第13わん お○んぽの誘惑には勝てない
「グルルゥ」
ダルシーのアニキが低く唸った声が、店内に響いた。
「うわっ、ビックリした。どうしたんだ急に?」
「あらぁ〜。今日はご機嫌ナナメなのかしらぁ」
まさか、ダルシーのアニキが例の『†暗い夜の堕天使†』さんだとは……。
なるほど。ダークナイト・ルシファー、略してダルシーか。先ほど絡んできたブルドッグ三人組が呼んでいた、『クラダテ』とは『暗い夜の堕天使』の略のことだろう。
俺としてはめちゃくちゃカッコいい名前だと思うのだが、どうやらアニキ本人はあまり気に入っていないようで、本名を呼んだらキレてしまった。あのクールで寡黙なアニキがキレるのだから、余程嫌なのだろう。まぁ、俺もヌプなんとかっていう変な名前にされたし、気持ちは良く分かる。
「わんわん……」
俺は小さく鳴き、ごめんなさいとアニキに謝罪する。当然、俺とアニキの言葉は、人間にはただの鳴き声にしか聞こえない。しかし犬同士、俺には彼の言葉がハッキリ理解できるし、逆もまた同じだ。
『……いや、こっちこそ……ごめん。また怒っちゃって。……でも私を……その名前で呼ばないで』
すぐにダルシーのアニキは冷静になったようで、平常のクールで寡黙な雰囲気に戻った。一瞬焦ったが、許してくれてよかった。てか、さっきは全然喋れなかったし、もっとちゃんと話したいなぁ。なんたってアニキは俺がこの世界で、今のところ唯一会話できる相手なのだから。
我慢出来なくなった俺は、
「わん!」
ケリーの腕の中からピョンと飛び出し、床にちょこんと着地する。ジェイミーのように身体が挟まれるモノもないので、いとも容易く脱出できた。
「おい! ヌー!」
すぐにケリーは飛び出した俺を捕まえようとしてきたが、それをアマンダさんが制止する。
「まぁまぁ。いいじゃない。ヌーくん、ダーちゃんと友達になりたいみたいよぉ〜」
「か、噛んだりしないか!?」
「大丈夫よぉ〜。ダーちゃんは舐めるのは得意だけど、噛みはしないから」
ケリーは心配そうに見ていたが、アマンダさんの言う通りアニキはそんなことしないから大丈夫だぞ! 俺はアニキの元へてちてちと駆けていく。そんな俺を、ダルシーのアニキはじっと見つめていた。黒い毛に映えるレモン色の瞳が相変わらずカッコいい。
『……そういえば……キミの名前……まだ聞いてなかったね』
『俺?』
そうだった。そういえば俺、まだ自己紹介してないじゃないか! 弟子になったというのになんて失礼な!
慌てて自己紹介しようとするが、
『俺の名前は、ヌプ……』
『……ヌプ?』
『ヌプ……ヌプ……えっと……』
やべ、自分の名前の正式名称なんだっけ。まだ覚えてないんだった。んもう! 長すぎんだよ! 仕方ない。俺は頭の中で『ステータス』と唱える。すると、脳内にステータス情報が思い浮かんできた。それを一字一句確認しながら、間違えないように名前を答える。
『えっと、ヌプ……ヌプティヌしゅっ』
……噛んだ。
『……え? なに?』
『ヌ、ヌプティスヌクレドヌ……です』
言い難いんだよチクショウ! 言い難いし恥ずかしい! こんな変な名前、アニキにバカにされないかなぁ。しかしアニキは意外にも、
『……カッコいい名前だね。……羨ましい』
と瞳の奥を輝かせた。
『ハァ!? 冗談ですよね!? どこがカッコいいんですかこの名前!』
『……私は好きだけど』
『いやいや! アニキの†暗い夜の堕天使†って名前のが百倍カッコいいですよ!』
俺が思わずそう言うと、アニキの耳がピクリと動く。
『……私のこと……馬鹿にしてるの? ……怒るよ?』
『い、いや! 馬鹿になんかしてませんよ! マジでカッコいいと思ってます!』
『……嘘』
アニキは目を細めて俺を訝しむように睨む。だけど俺はそれに怯むことなく、まっすぐ真剣に向き合った。
『ホントですって! ホントにカッコいいと思います!』
『……冗談やめて』
『冗談じゃないです!』
つぶらな瞳でまっすぐとアニキを見続けていると、アニキの表情が少し和らいできた。どうやら俺が本気で言っていると伝わってくれたようだ。そして少し間を空けて、
『…………ほんとに?』
『ホントです! マジカッコいいですよ!』
『……まぁ……お世辞でもそう言ってくれると……嬉しいよ』
アニキは口元を少しだけ緩めた。白い牙がキラリと光る。おお、クールなアニキが微笑むとは! レアな光景だ!
