第15話 ……クワシク
「おはようございます。郵便屋さん」
「おはよう。弟子ちゃん、来てくれてありがとね」
郵便屋さんの勤める会社。とある大きな部屋の入り口。僕と彼女は、軽く挨拶を交わしました。
入口からは、室内の様子を見ることができます。たくさんのデスク。その全てに大量の書類。デスクに向かう職員さんたちは、書類の山に囲まれながら必死に仕事をこなしていました。鬼気迫るという表現がピッタリなほど。
「すごいですね、あれ」
「アハハ。見てのとおり、毎日忙しいんだよ」
そう言って、郵便屋さんは苦笑いを浮かべます。
もし師匠なら、毎日忙しい環境なんて耐えられないんでしょうね。「もう嫌だ―!」なんて叫びながら涙目になる姿が目に浮かびます。で、そんな彼女はというと……。
「むにゃむにゃ。zzz」
僕の頭の上。三角帽子の状態で眠っていました。まだ朝も早いですし、当然と言えば当然ですが。
「さて。じゃあ、仕事の説明をしたいから、中に入ってくれる?」
郵便屋さんに促されるまま、僕は室内へと足を踏み入れました。人の熱気と圧が全身を襲います。
その時。
「先輩。その人誰っすか?」
僕の存在に気付いた一人の女性職員さんが、郵便屋さんに尋ねました。「先輩」という言葉からして、おそらく郵便屋さんの後輩でしょう。
「昨日言った子だよ。今日はボクたちの手伝いをしてもらうんだ」
郵便屋さんの返答に、後輩さんは「ああ!」と何かを思い出したように頷きました。
おっと、僕も挨拶をしておかないと。
「初めまして。本日」「先輩の彼氏さんっすね!」
…………
…………
さて、郵便屋さんを問い詰めるとしましょうか。
♦♦♦
「いや、本当にごめん。そう伝えた方が面白いかなと思って」
「理由になってません!」
なんと、僕と郵便屋さんが恋人同士という話は、会社全体に伝わっているそうで。室内にいる職員さんたちの多くが、ニヤニヤ笑いながら話をしているのが聞こえてきます。
『お、朝からお熱いね』
『幸せオーラが出てるよ』
『痴話げんかってやつだな』
『あの男の子、略奪愛とか興味あるかしら?』
…………最後のは聞かなかったことにしよう。
「ま、まあ、広まっちゃったものは仕方ないしね。気持ちを切り替えて、仕事頑張ろう」
「もうすでに帰りたいんですが」
「ちょ、待って待って。弟子ちゃんに帰られると、ボク本当に困るから」
力いっぱい僕の服を引っ張る郵便屋さん。見るからに焦ったその様子に、僕は小さく溜息をつきます。
「別に、仕事を途中で放り出したりなんてしませんよ。その代わり、後で職員さんたちにちゃんと訂正しておいてくださいね」
「りょ、了解」
郵便屋さんは、ビシッと僕に向かって敬礼しました。彼女が身にまとう軍服風のワンピース。そして敬礼。様になるというのは、こういった時に使う言葉なのでしょう。敬礼に至るまでの経緯はあれですが。
「ふああ。ん? 弟子君。なんであの子は敬礼してるの?」
突然、頭上から聞き慣れた声。どうやら師匠が目を覚ましたようです。
「おはようございます、師匠。あの敬礼は…………何でしょうね?」
師匠の質問に、僕はわざと分からないふりをしました。ここはあえて誤魔化した方が適切でしょう。もし師匠が、「僕と郵便屋さんが恋人同士ということになっている」なんて知ってしまったら、一体どうなることやら。
『まさか、あの子にあんな年下の彼氏ができるなんてね。羨ましいわ』
あ。
「……クワシク」
♦♦♦
「じゃ、じゃあ、さっそく配達に行こう!」
会社の外。郵便屋さんは、気持ちを切り替えるように元気よく告げました。そんな彼女の目にはうっすらと涙の跡。先ほど師匠からのおしおきを受けた証が、はっきりと刻まれています。
「とりあえず、この地図通りに配達していけばいいんですよね」
「そうそう。手紙を渡す手順とかクレームを受けた時の対処法とかは大丈夫?」
「はい。さっき郵便屋さんに教えてもらったことはメモしてますので。後は慣れるだけです」
「ん。さすが弟子ちゃん」
郵便屋さんは満足そうに頷いた後、手に持っていたほうきにまたがります。次の瞬間、ふわりとほうきが浮き上がり、あっという間に上空へ。
「分からないことがあったら知らせてね。それじゃ」
そう言って、ものすごい勢いで飛び去ってしまいました。
「は、速い……。えっと、僕たちも行きましょうか」
僕は、自分の頭上に向かって語りかけます。そこには真っ黒な三角帽子。働く気のない師匠の姿。
「りょうかーい。弟子君、頑張ってね」
「……僕、師匠も一緒に仕事してくれるのかと思ってました」
「ちゃんとしてるよ」
「?」
「二人の監視。弟子君がまたあの子にちょっかいかけられないように」
「何ですかそれ」
おそらく、師匠は昨日の出来事を思い起こしているのでしょう。
あまりにも突然すぎる郵便屋さんからの告白。彼女も言っていましたが、あれはただの冗談。正直、そこまで警戒するようなこともないと思うのですが。
僕は首を傾げながら、自分のほうきにまたがるのでした。