第10話 頑張ってる人
太陽がすっかりその姿を隠してしまった頃。町外れの湖にて。
「弟子君。次は水を操る魔法お願い」
「はい」
言われるがまま、僕は湖に向かって魔法を放ちました。水面が揺れ、少量の水が上昇。それを見て、師匠は杖を振るいます。今度は特に目立った変化はなし。しいて挙げるなら、師匠の杖の先が青白く光っていたことくらい。
「うん、いいね。じゃあ魔法解いていいよ」
「分かりました」
ポチャンと音を立てて落下する水。
これ、本当に意味あるのかな?
師匠曰く、湖にかけられた余分な魔法を相殺しているようなのですが。うーん。何が何だか分かんない。
「魔女さん、お弟子さん。光、弱くないですかー?」
少し離れた所から、少女が僕たちに尋ねます。頭上には、彼女が魔法で出した光の塊。湖の表面は煌々と照らされ、水面の動きまでくっきり見ることができます。
「あー。大丈夫大丈夫。そのままの強さでいいから」
「他にできることがあったら何でも言ってくださいねー!」
僕たちに向かってニコリと笑う少女。
「もう夜になっちゃいまいたけど。あの子、ずっと協力してくれるつもりなんですかね?」
「いいんじゃない? 本人も罪滅ぼしがしたいって言ってたし。それにあの子がいないと、弟子君に湖を照らす役割をやってもらうことになるよ。もちろん、指示された魔法をかける役割も並行して」
「……このまま三人で頑張りましょう」
僕に師匠くらいの力があれば、湖を照らしつつ別の魔法を放つなんてこともできたんでしょうね。はあ。
「さて、私も気合入れないとね」
「……師匠、一つ聞いてもいいですか?」
「何?」
「師匠はどうして今日に限って仕事熱心なんです?」
それは、今日何度も疑問に思ったことでした。グータラで、超が付くほどの面倒くさがり屋。わがまま放題な子どもっぽい大人の女性。僕の知っている師匠はそんな人。ですが、今日は明らかに違います。自分から仕事を引き受け、こんな夜遅くになっても文句ひとつ言わない。加えて、今日会ったばかりの少女のために自分の身を投げ出してまで。
もし今、空から槍が降ってきたとしても、僕は素直にそれを受け入れることでしょう。ああ、今日は世界の全てがおかしい日だったんだなと。
「仕事熱心、ね。そう見える?」
「はい」
「そっか」
含みのある呟きとともに、師匠は自身の手にある杖を見つめます。使い古され、所々に小さな傷の入った杖。師匠がいつからそれを使っているのかは分かりません。少なくとも、一年や二年でないことは確かでした。
「……最初、湖にどんな魔法がかけられてるのか見た時さ、私思ったんだよ。この犯人は『頑張ってる人』なんじゃないかって」
湖にかけられていたのは、数多くの魔法。水を操作する、水の色を変える、氷を張るなどなど。僕でもすぐに唱えられるような簡単な魔法たち。それらは全て、湖について何も知らない少女が修行として生み出したものでした。彼女は、師匠の推測通り『頑張ってる人』だったのです。
「あの子は毎日ここで修行してたみたいだし、私たちが捕まえなくてもじきに捕まってたと思う。けど、処罰の重さはそうじゃない。あの子は誰かが庇わなかったら、ただの悪者になってたんじゃないかな」
「……ですね」
「私ね、それが許せなかったんだ」
静かな怒り。いや、怒りを通り越した何か。
師匠は、ゆっくりと言葉を紡ぎます。それは、質問をした僕に語っているようでもあり。
「一生懸命頑張ってたあなたは、知らないうちに悪者になってたんです……って言われて、そこに何の救いもないなんて。そんなのおかしいよ。絶対に」
自分自身に言い聞かせているようでもありました。
「……なるほど」
「さて、あんまりのんびりしてるとよくないよね。再開しようか」
「はい」
頷く僕。深入りしたいのはやまやまでした。ですが、できなかったのです。これ以上の話を師匠が望んでいないように見えましたから。
その時、湖に一陣の風が吹き荒れます。うねる水面。ざわめく木々。少し離れた所で、「ひやああ」という可愛らしい声が聞こえました。
♦♦♦
そうしてどれくらいの時間が経過した頃でしょうか。
水面に杖を近づける師匠。青白く光る杖の先端。現れる魔法陣。師匠はそれをじっと見つめて頷きを一つ。
「うん。これで元通りになったね。お疲れ様」
師匠の言葉とともに、僕は地面に大の字を描きました。
「お疲れさまでしたあああ!」
ま、魔力がごっそりなくなっちゃった。
一体何度魔法を放ったことやら。一日にこれほど魔力を削られるのは初めての経験です。
「おーい。終わったよー」
「ほ、ほんとですか!? あ、ありがとうございました!」
僕たちに駆け寄る少女。魔法で出した光の塊が、フヨフヨと彼女の頭上で揺れています。近くで見るとなんともまあ眩しいものです。
って、あれ? 光を維持するだけでも魔力を使うはずだけど、この子、全然疲れてる感じしない。
「お二人には感謝してもしきれないです! ありがとうございます! ありがとうございます!」
「もう。そんなに連呼しないでいいから。さて、帰り支度しようか」
「はい!」
もしかして、この子も師匠側なのかな?
明日からこれまで以上に特訓しよう。そう心に誓った僕なのでした。