第1話. 墓石とだれかの白百合
それは、吊るされた骨と、腐り落ちゆく、肉塊だった。
誰も、手を差し伸べようとする者はいない。
どう生きてきたか、誰も知らない。
そもそも、もう"誰か"もわからない——
(酷すぎる……ああなる前に、誰も助けようとはしないのか……)
焼けるように紅く染まる空、深く落とす影。
処刑台の様に伸び、曲がりくねった枯れ木に縄で首を吊るされた"屍"。
隣には全焼し屋根を落とした民家。
その凄惨な光景をふと横目で眺めつつ、陥落した城下町から逃げ延びるひとりの騎士がいた。
堅硬なる甲冑を灰色のマントで身を包む様はまるで"墓石"さながら。
遠目で見れば魔物と見間違うほどに巨躯な体格に恵まれ、両側を剃り込んだ黒髪。目つきは鋭く、そして物憂げだった。
その背には重厚な大剣を仰々しく背負い、灰白色の柄が飛び出した背骨のように伸びている。
その男の名は、"オルサス=グレイブロック"。
彼は、13の国からなる"アストリア大陸"のひとつ、この長き夜の国"ガルフィス王国"を守る騎士として仕えていた。
——アストリア大陸は、かつて人々により際限なく繰り返された対立の歴史を乗り越え、戦争をやめ、人と人とが手を取り合う、美しき大陸についにたどり着いていた。
そして、ここ、"長き夜の国 ガルフィス"はその中での役割として、堅牢なるその騎士団による防衛力と結成のノウハウを活かし、各国に騎士を派遣することによる治安維持及び魔物を退け護る技術を提供し、13国を支えることに役立っていた。
アストリア大陸は、より強く、より堅く、より美しくなるはずだった。
——その矢先だった。
どこからか、とある"魔物"が漂着し、13国のひとつである屈強なる剣の国"シルベニア"を堕とす。
魔物が殖える速度は、あまりにも、凄まじく早かった。
彼らはシルベニアの城を、国を丸ごと巣にした後、大陸全土へと侵攻を開始する。
そして、ガルフィルスは——アストリア各国は、その機能の中枢たる城を次々と陥落させられた。
国の支え、骨格も同然のガルフィス騎士団は"魔物"に屈し、その根幹を尽く断ち切られる事になる。
彼——"オルサス=グレイブロック"は、敗北し粉々となった騎士団の一人として、生き延びるために奪われた城から身を退いていた。
(お・・・)
オルサスがふと見つめていた、吊るされた屍の前に誰かが訪れる。
一人の、少女。
淡い緑色の髪、乳白色と濃い紅色を貴重として入り交じる、長いスカートの村娘衣装に身を包んでいる。
そして、屍の前に屈み、何かを置いている。
一本の、無垢で素朴な白い花。
どうやらそれは、一輪の白百合の花だった。
壊れゆくこの地に、凄惨な死を遂げた者にも、まだ弔う者がいる。
オルサスは、ほんの少しばかり安堵する。
(よかった・・・)
(いや、良くはないが……しかし、誰も手を差し伸べず放って置かれるより、救われる)
少女はどうやらオルサスの気配に気がついたのか、振り返る。
(驚かせてしまったかもしれない)
無理もなかった。
その体格差は大きく、急に対峙しては一瞬"あの魔物"を彷彿とさせてしまっても仕方がない。
「・・・」
(顔立ちと外観からは、およそ16歳前後だろうか)
少女の、その表情は——
哀しさに、溢れていた。
その瞳は、血の色をした宝石のよう。——しかし幾分か曇っている。
目元は腫れぼったく、どうやら涙を流した後のようだった。
(・・・なんと声をかけるべきか。しかし、彼女はここにいては危ない)
ここに安全な場所などないが、より安全を目指そうと思えば、とにかく堕ちた城から離れるしかない。
オルサスは、彼女に声をかけようとする。
その瞬間——
オルサスは少女のむこう、不気味に曲がりくねる木々にまじり、その"影"をみた。
(……)
「下がってくれ」
オルサスは少女に伝え、背中の大剣を引き抜き、前に立つ。
剣身を表す、灰白色の、分厚く無骨な大剣 "ドラゴニス"。
それは今や伝説として語り継がれるほどの遥か昔——
"外"からアストリアに侵入し、国々を危機に陥れ、遂には古の英雄により討伐された古の巨竜"ラスタバン=ファフニール"の遺骨から作り上げられた武器のひとつだった。
彼は眼前のそれを睨み、構える。
漆黒の外殻に覆われ、背中には大きな虫の翅。そしてオルサスの体躯を超える程の異形なるシルエット。
ヒトと虫をかけ合わせた様な指を併せ持つ、6本の手脚。
首から上は、表情のない不気味なマスク。
それは、蝿の顔をしていた。
魔物の名は"ヴェスパ"。
ヒトを超える疾さと力、そして硬さ。
ヒトから装備と能力を奪い繁殖するその特性。
このアストリアを滅ぼしつつある、ヒトの骨格を持つ蝿の魔物だ。
彼らは女性を攫う。
オルサスに、選択肢はなかった——
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