第20話 そういうところ、だよ
「ん。ここは?」
あれから数時間後。不意に、ベッドの上から聞こえる声。僕は、読んでいた魔導書から顔を上げました。
「郵便屋さん、起きましたか?」
「あ、弟子ちゃん。おはよう」
「おはようございます。といっても、もう夜ですけど」
僕は、病室の窓に視線を映します。日はすっかり落ち、空には弱々しい光を放つ月。中庭に生える大きな木が、夜風に枝葉を揺らしていました。
「夜。そっか。夜ね。ふーん……って、仕事!」
叫び声をあげて体を起こそうとする郵便屋さん。ですが、すぐに異変に気がついたのでしょう。「あれ?」という間抜けな声が部屋の中に小さく響きました。
「あの。ボクの体、上手く動かないんだけど」
「そりゃ、疲労抑制の魔法を多用してたらそうなりますよ」
「あ」
僕の言葉に、郵便屋さんはばつが悪そうに目をそらしました。口をモゴモゴと動かした後、誤魔化すように口角を上げます。
「バレた?」
「バレました」
師匠は語っていました。郵便屋さんは、疲労抑制の魔法を今日だけで四回使っていたと。そして、昨日や一昨日、それより前も連続して使用していたと。あまりに何度も使用していたせいで、一度魔法を使っただけでは効果が感じられない体になってしまっていたと。
治療はもう終わっていますが、あとしばらくは体を動かすのに苦労するでしょう。言葉を発したり顔を少し動かしたりするくらいなら難なくできるでしょうけど。
「弟子ちゃん、ごめんね」
「気絶してほうきから落ちるなんて。僕、すっごく心配したんですよ」
「本当に、ごめん」
「会社の人たちも心配してました」
つい一時間前、会社の職員さんたちが大勢ここにやって来たのです。彼らは、郵便屋さんに頼りすぎてしまっていたこと、郵便屋さんが倒れる寸前であると気づけなかったことをとても後悔していました。
皆で所長に直談判しよう。意気揚々と話す職員さんたちの真剣な顔は、今でも脳裏に焼き付いています。
その時に聞いた話。どうやら郵便屋さんは、風邪で休んだ二人の分の仕事を一手に引き受けるよう社長から命令されたのだとか。ただでさえ忙しい身なのは分かり切っていましたが、「お前以外にできる人はいない」と言われた結果、彼女はそれを承諾。てっきり他の配達員さんと仕事を山分けしたと思い込んでいた僕は、その事実に頭がクラクラしました。
「郵便屋さんが酷使され続けてたっていうのは問題ですけど、自分の体をごまかしてまで仕事しちゃだめですよ。絶対です」
「……ごめん」
三度目の「ごめん」は、これまで以上に低いトーンでした。
ちょっと言い過ぎたでしょうか?
「もういいですよ。これから気をつけてもらえれば」
「うん。それにしても、ボク、ほうきから落ちちゃったのか―。ありがとね。弟子ちゃんが助けてくれたんでしょ?」
「…………」
さあ。今度は僕の番、ですよね。
「弟子ちゃん?」
「……すいません」
そう言って、僕は唇を噛みしめました。郵便屋さんが「ん?」と不思議そうに首をかしげます。
「ボク、今弟子ちゃんに謝られてる? えっと。理由がよく分からないんだけど」
「郵便屋さんを助けたのは、偶然戻ってきてた師匠なんです。僕は、何も、できなかったんです」
震える声。心に広がる灰色の靄。
「あ。そうだったんだ。けど、謝るようなことじゃ」
「師匠がいなかったら、郵便屋さんがどうなってたか分かりません。僕にもっと力があれば、郵便屋さんを危険な目にあわせずに済んだんです」
「…………」
「だから、すいません」
僕に力がないことは自覚しているつもりです。それでも、今回のことはさすがに自分を許せないのです。
本当に、僕ってやつは。
襲い来る無力感。今すぐにでも帰宅して、魔法の特訓をしたいくらい。
「もし次、郵便屋さんがピンチになったら、絶対に自分の力だけで郵便屋さんを守ってみせますから」
「…………」
「って、そもそもピンチになるなんてことがあっちゃダメですよね。僕も会社の人たちと一緒に直談判しに行こうかな」
「……そういうところだよねー」
「え?」
「そういうところ、だよ。弟子ちゃん」
よく分からない言葉とともに、郵便屋さんは呆れ顔を浮かべました。
「今回のことはボクが全面的に悪いのに、なんで弟子ちゃんが謝るかなー。お人好しとかいうレベルじゃないって。それが打算とかだったらまだいいのに、そうじゃないからなあ。本心だもんなあ。はああああ」
突然、饒舌になる郵便屋さん。僕に向かって話しているというより、自分自身に言い聞かせているかのよう。いつの間にか、彼女の頬にはほんのりと朱が差していました。
「え、えっと。郵便屋さん?」
「弟子ちゃん、聞かせて。どうして弟子ちゃんは、ボクにここまで優しくしてくれるの? どうしてボクを気遣ってくれるの? どうしてボクを守ろうとしてくれるの? どうして、そんなに……」
「いや、どうしてと言われましても」
郵便屋さんが求める答えは当たり前のことすぎて。普段から特別強く意識しているなんてものでもないんですけど。
「まあ、あれですよ」
僕を見つめる彼女の瞳が普段より輝いて見えたのは、果たして僕の気のせいなのでしょうか。
「大切な人だから、ですかね」




