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隣の素敵な奥さんが小説を書いたから……

 高峰家のリビングに居た黒づくめの女に驚いて、私はしばらく遠くから様子を伺ってしまった。

 そんな私に女は笑顔で手を振っている。優里花さんだった。珍しい。黒一色でまとめたファッションなんて初めて見たと思う。

「どうしたの、黒いけど」

 イメージカラーはずっと白だった。もちろん、白いものしか着ないわけじゃない。ピンクも、クリーム色も、時にはグレーも着ていた。けれど黒は初めて見た気がする。

「これから行く場所が場所だからね」

「え、どこか行くの?」

 聞いていないけど。

「うん。さ、祥子さんも着替えて!」

 服が押し付けられ、脱衣所へと押し込まれる。私の手には若々しいというか、ギラギラしすぎたプリントのTシャツにダメージ加工の入ったジーンズ。なんだろ、このファッション。黒いマダム優里花と、ややパンクがかった私、サングラスで顔を隠した二人が向かう先。


 いつの間にできたのか、駅前の商店街の裏の通りの一角には、ホストクラブ「平安京」なる店があった。

「さ、行きましょ!」

「入る前に説明してほしいんだけど」


 店の前でああだこうだ揉めるのは嫌なので、近くのファーストフード店へ入ってコーヒーを頼んで並んで座った。優里花さんはちょっと頬を膨らませ、人差し指をつんつんさせながらこう話した。

「新しい小説を書くために、取材っていうか、その為に行きたいの」

「はあ?」

「今度の小説は、主人公がホストの男の子を好きになっちゃうのね。でも、知らないことは書けないじゃない。私もテレビでちょっと見たことがあるくらいで、ホストクラブってどんな感じかわからないし。そこの『平安京』ってね、お昼の営業があるのよ。お昼ならほら、なんとなく安心じゃない? でもやっぱり一人じゃ怖いから、祥子さんと一緒だったら大丈夫かなって」

「支離滅裂だよ、そんなの。それに、せめて先に言ってほしかったよ?」

 道理でサングラスなんかしているわけだ。それに、黒尽くめのファッションになるわけだ。

「だって、言ったら来てくれなかったでしょ?」

 それはまあ、確かに。ホストクラブ? はあ? って答えたかもしれない。

「ねえ、お願い。一生で一度の、私の最後のわがままを聞いて!」

 サングラスの向こう側にうっすらと透けて見える瞳。いつもよりも少し濃い化粧、普段なら使わない情熱的な色のアイシャドウが煌めいている。目が、燃えている。おそるべき小説魂。いつの間にこんなにどっぷりとハマってしまったのか。そんなに、娘の書いたものが面白かったのか。どれだけ高い完成度を求めているのか……。


 やるからには徹底してやる人だったという事だ。優里花さんは。家が全部白で統一されてそれがいつまでも美しく保たれているのも、庭がいつでも天国のように美しいのも、薔薇が枯れずに見事に花を咲かせるのも、この人の努力の賜物なんだ。出会った頃から変わらないスタイル、いつ行っても出てくる美味しい紅茶、次から次へ差し出される新しいお菓子。

 全部、当たり前の事だけど、当たり前の事じゃない。裏にはきっと、とんでもない努力があるんだ。夫婦は円満、子供は可愛くて素直、片付いた家、不意打ちされてもエレガントなおもてなし。優雅な白鳥も水の中では足をバタバタしてるとか、そういうやつなんだ。


「優里花さんってすごいね」

「え?」

「わかった。いいよ、一緒にいこ」

 ちょっと苦笑いしつつ言った私に、優里花さんは満面の笑み。本当に可愛らしい人だって、思う。

「もし今日行ってハマったら、次からは一人で行ってね」

「そんな事絶対ありえないわよ。取材だもの、取材!」

「いきなりだったから、持ち合わせがあんまりないよ」

「大丈夫よ、無理やり付き合わせたんだから、私が払うわ。飲むとしても、一杯だけにしてね」

 わかった、と返事をしながらコーヒーを持って立ち上がる。飲み残し用の穴にそれを流してカップを捨てて、いざ「平安京」。


 店の中はガランとしていた。出迎えすらない。営業はしているようだったけれど。小さな商店街以外は住宅しかないベッドタウンの最寄り駅、さすがにホストクラブに午前中からやってくる破廉恥な主婦はいなかったようだ。


