魔王覚醒(2)
「消えた……?」
「何処へ!?」
「さ、捜せ! 捜すのだ……!!」
逃亡から一転、魔族達は慌てふためいて魔王の姿を捜し求めた。
魔王は覚醒したばかりである。おそらくまだ己の力を把握出来ているとは思えない。
本能のままに破壊活動を起こすような事はあっても、意図して空間移動するような力の使い方は出来ないはずだ。何より、今の魔王に明確な目的地はないだろう。
そんな彼等の予測は正しかった。地下水路から姿を消した魔王は、程なく発見された。
マリオーゾを見下ろす、遥か上空。地上からではその姿がうまく捉えられないような場所に、重力に逆らって浮かんでいたのだ。
「あのような所に……!」
いくら力ある魔族でも、自然の摂理に反する事はおいそれとは出来ない。空を飛ぶなど有翼の魔族でないと無理だし、ましてや中空に浮き続けるなど不可能だ。
それだけ『魔王』がこの世において異端の存在である事は間違いなかった。実際、魔族の王と位置付けられてはいるが、本質は魔族でも人でもないのだ。
今は人の少年の姿をしているが、それは単に周囲の状況に合わせて擬態しているに過ぎない。最初から魔族の中で育っていたなら、おそらく違う姿になっていただろう。
「誰か! あそこまで行ける者はおらぬのか!」
「ばかを言うでないわ! 仮に行けたとして、どうしろと?」
「うぬう……」
かろうじて魔王の姿を見つける事が出来たものの、だからと言って暴走した魔王を前に、彼らに見守る事以外出来る事はなかった。そのまま物陰に隠れ、額を突き合せるようにしてぼそぼそと話し合う。
「一体、魔王様はあそこで何をなさるつもりなのだろう」
「今の所は動く様子はないが……」
「…もしや、この街を滅ぼそうとなさっておいででは?」
「何!? いや、でも有り得るか……」
「皆殺しってこと?」
「空からならいかようにも攻撃出来る。流石は魔王だ」
「ちょっと待て。だとしたら、ここにいては我等も巻き添えを食らうのでは?」
「おお、そうじゃ!」
「人間どもがいくら死のうが一向に構わぬが、というかむしろ望む所じゃが、無差別に攻撃されては困るぞ!」
さあっと青褪める彼等を余所に、上空にいた魔王はついに行動を起こした。
その手を持ち上げ、何かを思い出そうとするかのように掌を見つめる。遠くからではその表情までは確認できないが、やがてその手には青白い光の球が生み出された。
それは純粋な力の結晶。人よりもそうした力に敏感な魔族には、その威力を理解出来た。子供の握りこぶし程のものだが、マリオーゾの町を半壊させるくらいの破壊力は秘めている。
── 魔王はその光をじっと見つめ、やがて無造作にそれを握った。
「いかん、来るぞ!?」
「皆の者、身を守れ……!!」
もはや逃げる猶予もない。魔王の力に対し、どれ程の効果があるかはわからないが、持てる力を全て出して障壁を張るしか彼等に残された道はなかった。
── が。
まさに魔王がその光を解放しようとした時、彼等は異変を感じ取った。
「……!?」
「な、なんだ……!? ち、力が、抜ける……!!!」
「いやああああ、何よこれー!! 気持ち悪い!!」
そこここから魔族達の悲鳴が上がる。
と言うのも、彼等が身を守る為に身の内で高めた魔力が貯めた端から消えてゆくのだ。まるで、地面に吸い取られるように。
次々に耐えきれずに膝を地につく。この状況で魔王が力を解放すれば、彼等に待つのは消滅しかない。
「く、くそっ、力が吸い取られ…── って、こ、これはまさか……!!」
やがて一人の魔族が思い当たったように声を上げる。
ただでさえ絶体絶命の危機を前に青褪めていたその顔は、たちまち紙のように白くなる。
「ど、どうした?」
「これが何かわかる…のか!? ええい、鬱陶しい……!!」
声を聞きつけた周囲の魔族が問いかけると、その魔族はこの世の終わりを目前にしているかのような表情で、ぽつりと呟いた。
「── 人間、だ……」
「は?」
「人間…って、まさか……」
それは魔王と自分達だけに目が向いていた魔族達が、初めてそれ以外の存在に意識を向けた瞬間だった。
そう、この街には彼等以外にもいたではないか。魔族ではない、むしろ敵対関係にある存在が──。
「そういや、この町の人間どもはどうした? 先程から気配がないぞ?」
「知るか! 今はそれどころではない…これはだな──ッ!!」
その瞬間、マリオーゾ中を走るあらゆる道から、白い光が放たれた。
魔王が生み出した火柱とは対照的な、清浄さを感じさせるその光に包まれた瞬間、力の弱い魔族から次々に消滅して行く。
悲鳴すらも上げる暇もない、完全なる消滅。抗う事すら許さない、魔王の力より一方的ですらあるそれは、その場にいた魔族達を飲み込んだ。
「やはり…教…会の……──!」
その言葉を最後に、マリオーゾにいた魔族は全て消え去った。
その光は魔族達を飲み込んでなお、上空に浮かぶ魔王の元にまで伸び、驚いたように目を丸くしたその身体を拘束するように包み込む。
バシュッ!!
