エミリオ少年の悩み(4)
「ディス、おっちゃん。話があるんだけど」
声をかけると同時にぴたりと話すのをやめた二人は、すぐに何事かとエミリオの方へと目を向けてくる。
「何だ、チビ。腹でも痛いのか?」
「リオーニ聖父と呼びなさい。失礼でしょう」
いつまで経っても小さな子ども扱いの抜けないリオーニと、細かい所にこだわるディスティエルの反応にうんざりしつつも、エミリオは話を切り出した。
「あのさ。オレ…この頃、帰りが遅れるのには訳があって」
その言葉におや、という風に二人が目を軽く見開く。
「どうした、何かあったのか?」
「てっきり友達と遊んでいるのかと思っていたら違ったのですか」
「うん…その、変な宗教団体みたいなのに付き纏われてるんだ。いっつも帰る途中に現れて、足止めされてさ。この間なんて攫われかけたし。すごく迷惑してるんだけど、何か良い解決策ってない?」
困惑している事は言葉と表情で伝わるものの、出来るだけ言い訳めいた言葉にならないように言葉を選んだ結果、その内容ほど深刻さを感じない口調になったからだろうか。
エミリオの言葉に一度顔を見合わせた二人は、特に驚いた様子も焦った顔も見せず、うーん、と同時に腕組みした。
聞いた話だと、ディスティエルとリオーニは元々師弟関係にあったらしいが、こういうちょっとした事での反応を見ると確かに息がぴったりだ。
しばらく考え込んだ二人は、やがて渋い顔でそれぞれの所見を口にしたのだが。
「ついにうちのシマでも、そういう輩が徘徊するようになったか……」
「困りますね。うちには身代金を払える程の余裕なんてまったくありませんのに」
どちらも仮にも養い子が拐かされそうになっている状況で言う台詞ではなかった。
(…オレの心配はしないんだ……?)
頭では予想していた反応だったが、本当にそうなるとやはり少し傷付く。
もちろん、二人が自分をどうでもいいと思っている訳ではない事は、それなりの付き合いの長さからわかっている。単に仕事熱心で、必要以上に現実的なだけなのだ。
だが、やさぐれた気分になるのは止めようがない。そんなエミリオの少し荒んだ表情で、はっと我に返った二人は慌てて弁解した。
「ち、違うからな!? チビ、お前が連れて行かれてもいいと思っている訳じゃなくてだな……っ」
「そうですとも、誤解はしないで下さいよ!?」
「…ふーん……。本当かなあ?」
わざと捻くれた言葉を返すと、リオーニもディスティエルも、大げさなくらいに真剣な顔で頷いた。
「本当だとも。大体お前、見も知らない人間にほいほいついて行く程、分別のないガキじゃないだろうが?」
「むしろ、年の割りにしっかりし過ぎです。隙がないのは良い事ですが」
「…まあ、いいけど」
あまり褒められてはいない気もするが、つまりそれだけ信頼してくれているという事だ。
元々、どちらも子供だからと必要以上に甘やかす人達ではない。基本的に放任主義なのも、それだけの理由があっての事なのだ。
実際、エミリオは同世代の子供と比べると大人びているというか、しっかりしていると言えた。同じ年頃の友達よりも、大人の友人の方が多いからかもしれない。
善悪の区別はつくと見なしているから、リオーニもディスティエルも、エミリオの自主性に任せているのだ。
「それで…チビ。その宗教団体みたいな奴等って、どんな奴等なんだ」
一応はマリオーゾの聖所を任されている身だからか、リオーニが興味深そうに尋ねてくる。
「どんなって…簡単に言うと、全身黒尽くめにカーニバルの仮面をつけた集団、かなあ」
「…何だそりゃ」
宗教団体と言うよりは、仮装行列のような表現にリオーニの眉が寄る。ディスティエルさえも呆れた表情を隠さない。
「まだ暑いのに、ご苦労な事ですね」
「同感だ。陽射しが和らぐにはまだ間があるのに黒尽くめとは……。気合が入っていると言えなくもないが、そうでなければただの阿呆としか思えんな」