でもお世辞じゃないんだけどなぁ。まぁ馬鹿にしているという誤解が晴れただけでも良しとしようか。
「あらぁ〜もう仲良しさんねぇ」
「そ、そうだな」
俺とアニキが会話をしている様子、といっても人間からしたら『わんわん』『ばうばう』しか聞こえないだろうが、それをアマンダさんとケリーは微笑ましそうに見守っていた。ケリー、ニヤけるの我慢し過ぎて変な顔になってるぞ。
「お姉ちゃ〜ん! あっ! アマンダさんこんにちは!」
そんなとき、店の奥からジェイミーの甲高い声が響いてきた。入り口付近からでは棚によって死角になっていて、ジェイミーの姿は見えない。故に、ジェイミーもこっちの姿は見えていないようだ。
「あらぁ〜ジェイミーちゃん。またおっぱい大きくなったぁ?」
「お、おっきくなってないですよぅ!」
「うふふ。ケリーちゃんに分けてあげればいいのに〜」
「う、うるさい黙れ!!」
なぜそこで俺を睨むんだケリー。今は何も考えてないぞ? 本当だぞ?
「そんなことよりアマンダさん。この杖なんですけど……」
「そんなこと!?」
「はいはぁい。今そっちに行くわねぇ。ケリーちゃんも見てあげてぇ」
「え? しかし……」
チラリと俺の方を見るケリー。俺を残して行くのが心配なのだろう。
「ダーちゃんが居れば大丈夫よぉ。ねぇ? ダーちゃん?」
「ばう」
「そ、そうか? ヌー、良い子で待っているんだぞ?」
「わん!」
「お姉ちゃーん! はやくぅ!」
ケリーは後ろ髪を引かれる様子を見せながらも、ジェイミーに催促されて店の奥へ行ってしまい、アマンダさんと共に姿が見えなくなった。
二人を見送ったダルシーのアニキは、
『……キミのご主人、まだ買い物終わらなそうだし……ちょっと外行こうよ』
鼻でぐっ、と入り口の扉を押し開ける。外から涼しい風が流れ込んできた。
『え? でも……』
ケリーに待てって言われたしなぁ。
ご主人様の命令にきっちり従わなければ、と思うあたり、マジで犬精神が染み込んできたな。
『……あんまり遠くへは行かないよ。……おさんぽ好きでしょ?』
『おさんぽ……』
そのワードを聞いただけで、テンションがぐっと上がる。魔法の言葉だ。おさんぽ……楽しかったなぁ。ああ、ダメだ。考えただけで身体が動いてしまう。アニキとおさんぽ……。アニキのおさんぽ……。楽しいだろうなぁ。
『おさんぽ大好きッス!』
ごめんよケリー。おさんぽには勝てなかったよ……。
◇◇◇◇◇
ダルシーのアニキとの散歩は、極めて落ち着いた散歩だった。さっきみたいにアホみたいに走り回るのではなく、ゆっくりと風景を楽しむような散歩だ。オトナっぽい。さすがアニキ。本能のままに走り回る散歩も楽しかったが、こういった散歩もまた楽しい。
『……へぇ……じゃあさっきのご主人に拾ってもらったのは……ついさっきなんだね』
『そうなんスよ〜。餓死寸前のところを助けてもらって』
十分も満たない時間であったが、アニキといろんな話をした。もちろん転生したことやドラゴンを食い殺したことなんかは話していない。
彼は『H・スキー』という犬種らしく、年齢は1歳弱とのことだ。その若さでこんなにも威厳があってクールな佇まいが出来るとは、恐れ入る。
『人間に換算すると十六、七歳くらいだよ。JKだよJK』とアニキは言っていたが、アニキ、JKは女子のことを言うんですよ。訂正するのも面倒だったから何も言わなかったけど。ってかこの世界にも高校とかあるのか。しかも女子高生をJKとも言うんだな。ほとんどの単語は、俺の前世のものと同じだ。今のところ異なるのはリンゴだけだよチクショウめ。
『……じゃあ……そろそろ戻ろうか』
『ウッス!』
もう時間か。残念だ。でもケリー達が心配するだろうから帰らないとな。
ほんの短い間だったが、アニキとは随分仲良くなれたと思う。アニキは寡黙なだけで、かなり気さくだし、話し易かった。何よりもアニキと話すのは楽しい。あ、やべ。会話できることが嬉しすぎてまた涙出そう。
『……ヌーと喋れて……楽しかった』
『おおお俺もッスよ!』
そんなことを言ってくれるとは! マジで嬉しい! 尻尾がブンブンと揺れてしまう!
