第11わん ワンコ・ミーツ・ワンコ
三匹のブルドッグに囲まれ、今まさに襲われそうになったその時、
『……お前ら……何やってる』
背後から声が聞こえた。
呟くように小さな声だったが、透き通るようなその声は、風に乗ってハッキリと耳に届いた。
それはブルドッグ達も同じようで、
『あぁ!?』
『誰だ!?』
『邪魔すんなぁ!』
一斉に声の方向へ顔を向ける。
『……弱いものイジメは……よくない』
そこには、漆黒の毛で覆われた、大きな犬が佇んでいた。
堂々とした風格で、黄色に輝く瞳を細め、ブルドッグ達を睨んでいる。犬というよりも、オオカミのような風貌だ。
その凛とした姿を見たブルドッグ達は、
『うわっ! ダルシーじゃねぇか!』
『やべぇ逃げるぞ!』
『くそっ! 覚えてろよ!』
さっきまでの威勢はどこへ行ったのか、そそくさと逃げ去ってしまった。
3対1にもかかわらず、一目見ただけで逃げ去るとは……このダルシーとかいう犬は、余程強いのだろうか。
ダルシーは俺に近づき、
『……キミ……大丈夫?』
小さく、そして短く声を掛けてきた。
寡黙な犬のようだ。
俺を助けてくれたのだから、敵ではないだろう。クールで、寡黙な黒い犬。彼は静かな目で俺を観察する。
『あっ、ハイ。ありがとうございます』
そのキリっとした風格に、思わず敬語になってしまった。
しかし、心の中では、
……か、か、カッケぇええええ!
マジカッケぇえええええ!!!
なにこの黒い毛! なにその黄色い目! なにそのオオカミみたいな顔! マジカッケぇ!
俺もできることなら、こんな真っ黒で大きな犬に生まれたかった!
もうカッコいい姿を見て、テンション上がりまくりだった。
『……ここら辺は……BL・ドッグの縄張り……あまり近づかないほうが……いい』
ダルシーさんはゆっくりと、小さな声で言葉を紡ぐ。
喋るのが好きではないのか、言葉を発するのが億劫なのか、それとも単に眠いのだろうか。何にせよ、その透き通るような声と相まって、寡黙な雰囲気がめちゃくちゃカッコ良い。
俺が彼に憧れの眼差しを向けていると、
『やーい! やーい! 「クラダテ」!』
『覚えてろよ「クラダテ」!』
『ギャハハ! じゃあな「クラダテ」ちゃんよぉ!』
遠くのほうから遠吠えのような声が聞こえた。
見ると、数十メートル離れたところから、さっきのブルドッグ達が吠えている。まだ居たのかアイツら。あんな遠いところから吠えて、情けない。これがホントの負け犬の遠吠えだ。
ってか『クラダテ』ってなんだ?
俺にはその意味が分からなかったが、寡黙だったダルシーさんはその言葉を聞き、
『うるっせえええええぇぇぇ! 私をその名前で呼ぶなァァァァァ!! ブチ殺すぞォォォォ!!!』
突如、大声で吠える。
街道に響くオオカミのような雄叫び。それを聞いたブルドッグ達は、慌てて逃げて行った。
び、ビックリした……。ダルシーさん、どうしたんだろう急にキレて。
『……あ……ごめん……取り乱した』
俺が怯えているように見えたのか、彼は雄叫びを止め、再び小さな声に戻った。
『あ、大丈夫っすよ』
キレたのはビックリしたが、その吠える姿もカッコ良かったなぁ。
ダルシーさんは一瞬にして俺の心を鷲掴みだ。犬の美的感覚は俺には分からないが、きっと彼はイケメンの部類に入るのだろう。俺がメス犬だったら即落ちしていたところだ。
このカッコいいダルシーさんともっと喋りたい……そう思ったが、すぐに話題も思いつかなかったので、
『あの、「クラダテ」っていうのは何のことですか?』
聞いちゃいけないかもしれないが、気になっていたことを聞いてしまった。
俺の言葉に、ダルシーさんの耳がピクっと反応する。
『……それは……聞かないで』
やっぱり聞いちゃダメなんだ。
クラダテ……一体なんのことだろう。何かの略称だろうか? あのブルドッグ達はダルシーさんに対する蔑称のように使っていたようだけど。
『……じゃあ……私は……これで』
ブルドッグ達が完全に見えなくなったのを確認したダルシーさんは、くるっと振り返り、この場を去ろうとする。
あ! 待って! 行かないで!
