プロローグ 犬の神はケモミミ少女
「どこだここ……」
気がついたら、見知らぬ空間に居た。
何もない、真っ白な空間。ここがどこか、どうやってここに来たのかも覚えていない。
「おぬしは死んだのじゃ」
そんな何もない空間で、背後から突然声をかけられた。
驚いて振り返ると、そこには和服の女の子が。
「キミは……?」
女の子、と表現したが、どうやら人間ではない。
なぜかと言うと、彼女の頭部に、犬のような耳が生えていたからだ。
見た目は若くて可愛らしい中学生くらいの少女だが、人間ではない。ケモミミ少女だ。
「わらわは、神じゃ」
「神!?」
「詳しく言うと、犬の神じゃ」
「犬の神!?」
よく見ると、彼女の腰の辺りから、もふもふの尻尾が生えていた。
ぴょこぴょこ動く頭の耳といい、ゆったりと左右に揺れる腰の尻尾といい、偽物とは思えない。本当にそこから生えているように見える。
現実ではあり得ないこの姿により、彼女が『神』であることを、不思議と信じることができた。
「で、犬神さんが俺になんの用で?」
「名字みたいに呼ぶでない。犬の神じゃ。……もう一度言うが、おぬしは死んだ」
『死』。
その言葉が、脳に響く。
それが引き金になり、徐々にここに来る前の出来事が頭に思い浮かんできた。
「死んだ……。そうだ……思い出してきた。俺は、犬っころを助けようとして、それで……」
道を歩いていると、よちよちと子犬が車道に飛び出してきた。向かいからは大型トラック。運転手は慌てて急ブレーキを踏んだようだが、到底間に合うものではなかった。
考える前に、身体は咄嗟に動いた。気がつくと、自分でも驚くべき速度で子犬のところまで走っていたのだ。
「そうか……俺、死んだのか……」
走り出した後のことは良く覚えていないが、どうやら俺はそのままトラックに轢かれて死んでしまったらしい。
となると、ここは死後の世界だろうか。
「そうじゃ、子犬を守ってな」
「子犬は無事だったのか?」
「ああ、おぬしのお陰でな」
「そりゃ良かった」
死んだというのに、後悔や恐怖はなかった。不思議とその事実を受け入れることができる。
二十五年、平凡な人生だったなぁ。
そんな思いに耽っていると、犬の神と名乗った少女は、そのクリっとした可愛らしい目で、俺の顔を探るように見つめてきた。
「ふむ……。自らの命を捨ててまで子犬を救い、死んでもなお自分より子犬の心配をするとは……。おぬし、相当な犬好きじゃな?」
「いや……」
実のところ、犬はそこまで好きじゃない。嫌いなわけじゃないが、どちらかと言うと猫派だ。
自分でも子犬を救ったのが信じられないくらいだ。ただ失われそうな命を目前にして、反射的に身体が動いただけかもしれない。犬だから助けた、というわけじゃないのだ。
――でも、それを正直に話すのはやめといたほうがいいな。なんたって俺の目の前にいるのは、犬の神だ。なによりも、彼女の期待に輝く目を裏切れない。
「あぁ……。犬、めっちゃ好きッス」
「そうじゃろう、そうじゃろう! そうじゃと思っておったぞ!」
犬神の尻尾が、嬉しそうに大きく左右に揺れ始める。ここら辺は本当に犬だな。
「そんなおぬしの犬への愛に、わらわは感動した! そこで、犬の神として、子犬の命を救ってくれたおぬしにお礼をしたいと思っておる!」
「お礼?」
「そうじゃ! おぬしに、新しい命を与えよう!」
「マジで!?」
それって転生ってことか!? 犬神そんなこと出来んの!? スゲー!
犬が好きって言っておいてよかった……。
「おぬしが猫派とか言ったら、猫の毛に住むダニに転生させるつもりじゃったが……」
マジで言っておいてよかった……。
「わらわは犬好きのおぬしのことが気に入った! 剣と魔法の世界に転生させよう!」
「魔法の世界!? スゲー! ドラゴンとかいんの!?」
「ああ、いるぞ!」
うおー! 犬神スゲー! そんなファンタジーな異世界に転生できるとは!
「さらに犬好きのおぬしには、新しい世界で勇者として活躍できるように、高ステータスに設定しておいてやろう!」
「やったー!」
勇者! マジかよ! 犬神なんでもできるのかよ!
「ところでおぬし、好きな動物は?」
「え……?」
唐突にそんなことを聞いてくる犬神。耳をぴょこぴょこと動かし、期待の視線を俺に向ける。
これは……犬って言っておくべきだよな……。ほんとは猫が好きだけど。
「……犬」
「よぉし! おぬしには言語理解能力も授けよう! 赤子のうちから異世界の言語を理解できるぞ!」
「マジで!?」
犬の神だからか、犬が好かれるのが余程嬉しいようだ。こんなにサービスしてくれるとは……。
もしかして、もっと犬好きをアピールすれば、もっとサービスしてくれるかも……?
「一つ、質問していいか?」
「ん? なんじゃ?」
「そ、その異世界には、犬もいるのか?」
俺のその言葉に、犬神のケモミミが、ピン! と反応した。
「ああ、もちろんいるぞ! 嬉しいか!?」
「めっちゃ嬉しい! なんたって俺は犬が何より好きだからな!」
熱を込めて言うと、犬神はさらに力強く尻尾を振った。
「そうかそうか! ならば、大サービスじゃ! おぬしには特別なスキルも与えよう!」
「うおお! それって俺だけの特別なスキルみたいな!?」
「そうじゃ! おぬしだけのユニークスキルじゃ!」
キター! 異世界転生! 勇者! チートステータス! ユニークスキル! これはもう異世界で大活躍してハーレム確定だ!
ククク、どうやら俺の予想は当たったようだ。この犬神は、犬好きをアピールすればサービスしてくれる。よっしゃ! ここはもっとアピールしておこう!
「うおお! 犬! 犬大好き! 犬ラブ! わんわんわん!」
「……そうか。そこまで犬が好きなら、人間よりもむしろ……」
犬神はニヤリと笑って小さく何かを呟いていたが、テンションの上がっていた俺には良く聞き取れなかった。
「よし、じゃあそろそろ転生させるぞ?」
あれ、もうサービスは終了か。まぁいい。貰えそうなものはものは全て貰った。チートステータスとユニークスキルがあれば十分だ。
「ああ、頼む!」
すると突然、俺の身体が目映い光を放ち始めた。どうやら転生の始まりらしい。
うおー! 楽しみ! 異世界楽しみ! イケメンに転生出来るといいな〜。
「最後にもう一度聞こう。犬は好きか?」
「大好き大好き! 超大好き!」
犬神は心底嬉しそうに尻尾を振りながら、大きく頷いた。
「なら、大丈夫じゃろう」
え? なにが?
質問をする前に、俺の身体は光に包まれ、意識は途絶えた。