横を歩くアニキからは、ハチミツの甘い匂いが香った。当初はアニキの後に続いて歩いていたのだが、犬の目線だと目の前に肛門が来ることに気がつき、目のやり場に困ってアニキの横に並んだのだ。
『いやぁホント、アニキみたいなカッコいい男……いや、オスの弟子になれて、俺幸せですわぁ』
魔術用品店への近道だという一本道の路地。そこを歩みながら俺がしみじみと言うと、アニキは一瞬立ち止まり、
『……まだ……気がついてないの?』
信じられないものでも見るように、ぽかんと口を空けて俺を見つめる。
『え? なにがですか?』
『……いや、なんでもない。……でも、ちょっと傷つくなぁ……』
え? なんの話だろう? 俺、何か傷つけるようなことしたのか!? なんだなんだ!? 心当たりが無いぞ!?
俺があたふたしていると、アニキは『気にしなくていいよ』と微笑んだ。……うーん。なんなんだ一体。怒っている様子もないし、アニキの言う通り気にしなくてもいいのか?
『……ねぇ……変なこと聞いてもいい?』
『はい?』
悶々と考え込んでいると、唐突にアニキが切り出した。彼は俺を観察するように、じっと見つめている。
『……キミ……本当に生後三日?』
『えっ!?』
予想外のその言葉に、思わず飛び上がってしまった。
『……見た目は……生後三日のPM・ラニアンそのものだけど……精神年齢がそうとは思えない』
そりゃそうだ本当は二十五歳なのだから。でもマズいな、ケリーに続き、アニキにまで疑われてしまった。中身が人間だとバレたら、気味悪がられるかな……。
『俺は、その……』
いや、でも言ってしまおうか? 本当のことを言ってしまい、この世界のこととか、犬として生きるためのアドバイスを教えてもらったほうがいいんじゃないか? アニキは心の広い人間……もとい犬だ。もしかしたら、受け入れてくれるかもしれない。事情を知る味方が居れば、これほど心強いものはない。
渋る俺を見て、アニキは口もとをニヤッと吊り上げた。
『……知りたいな……ヌーの秘密。……ヌーが喋ってくれたら……私の秘密も……教えてあげる』
アニキの秘密? なんだろう? アニキの秘密も知りたいが、それよりも俺の秘密を相談したい気持ちも大きい。きっとアニキは受け入れてくれる。言ってみる価値はあるだろう。
『あの! じ、実は俺――』
意を決し、本当のことを口にしようとした瞬間、
『おい! クラダテ!』
背後から聞こえた、しわがれた鳴き声。振り向くと、そこに居たのは先ほどのブルドッグ三人組だ。あの野郎ども! 俺がせっかく喋ろうとしたのに!