「── ……ッ!!!!」
光がその身体に触れた刹那、それに反応するように青黒い光が魔王の全身から放たれる。その衝撃は凄まじく、雷に打たれたように小さな身体が仰け反った。
驚愕か、痛みの為か── 大きく見開かれたその瞳に、遥か地上にあるマリオーゾの街が映り込む。
繋がりあった光の道は、一つの模様を闇に描き出していた。上空から見て初めてわかるほどの規模のそれは、見る者が見れば何を意味するものかすぐにわかっただろう。
それは、聖主教会が魔族調伏に使用する退魔の法陣だった。
+ + +
「── 目標捕捉。拘束に成功した模様」
「地下に確認された魔族反応が消えました。マリオーゾに潜伏していた魔族は全て消滅したようです」
「やはり保有魔力が強過ぎる。この法陣でも、もって半刻です!」
「…これが『魔王』の力……!」
場所はマリオーゾ郊外。夕闇に紛れて、そんな緊迫した声が行き交う。
彼等の目に映るのは、光を放つ町とその光に絡め取られた小さな姿。肉眼ではその姿は距離があり過ぎて捉えられないものの、彼等は肌でそこにある強大な力を感じ取っていた。
「半刻もあれば十分だ。ともかくここに足止めをしろ。絶対に逃がすな!」
背後から聞こえた声に、彼等が一斉に声をした方へ顔を向ける。
そこにいたのは、闇に溶け込む黒い服を身に着けた大柄な男──。いつもは飄々とした表情が、今はまるで研ぎ澄まされた刃のような鋭さに変わっていた。
「リオーニ総統!」
「後は俺とメリーがやる。お前達はこの法陣の維持だけに全力を尽くせ」
慣れた様子で命じるその姿には、普段の聖父姿にはなかった厳しさと貫禄がある。その肩には極彩色の鳥── フレイアの姿もあった。
「はっ!」
「了解しました!」
「頼むぞ」
リオーニの言葉に応える彼等は、力強く頷くと自らに課せられた仕事に向かう。
その服装はと言えば、エプロン姿であったり、郵便配達人の服装であったりと、妙に生活感のある姿だった。中には腰に包丁を下げたままの料理人や、編み物を手にした老婆までもいる。
それもそのはず、彼等はつい先程まではこのマリオーゾで普通に生活をしていた人々なのだ。
先程マリオーゾの地面に大穴を開けた火柱が出現するまで、それぞれの場所でそれぞれの生活を営んでいた彼等は、異変が起きると同時にこの地点へと向かった。
それはマリオーゾの聖所を預かる、リオーニやディスティエルも同じだった。
今日の午前中にリオーニが出かけたのは、有事の際の指示を出す為だったのだ。まさかその日の内に異変が起こるとは思っていなかったが、近い内にこのような事態が起こると予想していた。
「エミリオ……」
リオーニの後ろに控えていたディスティエルの口から、今は魔王と化してしまった養い子の名が零れ落ちる。
もう彼女も、聖女の白い服を身に着けてはいなかった。
リオーニと同様、闇に溶け込むような黒い衣服。ただしこちらはリオーニよりも露出部分が多く、身動きの支障になるような布を省いた分、機動性をより高めた仕立てのようだった。
「大丈夫か、メリー」
「…はい。心配は無用です、リオーニ聖父…いえ、リオーニ総統官」
頷いた彼女は、物思いを振り切るかのように、ぎゅっと黒い皮手袋に包まれた手を握り締めた。元々表情に乏しい彼女だったが、今は触れると切れてしまいそうな程に鋭い空気をまとっている。
「血は繋がらずとも、あの子はこの私が育てた者。── 最悪の場合は、この手で」
何処か思いつめたような言葉に、リオーニは励ますように口を開いた。
「…信じろ。きっとうまく行く」
「ソウヨ、アノ子ハ強イ子ダワ。『魔王』ナンカニ負ケル訳ガナイデショ!」
フレイアまでもがそんな事を言い、ディスティエルは驚いたように軽く目を見開いた。やがてその顔に、僅かな余裕が生まれる。
握り締めていた拳を緩めると、ディスティエルは上空で光に囚われている少年へ目を向けた。
(…そうだ。あの子が、負ける訳がない。信じよう)
思い出すのは、彼が自分に向けてくれた無邪気で明るい笑顔。
何より光が似合うあの子が、闇の王たる魔王と化してしまうはずがない……!
ディスティエルの瞳に前向きな光が宿った事を確認すると、リオーニはマリオーゾの人々に向き直り厳かに宣言した。
「…古の託宣に従い、第七退魔師団『マリオーゾ』総統官リオーニの名において命じる。魔王復活を阻止せよ!!」