第52話 さて、ここで問題です
「寝れないなあ」
自室のベッドの上。僕は、大きく寝返りを打ちました。体は鉛のように重く、疲れが溜まっていることは明らか。けれど、全く寝付くことができません。きっと、頭の中でごちゃごちゃと考え事をしているせいでしょう。何しろ今日は、僕が生きてきた中で最も濃い一日だったのですから。
「『戦花の魔女』……か」
そんな僕の呟きは、しんと静まり返った自室に溶けてなくなりました。
自分の正体を隠しながら、僕と一緒に生活をする。苦しくはなかったのでしょうか。辛くはなかったのでしょうか。一人の方がいいと、思ったことはなかったのでしょうか。
もし僕の存在が、師匠の負担になっていたとしたら。
「って、やめやめ。早く寝ないと」
一人であれこれ考えたって、結論が出るわけがありません。師匠の気持ちは師匠の気持ち。僕がそれを百パーセント想像しきるなんて、無茶にもほどがあります。
僕は小さく頭を振り、再度寝返りを打ちました。
その時。
ガチャリ。
自室の扉が開く音。何事かと顔を上げると、パジャマに身を包んだ師匠が扉の向こうに立っていました。
「師匠?」
「あ、ごめん。起こしちゃったかな?」
「いえ。まだ寝てなかったので大丈夫ですよ。それより、どうかしましたか?」
師匠がこんな時間に僕を訪ねてくるなんて、珍しいこともあるものです。といいますか、今日は珍しいことだらけですね。これくらいでは、もう驚いたりはしませんよ。
「えっと……その……」
モジモジと恥ずかしそうに体を動かす師匠。言いたいことがあるのに、なかなか言葉が出てこない。そんな様子です。
え? なんだろ? もしかして、僕がちゃんと寝られてるか確認しにきたとか? いや、さすがにないか。
「で、弟子君!」
意を決したように発せられる師匠の言葉。「は、はい」という僕の情けない返事。つい先ほどまで静まり返っていた部屋の中に、不思議な緊張感が満ちていきます。
「い……い……」
次の瞬間、僕は悟りました。今日という日は、まだ終わっていないのだと。珍しいことは、まだまだ続くのだと。
「一緒に、寝たい」
♦♦♦
落ち着きましょう。そう。こういう時こそ冷静に。
「弟子君の布団っていい香りがするね」
冷静に。冷静に。
「なんか、安心するかも」
冷静に、冷静に、冷静に。
「えへへ。何言ってんだろね、私」
冷静に冷静に冷静に冷静に冷静にーーーーーー!
そもそもどうしてこんなことに? あああ。近い。師匠が近い。
彼女の息遣い。甘い香り。はては微かな体の動きまでも。あれやこれやを手に取るように感じてしまいます。もう僕の心臓は爆発寸前。冷静に? 無茶言わないでください。
このままじゃダメだ。どうにか会話して気を紛らわせないと。
「し、ししし師匠。あ、あの。何か、要件があったんですよね?」
僕は、天井を見上げたまま師匠に尋ねます。今、彼女の顔を視界に入れてしまうと、いろいろと耐えられそうにありませんでしたから。
「要件? そんなのないよ」
「え?」
「私、ただ弟子君と一緒に寝たかっただけだから」
…………
…………
さて、ここで問題です。次のうち、僕のとった行動は一体どれでしょうか。
その一、心の中で叫ぶ。
その二、心の中で叫ぶ。
その三、心の中で叫ぶ。
…………
…………
うにゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああ!
「ふふ。ごめんね。冗談だよ」
「じょ、冗談?」
「うん。ちょっと、弟子君をからかいたくなっちゃって」
相変わらず天井を見つめ続ける僕。そんな僕の目に、師匠の顔は映っていません。でも、何となく想像がつきます。いたずらが成功した子供のような笑顔がそこにあると。
「か、からかわないでくださいよ。僕、びっくりして心臓止まるかと思ったじゃないですか」
「あはは。弟子君も冗談言ってる」
いや、全然そんなつもりはないんですけどね。
僕をからかってくるのは郵便屋さんくらいだったはずなのに。ここに師匠まで参戦してくるとなると。もうどうすればいいのやら。
「まあ冗談はさておいて。本当はね。お礼、言いたかったんだ」
次に師匠の口から飛び出したのは、思わず首をかしげてしまう言葉でした。
「お礼って。僕、何かしましたっけ?」
むしろ、師匠の迷惑になることしかしていなかったはず。
「忘れちゃったの? 今日、私が襲われそうになった時、必死で守ってくれたでしょ」
「あ」
倉庫での記憶が蘇ります。師匠の背後でナイフを振り上げる男性。師匠を抱きしめながら、彼女の杖で魔法を放つ僕。男性が気絶して……その後……その後……師匠と……。
なんと言いますか、うん。いろいろと危なかったですね。ハハハ。
「もし弟子君が守ってくれなかったら、私、殺されちゃってたかも」
「そう、なんですかね? 師匠のことだから、僕が何かしなくても返り討ちにできてたんじゃ?」
「ううん。あの時は、私も気が緩んじゃってたから。弟子君がいてくれて、守ってくれて、本当に嬉しかった」
月明かりが差し込む部屋の中。僕のすぐ隣で、師匠の声が優しく響きました。




