第40話 許そう
私が森の中に住み始めたのは、町で商売を始めてからすぐのこと。何か特別な考えがあるわけではない。誰の目も気にせず、静かにのんびり過ごせるかも。我ながらあまりにも単純な理由だ。
ちなみに、家を建てたのは私自身。軍にいた頃、長期戦を見越して簡単な小屋を作る練習をしたことがあったが、まさかその時の経験が生きるとは。知識や技術というのは、ため込んでも損にはならないものだ。
「さて、晩御飯……あ」
しまった。今日の朝、買い置きしていたパンを食べきってしまったんだった。他に食べられそうなものはない。今から町に行こうにも、外はもう暗くなってしまっている。
はあ、やっちゃったなあ。
溜息を一つ吐き、椅子に座ってテーブルに突っ伏す。少し湿った木の香りが、私の心をさらに暗くしていく。
「何やってんだろ、私」
早く大人になろうと頑張って。大人に近づけたと思ったら居場所がなくなって。子供なりに必死でお金を稼いで。そして今、空腹の状態で自分の建てた家に一人。
今の私は大人なのだろうか。それとも、まだ子供なのだろうか。もしまだ子供なのだとしたら、いつ大人になれるのだろうか。
あれ? そういえば、どうして私は大人になりたかったんだっけ?
…………
…………
ああ、そうか。
『大人になれば、あなたはここから出ていろんな仕事に就ける。そうすれば、たくさんお金を稼ぐことができるわ』
『子供だけど、大人以上に活躍している人が、大人扱いされるなんてことはあるわね』
私は、できる限り早く大人になりたかった。そして、たくさんのお金を稼ぎたかった。
その理由は。
「シチュー、食べたいな」
自然と出た呟きは、私以外誰も聞いてはいなかった。
♦♦♦
時が経ち、私が十六歳になった頃。
コンコン。
「ん?」
寝起きでポケポケと天井を眺めていた私の耳に、聞き慣れない音が届いた。
気のせいかな?
コンコン。
違う。気のせいなんかじゃない。
それは、明らかに玄関の扉が叩かれる音。一体誰が。私がここで暮らすようになって一年弱。尋ねてきた人なんて一人もいないはずなのに。
ローブを羽織り、杖を後ろ手に持つ。忍び足で玄関へ向かい、恐る恐る扉を開く。
扉の先にいたのは一人の女性。年は私と同じくらい。短く切りそろえられた黒髪。手にはほうきを持ち、青色のローブに身を包んでいる。
「な、なんで!?」
思わず声を上げる私。目の前にいる女性に、見覚えがありすぎたから。
「魔女ちゃん、来たよ!」
私の友人は、昔と何ら変わらない眩しい笑顔を浮かべてそう言った。
♦♦♦
「へー。ここが魔女ちゃんの住んでる家かー。手作り感満載だね」
「あ、あんまりまじまじ見ないでよ。掃除もちゃんとできてないし」
「うん。確かに」
「…………」
そんな大きく頷かなくても。
もともと掃除、というか家事全般は得意ではない。成長すればいつの間にかそつなくこなせると思っていたが、どうやらそれは私の思い違いだったようだ。
「というか、どうしてあなたがここに?」
「どうしてって。魔女ちゃんに会いたかったからに決まってるでしょ」
それは、あまりにも純粋無垢。そして懐かしい言葉だった。
「魔女ちゃんがいなくなってから、ボク、すごく頑張って魔女ちゃんのこと探してたんだよ。お父さんに頼み込んであちこち声かけてもらったりもしてさ」
「あちこちって?」
「そりゃ、各国の……おっと。これは言っちゃいけないやつだ」
ペロリと舌を出して笑う彼女。私の背中に冷たい汗が流れる。
そういえば以前、魔法石の修理を頼んできた男の人が、私の住んでいる所を執拗に聞き出そうとしてたっけ。
まさか、あれって……。
「まあいろいろあって、やっとの思いで魔女ちゃんがここにいるって分かったんだ。で、ほうきに乗ってはるばる来たってわけ。距離が距離だったからかなり時間がかかっちゃったけどね」
「……え?」
「え?」
「ほうきに乗って? あなた、魔法使えたの?」
「うん。言ってなかったっけ? といっても、基礎的なものしか使えないけどね。魔女ちゃんみたいに誰かと戦うとかは無理」
肩をすくめる彼女。突然の来訪にまさかの事実判明。もう私の頭の中はぐちゃぐちゃだ。
「って、そんなことはどうでもいいんだよ」
そう前置きして、彼女は腕組みをする。背筋をピンと伸ばし、頬を軽く膨らませる。
「魔女ちゃん、ボクに何か言うことない?」
彼女が私に対して怒っていることはすぐに理解できた。
「えっと。ごめん」
「む。軽いなー。軽すぎる」
「突然いなくなってごめん」
「まだまだ」
「別れの挨拶もなしに突然いなくなってごめん」
「もう一声」
「別れの挨拶もなしに突然いなくなってごめんなさい! あなたがどれだけ心配するかとか全然考えずにいなくなってごめんなさい!」
「よし。許そう」
彼女の顔に笑顔が戻る。拍子抜けするほどの切り替えの早さに、自然と私の顔もほころぶ。
「……ありがとね。私のこと見つけてくれて」
「ニヒヒ。当然でしょ。友達なんだから」
一体いつぶりだろうか。こうやって、心から安心する笑みを浮かべることができたのは。




