第50話 だめ
「弟子君、どうかした?」
「いやいやいや。『どうかした?』じゃないですよ! 師匠、大丈夫ですか!? どこもケガしてませんか!?」
考えてみれば、師匠は先ほど男性に襲われたばかり。彼が持っていたナイフはどうにか当たらなかった……はずです。けれど、万が一ということもあります。
僕の言葉に、師匠はゆっくりと首を縦に振りました。
「大丈夫。ケガはないよ」
「よ、よかった」
「けど」
「?」
師匠? なんだか、顔が赤いような。どうして?
頭上にはてなマークを浮かべる僕。そんな僕の視線から逃れるためか、師匠は上半身を少しだけひねりました。
…………あ。
その時、気がつきます。
僕が、左腕で師匠の体をガッチリと抱きしめていたことに。
「ご、ごごごめんなさい、師匠。ぼ、僕、師匠を守らないとって思って。それで焦って抱き寄せちゃって」
「あ、う、うん。し、知ってる」
「本当にごめんなさい。す、すぐに離れま」
「待って!」
「ふひゃ!」
口から漏れる間抜け声。
思いもよりませんでした。
師匠の方から、僕に抱き着いてくるなんて。
「し、しししし師匠!?」
「だめ」
「な、何がでしょう?」
「遠くに行っちゃ、だめ」
僕の体に回された師匠の両腕。その力が、さらに強くなります。
…………
…………
ええええええええええええええええええええええええええええ!?
ちょ! ちょちょちょちょちょ!
ど、どうすればいいんですか? いろいろとまずいです。何がとは言えないですけど、いろいろとまずいです。僕、今日、死んじゃうんですかね? 空から槍とか降ってきません? あ。なんか、いい香りがしてきました。これ、師匠の香りですね。香水になって売られてたら、間違いなく買い占めるやつです。全財産はたいてもおつりが来ますよ。ハハハ。ハハハハハ。
思考がとんでもない方向に進んでいく僕。かつてないほど速い鼓動を刻む心臓。苦しい。それなのに、心地いい。この何とも表現しがたい感覚に身をゆだねながら、僕は、師匠を抱きしめる左腕の力を強めました。
「ん」
師匠の口から、小さな声が漏れます。
プツンと。
僕の中で、何かが切れました。
「師匠」
僕は、右手をゆっくりと師匠の背中に回して……。
「弟子ちゃん。魔女ちゃん。大丈夫!? 言われた通り、人呼んで…………へ?」
「あ」
「え?」
ピシリ!
確かに聞こえた、空気の固まる音。
どうしてここに郵便屋さんが……って、考えるまでもありませんね。きっと、師匠があらかじめ呼んでくれたのでしょう。ああ、でも。あまりにもタイミングが良すぎやしませんか?
「えっと」
居心地悪げに視線を巡らせる郵便屋さん。数秒後、その顔に浮かんだのは、明らかな作り笑い。
「ご、ごゆっくりー」
「「ちょっと待って!!」」
僕と師匠の声が重なりました。
♦♦♦
郵便屋さんが呼んでくれた警察との長いやりとりを終え、家に帰ることができたのは夜もふけた頃。簡単な晩御飯を済ませた後、僕は、師匠から事のあらましを告げられました。
僕が誘拐され、倉庫に閉じ込められている時。僕の帰りが遅いことを心配した師匠が、最近研究していたとある魔法を使ったそうです。それは、特定の物を探す魔法。ひとたびそれを使えば、地図上に「自身の魔力が込められた物」がどこにあるのかを示してくれるそうです。僕にとっては、あまりにも高度過ぎる魔法ですね。
「あれ? でも、僕、師匠の魔力が込められた物なんて持ってましたっけ?」
「持ってるよ。出発前に渡したでしょ」
「出発前……出発前……あ!」
ピンときた僕は、ローブの内ポケットからとある紙を取り出します。それは、僕が家から出発する前、師匠に手渡されたもの。水質調査の手順が書かれたメモです。
「もしかして、これですか?」
「正解。文字を書くのに、魔法を使ったからね。私の魔力が込められてるのと同じ扱いなんだよ」
「なるほど」
僕は、メモを開いて中を確認します。書かれているのは、整然かつ細かな文字。
大雑把な師匠にしては、どうりで綺麗すぎると思いました。
「君、なんか失礼なこと考えてない?」
「ナ、ナンノコトヤラ」
急いで視線をそらします。僕って、考えてることが顔に出やすいタイプなんですかね?
「図星……まあいっか。話、戻すね」
町の郊外にある倉庫に僕がいると知った師匠。倉庫は、本来の目的地である湖とは全くの逆方向。もしかしたら誘拐ではと考えた師匠は、郵便屋さんに助けを求めたそうです。
「あの子、相当あたふたしてたよ。こっちが心配するくらいに。で、とりあえず急いで人を呼んでもらって、私は先に倉庫へ向かったんだ。後の流れは、君も知ってる通り」
「……本当に、助かりました」
もし師匠の登場が少しでも遅れていたら。僕の体は、五つに切り刻まれていたかもしれません。彼らは人質として生かしておくとは言っていましたが、果たしてそれは事実だったのでしょうか。考えるだけで、背筋に冷たい汗が流れます。
「お礼なんていいって。無事で何より、だよ」
そう告げる師匠の顔には、優しい笑みが浮かんでいました。