「誰もいないわね」

 優里花さんが呟いたのと同時に、奥の、カーテンで仕切られた向こう側から話し声が聞こえてきた。従業員たちはお出迎えも放り出して、どうやらミーティングをしているらしい。そりゃそうだ。この状況、きっとお店の危機なんだろう。暇な主婦を狙ってあえてこの場所を選んだのかもしれないけれど、失敗だったらしい。


「奥にいるみたいね」

「もう帰ろうよ。こんな場所のホストクラブじゃ、大した接客もできないんじゃないかな」

 へっぽこホストで取材は間に合うだろうか。どうせなら、有名な大きな店に行った方が役に立つのではないかと思う。じゃあそこに付き合ってくれとなると困るけどね。

「せっかく来たんだから、声かけてみましょう」

「うーん」


 出入り口には在籍しているホストたちの写真が並んでいる。よく見てみれば、全員がとんでもなく美形だった。名前は「光源氏」とか、「道長」とか「義経」とか。なるほど、平安京? なのかどうか。とにかくイケメン揃い。俳優でもモデルでも、なんでもいけるんじゃないかと思える程の美形たちだった。内装はごく普通のソファとテーブルで、こちらは別に平安京でもなんでもない。徹底してないあたり、流行しない理由がわかる。いくらカッコよくても雰囲気や接客がなってないとリピーターはつかないのだろう。


 やめた方がいいんじゃないかと思って足を止めていた私に対して、優里花さんはアグレッシブだった。売れないホストの話を書きたいならむしろ役に立つかもしれない。その辺りの構想は聞いてないので、やめようと声をかける事ができず、私も後に続いた。

「すいませーん」

 ツカツカと歩き、あっさりとカーテンを開いて優里花さんは声をかけ、そして、止まった。


「ひっ!」


 驚きの声。その理由は、私にもすぐにわかった。開かれたカーテンの向こうには何人もの人影があったんだけど、そこにいたのは写真の通りの美形たちじゃなかったから。


 少し前に立つ優里花さんの体が、震え始めた。私は、驚きの余り動けない。なんだろうこれ。何なんだろうこれ。わからない。とにかく、異様な頭の何かがいっぱいいる。体は、ごく普通の男のものなんだろうと思う。写真に収められていた着物っぽい衣装を着ている。だけど、顔が。顔が。顔が。


 ごめんなさい。うまく説明できない。ピカピカしている部分があって、とんがっている部分があって、飛び出してる管みたいなものが何本かあって。

 着ぐるみなのかな。マスクとか。いや、違うな。気が付いちゃった。彼らはマスクを外した状態なんだ。ずらっと並んでいた美形の顔が、それぞれの手の中にある。あっちがマスク。つまり、今、目の前にある、おかしな、異様な、異常な形の顔の人たちなんだ。特撮に出てくる怪人とか、そんな感じ?

 

 プルプルとする優里花さん。

 動けないまま、じっと「彼ら」を見つめる私。


 ホストクラブの皆さんはゆっくりと動いて、頭のあちこちから生やしている管をキラキラ輝かせている。



 色々と想像してみたけれど、あれはきっと彼らにとっての「会話」だったんじゃないかと思う。キラキラが収まったかと思ったら、私たちは手を掴まれて、今、どこかよくわからない場所にいる。真っ白い場所に閉じ込められている。床はあるけど、壁はない。だだっぴろい真っ白い場所に、二人。


「宇宙人よね」

 優里花さんが言った。

 そうかもしれない。それ以外に、うまく説明はできない。それこそ、素人をひっかけるどっきりか何かでない限り。いや、それでも無理かなあ。いきなりここにいたんだから。瞬間移動みたいな感じで?

