エミリオ少年の悩み(3)
ようやく帰り着いた時、丁度頭上で日没の鐘が鳴る所だった。
見上げると鐘楼に人影が見える。おそらく家主のリオーニに違いない。日の出と日没の鐘を鳴らすのがここの家主の数少ない仕事の一つなのだ。
何とかぎりぎりで間に合ったエミリオは、早速家の中に入る事にした。
家と言っても、他の一般家庭とはちょっと違う。鐘楼がある事もだが、ここには人々が祈りを捧げる祈祷所もあり、そうでなくてもやたらと敷地が広いのだ。
というのも、そこはこのマリオーゾ唯一の聖所── 聖主を奉る聖職者達が暮らす教会だからだ。
もっともこの教会には、その規模に反して聖父が一人しかおらず、またその補佐をする聖女も一人しかいないのだが。
「ジカンゲンシュ、ジカンゲンシュ、ケケケッ」
正面からは入らず、そのまま庭を抜けて裏口に回ると、木戸の横にある木に止まっていた極彩色の鳥がそんな声を上げた。
全体的な色彩は鮮やかな赤。後は目の周りや飾り羽、尾羽の辺りに黄色や青、あるいは白が入っている。
色彩の鮮やかさだけでなくその姿も何処か優美で美しい。鳥類の収集家が見たなら、おそらく手に入れたいと切望する事だろう。
「今日は遅れてないだろ、フレイア。失礼なヤツ!」
ここよりも更に南方にある大陸で生まれたとされる『フレイア』という名のこの鳥は、ここの家主、すなわち聖所を預かるリオーニが以前何処かで拾ったものらしい。
とても賢く人の言葉を覚えて喋るが、何故か人の神経を逆なでにする言葉をタイミング良く喋る為、口うるさい感じがしてエミリオはあまり好きではなかった。ちなみに性別はメスらしい。
「コワイ、コワイ、チビ、コワイ、ギャー」
まだまだ成長期はこれからだが、確かにエミリオはどちらかと言うと小柄な方だった。
これから育つさ、と多くの人が言ってくれるし、中にはリオーニのように『チビ』を愛称代わりに言う人もいる。おそらくフレイアは飼い主の言葉を覚えたのだろう。
それにしても普段人に言われるのは特に気にもならないのに、鳥に言われると無性に腹が立つのは何故だろうか。
「チビ言うなって!!」
むきになって言い返した所で、ばたんと目の前の扉が開いた。
「…そんな所で何をしてるのですか? エミリオ」
「ディ、ディス……!」
現れたのは彼の養い親にして、この聖所に勤める唯一の聖女、ディスティエルだった。
鳥の戯言に真面目に言い返している姿は、実の親でも見られたいものではない。エミリオは慌てて居住まいと正すと、その顔にぎこちない笑顔を貼り付けた。
「た、ただいま!」
「お帰りなさい。…今日はちゃんと遅れずに帰って来たようですね」
よろしい、と微笑まれて、何かすっきりしない気持ちになりながらも、エミリオはディルティエルに続いて中へと入った。
大体、いつも遅れる気はさらさらないのだ。あの集団に絡まれさえしなければ──。
(…なんか、理不尽な気がしてきた)
一応、言い訳をするのは男らしくない行為だと思っているので、今までは遅れたり忘れた事を謝りはしたが、その理由までは語らなかった。
だがこうも連日になると、自分だけの責任で片付けるのは少々無理がある気がする。
気をきかせてか、それとも気にならないだけなのか、ディスティエルもリオーニも突っ込んで理由を聞いて来ないが、今はむしろ聞いて欲しいくらいだ。
二人とも、一応は迷える信者の悩みを聞く事を仕事の内にしているのだから、たまには身内の相談も受けたって罰は当たらないのではなかろうか?
そんな事を考えながら、背中に斜め掛けしていた布袋から、先程バザールで仕入れてきた食材を取り出して調理台に並べていると、鐘楼から降りてきたリオーニが教会に続く扉からのそりと入ってきた。
「おう、チビ。今日は間に合ったか」
にやりと笑う顔は浅黒い。年の頃は三十代半ば。一つの教会を預かる聖父にしては若い部類に入るだろう。
短く切った髪は緑を帯びた黒で、瞳は薄い水色。長身の上に全体的にがっしりとしたその体躯には、聖父の正装である白い礼服が気の毒なくらいに似合っていなかった。
もっとも似合わないと言えば、同様に聖女の礼服を着たディスティエルも似たようなものだが。
「…ディスと同じ事言わないでよ」
うんざりした気持ちで言い返すと、リオーニはおや、と片眉を持ち上げる。
「そんなに気を悪くするな。一応、お前の事を心配していたんだからな?」
言いながらかまどの様子を確かめているディスティエルの方へ、視線をちらりと意味ありげに流す。
心配とはすなわち、遅れた場合にエミリオが被ったであろう、人的被害の事についてらしい。
なるほど、と納得したエミリオも倣うようにディスティエルに視線を向け、軽く肩を竦めた。
エミリオもリオーニも、ディスティエルには頭が上がらない。
エミリオにとっては今まで育ててくれた育ての母だし、リオーニにとっては仕事の上では頼りになる部下であり、また私生活でもかけがえのない存在だからだ。
というのも、彼女がいなければこの教会の衣食住の管理は、とっくに破綻していたに違いないからである。
マリオーゾに辿り着き、少し街外れにあるこの教会に到着した時の、ディスティエルの凍りついた表情を、エミリオは今でも忘れられない。
普段、沈着冷静で滅多に動揺を見せない彼女が茫然とするのをその時初めて見た。信仰心の高いディスティエルには、その荒れ果てた様子は余程ショックだったのだろう。
当時、信じがたい事にこの広い教会にリオーニしかおらず、しかも彼はあらゆる管理方面の才能が不自由だった。
その結果、庭は荒れ放題、壁には蔦が多い繁り、中も至る所に物が散乱し── 一見しただけでは聖所とはわからない程、実にひどい有様だったのだ。
その様はまさに廃屋一歩手前。実際、エミリオはリオーニと顔を合わせるまでそこに人が住んでいるとは信じられなかった。
今の状態は、正にそれ以降のディスティエルの努力の賜物というより他はない。むしろよくぞここまで人の住める場所になったものだと思う。
「…どうしたんです、二人とも。何か?」
二人の視線に気付いてか、怪訝そうにディスティエルがこちらに目を向けてくる。エミリオは慌てて作業を再開し、リオーニはとってつけたかのように仕事の話を始めた。
(…危なかった……)
ディスティエルには二人とも感謝の念は抱いているが、その厳しさには同様について行けないのでいるのだった。
だが、その厳しさも根拠のない無理のあるものではないから、エミリオも黙って受け入れる。
これでもリオーニが言うには、ディスティエルは数多存在する聖父・聖女の中でも、まだ頭が柔らかい方らしいが── 一番身近な聖職者がこの二人である上、今までろくに教会関係者とは接した事がないので、事実関係は不明である。
それはさておきだ。
丁度二人揃った事だし、自分に降りかかっている問題を相談するのに絶好の機会ではないだろうか。
それによくよく考えれば、いくらマリオーゾが他の街と違っていても、聖主信仰が基本宗教である事は変わりない。何か問題になる前に話を通しておいた方がいいに決まっている。
よしと心に決めると、早速エミリオはまだ何やら話している二人に声をかける事にした。