し付け、カリっと噛む。舌の先端から血が滲み出し、口内に鉄の味が広がった。


「くぅ〜ん……」


 俺は弱々しく鳴き声を上げながら舌先をチロリと覗かせ、プーちゃんに傷を主張する。ウルウルした視線を彼女に投げかけ、傷が痛いアピール。


「にゃっ……、にゃんっ」


 プーちゃんは少し躊躇う素振りを見せたものの、癒しのスキルを使うために口元から舌を出した。

 お互いに舌を出し合い、見つめ合う子犬と子猫。

 そして、子猫の小さな顔が、ゆっくりと俺の顔に近づき--


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