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エミリオ少年の困惑(3)

 結局、謎の集団にこそ遭わなかったものの、謎の女性のせいで今日もぎりぎりに教会へと帰り着いたエミリオだった。

 一体あれは何だったのかという疑問は残ったものの、それでも何とか予定通りの買い物は出来たし、時間にも間に合った事でほっとしながらいつものように裏へ回ると、フレイアの妙な言葉で迎えられた。

「ヒドイ、ギャー、アタシトイウモノガアリナガラ!、ギャギャー!」

「…フ、フレイア? どうしたんだよ、一体」

「ウワキモノ、ウワキモノ、ケギャー!!」

 ギャーギャーと叫びつつ、羽をバタつかせ、その大きなくちばしで突付こうとする。鳥と言っても、フレイアは結構大型の鳥だ。その嘴で突かれては堪らない。

「ウワキモノ?? …それ、どういう意味だよ……!? って、痛ッ、痛いって、やめろってばフレイア!!」

 ── 今日は厄日だろうか。目覚めからして最悪だったが、わけのわからない事が多過ぎる。

 何とかフレイアの突付き攻撃から逃れる事に成功し、げっそりと疲れ果てた気分になりながら、いつものように食材を置きに厨房に向かう。

 一体、どうした事か。口うるさくても、あんな風にフレイアが攻撃してくるなんて初めての事だ。

(行いは悪くないハズなんだけど……?)

 首を捻りつつ厨房の扉を開くと、今日の当番であるディスティエルが夕食の準備に取り掛かっている所だった。

「ただいま、ディス」

「ああ、エミリオ。お帰りなさい。もう頭痛は大丈……?」

 鮮やかな手つきでじゃがいもの皮を剥きつつ、顔をこちらを向けたディスティエルは、そのまま怪訝そうな顔になった。

「…ディス? どうかした?」

「エミリオ…今日、何かありましたか?」

「は?」

 今度はディスティエルまで妙な事を言い出し、エミリオは面食らった。

「何かって── どうしてそんな事を聞くのさ」

「…ちょっと気になっただけですよ。例の集団の事もありますし…何もなければいいのです」

「そんな事を言われたら、こっちが気になるってば!」

 昼間の女性といい、フレイアといい、ディスティエルといい、今日は女難の相でも出ているのだろうか。

 何かあったかと言われたら、確かにあったとしか言い様がないが、どう答えれば良いのかエミリオにはわからなかった。

 見も知らない女の人に路地裏に連れ込まれ、押し倒されて服を脱がされそうになりました── なんて、何となく言いづらい。

 確かに真昼間から素裸で、例の『変質者を追い払う良い言葉』で(泣きながら)逃げて行ったから、変な人なのは事実に違いないのだけれども。

 そんな事を心の内で思っていると、困惑が顔に出ていたのか、ディスティエルが小さくため息をつき、仕方がないという様子で口を開いた。

「── エミリオ、自覚がないのかもしれませんけど…妙に化粧臭いですよ?」

「…は!?」

 言われて、慌てて自分のそでを嗅いで見る。よくわからない。

 次に胸元の布を持ち上げ同様に嗅ぎ、ディスティエルの言う通りである事がわかると、そのまま呆然と立ち尽くした。

 この妙に甘ったるい匂いは、あの女性のものだ。花とは違う、いかにも作られた感じの匂い。こんな匂いをつけて、自分は歩き回っていたのか?

