第45話 そう、かもしれない
「うるせえなあ。クソガキ」
叫ぶ僕に向かって、男性は杖を向けます。次の瞬間、杖の先から大量の水が放出され、僕の全身に浴びせられました。
「う。けほっ、けほっ」
「あんまりうるせえと、次はどうするか分かんねえぞ」
男性の言葉が僕の背筋を震わせます。体が濡れて気持ちが悪いなんて感情を持つ余裕はありません。今度僕が叫び出そうものなら。その時の光景を思い浮かべてしまい、胃の中から何かが湧き上がってくる感覚に襲われました。
ポタポタと床に水が垂れ、いびつなシミを作ります。それは果たして先ほど浴びせられた水なのか。それとも、僕が流した汗なのか。
「にしても。あいつら、早く帰ってこねえかな。腹減っちまったよ」
煙草に火をつけながら悪態をつく男性。
あいつらってことは、他にも仲間がいるってことだよね。集団で僕を誘拐? 本当にどういう状況?
「あの」
「ふー。何だよ?」
「結局、どうして僕なんかを誘拐したんですか?」
恐る恐る僕は尋ねます。このくらいであれば男性の逆鱗に触れることもないでしょう。
「ふん。答える義理はねえと言いたいところだが、あいつらが戻ってくるまで暇だしな」
吸い始めて間もない煙草を足で踏み潰し、男性はこう告げました。
「『戦花の魔女』に復讐するためだよ」
…………
…………
え?
戦花の魔女。つい最近、僕はその名を聞きました。確か、旅人さんが探していた魔女です。
数年前。ここからはるか遠い地域で行われた戦争。そこで大いに活躍した人物。旅人さん曰く、戦闘中にわざと味方に攻撃したという理由で国を追い出され、現在は消息不明。
「えっと。話がよく見えないんですが」
僕は『戦花の魔女』についてよく知りませんし、会ったことすらありません。要するに、僕なんかを誘拐したところで意味がないのです。復讐のための仲間になれという勧誘であればまだ分からなくもないですが、僕みたいな平凡な魔法使いにそんな勧誘が来るはずもありません。
思わず首をかしげる僕。男性は、そんな僕の様子を訝し気に見ていましたが、やがて納得したように「ああ」と頷きました。
「あっはっはっはっは。こりゃ傑作だ」
倉庫内に男性の高笑いが響き渡りました。
「な、何笑ってるんですか?」
「いやー。まさか、自分の弟子に正体を隠してるなんてな。まあ、当然っちゃ当然か。自分はあの有名な『戦花の魔女』ですなんて、怖くて言えねえよ。相手が大事ならなおさら」
よく分からない言葉たちが男性の口から飛び出します。どうにかしてそれを理解しようと、僕は頭を必死で回転させました。
自分の弟子に正体を隠す?
自分は『戦花の魔女』です?
弟子って、僕のこと、だよね?
ということはつまり。
つまり。
パチンと、線と線の繋がる音が聞こえました。
「師匠が、『戦花の魔女』?」
「は! 気づくのが遅すぎだろ」
「いや、でも」
グータラで、超が付くほどの面倒くさがり屋。わがまま放題な子どもっぽい大人の女性。僕の知っている師匠はそんな人。
師匠が『戦花の魔女』だなんて、そんなことあるわけ。
ある、わけ……。
…………
…………
そう、かもしれない。
否定はできませんでした。師匠がこれまで見せてきた魔法の技術。僕と出会う前の話題を避けようとする言動。そして、旅人さんから『戦花の魔女』について聞かれたときの不可解な態度。
もし師匠が本当に『戦花の魔女』だったとしたら、全て納得がいきます。
「か、仮に。仮に師匠が『戦花の魔女』だったとして。復讐ってなんですか? もしかして、師匠に戦争でやられたから……」
「そんな理由じゃねえよ。そもそも俺、いや、俺たちはあいつと同じ軍にいたんだからな」
「同じ軍? だったら、復讐する理由なんてないじゃないですか」
戦争で大いに活躍したという彼女。敵に恨まれるなら分かりますが、男性は彼女の味方。恨む理由が全く分かりません。
僕の反論に、男性は「チッ」と大きく舌を鳴らしました。
「思い出すだけでも嫌になるぜ。あいつのせいで、俺たちは全く周りから評価されてなかったんだ。訓練の時だって、あいつばかり贔屓されて。お前みたいなガキには分かんないだろうよ。年の近い女と比較されて、馬鹿にされ続ける辛さが」
男性の瞳がギラリと怪しく光ります。そこに映っていたのは、まぎれもない憎悪でした。
「あまりに目障りだったから、嘘の噂を流しまくって苦しめてやったのさ。あいつの存在はそこそこ異質だったから、周りの奴らもすぐに信じてくれたよ。日に日に暗くなっていくあいつの顔を見るのは最高だったぜ」
醜悪な笑みを浮かべる男性。不快感の塊が、僕の心に襲い掛かります。知らず知らずのうちに、僕は両手を強く握り締めていました。
「『戦花の魔女』は味方をわざと攻撃して国を追い出されたって聞きましたけど、もしかして……」
「ほお。急に賢くなったじゃねえか。その通り。俺たちが仕組んだんだ」
「…………」
ブルブルと震える体。恐怖からではありません。これまで感じたことのない激しい怒り。それが、全身を勢いよく駆け巡っていたのです。




