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エミリオ少年の困惑(2)

 二日酔いと言っても、それ程に重度のものではなかったのか、それとも若さ故の回復力か。エミリオはその日の午後には動き回れるようになっていた。

 規模の割りにたった二人しか聖職者が存在しない為、雑用は基本的にエミリオの仕事だ。

 雑用と言っても、生活を維持するのに必要な仕事である。今日もエミリオは、まだ微かに頭痛の残る頭のまま買出しに出かけた。

 もうそろそろ祭壇用の蝋燭ろうそくがなくなる。数日前に磨きに出した燭台しょくだいを取りにも行かねばならないし、食材もいろいろ買い足しておかねばならない。

 昨日の事もあるので、今日はひたすら人通りの多い場所を歩く事にしたが、頭痛が残っている状況で、知り合いに会う度に笑顔で応えるのはいささか億劫おっくうな事だった。

 かと言って、調子が悪い様子など見せれば心配されてしまうのは目に見えている。

 正直に二日酔いだと言えば、ただの笑い話で済む話かもしれないが、笑われる側はたまったものではない。それに下手したらこれから先、事あるごとに蒸し返される。

 結果として、無意識に人通りの少ない方へと足が向かう。

 最初こそは例の集団がいつ出て来るかと身構えていたが、今日に限ってその姿を見せず、エミリオの警戒は次第に薄れていった。

 昨日の今日だから、教会側から何かあったとは思えない。おそらく流石の彼等も、子供の自分を勧誘するばからしさに気付いたのだろうと軽く考える。

 蝋燭を買い、燭台を受け取り── そこまでは順調そのものだった。しかし、次は食料とディスティエルに頼まれた薬草の苗を買いに行こうとバザールの方へ足を向けた時だ。

 微かなうめき声のようなものが、何処からともなく聞こえてきた。

 何だろうと声の聞こえた方へ反射的に目を向けると、建物の隙間のような細い路地に、人がうずくまっているのが見えた。

(…!!)

 明らかに座り込んでいるのとは様子が違う。異変を感じ取り、大変だとは思ったものの、その人物の格好が例の集団を連想させる黒い布を被った姿である事に躊躇する。

 しばし考え込み、エミリオはそのまま見なかった事にしようとしかけた。このマリオーゾで、黒い服自体滅多に見る事がないからだ。

 …が、もしかしたら旅人かもしれない。それなら他と違う格好をしていても不思議ではないし、それに本当に気分が悪い人かもしれない。そう思い返して足を止める。

 困った人がいたら助けなさい── ディスティエルから叩き込まれた道徳心(刷り込みとも言う)がうずいたからである。

 それにもし、例の集団ならば例の派手な仮面をつけているだろうし、そもそも一人きりという事はないはずだ。ざっと周囲を見回しても、その人物以外に怪しい人影は見当たらない。