 今まで気付かなかった事も不思議だったが、それ以上にこんな匂いをさせてバザールをうろついていてしまった事の方がエミリオには衝撃的な事だった。

 行った先々で、特に変な顔をされたりはしなかったけれど、それが単に言わなかっただけである可能性が高い。

 そして一人から発した噂話が一気に広まるばかりか、尾ひれで足りずに胸びれや背びれまでついてしまうのがマリオーゾである。

 明日バザールに行った時、一体どんな事になっているのか── エミリオの額に嫌な汗がじっとりと浮かんだ。

「おう、無事に帰ったようだな。…どうした、チビ? 何だか顔色が悪いようだが……」

 そこに昨日と同様、鐘楼から降りてきたリオーニが顔を見せた。今日は夕食当番ではないが、エミリオを心配してか珍しく厨房に足を向けたようだ。

「お、おっちゃん……! た、ただいま」

 不意打ちの声にはっと我に返り、帰宅の挨拶を述べつつも、何となく後ずさって距離を取った。

 ディスティエルですら気付いたのだ、リオーニが気付かないはずもない。案の定、何かに気付いたように軽く目を見開き、じっとエミリオを凝視してくる。

 しばし、沈黙。

 やがてするりと顎を撫でたリオーニがゆっくりと口を開いた。

「…チビ、お前……」

「オレ、無実だからっ!!」

「へ?」

 先手を打って自分が望んでつけた匂いではない事を述べようとしたのだが、焦った結果、意味不明のものとなってしまった。逆に怪しんで下さいと言わんばかりである。

 面食らって思わず首を傾げたリオーニは、エミリオのその様子から何かしら感じ取ったらしく、仕方ないなというような顔で微笑んだ。

「まー、そういう事にしといてやるか。いくらガキでもお前も男だからなあ。興味を持つ気持ちはわからんでもないが…ちーとばかし、行くには早いんじゃないか?」

「── は? 行くって…???」

 今度はリオーニが意味不明の事を口にする。

 思いっきり目を点にするエミリオに対し、その言葉に反応したのはそれまで黙って二人のやり取りを聞いていたディスティエルの方だった。

「…リオーニ聖父? 今、何を考えました……?」

 心なしか温度が下がっている言葉に、リオーニの顔が笑顔のまま強張る。

 目だけをディスティエルの方へ向け、その顔が不自然な微笑みを浮かべている事に気づくと、傍目でも血の気が引いてゆくのがわかる位の勢いで青褪めた。

 しばし、居心地の悪い沈黙が漂い。

 黙っていても良くないと思ったのか、やがてリオーニはしどろもどろに言葉を紡ぎ出した。

「えーと、いや、その…だって、なあ?」

 …が、出て来た言葉と言えば、全く訳がわからないものだった。しかし、恐るべき事にそれでもディスティエルには通じたらしい。

 彼女は包丁片手に、見ているだけでも背筋が凍りそうな冷ややかな笑みを浮かべた。

「リオーニ聖父。後ほど、ゆっくり二人きりでお話したいのですが宜しいですよね?」

「い!?」

「お返事は?」

「── …は、はい」

 これではどちらか師なのかわかったものではない。だが、取り合えずこの匂いについてはこのまま不問に終わりそうだ。

 ほっと胸を撫で下ろし、手早く買ってきた食材などを置くと、不自然な笑顔で微笑みあう二人を残してそそくさと退散する事にした。

 ── やがて厨房から激しい物音と言い争う(?)声が響き、今日の夕食がいつもより少々遅くなった。


+ + +


 その夜、エミリオが夢の中にいる頃。

 闇に沈んだ聖所の祈祷所で、何事か考え込むリオーニの姿があった。

 いつになく真面目な顔で見つめる先にあるのは、夜の闇。新月の翌日だけに、空にあるはずのその姿はまだ何処にあるのかもよくわからない。

「── 聖主の託宣、ねえ……」

 やがてぼそりと呟き、顔を前方にある聖主像に向ける。

 剣を胸に抱き、背にはその聖性を示す大きな一対の翼。瞑目した顔は何処か中性的で、青年というよりは少年と表した方が相応しい容姿だ。

 何処の聖所にも置かれているその像を眺めながら、するりと顎を撫でる。果たして何を考えているのか── 。

「…そろそろ、この似合わない服にも飽き飽きしていたしな。── まあ、頃合だ。お前もそう思うだろう? メリー」

 顔は聖主像に向けたままリオーニが声をかけると、いつからそこにいたのか、宿房に続く扉の前にディスティエルが姿を見せていた。

「── ディスティエルです、と何度言わせる気ですか?」

 苦虫を噛み潰したような顔のディスティエルに、懲りないリオーニはハハハ、と明るい笑い声を上げる。

「仕方ないだろう。俺にとっては、お前は今でも教え子なんだから」

「…聖名を名乗る資格はないと?」

「いや、そうじゃない。お前も『聖女』って柄じゃないだろ、という事だ」

「……」

 反論を諦めたのか、それともその通りだと思ったからか、ディスティエルはその言葉には軽いため息で返した。

 その内、ディスティエルもリオーニに倣うように聖主像に目を向ける。

「疑っていた訳ではありませんが…『託宣』は正しかったようですね」

 次いで紡がれた言葉は、いつになく暗いものだった。対するリオーニもまた何処か神妙な顔になる。

「まだわからんさ。たとえ正しいとしても、元々それを阻止する為に、俺達はここにいるんだろう?」

「…そうですね」

 頷きつつも、やはり浮かない顔のディスティエルに、リオーニは苦笑を浮かべた。

 まだ彼女が彼の『教え子』だった頃を思い出す。

 あの頃は世渡り下手で(これは今も変わらないようだが)、信仰心こそ高かったが口を開けば敵ばかり作り、そしてそれをまったく気にもかけないような少女だった。

 それが、随分大人しくなったものだと思う。

 十年という月日と、養い子の存在によるものに違いない。実際、エミリオという少年は頑固者の少女だった彼女を変えるだけの影響力を持っているように思われた。

 少なくとも師として接していた頃、リオーニは頑なな彼女の笑顔を見る日が来るとは思っていなかった。マリオーゾで再会した時、養い子に向ける微笑みに心底驚かされたものだ。

 素直で明るく、いつも元気で── だが、そんな彼にどうやらよくないものが付き纏いつつあるようだ。夕刻、エミリオがつけてきた残り香。あれは化粧の匂いなどではない。

 エミリオだけではない。このマリオーゾの町自体に、暗い影が見え隠れしている。

(…だが、まだ尻尾が出ていない)

 事が事だけに大々的に動くわけには行かない。それは教会の総本山側からもうるさく言われている事だ。つまり、今は待つしか出来ない。

「さあ、俺達もそろそろ寝よう。また明日も早いからな」

 リオーニは座っていた椅子から腰をあげると、重苦しい空気を払うように殊更明るく口を開いた。

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