第20わん 犬神やおよろず
「何の用じゃおぬしら! わらわはお昼寝中だったんじゃぞ!」
犬神だ。
魔法陣の中央から、本当に犬神が出てきた。
数日ぶりに見る犬神は、相変わらずイヌ耳と尻尾をぴょこぴょこ動かして、黒い瞳をクリクリさせている。本日の召し物は鮮やかな紫色の和服だ。
睡眠を邪魔されたらしい彼女は、機嫌が悪そうに眉間にシワを寄せているが、口に咥えた骨をモゴモゴと楽しそうに噛んでいた。
「きゃー! 犬神ちゃあん! 久しぶりー!!」
「ぬおっ!? アマンダか!」
犬神の姿を見るなり、勢い良く抱きつくアマンダさん。髪の毛をわしゃわしゃと撫で回し、頬をスリスリと擦り合わせる。
「犬神ちゃんのほっぺたスベスベ〜」
「こ、こらぁ〜。あまんだぁ〜。わらわは神様じゃぞぉ〜。き、気安く触れるでないぃ〜〜」
などと言いつつも、アマンダさんのナデナデ攻撃に、速攻へろへろになってる神様。イヌ耳が弱々しく垂れ下がり、心地良さそうに顔が惚けている。骨を咥えている口の端から涎が垂れていた。神様とは到底思えない間抜けな顔だ。神とはいえ、犬の本能には抗えないのか。
「やっぱり犬神ちゃん撫でるの気持ちいいわぁ〜」
「ふわぁぁ〜。ちゃん付けするなぁ〜」
犬神はすっかり骨抜きにされてしまった。まぁアマンダさんのナデナデ気持ち良いもんな。俺もアマンダさんに撫でられたときはあんな感じになっていただろう。
「後でお散歩しましょうよぉ」
「お散歩!? いくいく!」
「首輪付けてあげるわよぉ」
「うむっ!」
散歩という言葉に、犬神の目がパァっと輝いた。なるほど。犬神もお○んぽ大好きなのか。
それにしても、見た目中学生くらいの女の子が首輪付けて四つん這いで散歩……。やばい。犯罪の香りがプンプンするぞ。
「ばぅばぅ」
アマンダさんと犬神がじゃれ合っている中、ダルシーは面白くなさそうに低い唸り声を上げた。あー、わかるわかる。飼い主が他の犬を愛でてるときって、飼い主を取られたみたいで何か妬いちゃうよなー。ジェイミーがダルシーを撫でたとき、俺も少し妬いてしまったから、ダルシーの気持ちは良く理解できた。
「あぁ、ごめんねぇダーちゃん」
ダルシーのムスっとした視線に気がついたアマンダさんは、名残惜しそうにしながらも犬神から離れた。アマンダさんの拘束から逃れた犬神は、乱れた着衣を正し、オホンと咳払いして惚けた表情をキリっと引き締める。しかしその姿からはもはや威厳を感じられない。この無理して威厳を保とうとする姿、どこぞのケリーとかいう子とそっくりだ。
そんな犬神に対し、ダルシーはペコリと一礼をした。
『……お久しぶりです、犬神様』
ダルシーの言葉に、犬神のイヌ耳がピン! と立ち上がった。
犬神も犬の言葉が分かるようだ。まぁ当然っちゃ当然か。擬人化したダルシーも俺の言葉分かってたし。
「おお! おぬしダルシーか!? 大きくなったのう!」
「ばぅ」
犬神はダルシーのことに気がつくと、嬉しそうに尻尾を振り回した。
そういえば、ダルシーも犬神と知り合いだったんだっけ。人化スキルを授けてもらったんだよな。
「相変わらずモフモフじゃのぅ」
「ばぅぅ」
撫でられた後は撫でる番、とでも言いたげに、犬神はダルシーに抱きつきモフモフの黒毛に顔を埋めた。ダルシーはくすぐったそうに、だけど気持ち良さそうに喉を鳴らす。
しばらくダルシーの毛並みを楽しんだ犬神は、毛から顔を離すと、ダルシーの横にいる俺に目を向けてきた。
「そこの茶色いボク? 名前は何と言うんじゃ?」
可愛い俺の姿を愛おしそうに見つめる犬神。今にでも飛びかかってきて撫で回されそうな雰囲気だ。
てか、あれ? 俺のこと忘れてる……?