聖父のくせに結構失礼な事を口にするリオーニに、エミリオも同調する。
「だよな? オレも遭遇した時に暑くないのかって聞いたんだけど、『心配御無用! 黒は我等を象徴する色ですから!』とか何とか言ってて。よくわからないけど、そういう宗教なんじゃないの?」
その時の事を思い出しながら言うと、リオーニは軽く目を見開いた。
「…象徴……? 黒が、か?」
「え、うん。自信満々に言ってたから、聞き間違いじゃないと思うけど」
「…他に何か変な所はないか?」
「え? そうだな…あ、何でか知らないけど、人目を避けてるよ。人が来たらすぐに逃げるし。だから余計に怪しいんだけどさー」
「ほう、そうか」
感心したのか、呆れたのかよくわからない事を呟いて、するりと顎を撫でる。
それはリオーニが何か考え事をしている時の癖だ。彼等の奇行にどんな思う所があったのかはわからないが、何事か気になる事があったのだろう。
こういう時は正面から何だと問い質しても、のらりくらりとかわされるのがオチである。何事も豪快なリオーニだが、重要な事は意外なほど秘密主義なのだ。
怪訝に思いながらも、ディスティエルもエミリオも追求はしなかった。明言出来ない段階で発言を避けても、知らせる必要があると思えば必ず話してくれる。リオーニはそんな人だ。
「ともかく、そんな妙な連中に絡まれているとは穏やかじゃないな。チビ、これから外を出歩く時は、必ず人のいる所を選んで歩くようにするんだ。わかったな?」
「いいけど…、でも町の人に迷惑じゃない?」
変な宗教団体だと頭から信じているエミリオは、あの妙な布教が周囲に及ぶのを心配して、むしろ抜け道のような場所ばかりを選んで歩いていた。
ずっとここで生まれ育ったような感覚で日々を暮らしていても、心の何処かで自分が『新参者』という意識があるのだ。出来れば、自分の事でマリオーゾの人達に迷惑をかけたくはない。
そんな行動を見透かしたのか、ディスティエルが疲れたような顔をして突っ込む。
「遠慮なんてしている場合ですか。今は他人よりも自分を心配しなさい」
「その通りだ、チビ。…と言うかだな、お前に何か起こる方が迷惑だろうが。ここの連中は揃いも揃って、妙に情に厚い奴等ばかりなんだぞ。もし、目と鼻の先でお前が攫われてでもしてみろ」
「そっか、責任感じるか」
マリオーゾの知り合いの顔を思い浮かべ、エミリオは納得した。
確かに彼等は皆、情に厚い、否、熱い。マリオーゾのような規模の街で、隣近所レベルを超えて住人同士がやたら連帯感を持っている場所もそうそうないだろう。
特にバザールを仕切る商人連は、鉄壁の連帯を誇っている。何処かで問題が起こっても、すぐさま対応出来るのが彼等の自慢だ(単に地獄耳だという話もあるが)。
「本当は当分出歩かない方がいいんだろうけどな。いつもうろちょろしているお前の姿が見えないと、今度はすわ病気か、怪我かと人が押し寄せかねんし」
「それ以前に一箇所に閉じこもっていられる性格じゃないですしね」
「だよなあー」
やれやれ、とため息をつく保護者達に、少々ムッとしつつも、エミリオはその言葉を否定出来なかった。
実際、無期限で閉じこもれと言われても出来そうにない。別にここの居心地が悪い訳ではないが、動き回っている方が性に合うのだ。
ともかく、具体的な解決策はなかったが、相談した事で気は楽になった。何だかんだ言いつつも、今後二人とも周辺の異変に気を配ってくれるはずだ。
何かあった時、この二人がとても頼りになる事をエミリオはよく知っている。
他の街と比べれば、マリオーゾはとてもではないが信心が篤いとは言い難いものの、やはり教会はそれなりに影響力を持っている。
そんな彼等が睨みを効かせるようになれば、きっとあの妙な集団も活動しづらくなるだろう。
この日、話はこれで一段落し、エミリオとリオーニは夕食作りに、ディスティエルは庭の手入れに向かった。
…そこで話は終わったと、彼等は信じて疑いもしてなかったのである。