うちの猫のいじわる(後編)
「ニャーア! ニャーアァ!」
どこかでうちの猫が鳴いている声が聞こえた。
切羽詰ったような、怒っているような、「早く来なさいよ!」という感じの声だ。
「はいはい、いま開けますよ」
家の中に入りたいのだろうと窓に駆け寄ったが、うちの猫は見当たらない。
網戸のところにもいなかった。
――どこにいるんですか?
見回していると、鳴き声に加えて、「ドカッ、ボゴッ」と暴れている音が聞こえてきた。
どうやら家の中にいるらしい。壁を蹴っている音が聞こえた。
耳を澄ませながら音のほうに近づいていくと、押入れの扉が揺れていた。
「ここですね、いま開けますよ。……というか、ちょっと開いてるじゃないですか」
扉を開くとうちの猫が飛び出してきて、僕の足を「ガッ!」と思い切り噛むまねをした。
うちの猫は実際には噛んだりしない。するとしても、甘噛み程度だ。
押入れに閉じ込められて怒っているらしい。
「そんなに怒らないでくださいよ……でも、これ、自分で入りましたよね。ちょっと開いてたし、落ち着いて出口を探せば出られましたよ?」
僕の言葉には耳をかたむけず、うちの猫は「クワー!」と威嚇しながらバタバタ走り去っていった。
――最近機嫌悪いんですかね?
と考えながら、僕は去っていく猫を眺めていた。
***
夜中にふと目が覚めたとき、のどが渇いていて水を飲みたくなることがある。このところ暑い日が続いていたのでとくにそれが多かった。
そのままだと眠れないので、キッチンへ向かう。
僕の部屋は二階だから、階段を下りて廊下を抜けなければならない。
電気がついていないから真っ暗だ。そのなかをそろりそろりと進む。
スイッチのある場所までは、暗いままで進むしかない。
壁に手をつきながらだからとくに危険なわけではないけれど、なんとなく不安になってくる状況だ。
廊下を歩いていると、足の先を何かが掠めた。
「うわっ!?」
と声を上げるよりも早く、うちの猫の鳴き声が聞こえた。
「クワー! シャー! シャッシャー!」
ちょっと聞いたことがないくらい怒っている声だ。
さきほど足の先を掠めたのはうちの猫だったようだ。こんなに怒っているということは、僕が踏みそうになったのだろう。
「まって、落ち着いてください」
うちの猫を踏みつけないように、すり足で歩いて照明のスイッチのところへ向かう。
電気をつけるとうちの猫が僕に体の側面を向けていた。
足をピンと伸ばして爪先立ちのようになって、背中を持ち上げて、毛を逆立てて、できる限り体を大きく見せようとしている。
激怒している状態だ。
その不自然な体勢のままトコトコと移動したりするので、かわいいだけでまったく怖くない。
「ごめんなさい。暗くてわからなかったんですよ。そんなに怒らなくてもいいじゃないですか……」
うちの猫は僕がそう言い訳しているあいだに、べたっと床に倒れこんでいた。
怒るのに疲れたようだ。
振り返って確認すると、さきほど僕がうちの猫を踏みそうになったのはリビングに続く廊下だ。
ここはそれほど広くない。人がすれ違うにも狭い場所だ。
ひとりぶんくらいのスペースしかない。
真っ暗な中でその床に寝転んでいたらどうなるか……。考えればすぐにわかる。間違いなく踏みつけてしまう……。
いままでうちの猫がこんな場所で寝転んでいることはなかった。
これはおかしい、と僕は思った。
「あの……これ、わざとですよね」
寝転んでいるうちの猫をつつくと、前足で僕の指をペチペチッと叩いてきた。
怒っているわりには威力が弱いし、爪も立てていない。
怒っているふりをしているだけのようにも見える。
「わざと踏まれそうな場所にいて、踏まれそうになったら怒って……そういうのは当たり屋っていうんですよ……」
僕がしゃべっているあいだも、うちの猫はずっとペシペシしていた。
叩いたあとにちらりと僕の反応をうかがって、それからまた叩いている。
「最近暑くてストレスがたまってるんですか? 本当に踏んだら危ないからこういうことはやめましょうね。僕の部屋で寝ましょう」
電気を消して二階へ向かうと、背後から「うぅーん」という鳴き声と、ちいさな足音が追いかけてくる。
「あしたネズミで遊んであげますからね。それでストレス解消しましょうね」
ネズミという言葉に反応したのか、「ニャッ!」という機嫌のよさそうな返事が返ってきた。
たぶん、うちの猫は暑さでストレスがたまっていたんだと思う。そういうところは人間と同じだ。だからって僕に八つ当たりしてくるなんて――
――本当に困った子ですね!
そういうところもかわいい! と思った。