『ダ、ダルシーさん!』
カッコいいダルシーさんともっとお近づきになりたかった俺は、思わず彼を呼び止めてしまった。
ダルシーさんはゆっくりとした動作で俺の方に顔を向ける。
『……なに?』
呼び止めたはいいけど、何を言おう。
えーっと、えーっと、そうだ! 友達になってもらおう! ……いや、カッコいいダルシーさんと、俺なんかが対等な関係になろうなんておこがましい。ここは、そうだな……
『俺を、弟子にしてください!』
『……弟子?』
『はい! ダルシーさん、マジでカッコ良かったです! 俺、まだ犬世界のこと全然知らなくて……だから、カッコ良くて強いダルシーさんの弟子になりたいんです!』
『……弟子……別に……構わないけど』
出会ったばかりでいきなりこんなことを言って、迷惑かなぁなんて考えていたが、ダルシーさんは嫌な顔ひとつせずに、あっさり了承してくれた。
よっしゃあ! やったぜ!
心の広い人……じゃなくて犬だ。マジでカッコいい。
『ありがとうございます! ぜひ、アニキと呼ばせてください!』
テンションの上がった俺がそんなことを言うと、ダルシーさんの耳がピクン、と動いた。
『……アニキ? ……なんで?』
『あ、いや。弟子ですし、尊敬の念を込めて。イヤでしたか?』
『……いや、そうじゃなくて……私は……』
ダルシーさんは何か言おうとしたが、途中で止めて口を噤んだ。そして少し考えるような素振りを見せ、俺に静かに問いかけてきた。
『……キミ……匂いで「どっち」か判断……できないの?』
匂い? どっち? 判断? 何を言い出すんだ急に?
言葉の意味が分からなかったが、匂いと言われたので、とりあえず嗅いでみた。
くんくん。お? この匂いは……。くんくん。
『えっと。アニキは何だか甘い……ハチミツみたいな匂いがします! 良い匂いッス!』
『……そういうことじゃなくて……あと……あんまり嗅がないで』
『あ、すんません』
ダルシーさんの問いかけの意味が俺には分からなかったが、俺の返答を聞き、ダルシーさんは納得したような顔をしていた。
『……別に……アニキって呼んでも……いいけど』
『やった! よろしくお願いします! アニキ!』
こんなカッコいい男の人……じゃなかった、オス犬がアニキになってくれるなんて幸運だ。嬉しくて思わず尻尾が動いちまうぜ。
俺が喜びで飛び跳ねそうになっていると、
「ふぅーやっと終わったぁ」
疲れたような声と共に、ギルドの建物の扉が開かれた。そして中から人影が出て来る。ジェイミーとケリーだ。どうやら用事は終わったらしい。
『……あの人たち……キミの飼い主?』
『そうッス!』
『……じゃあ……私は……これで』
『あ、もう行っちゃうんですか?』
『……うん』
今気がついたが、アニキの首には首輪が巻かれていた。瞳と同じ、レモンのような黄色の首輪だ。漆黒の毛とのコントラストがカッコいい。
アニキも誰かに飼われているんだな。
『……じゃあ』
『はい! 今日はありがとうございました! また今度!』
誰かに飼われているということは、この街に居る限りまた会うことができるだろう。それに何故だか、すぐにまた会えそうな気もするし。
俺は背を向け立ち去るアニキを見送る。背中……というかお尻もカッコいいッス……。
そんな俺のもとにジェイミーが駆け寄って来た。
「ヌーちゃーん! 良い子にしてたー?」
「わん!」
アニキはそそくさと去ってしまったので、ジェイミー達は彼の存在に気がつかなかったようだ。
「ごめんね〜寂しかったよね〜」
「くぅん」
もふもふと俺を撫でるジェイミー。うわぁキモチいい〜。
いやぁそれにしても、飼い主の美人姉妹に加え、あんなにカッコいいダルシーさんがアニキになってくれるなんて、俺は本当に恵まれている。
「さぁ、魔術用品店に行こう」
ケリーは俺のことを撫でたそうにウズウズ見ながら、柵に結ばれていたリードをほどいた。
お、魔術用品店か。早く行ってみたい! 今度は中に入れるといいなぁ。
……ん? 魔術用品店? その言葉を聞いてピンと思い浮かんだけど、ダルシー? クラ……ダテ? ……どこかで聞いたような気がする。
はて、なんだっけ?