「私たち、どうなるのかしら」

「……うん」


 一人きりだったらきっと、もう、頭がおかしくなっていたかもしれない。真っ白真っ白、真っ白な空間。何もない。目印も、影もない。怖い。優里花さんが黒尽くめで目の前に居てくれる事だけが、心の支えになっている。


 もう帰れないのかな。ああ、どうしてこんなことになってしまったんだろう。子供たち、旦那、いつもは敵でしかない義理の母でさえ懐かしくて愛おしい。会いたい。元いた場所に、家に戻りたい。

 不安がこみ上げ、体が震える。涙があふれだしてくる。


 しかし、隣の優里花さんはやはり只者ではなかった。


「もしかして、彼らの星に連れていかれるとか!」

 目が爛々! ここにきて、まさかのテンションだだ上がり。

「こんな体験、なかなかできないわよ! やっぱり、普段やらないことにも、なんでもチャレンジしてみるものね」

「優里花さん……」

 そのポジティブさに、救われるような、いや、かえって絶望を感じるような。

「ちょっとー、宇宙人さん! 私たちをどうするのー!」

 なにもない空間で、黒いマダムが叫ぶ。それを聞きつけたのかなんなのか、白い空間の中に突然、扉が、いや、扉のようなものが現れた。音もなく開いた楕円形の向こうからやってきた、特撮系怪人風宇宙人。そのさらに向こうに見えた、信じられない光景。


 ユニヴァース。


 宇宙って英語でこうだよね。CMとかとにかく、テレビでしか見られないであろうと思われていた光景がそこにはあった。宇宙。っていうか、地球。地球は本当に青かった。ああ、本当に宇宙人だった。なんか気持ち悪い、深海にもしかしたらこんな生き物いるかもしれないよねっていう形状の宇宙人は、管をピカピカさせている。

 ピカピカの後に遅れて聞こえてきた「声」。


『地球人のサンプル。どちらも“ヒャニゲ”』


 ヒャニゲ、ではないと思うけど、そんな風に聞こえた。あえて字にするとしたら「ヒャニゲ」と聞こえたのでこう書いている。不気味な姿と、意味のわからない台詞に、私はただ怯えていた。

 もちろん、優里花さんは違う。テンションだだあがりの、最高潮だったから。楽しそうな姿も、嬉しそうな姿も見たことはある。だけど、真のハイテンションはまだ見ていなかったらしい。


「宇宙人、もしかして地球を侵略する気でしょう!?」

 ズババーンと指を突出し、マダムは叫んだ。それに対して、宇宙人の反応は管をピッカピカに光らせるというもの。意味はわからない。笑ったのかもしれないし、ビックリしたのかもしれない。いや、そんな推測は無駄だ。だって宇宙の人なんだから。完全な異文化。私たちと同じで感情がどうのこうのという概念を持ち出すのがまずおかしいと思う。


 それでも、私は宇宙人たちが驚いたと思うんだ。


 優里花さんは突如、走った。白い空間にできた扉を抜けて、その先へ。宇宙船のコックピット的な場所へ走り抜けて行った。私も勿論驚いた。なにが彼女をそうさせたのか――。

 ピュン、と音が響いた。

 宇宙人の一人が頭の管をピンと伸ばしたかと思うと、優里花さんは光の粒になって消えてしまった。SF映画のような光景だった。


 白く輝いたかと思ったら次の瞬間、ぱあっと散らばるように消えてしまったのだ。


「優里花さん!」


 ああ、ああ、なんてことだろう。

 出会ってからその瞬間までの思い出が、まさに走馬灯のように蘇る。綺麗な薔薇の咲く庭で私たちは、何度も笑った。誕生日にはお互い素敵なものを、時には思いっきり下らないものを贈りあった。喜びも悲しみもなんでも、わかちあった。私たちは間違いなく親友だった。