『……また……お前達か』
アニキは飽きれたようにため息を吐く。
『あ、さっきのチビもいるじゃねぇか!』
『……何か用? ……お前達に構ってる暇ないんだけど』
さっきは尻尾を巻いて逃げ出したのに、今更何の用だろう。ブルドッグ達はやけに自信に溢れた顔をしている。
『ケッケッケ。そんなデカい顔してられるのも今のうちだぜぇ! おい! 出てこいお前たち!』
一匹のブルドッグが天に向かって『わおーん!』と遠吠えをする。その直後、
「ワンワン!!」
「バウバウ!!」
「ガウガウ!!」
大量の、そして多種多様の犬が路地に傾れ込んできた。レトリバーのような大き目の犬から、チワワっぽい小さい犬まで、色んな種類の犬が前と後ろからゾロゾロとこっちに走って来る。路地は一本道。逃げ道は無い。総勢三十匹はいるだろうか。あっという間に路地は犬の大群で埋め尽くされた。
『ハーッハッハ! さすがのお前もこの数の相手は無理だろう!』
『ここはお前のお散歩コースだってことは下調べ済みなんだよォ!』
『今までさんざんデカい顔してきたお礼だ! 覚悟しろよ!』
待ち伏せされていたのか。すげぇ数の犬だな。別の出会い方ならぜひ友達になりたかったものだ。だけど相手もアニキもそんな雰囲気じゃない。
『……マズい。……さすがにヌーを守りながら……この数は』
アニキは苦虫を噛み潰したような表情になっている。もちろん、多勢に無勢な状況のせいもあるだろうが、俺を巻き込んでしまったことにも責任を感じているのだろう。
『……ヌー、私の身体の下にもぐって。……私が守るから』
アニキはこんな状況でも自分のことなんか気にせず、俺を守ることしか考えていない。マジ尊敬するよアニキ。
『……何か変な臭いは感じていたのに……気づくのが遅れた。……巻き込んで……ごめん』
『俺は大丈夫ッスよ。アニキ』
『……ヌー?』
アニキが心配そうに俺を見ていたが、俺は構わず前に出た。一方で周囲の犬どもはアニキを煽るように、
『やーいやーい! クラダテェ!』
『クーラダテ! クーラダテ!』
『クーラダテ! クーラダテ!』
と、謎の『クラダテ』コールを始める。こうすればアニキが怒ると知っているのだろう。犬どもの目論み通り、アニキのこめかみはピクピクと痙攣し、青筋が浮かび上がってきていた。アニキは大きく息を吸い込む。吠えるのだろう。そして、
『うるせェェェェェェ!!! アニキの名前を馬鹿にすんじゃねェェェェェェェ!!!』
路地に響き渡る怒号。
しかしその怒号は、アニキのものではない。俺のものだ。アニキが叫ぶよりも先に、俺が吠えたのだ。
だけどその声は怒号と表現するにはほど遠く、むしろ『きゃおーん』という可愛い遠吠えだった。精一杯威嚇しようとしたが、可愛い俺の身体からじゃ可愛い声しかでなかった。アニキのようにカッコ良くはいかないかぁ。吠えたはいいけどなんかちょっと恥ずかしいな。だけどアニキではなく俺が吠えたのが意外だったのか、さっきまでの『クラダテ』コールがピタリと止んだ。アニキもビックリしたように俺を見ている。
『おうおう何だクソチビ! やんのかアァン!?』
そんな中、ブルドッグの一匹が俺の前に立ちはだかった。
コイツらアニキに迷惑をかけて、ムカツクぜ。それに、さっき襲われかけた恨みもあるしな。
俺は可愛い前足から可愛いツメを出し、喉元で熱いモノを生成する準備をする。もちろん、ドラゴンのように八つ裂きにはしない。ちょっと驚かすだけだ。どうせアニキに本当のことを打ち明けるつもりでいたんだ。何も隠す必要はない。――『芸』のお披露目と行こうか。
『おいクソチビ、お前の名前は?』
『俺は――』
俺はブルドッグを睨みつけ、カッコ良く名前を答えようとする。しかし、
『俺の名は……俺の名は……ちょっと待って』
ええいもう! カッコがつかない! えっと、『ステータス』っと。ヌプ……よし、覚えたぞ。あとは噛まないように慎重に……。
『俺の名前は、ヌプティヌしゅっ』
……噛んだ。




