第3話 サクサク
ステンドグラスに描かれた赤いバラが特徴の大きな建物。町の名物でもあるそれは、町長さんのいる町役場。
僕は、ゆっくりとほうきを降下させて建物の傍に降り立ちました。
「師匠、着きましたよ。起きてください」
「うーん。あと五時間」
「あと五分みたいなノリで言わないでくださいよ」
「じゃあ、あと五年」
「なんで増えてるんですか。もう」
三角帽子を手に取り、つばの部分をグイグイと引っ張る僕。
「い、痛い痛い! ご、ごめん! 起きる、起きるから!」
そんな叫び声が聞こえたかと思うと、次の瞬間、僕の手から三角帽子が消えてしまいました。目の前に現れたのは、両頬をさすっている涙目の師匠。丁度僕たちの隣を通りかかった男性が、ギョッとした表情を浮かべたのが見えました。
「うー。乙女の頬を引っ張るなんて」
「あ。今引っ張ったのって頬だったんですね。知りませんでした」
じゃあ他の場所ってどうなってるんだろう。例えば帽子のてっぺんとか。
「むう。弟子君の乱暴者」
「はいはい。じゃあ行きますよ」
ほうきを小脇に抱えながら、役場の入り口へ。町長さんから仕事を受けるのはこれで三度目。慣れた部分もありますが、いまだに緊張しちゃいます。何しろ相手はお偉いさんですし。
「なんか甘いもの食べたいなー」
後ろから聞こえる呑気な声。師匠はいつも通り平常運転のようです。羨ましいというか何というか。
さて、今回の仕事も頑張るとしましょう。どこかの誰かさんと対等の存在になるために。
♦♦♦
役場の応接室に通された僕と師匠。ソファーに座って待っていると、不意にガチャリと部屋の扉が開きました。現れたのは初老の男性。顔に浮かぶ温和な笑み。顎に生えた白髭と目じりの深いしわ。身を包む糊のきいたスーツ。いかにもベテランといった風貌の彼は、今回の依頼主である町長さんです。
「ようこそお越しくださいました。森の魔女様、そしてお弟子様」
向かい側のソファーに腰を下ろし、僕たちに軽く頭を下げる町長さん。
彼の口にした『森の魔女』とは、師匠の二つ名。きっと、「森に住んでるから『森の魔女』でしょ」なんていう安直な考えで二つ名を付けた誰かがいたのでしょう。ですが、いかに安直だったとしても、二つ名を持つ魔法使いや魔女は希少な存在。要するに、師匠は魔女の中でも一握りの超すごい人なのです。
そう。超すごい人……のはずなんですけど。
「ご無沙汰しております、町長さん。相変わらずお元気そうで」
サクサク。サクサク。
「いやいや。最近は体の節々が痛くて。年を取るというのはつらいですな」
サクサク。サクサク。
「僕にはまだまだ若い見た目に見えますけどね」
サクサク。サクサク。
「はっはっは。お弟子様はお上手ですなあ。おっと。あまり無駄話をするのもよくありませんね。さっそく本題に」
「あ。ちょっと待ってください」
僕は、本題に入ろうとする町長さんを制します。そして、大量のクッキーが入ったバスケットを師匠の前から奪い取りました。
「ああ! 私、まだ全部食べてない!」
「大事な依頼を聞こうって時に、御厚意で出されたものを食べ続けるなんて非常識です」
そのバスケットは、ご自由にお食べくださいと役所の人が出してくれたものでした。師匠は、先ほどからずっとその中に入っているクッキーを食べ続けています。一応、今回師匠は依頼を受ける側。彼女の威厳のためにも、ここは厳しくした方がいいでしょう。
「ううう。弟子君、酷い」
悲しそうに僕を見つめる師匠。その目には、うっすらと涙が。
「そ、そんな顔したって駄目です」
「ううううう。クッキー」
「……町長さん。これ、持って帰っても大丈夫ですか?」
あれ? おかしいですね。さっき、師匠に対して厳しくしようと決意したばかりだったのですが。は! まさか、師匠がこっそり魔法を使って僕の気持ちを揺るがせたとか? あ、ありえますよ。だって師匠ですし。一応、超すごい人ですし。
「はっはっはっはっは。若さとはやはり素晴らしいですな。クッキーは後で袋にでも入れてお渡しするとしましょう」
「すいません、本当に」
「いやいや。ところで、仕事の話をしてもよろしいですかな?」
「はい。お願いします」
ちょっと話がそれてしまいましたが、ようやく本題に入れそうです。はてさて、一体どんな依頼なのやら。
町長さんは、コホンと一度咳払い。その顔には、温和さとは程遠い険しい表情が浮かんでいました。突然の変化に、僕の背筋がピンと伸びます。
「今回お二人にお願いしたいのは、町外れにある湖の水質調査です」
え?
水質、調査?
「なんだか変な依頼だね」
「ですね。てっきり魔法関係だと思ってました」
首をかしげる師匠と僕。無理もありません。だって、これまで師匠のところに来る依頼は、そのほとんどが魔法関係のものだったのですから。水質調査なら、専用の道具さえあれば魔法が使えなくても行うことができます。それなのにわざわざこうして依頼するということは……。
「お二人が疑問に思われるのも無理はありません。ですが今回の件については、魔法が関わっているかもしれないのです」
「そういう、ことですか」
やはり何かしら複雑な事情があるようですね。