『俺だ! 覚えてないのか!? この前転生してもらった元人間だ!』
きゃんきゃんと必死に吠えると、最初はぽかんとした表情だった犬神の顔が、次第に満面の笑みに染まっていった。
「あー! ああ! あの時の犬大好き人間か!」
嬉しそうに俺を抱きかかえ、額を優しく撫でてくる犬神。全身に心地良い快感が走る。うぉぉぉ……アマンダさんに負けず劣らず、撫でるのが上手い。さすが犬の神様だけはある。
「可愛い犬に転生できてよかったのう。人間の時の外見は、お世辞にも良いとは言えなかったしなぁ」
ハァ!? 俺そんなこと思われてたの!? ……まぁいい。聞かなかったことにしよう。
「どうじゃ? 犬ライフは満喫しているか?」
『おかげさまで』
まぁ犬になってから散々苦労したけどな。捨てられて飢え死にしそうになったり、ドラゴンに食われそうになったり……。犬になった当初は、犬神への怒りが大きかった。犬神のことを恨み、憎んでいた。
だけど苦労した反面、犬になって色々得したこともある。美人姉妹に愛でてもらえたり、お風呂に一緒に入ったり、一緒に寝たり。そんなハッピーイベントがあったお陰で、次第に犬神への怒りなど忘れてしまった。今では犬ライフをエンジョイできている。それどころか、犬神に感謝さえ感じるようになってきていた。なんだかんだ言って、もう一度新しい命を授けてくれた恩もあるし。
それに、犬神も悪気があって俺のことを犬に転生させたのではないだろう。恐らく、犬の神様だから犬にしか転生させることが出来なかったんだ。最近はそう考えている。そう考えることによって、犬になったことを無理やり納得していた。
「犬神ちゃん。その子ヌー君っていうんだけど、人間になりたいんだってぇ」
あくび混じりのアマンダさんが、犬神を呼び出した目的を伝えてくれた。
実際のところ、犬神に対する怒りが消え感謝さえ感じるようになったのは、人間になれると判明したことが大きい。人間に戻れると知って心に余裕が生まれたのだ。もう一度人間に戻ることができさえすれば、犬になってしまったことも笑って済ませられるだろう。
アマンダさんの言葉に、犬神は不思議そうな表情で俺の顔を覗き込んだ。
「おぬし、せっかく犬になれたのに、また人間に戻りたいのか?」
『あ、ああ。俺は別に犬に転生したかったワケじゃないんだ。できれば、人間に転生したかった』
犬神は心底意外そうな顔をして、目をパチクリさせた。
「なんじゃ、そうじゃったのか。おぬし犬が大好きと言うから、気を利かせて犬に転生させたんじゃが……そうか、人間のほうがよかったか」
……ん? え? 今なんて? 気を利かせて犬に転生させた?
てっきり犬の神様だから、犬にしか転生させることが出来ないんだと思っていた。そう自分の中では納得していた。だけど、今の口ぶりから察するに、人間にも転生させることが出来るみたいだ。あ、そういえば、猫の毛に済むノミにも転生させることができる、とか言ってた気がする。
『もしかして、どんな生物にも転生させることができたのか?』
「もちろん! わらわは神じゃからな!」
ドヤ顔の犬神。ちょっとイラっとした。
『それなのに、敢えて俺のことを犬に転生させたのは……』
「気を利かせたのじゃ! おぬし、犬が大好きなんじゃろ?」
……まさか、『犬のことが好きな人間は、犬になりたいハズじゃ!』なんて考えてたのか!?
極論すぎんだろ! なんという余計なお世話!
あーそうか。あのとき白い空間で、俺が犬好きをアピールをし過ぎたせいか。スキルとか高ステータスを貰うために調子に乗りすぎてしまったなぁ。でも自業自得である反面、犬神の思考回路には飽きれてしまう。
『はは。いくら犬が好きだからって、犬になんか転生したいと思う人間はほとんどいないと思うぞ』
犬神のアホっぷりにもはや笑うしかなかった。
しかしそこで、俺の言葉を聞いた犬神の動きがピタリと止まった。
「今……なんと言った?」
あれ、なんか俺マズいこと言ったかな?
先程まで笑顔で俺を撫でていた犬神は、一変して無表情となり、目を見開いて俺の顔をじっと見つめる。
「犬に……なんか?」
犬神の雰囲気が変わった。さっきまでのバカっぽい感じはすっかり消えている。周囲の大気がピリピリと震えている気がする。
やべ、怒ってるのか?