 自分も必ずしも元気いっぱいとは言えない状況だったが、エミリオはその人物の前に歩み寄り、驚かせないように注意を払いながら声をかけた。

「あの…気分でも、悪いの?」

「…え、ええ……」

 少し間を置いて返った来た声は、弱々しい若い女性のものだった。

 よもやそんなに若い人間だったとは思わず、エミリオはぎょっと驚き、慌てて身を屈めて顔を覗き込むと、布の隙間から見えた小造りの顔は蒼白で唇も青褪めている。

 その生気のないぐったりとした様子に、エミリオの方も青くなった。

「お姉さん、だ、大丈夫!?」

 見るからに大丈夫そうではないが、思わずそう尋ねてしまう程に動揺したエミリオへ、女性は苦しそうな顔を微かに緩めて微笑んでみせた。

「あ、ありがとう…大丈夫、少し…胸が苦しいだけだから……」

 答える声は弱々しい。エミリオはますます慌てた。

「で、でも…あ、医者呼んで来ようか!? この近くに一人いるから!!」

 見るからに大丈夫そうでない様子で、しかも胸と言えば心臓である。心臓と言えば、命に関わる程に大事な所で。

 そこが苦しいなんて、きっと大変な事に違いないと考えたエミリオは、早速医者を呼ぶべくその場から駆け出そうとした。

 よく考えると最寄の医者は外科が専門だった気がしたが、この際いないよりはマシだろう。

 ところがその前に今にも倒れそうな様子からは考えられない素早さで、女性の冷たい手がエミリオの手首を掴んでいた。

「え? あ、あの…っ?」

「行かないで…本当に、大丈夫だから……」

「でも、あの、苦しいんじゃ……?」

「本当に大丈夫よ…少し休めば治まるから……。一人でいる方が、不安なの。ここ…人が通らないから……」

 確かに大通りから少し外れたこの道は、昼間でも人通りが少ない。

 苦しい時に一人ぼっちなのは確かに心細いかもしれない、と納得したエミリオは、そのまま女性の横に腰を下ろした。

 逃げると思われているのか、単に不安なのか、しっかりと手首を握られてしまっているからでもあったが。

 流石に十歳にもなると、普通の子供でも母親と手をつなぐような事は減ってくる。

 ましてやディスティエルはそうした並みの親子のようなスキンシップを重要視するような人ではなかったので、手首を掴まれているだけでもなんだか落ち着かない。

 しばらく悩んだ末、エミリオは意を決して口を開いた。

「…あの、お姉さん」

「…なあに……?」

「手、離してくれる? そんなに心配しなくてもここにいるからさ」

「ああ、ごめんなさい……。行ってしまうかと思って、つい、必死で……」

 素直に手が離れた事にほっと安堵したエミリオだったが、やがてまたその表情を困惑したものに変える事となった。

 いつの間にか、横にいる女性の身体がもたれかかってきているのだ。

 ふわりと、花とは違う甘い香りがする。重くはないが、さらに居心地は悪さは悪化した。

「あ、あの…、お姉さん」

「どうしたの……?」

「何でそんなに、その、くっついて来るのさ?」

「あら…ごめんなさい、凭れていると楽で……。嫌だった?」

「…いや、いいけど」

 弱っている人に楽だと言われたら嫌だとは言えない。

 結局黙って凭れかかられるままになっていると、やがてエミリオは額に嫌な汗をかきながら眉間に皺を寄せる事になった。

「お、お姉さん……」

「なあに……?」

「…何でオレ、押し倒されかけてるのかな?」

「ふふふ……気のせいよ♪」

「気のせいじゃないって!」

 声から先程までのか細さが消えた事で、ようやく今までのが演技だったのだ、と気付いた時には、エミリオは路地の中に引きずり込まれ、女性に覆い被さられていた。

 上から見下ろしてくる顔はまだ青白いが、どうやらそれが元々の顔色だったのだと黒目がちの瞳がまるで獲物を見つけた肉食獣のように爛々と輝いているのを見て気付く。

「大丈夫よ、怖くないから」

「いや、あの、十分怖いです」

「ふふ…最初は誰でもそう言うのよ」

(──…最初ってナニ?)

 自分が今、どういう状況にあるのか、これから何をされようとしているのか、幼い彼はいまいち把握が出来ていなかったが、目の前の女性が妙である事は十二分にわかる。

 女に手を上げるのは最低な男のする事だ、と散々養い親二人に言われているのだが、こういう場合はどうしたら良いと言うのだろう?

 何となく、このまま放置していたらよくない気だけはビシバシと感じているのだけれども。

 エミリオが行動を迷っている間に、何がしたいのか、女性の指が勝手にエミリオの服を脱がせにかかる。冷たい指の感触にぞわりと鳥肌が立った。

(何がなんだかわからないけど、絶対にやばいと思う!!)

 男相手だったら、殴るなり蹴るなりして逃げればいいだけの話だが、相手はディスティエルよりも若い感じの女性なのだ。

 それに振り払いたくても、絶妙な位置に圧し掛かられて、手足の自由がうまくきかない。

 心底困り果てていると、女性が顔を近づけて来る。至近距離で覗き込まれ、その瞳が人と何処か違う事にようやく気付く。

 何が違うのかと思い、思わず見返すとそのまま視線が外せなくなった。

 ── まるで深い穴を覗き込んだような、吸い込まれそうな目。

 恐怖感を感じて目を反らそうとしても、冷たい手で顔を持ち上げられて再び目を合わせてくる。

 のしかかる体が妙に柔らかい事に気付き、視線を外そうとしたついでに何となく視線をそこに向けた彼は、そのままその目を点にした。

 先程まで黒い布の下に隠されていた身体。それがいつのまにかはだけ、上半身が露になっている。やけに白い。

 ── 彼女は布の下に何一つ身に着けていなかった。

(……。…えーと……。…寒く、ないのかな?)

 もう少し齢を経ていたなら別の感想が出てきただろうが、冷静に物事を考えられる状況にないという事もあり、そうした知識がろくにない彼にはそう思うのが精一杯だった。

 ふと、過去にリオーニからこういう人物の話を聞いた事を思い出す。

 もっとも、それは『世の中には人にはおおっぴらに言えない趣味の人間もいる。本人が誰にも迷惑をかけずに楽しんでいるならそっとしておいてやれ。人の幸せはそれぞれだからな』という話だったのだが。

 その流れで、『人に迷惑をかける一例』として聞いたのだ。ついでにその話では男の場合だったのだが、女性の場合もあるらしい。

 確かそういう人々を撃退するには良い言葉があると、リオーニが言っていたような(そしてその後、ディスティエルに半殺しにされていた)。そう…あれは確か──。

「…『小さい』?」

「…ッ!?」

 単に思い出した単語を口にしただけだったのだが、その言葉は目の前の女性に予想以上のダメージを与えたらしい。

「ひ、ひどい! よりにもよって、『小さい』ですって!? こ、このアタシの胸が小さいって言うの!? 淫魔一の美貌と肢体の持ち主と言われたアタシの胸を小さいぃいいい!?」

「へ? えっと……?」

 思わぬ効果に呆気に取られているエミリオを涙目で睨みつけ、女性は怒りか悲しみか、ふるふると身を震わせる。

 そのままようやくエミリオの上を退いてくれたと思うと、ばばっと目にも留まらない勢いで再び身体を覆い隠し、すっくと立ち上がった。

 ── そして。


「魔王様の、ばかああああ!! もう頼まれたって何もしてあげないんだからーッ!!!」


 そんな謎の絶叫を残し、泣きながら明後日の方角へ走り去ってしまった。

 後に残されたエミリオは、半ば脱がされかかった状態で呆然とそれを見送り、はて? と首を傾げた。

「ええと…今の人、何だったんだろう……。それにしてもおっちゃんって、実はすごかったんだなあー」

 言っていた通り、あの言葉で変な人は去って行った。

 何故あんな言葉が有効なのはさっぱりわからないが、伊達にマリオーゾの聖所を任されている訳ではないんだなと感心しつつ、エミリオも立ち上がり、乱れた服装を適当に直すと残りの買い物を終わらせる為に歩き出した。

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