 だからなんだろう。

 優里花さんは白い光になって飛び散ったけれど、再び集まって、私を優しくふんわりと包んだ。


『友情パワー!』


 頭の中に、聞きなれた声が響く。


「優里花さん!」

『祥子さん大変よ、彼らは地球を支配しようとしてる! 地球人を全員抹殺して、星だけを手に入れようとしているの!』

 何故わかった。もしかして、光の粒になったから? 体を捨てて、なにか、超越したものに変わったのだろうか。

『すごいわ、事実は小説より奇なり、ね! テンションあがるう~!』

 こっちは力が抜ける。しかし、地球に訪れた未曽有の危機に、脱力する事を優里花さんは許さなかった。

『祥子さん、力を貸すから、あのスイッチを押すのよ』


 扉の向こうには、おかしな形のものがたくさんある。その中で明らかに、大事そうな部分が確かにあった。スイッチと言っていいのか、さわったらぐにょんってなりそうな、半透明なような、うーむ。シリコンに似ていると言えば似ている何かが。


『この宇宙船の爆破スイッチよ。彼らは、地球人の力がどの程度のものか調べようとしてやってきたの。あのスイッチは、もしも反撃にあった時のための自爆スイッチ。万が一の時に、捕えられたりしないように、備え付けられているの。押して!』


 よし、押すぞ、という気持ちに一瞬、なりかける。


 しかし、自爆ということは。

 死ぬということだ。

 自分も。

 頭に家族の顔がよぎる。

 健人、岳斗、陸斗……。騒がしいやんちゃな三人の息子たち。彼らに、もう会えない。


『祥子さん、祥子さん』


 嫌味を言いあった義母。


『このままじゃ人類は全滅よ』


 旦那。


『私たちがやらなきゃ、みんないなくなる。私たちが守るのよ。私たち二人が、みんなを守るの……』


 あと少しで、彼らの星へ報告がいってしまう。そうなれば多くの宇宙船がやってきて、人類は消滅する。らしい。



『私たちは、地球のお母さんになるのよ!』



 優里花さん。優里花さん。

 あなたって本当にすごい。

 もしもテンションが最高に上がっていても、私はきっとそう考えることはできなかったと思う。


 同じ日に生まれたのにね。


『祥子さん、大丈夫よ。最後まで一緒。生まれた日も、この世から去る日も。あなたに出会えて良かった』


 うん。

 わかった。


 友情パワーのせいなのか、優里花さんに包まれた私の体は信じられないほど素早く動いた。誰の目にも止まらぬ程のスピードで飛び出し、そして――。



 こうして、地球は守られたってわけ。

 優里花さんの光に包まれていたからか、私も、宇宙船の爆発の後、光の粒になって、そして、地球に降り注いだ。


 優里花さんはいなくなってしまった。

 いや、もしかしたら私たちは一つになったのかもしれない。だって、こうしてなにがあったのか小説仕立てにしているんだから。語彙も貧弱で、エレガントな表現はできないけれど。でも、優里花さんなら地球に戻った後、あのおかしな体験を小説にしないわけがないから。そんな優里花さんの思いが私の中にあって、突き動かされている。


 これが、二人の主婦が突然いなくなった事件の真相。信じられないけど、本当の出来事。

 光の粒になった私はこっそりと家のパソコンの中に入り込んで、こうして小説を書いている。地球を守った高峰優里花の話を、カッコいいでしょう?


 このままずっと地球に居られるかと思ったんだけど、少しずつ、光は弱くなってきているんだ。残念だけど多分、もうすぐ消えてしまうんだと思う。最後の最後の力でなんとか最後まで、書きあげられそうで安心した。

 すごいよね。宇宙船と一緒に爆発したのに、こんなロスタイムが与えられるんだもの。本当に、事実は小説よりも奇なりだった。驚いちゃう。


 これを読んだ人、もしも高峰梨々花って名前の可愛い女の子と出会ったら、あなたのお母さんがどれだけ素敵だったか話してあげてほしい。

 男ばっかりの村崎三兄弟に出会ったら、お母さんはいつでも君たちのそばにいるよって、伝えてください。

 どうか、よろしく。


 さようなら。

 

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