第28話 戦花の魔女
「本当の自分……ですか」
「はい」
旅人さんは、ゆっくりと頷きます。
「本当の自分が、ずっと私に聞いてくるんです。それで満足なのかって。諦めて後悔しないのかって。翌日になって気がついたら、私、故郷とは全く違う方向にほうきを走らせてました」
優しく微笑む旅人さん。その笑みには、僕なんかでは想像できないほど多くの意味が込められているように感じました。
「諦めることは悪いことじゃないと思います。諦めなきゃならないことだってたくさんあります。でも、心の中にいる本当の自分がまだ諦めたくないと思ってるなら、もうちょっと頑張ってみた方がいいんじゃないかとも思うんです」
「…………」
「だって、自分で自分を裏切りたくないですから」
その言葉に、僕の心臓が大きく跳ねるのが分かりました。
自分で自分を裏切る。そんなの嫌に決まっています。だってそれは、自分を信用できなくなることと同義ですから。
今の僕はどうでしょう。師匠と対等の存在になる。その夢を諦めかけている自分。ですが、心の中にいる本当の自分は、諦めたいと思っているのでしょうか。自分で自分を裏切る。そうならないと断言できるのでしょうか。
…………
…………
ああ。
そうですね。
答えなんて、最初から決まってます。
チラリと横に視線を向ける僕。そこにいるのは、「ほほお」と旅人さんの言葉に相槌を打つ師匠。彼女は僕に見られていることに気がつくと、「どしたの?」と言いながら首をかしげました。整えられた長い白銀色の髪。ルビーのように綺麗な赤い瞳。こちらを見つめる彼女のキョトン顔がどこかおかしくて、僕の口元は自然と緩んでしまうのでした。
♦♦♦
「さて、私はそろそろ町に戻ろうと思います。すぐに宿を探して明日に備えないといけないので」
「明日はもう町を出るんですか?」
「はい、朝一番に。行きたいところが山ほどあって困っちゃいます」
「大変ですね……」
本当ならもっと話を聞いたり魔法について教えてもらったりしたかったのですが。まあ仕方ないですね。旅人さんの計画を邪魔するわけにもいきませんし。
「これ、少ないですけど今回の謝礼です」
ローブの内ポケットから袋を取り出す旅人さん。受け取ると、袋の中からチャリンとお金のぶつかる音が聞こえました。
そういえば、勝負を受ける代わりに謝礼を貰うことになってましたっけ。いろいろありすぎて忘れちゃってました。
「ありがとうございます」
「ねえねえ、弟子君。私今日はすごく頑張ったし、ご褒美のお菓子を買うっていうのはどう? もちろんケーキでも可」
「……ハハハ」
「?」
お菓子と言われて思い出したことがもう一つ。今日の晩御飯は……あれです。はてさて、師匠はどんな反応をするのやら。
「では、私はそろそろ失礼します。また一年後に」
「はい。楽しみにしてますね」
「あ、そうだ。最後に一つ。私、実はとある魔女さんを探してるんですけど、ご存じないですか? 『戦花の魔女』って言われてる人なんですが」
旅人さんの口から飛び出したのは、何度か聞いたことのある名前でした。
戦花の魔女。
数年前。ここからはるか遠い地域で行われた戦争。そこで大いに活躍した人物。といっても、僕はその人について具体的なことは何も知りません。ただ噂程度に聞いたことがあるだけ。
「すいません。名前は知ってますけど、どこにいるかとかは……」
「そうですか。残念」
「もしかして、その人とも勝負を?」
「はい。そうできたらいいなと思ってます。私のパ……師匠は戦争経験者なんですけど、同じ軍にその魔女さんがいたらしいんです。で、数百の敵を単独でやっつけちゃったそうなんですよね。それも、一回だけじゃなくて何度も」
「ほえー。すごい」
「でも、戦闘中にわざと味方に攻撃したってことで国を追い出されちゃったらしくて。今ではどこで何をしてるのかさっぱり。いろいろ聞きまわっているんですけど、手がかりがないんですよねー」
詳しくは知りませんが、戦花の魔女がかなりの実力者であることは間違いありません。ですが、わざと味方に攻撃だなんて。よほどひどい性格だったのでしょうか?
「師匠は何か知ってます? 『戦花の魔女』について」
「…………」
師匠に話を振る僕。特に深い意味はありませんでした。『森の魔女』という二つ名を持つ師匠なら、同様に二つ名のある『戦花の魔女』について僕より詳しいかも。そんな、軽い考えでした。
返答は、いくら待っても聞こえてきません。
師匠は、無言で旅人さんを見つめていたのです。
その表情は、真顔。
怖いくらいの、真顔。
「師匠?」
「魔女さん?」
「…………」
僕と旅人さんが話しかけても変わらずの無言。訳が分からず、僕たちは顔を見合わせました。
漂う異様な雰囲気。冷たい風が頬を打ち、背筋が小さく震えます。師匠の真顔はすごく不気味で。いつもの子供っぽさなんて微塵も感じられません。
え? 何? 今何が起こってるの?
脳内をはてなマークに埋め尽くされた頃。ポツリと、師匠が呟きました。
「戦花の魔女、ね。私もよく知らないな」
♦♦♦
旅人さんと別れ、家に帰ってきた僕たち。
「急いで夕飯を作らないとですね」
「そだねー。できるまで、私は部屋でダラダラしてよーっと」
そう言いながら、「うーん」と背筋を伸ばす師匠。その姿はいたっていつも通り。つい十数分前の出来事が嘘だったかのよう。あれが夢だったと言われても、僕は迷わずその言葉を信じるでしょう。
「…………」
本当は、聞きたい気持ちでいっぱいでした。師匠はあの時何を考えていたのか。戦花の魔女について、本当に何も知らないのか。
ですがそれを聞いてしまうと、何かが大きく変わってしまう。そんな予感がしたのです。
僕の杞憂かもしれませんが。
僕は、ゆっくりとキッチンへ。戸棚に近づき、今日の夕飯に使う材料を取り出していきます。お肉。玉ねぎ。そして……。
「で、弟子君?」
「はい」
「そ、その手に持ってるものは、な、何かな?」
「何って。ピーマンですけど」
その瞬間、師匠の顔がグニャリとゆがみました。
「うええ!? な、なんで!? 私がピーマン大嫌いなこと知ってるよね!?」
「もちろんです。だからですよ」
「へ?」
「……お菓子作り勝負」
僕の言葉に、師匠は「あ」と小さな声を漏らしました。おそらく思い出したのでしょう。自身のことを棚に上げ、強い魔女は料理に精通しているものだと旅人さんに告げたことを。僕と旅人さんを勝負させることで、自分用のおやつを作らせたことを。
「で、弟子君。お、怒ってる?」
「ハハハ」
「あ、あれは、別に……」
「ハハハハハ」
「あの……その……」
「師匠」
「は、はい」
僕は、ニッコリと笑顔を作ります。三日月形の口をした、悪魔のような悪い笑顔を。
「今日はピーマンのフルコースですよ」
次の瞬間、家の中に師匠の叫び声が響き渡るのでした。