「なんか、じゃと?」
そうか、犬『なんか』という言葉がマズかったか。種族の神だしな。そんなこと言われて怒るのは当然か。無表情の犬神からは、そこはかとない怒りを感じた。
『すまん! 言葉の綾だ!』
俺は慌てて取り繕う。
しかし、犬神は不気味な無表情のまま、訝しむような視線を俺に向けてきた。
「……おぬし、本当に犬が好きなのか?」
『え? なんだよ急に?』
「本当に犬が好きなら、犬『なんか』という言葉は、口が裂けても出てこないはずじゃ」
そこまで言って、犬神は何かに気がついたようにハッと息を飲み、語気を強めて俺を睨む。
「……まさか、わらわの機嫌を良くしてスキルを授けてもらおうとか考えて、『犬が好き』と嘘をついていたのではなかろうな……?」
やべぇ! 勘づかれた!
そう表情に出てしまったのか、犬神の雰囲気がさらに鬼気迫るものになる。彼女の周囲にはバチバチと紫の電流が弾け、室内だというのに冷たい風が吹き荒れた。
『誤解だ誤解!』
異様な雰囲気の犬神を警戒して、俺は彼女の腕から逃れ距離を取ることにした。このまま近くにいると感電しそうだし。そんな俺の元にダルシーが駆け寄ってきて、慌てたように耳打ちをしてくる。
『……まずいよ、ヌー。……犬神様は、犬好きのフリをしている人間が……大嫌いなんだ』
平常は落ち着いていてゆっくりと話す彼女の声が、かなり戸惑っているように聞こえた。ただ事ではないようだ。
「犬好きのフリをする人間は、『あ、その犬可愛いッスね〜。俺も犬好きなんスよ〜』みたいな感じで異性に近づくために犬を使う! わらわはそんな下心満載で犬が好きとか言う輩が許せんのじゃ!」
知るか! なんだそのどうでもいい理由は! ……と言いたいところだが、俺もスキルやステータスを手に入れるために犬を利用したようなもんだから、言う資格はないなぁ。
「い、犬神ちゃ〜ん。落ち着いて〜。よしよ〜し」
あのアマンダさんも動揺している。近づいてなだめようとするが、犬神の周囲でバチバチと帯電する電流のせいで近づけないようだ。
まずいな。これ以上犬神を怒らせるのはマズい。なんとか取り繕わないと。
『う、嘘なんかついてない! 俺は本当に犬が好きだ!』
嘘はついていない。犬が好きなのは本当だ。ただ、どちらかと言うと猫派なだけで……。
だけど犬神は、俺の言い訳に耳を傾けてくれない。それどころか、更に俺に疑惑の目線を向けてくる。
「もしや本当は……猫派、などではなかろうな……?」
ギクぅ! やばいやばい! どんどんメッキが剥がれていく!
怒りのためか、プルプルと震える犬神。それに応じて、地震でも来たのかと錯覚するほど建物全体が大きく揺れ始める。店内の戸棚から、瓶がいくつか床に落下して割れた。
『……犬神様は……猫派の人間が……一番嫌いなんだ』
ダルシーの声色が明らかに恐怖に染まっている。アマンダさんはというと、『ケリーちゃん用のオークの睾丸が落ちちゃった!』とか喚いて、珍しく声を荒げていた。
みんな動揺している。それほどまでに、犬神がこれ以上怒ったらマズいということだ。なんとか犬神に落ち着いてもらわないと。
吹き荒れる風の音に掻き消されぬよう、俺は大声で叫んだ。
『俺は猫派なんかじゃない! 犬派だ! 犬大好きだ! 超大好き! わんわんわんわん!!』
もちろん嘘だ。本当は猫派だ。
しかし正直に言ったら間違いなく犬神はブチ切れる。そうなったら周囲に甚大な被害を及ぼすだろう。アマンダさんの店が吹き飛んでしまうかもしれない。そうならないために、心苦しいが嘘をつかなければならないのだ。前回は私利私欲のための嘘だったが、今回は誰かを守るための嘘だ。
俺の悲痛な叫びがようやく届いたのか、怒れる犬神は少し落ち着きを取り戻した。
「本当か?」
『本当だ! 本当に犬が好きだ!』
彼女が落ち着いたことにより、店の揺れや嵐が収まった。よかった。一安心だ。
だが、ほっとしたのも束の間だった。
「なら、犬が好きという証拠を見せい」
『証拠?』
犬が好きという証拠なんか、どうやったら示せるんだ?
「うむ。犬が好きというなら――」
そこで一旦言葉を区切り、犬神は少々考えた後、とんでもない提案をする。
「――そうじゃな……交尾、できるじゃろ?」
こうび?
コウビ?
KOUBI?
コウビってあの交尾のこと!? 犬と!? いきなり何言ってんだよコイツ!
「犬が好きというなら、犬と交尾できるはずじゃ! ダルシーと交尾して証明してみせい!」
なんでそうなるんじゃああああ!!!




