第51話 師匠はこうでないといけません
「ところでさ。一つ、聞いてもいい?」
「はい」
ふと気がつきます。師匠の肩が、小刻みに震えていることに。透けて見える不安と恐怖。まるで、何かに怯える子供のよう。
「弟子君を誘拐した人たちなんだけど。その……いろいろ言ってなかった?」
「いろいろって……」
「例えば、そう。私の昔の話とか」
その言葉に、僕は、これまで目をそらしていた事実に引き戻されました。
師匠の正体が、戦花の魔女。
ずっと知らなかった、ずっと誤魔化されてきた。
彼女の過去。
僕を見つめる師匠の顔に、先ほどの笑みはありません。かつてないほど真剣で、覚悟を決めたような硬い表情。僕なんかでは、師匠の奥底にあるものを理解するなんて一生できないのでしょう。
「…………」
さて、どうしましょうか。
無言でいる僕を見て、師匠の肩がますます震えます。
「やっぱり、聞いてる、よね?」
「…………」
もっとうまい方法、あるはずなんだけどなあ。
「どんな話、だった?」
「…………」
このやり方が正しいのか、全然分かりませんけど。
まあ、不器用なりにやってみましょう。
「ねえ、でしく」「忘れました」
「へ!?」
ポカンと口を開けて固まる師匠。拍子抜けという言葉が似合いすぎるくらい。思わず笑いそうになってしまいますが、とりあえず我慢。
「すいません。実は、あの人たちが何を言ってたのか、全く覚えてないんですよ」
「な、なんで?」
「いきなり誘拐されて、しかもナイフを突きつけられてたっていうのが悪かったんですかね。ほら。人間って、嫌な記憶を無意識のうちに忘れようとするじゃないですか。僕もそのパターンなんだと思います。いやー、ほんと。自分で自分が情けないですよ。あはは」
わざとらしいほど早くなる口調。絡まりそうになる舌。ちゃんと師匠の方を見たいのに、つい視線を下に向けそうになってしまいます。
堂々と嘘をつくって、こんなに難しいんですね。知りませんでした。
「困りましたね。今日、警察から言われたじゃないですか。『三日後にまた来て事情を聞かせてくれ』って。どうしましょ。全然覚えてないのに、何話せばいいのやら」
どうして嘘なんかつくのですって? 当り前じゃないですか。
師匠は、僕に自分の正体を明かそうとはしませんでした。旅人さんから「『戦花の魔女』について何か知らないか」と聞かれても、知らないふりをしていました。きっと、師匠にとってその事実は、他の人に踏み込んでもらいたくない過去なのだと思います。
「警察に行くの、無駄足になること間違いないですよ。覚えてないんですから。けど行かないと怒られるでしょうし。はああ。憂鬱すぎます」
今回、偶然にも師匠の過去を知ってしまった僕。もしも、「師匠は『戦花の魔女』だったんですね」と告げようものなら、一体彼女は何を思うのでしょう。少なくとも、喜ぶなんてことにはならないはずです。
そして、これはまあ僕の願望で。思い上がりも甚だしい想像なんですけど。
師匠が僕との関係を心地よく感じてくれていて、それを壊さないために自分の正体を隠していたのだとしたら。
僕は……。
「きっとあれですよね。僕を誘拐した人たちも、お金目当てだったんだと思います。ほら。師匠って結構町では有名ですし。あの『森の魔女』ならお金持ちに違いないって考えになってもおかしくないでしょ。だから多分、僕を誘拐した時もそういう話ばかりしてたんじゃないですかね。まあ、覚えてないですけど」
あ。「覚えてない」って言うの、これで何回目ですかね? アピールにしてはやりすぎたかも。
勘の鋭い師匠のことです。どうせ、僕が嘘をついているのなんてとっくに見破っているはず。それでも僕は、嘘をつき続けます。師匠の弟子として。師匠の傍にいるものとして。彼女が、悲しむことのないように。
「そっ……か」
小さな、小さな、師匠の呟き。噛みしめるかのように告げられたそれには、一体どんな思いが込められているのでしょうか。
「さて、と。もう夜も遅いですし、そろそろ寝ないとですね」
「う、うん」
「じゃあ、僕は朝ご飯の下準備だけしてから寝ますから。師匠、夜更かししちゃだめですよ」
そう言って、僕は席を立ちます。途端に感じる体の重さ。僕自身、かなり疲れがたまっているようですね。無理もありませんが。
明日の朝ご飯、どうしよっかな。もうパンとサラダだけでいっか。じゃあ、下準備はレタスをちぎっておくだけで終わりに……。
「で、弟子君」
不意に、背後から師匠の声が聞こえました。
「はい、何ですか?」
振り向く僕。視線の先にあったのは、師匠の微笑み。全てを悟ったような、温かさ。
「明日、シチュー食べたいなあ、なんて」
ああ、やっぱり。
師匠はこうでないといけません。
「分かりました。ちょうど具材もそろってますし、朝はシチュー作りますね」
「やった!」
「はは。本当に師匠は相変わらずですね」
下準備が面倒だなんて感情は一ミリも沸きませんでした。いつも通りの師匠が目の前にいる。その喜びだけが、僕の心を埋め尽くしていたのです。




