09:根拠法令
ソフィーリアが、トルトの町にやってきて一ヶ月。冒険者カードの業務は、難なくこなせるようになった。毎日使い走りをしているお蔭で、町の商店主たちも彼女の顔を覚えてくれた。
「ヒーちゃん、おはよう!今日も元気だね!」
「どうも!おはようございます!」
「オマケしとくよ、持っていきな、ヒーちゃん!」
「はい!ありがとうございます!」
薬草の入った袋や、果物の籠を抱え、町を駆けるヒーちゃんことソフィーリア。彼女はすっかり、この町の住人になっていた。
「おっ、ヒーちゃんじゃん!」
「げっ、エリックさん」
金髪の剣士が声をかけてくる。ソフィーリアは彼が苦手だ。星二つだから、それなりの実力はあるのだが、それを鼻にかけている。
「いやあ、実は二日酔いで困ってるんだよね。昨日はハイオークを倒したから、仲間が宴会やろうなんて言いだしてさ。とどめを刺したのがオレだったから、お前が一番いい酒飲めよ!ってことで散々注がれちゃって……」
「あたし、急いでるんで!」
「ヒーちゃん、最後まで聞いてくれよ~!」
エリックの自慢話に付き合っていたら日が暮れてしまう。ソフィーリアにそんな暇はない。
「ヒー!やっと帰ってきやがったか!ちょっとこっち来い!」
「はい!」
冒険者ギルドに戻ってきてすぐ、ギルド長に呼びつけられる。
「お前の目は節穴か!その薄汚い頭の中身は空っぽか!またしょうもないヘマしやがって!」
「ひっ!」
彼の罵声には、まだ慣れない。いや、慣れることなどあり得ない。そして、その罵声が止むこともないだろう。仕事の種類はいくらでもあるからだ。ギルド長は、ソフィーリアを納屋に引っ張り込む。
「薬草の仕分けをしたのはお前だな?ぐっちゃぐちゃにしやがって!」
「ネ、ネフにも手伝ってもらいました!彼はこれで大丈夫だって!」
「言い訳すんな!ったく、こんなんじゃクエスト完了を任せるのは当分先だな……」
ギルド長は、ひげをかきながらため息をつく。ソフィーリアは、簡単なクエスト受注までならできるようになった。冒険者カードを確認し、判を押せばいいだけだからだ。
しかし、クエスト完了にはちょっとした技量が要る。その一つが、アイテムの鑑定だ。冒険者が持ち込んだアイテムが、本当にクエストの対象アイテムなのか、見分けなければならない。
「例えばこの箱!三種類の薬草が一緒くたになってる!」
「う、嘘、三種類も!?」
「根の色と、形が違う!お前葉っぱしか見てないだろ!」
ソフィーリアは、この類のことが大嫌いだ。薬草の見分け方なんて、魔法学園では教わらなかった。既に精製された薬しか、扱ったことがなかったのである。せめて図鑑でもあれば覚えやすいのに、と思ったのだが、どうせ怒鳴られるので口には出さない。
(はあ、自分でノートでも作った方がいいのかな)
納屋を出たソフィーリアは、とぼとぼと受付カウンターへ戻る。すると、弓矢を肩に背負った男性が話しかけてくる。
「すみません」
「あ、はい!なんでしょうか」
彼の顔は、数回見た覚えがあった。星二つの狩人だ。名前までは覚えていないが、冒険者らしくない柔和な顔つきが印象に残っていた。
「実は、冒険者カードをなくしちゃって。再発行をお願いできますか?」
「わかりました。お名前と、生年月日をお伺いします」
「アントン・ナーヴ。王国歴800年9月21日生まれ」
ソフィーリアは、Aと書かれた引き出しを開ける。そこには、冒険者登録をしたときの用紙が、縦向きにぎっしりと詰まっている。手前から、歳の若い者順に並んでいるので、おおよその見当をつけてアントンの名を探していく。
(……これだ。えっと、容姿を確認)
髪や目の色は、基本的に変えることができない。なので、この世界においては有効な本人確認手段となる。身長や体型は変わることがあるから、別に書かなくてもいいのに、とソフィーリアは思う。ネフに貧乳と書かれたことを、未だ根に持っているのだ。
(うん、大丈夫。再発行決定、と)
次に、「再発行セット」と書かれた引き出しから、新品の冒険者カードと小さな紙を取り出す。再発行には、新規登録の時と違い手数料がかかるのだが、それを了承してもらうためのものだ。
「では、冒険者カードを再発行します。手数料がかかりますので、ここに承諾のサイン、もしくは拇印をお願いします」
「えっ、タダじゃないんですかぁ!?」
アントンは素っ頓狂な声を上げる。記録によると、彼が冒険者登録をしたのは七年前なので、再発行手数料のことなど忘れていたのだろう。
「はい、そうなんです」
「でも、オレ、持ち合わせが無くって。だからクエスト受けて、稼ごうとしてたんです」
「あ、そうですか……。ならば、後日にでも」
「だから!お金がないんですよ。でも、カードがなくちゃクエストが受けられない!」
ソフィーリアは焦る。こういう相手はやばい。後で払うとか、見逃してくれとか、あんたが貸してくれとか、そういうことを言いだすタイプだ。だが、彼は違うことを言い放った。
「そもそも、再発行に手数料が要るだなんて、誰が決めたんですか?」
「えっと、国です。ルミナス王国です」
「国の誰が決めたんですか?」
「そりゃあ、法務大臣です、その法律を作った当時の」
「その時の大臣って誰なんですか?」
「え、ええっと……」
彼女にそこまでの知識はない。アントンは、いつもの柔和な表情を激変させ、しかし口調は丁寧に、どこまでも詰め寄ってくる。怒鳴ってくるだけなら、ソフィーリアにも耐性ができつつあった。けれど、頭を使ってくる冒険者の相手は初めてなのである。
「冒険者ギルド法施行規則、第13条。ギルド長は、次に掲げる事務につき、手数料を徴収する」
軽やかに階段を下りてくる、黒髪の女性。
「その中に、冒険者カードの再発行、という文言がありますわ」
「ミ、ミースさん……」
彼女はソフィーリアにウインクすると、アントンの真正面に立つ。
「ギルド長の行う事務に異議がある者は、冒険者ギルド法、第98条の手続きを踏めば、正式に訴えることができます。なお、冒険者ギルド法は、支局で閲覧することができますよ」
「あ、そ、そうですか。よくわかりました。ええ、わかりましたとも」
アントンは懐から財布を取り出す。なんだ、けっこう持っていたんじゃないか、とソフィーリアはげんなりする。彼はぐちゃぐちゃの字でサインをし、銅貨を叩きつけ、冒険者カードを掴んで走り去った。
「ありがとうございます、ミースさん」
「いいってことよ。あの坊ちゃん、ああ見えていつも派手な女の子連れてるからねえ、手数料くらい、払えるはずだって知ってたのさ」
ミースは右手を頬にあてて小首をかしげ、いつものようにからからと笑った。